第599話「知る事にトライしたヒルデガルドさんは、昨日の貴女よりも、確実に一歩も二歩も前へ進みました。とても素敵な事だと思いますよ」
扉の向こうからは、
「ヒルデガルド様! リオネル様! ご案内の準備が出来ましたのでお迎えに伺いました!」
クローディーヌが声を張り上げ、告げて来た。
対して、返事をしようとしたヒルデガルドを手で制し、
一旦奥の部屋へ行くよう、『念話』で指示したリオネル。
素直に了解したヒルデガルドが奥の部屋へ行き、このタイミングで、
リオネルは、ようやく扉を開ける。
扉の向こうには、晴れやかな笑顔のクローディーヌが立っていた。
「お疲れ様です、リオネル様!」
そしてもうひとりは、やはりリオネルも良く知る人物だった。
「リオネル様! お久しぶりです!」
そう、クローディーヌと共に立っていたのは、20代半ばの、ボーイッシュな女性、
業務部から異動し、秘書室勤務となったエステル・アゼマである。
ワレバッドへ来た当初から散々世話になったエステルの顔を久々に見て、
リオネルは懐かしい気持ちを心に満たした。
当時旅をし、苦楽を共にした師モーリス、そして可愛い妹ミリアン、弟カミーユは、
キャナール村で元気に暮しているのだろうかと思う。
「おお、エステルさん、ご無沙汰しています」
ここで奥の部屋から、ヒルデガルドが、ひょこっと顔を出す。
リオネルと秘書達のやりとりを聞いて安心したらしい。
気配でヒルデガルドが顔を出した事を気付いたリオネル。
「大丈夫です、ヒルデガルドさん。危険はありませんから、もう出て来て頂いてOKですよ」
と、ヒルデガルドへ呼びかけた。
「は、はい!」
対して返事をし、用心深く、すすすすっと部屋から出て来たヒルデガルドは、
ぴたっとリオネルへ寄り添った。
そんなヒルデガルドに対し、エステルは柔らかく微笑み、深くお辞儀をした。
再び顔を上げ、はきはきとあいさつする。
「初めまして! ヒルデガルド様! ようこそ! ワレバッドへ! お会い出来て光栄です! 私は秘書見習いのエステル・アゼマと申します!」
ここでリオネルもフォロー。
ヒルデガルドへ言う。
「ヒルデガルドさん、エステルさんにはね、ワレバッドへ来てから、随分とお世話になったんだ。いろいろ良くして貰ったよ」
「な、成る程」
「はい、私、以前は冒険者の皆様のケアをするのが仕事の業務部所属でした」
エステルの言葉を受け、クローディーヌがフォロー。
「エステルは現在、異動して秘書室に所属しておりまして、本人が申しました通り、秘書業の見習い中です。ウチの規定で見習いは、誰かの専属秘書というわけではなく、見習い――遊軍という形で秘書の仕事を覚えて貰っています」
エステルの現状を聞いたリオネルは嬉しくなった。
優秀で頑張り屋の彼女なら、秘書としても活躍するに違いないと。
「へえ、そうなんですか」
「はい、本来は半人前の見習いを国賓の担当にするなどありえません」
「成る程、そうでしょうね」
「ですが、今回は特例として、サブマスターへ許可を取り、リオネル様もお見知りおきのエステルを、ヒルデガルド様のご案内役を務める私のアシスタント役へ推挙して貰う事に致しました」
「いろいろと、お気遣い頂きありがとうございます。何卒宜しくお願い致します」
クローディーヌには先ほど会い、少し話しただけ。
エステルにも立った今、会ったばかり。
しかしヒルデガルドのリオネルへの信頼は絶大なものがある。
ふたりの秘書と和やかに話すリオネルが信じるならば、私も信じる!という感じ。
それゆえ、リオネルの言葉を聞いたヒルデガルドも、
「ええ、リオネル様の仰る通り、おふたりにお世話になります。何卒宜しくお願い致しますわ」
柔らかく微笑み、告げたのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
先述したが……
冒険者ギルド総本部はとてつもなく広大である。
10階建ての本館に、5階建ての別館が3つ、地下書庫付き王都支部の3倍の大きさの図書館、訓練所も兼ねた魔法研究所に、武技の道場が3つ、様々な地形を模した訓練研修合宿所、5,000人収容、1,000人収容、の大と中の闘技場、そして500人収容の小闘技場が3つ。
