決意
ナルは勢いのまま、屋敷を飛び出す。
向かう先は無い。ただ家から逃げたかった。
最中でも、頭の中は、母の言葉がグルグルとしている。
片手で頭を抑え、気を逸らすように歩いていく。
「ぐっうう」
だが道半ばで、しゃがみ込む。
そして建物の壁に背中を預けた。
「すぅーーー」
大きく空気を吸う。
これは、涙を抑えることを目的とする。
何とか涙を出さないよう、自身の理性と感性を戦わせる。
「ぐっううう」
しかし感性に勝てなかった。
一筋の涙が、片目から落ちる。
「あら? ナル様じゃないですか!」
ナルは呼び声の方向に顔を向ける。
そこには飲み会で解散した者たち、一○人程度がいた。
一○人はしゃがみ込むナルに、声をかけようとした。
だが、それよりも早く、ハーレムちゃんが動く。
「ああっ!!」
大声を上げ、ナルへと飛びついた。
「ナルちゃん! ハーレムちゃんは決めたよ!
絶対にハーレムにしてみせる。
そして全員を惹きつけて、幸せになろう!
恋愛をしない。なんて勿体ないよ! それがいい」
ハーレムちゃんは、顔を真っ赤にして、感性に任せて喋っている。酔っているのだ。
「いいぞ! もっと、言ってやってくだせぇ」
「積極性も大事だ!」
「ナイスだ。精霊様!」
ナルは、胸元で叫ぶハーレムちゃんと、ノリノリの職員たちに驚きはした。
しかし意思は変わらない。
静かに立ち上がり、全員を冷ややかな目で見る。
全員が「何を言うんだ?」と待っている。
ナルは「はぁ」と大きな溜息が出る。
何時ものナル様とは違う。
強い意思と冷たさを感じさせる。
「無駄よ」
「え? 何がーー」
「そういう恋愛がどうとか、普通がどうとか」
ハーレムちゃんは、そんなナルの様子に、気づく。酔いが一瞬で覚める。
「で、でも、そのほうが楽しいだろうし。
それに勿体ないとか思わない? ナルちゃんの中で、選択肢が小さくなってる。
そのせいで、楽しみを無くしてしまったりーー」
「そんなこと、どうでもいい。
私は私。他人は他人。精霊様は精霊様。
人はそれぞれ違う」
ナルは拳を強く握り、地面を見た。
職員たちは、ただナルの言葉を待つ。
ハーレムちゃんは、焦るように言葉を並べる。
「でもでも、今だけが全てじゃないんだよ?
ナルちゃんは仕事で、十分かもしれないけれど。
これから何年も生きる中で、後悔しないように、楽しんで生きないとーー」
「やめて!!」
強い声が響く。
ハーレムちゃんは、体を震わせた。
「私は一般的に言うような、幸せになる必要もない。このままでいい。
仕事に誇りに思っているし、辞めるつもりもない。みんなといれるだけで十分。
誰も彼もが、価値観を押し付けないで!!」
振り払うように、拳を振る。
それはナルの心からの叫び。
「…………!?」
その言葉は、ハーレムちゃんの胸に、深く突き刺さった。何も言えず、自身の甘さを理解する。
場は、冷たい沈黙が支配した。
「ナル様」
沈黙を破ったのは一人の男。
小さい頃から、力だけはあった。
しかし頭を使えず、良いように利用され、独房に。
釈放されても、待っていたのは『犯罪者』というレッテル。
職も金も食べ物も無く、死にかけていた。
そんな中、声をかけたのがナルだった。
下水道局の職、正当な賃金、温かい仲間たちを与えてくれた。
吟遊詩人でも、もっと感動的なストーリーを考えられる。だが彼とナルだけの、一生忘れられないストーリー。
「貴方様は、幸せな姿がよく似合う」
男はナルの両手を掴み、軽く握る。
ナルには、男のゴツゴツとした感触と、人の温かさを感じる。そして顔を上げ、男と目線を合わせる。
「精霊様が言うようなハーレムになる。
これが必ずしも、幸せに繋がるとは限らない」
男は、これまでのことを思い出すように、夜空を見上げた。
「色んなことがあった。
二日酔いでぶっ倒れた時は、看病してくれた。
女に振られた時は、無理に酒に付き合ってくれた。
危険なミスをした時は、一緒になって謝ってくれた。
こんなことがあっても、我らと共に働くことが、幸せだと言ってくれた。非常に嬉しく、心が救われる。
……されど。
俺。
いや、共に働く仲間。
いや、ナル様に救われた者たちが思うこと。
それは我々の『誇り』になってもらいたい」
男とナルの目線が、再び合う。
「誇り?」
ナルは今にも、涙が溢れそうな顔で問う。
「ナル様の二つ名、『ドブ令嬢』は、俺ら全員が知っております。
ですが気にした様子もなく、過ごしておられる。
しかし、俺たちは悔しかった!」
腹から出した思い。
「敬愛するナル様が、他の貴族共に見下され、馬鹿にされる。
それがどれだけ辛く、「俺たちが原因ではないか?」と悩んだことか」
トーンを低くし、悲しさを感じさせる。
他の職員たちは、大きく頷き、小さな泣き声も聞こえる。
男も感極まったようで、目を真っ赤する。
「ナル様。
我々のためと思い、一つだけお願いしたい。
貴族共を見返し、一泡、吹かせはくれませんか。
精霊様は、その方法の一つとして、ハーレムを作ることを教えてくださった。
ハーレムを作り、貴族共に「ナル様、ここにあり」と言わしめるのです!
そして……」
男の目は、今にも涙が落ちようとする。
何度も目を閉じる。
涙せず、「最後まで伝えたい」という意思が伝わる。
「そして、あわよくば、新たな幸せを」
この言葉が、全員の統一された思い。
男は、そう言うと「ぐぅ」と声を漏らし、涙が溢れる。
「よく言った」と、他の者たちも、男の肩を叩く。
ナルは握られた両手を、目元に近づける。
そして小さく呟いた。
「私にできるかな?」
「……ナルちゃん。約束する。
必ず、ハーレムにしてみせるわ」
ハーレムちゃんは、ナルの頭を撫でる。
「分かった」