地下収容付きの倉庫が10棟、ホテルに、広大な公園まである……
早速という感じで、クロディーヌとエステルに先導され……
リオネルとヒルデガルドは、総本部の各所を見学した。
広大な総本部の敷地、様々な施設をじっくり見学するのには、
とてつもない時間を要する。
時間的な事は勿論、立ち入り禁止区域もあり、全てを見学するのは到底不可能だが、
ヒルデガルドにとっては、見るもの全てにおいて、驚きの連続。
故国イエーラとは比べ物にならないスケールと設備等の質の高さに、
ず~っと気圧されるようになってしまった。
結果、人間社会とのギャップを感じ、ヒルデガルドは、ひどく落ち込んでしまう。
無理もない。
リオネルの来訪で、高慢だった己を反省していたとはいえ、
アールヴ族よりも、ず~っと下に見ていた人間族の社会である。
リアルな現実に直面し、打ちのめされてしまったのだ。
ヒルデガルドは、食事の時間も惜しみ、勧められたランチも摂らず、
総本部の各所を見学して回った。
そんなこんなで、あっという間に時間は夕方の4時となり、本日の見学はここまで。
……ちなみに本日見学したのは全体の1/4くらいである。
クローディーヌとエステルからは、ホテルのレストランでの夕食を誘われたが、
元気がなく沈み気味なヒルデガルドの気持ちを考え、リオネルは丁重に断った。
その代わりにと、リオネルは、
食事や飲料などを客室まで届けて貰う事が出来るサービス、
ルームサービスをお願いする事にした。
クローディーヌとエステルは快諾。
お届け可能な料理と飲料類が記載されたメニュー表を取り寄せて渡してくれた。
更に何かあれば、気軽に用事を申し付けるようフロントに話を通してもくれた。
クローディーヌとエステルが、スイートルームまで送ってくれ、
彼女達が去ってからも、ヒルデガルドは、ため息ばかり。
ひとり、落ち込んで、どんよりしていた。
涙ぐんでいるのは、少し、泣きべそをかいているのかもしれない。
「はあ~……リオネル様」
「はい、何でしょう、ヒルデガルドさん」
「馬車の窓から初めて見た時に分かってはいましたが、改めて間近でじっくり見ると凄すぎましたわ。こちらの施設」
「ですか」
「はい、様式は好みが分かれると思いますが、どこもかしこも……とても広くて立派ですね。フェフの官邸など遠く及びませんわ。しかもまだ全てを見ていませんし」
「俺、以前も言いましたけど、こことフェフの官邸と単純に比較は出来ませんよ」
「いえ、気休めはやめてください。私……とんでもなく世間知らずだったというか、根拠のない自信を振りかざし、これまで人間族など低級だと一方的に蔑んで来たのが、本当に、心の底から恥ずかしいです」
「そうですか。じゃあ、却って良かったじゃないですか」
「え? 却って良かった? どういう事ですか?」
「はい。言葉の表現は少し違いますが、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥という、意味が近いことわざがあります」
「え? 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥……ですか」
「はい、知らない事を尋ねるのは、その場は恥ずかしい気がしますが、聞かずに知らないままに過ごせば、生涯、恥ずかしい思いをしなければならない。触れてはいけないものなど例外もありますが、知らない事は、勇気を出して積極的に尋ねた方が良いという意味です」
「な、成る程。多少恥ずかしい思いをしても、それはその場限り。知識を得た方が自分にとって遥かにプラスとなる。生涯、全くの無知よりは全然良いだろうという意味なのですね」
「はい、現実の人間社会を知り、ショックを受けたかもしれません。ですが、勇気を出して国外へ出て、知る事にトライしたヒルデガルドさんは、昨日の貴女よりも、確実に一歩も二歩も前へ進みました。とても素敵な事だと思いますよ」
リオネルはそう言うと、柔らかく微笑んだのである。
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