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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第19章
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第3部19章『回帰』1

 木漏れ日射す林の中で、彼は目覚めた。瞼の上を大きな羽虫が過っていったから、その煩わしさに起こされてしまったのである。もう音は遠ざかったが、何となく顔の前を手で払いながら身を起こしてみる。

 家の手伝いをすっぽかして林に逃げ込んだ少年が、そこで昼寝をしていた光景そのままである。これだけ手入れされて整っている林ならば、村が近いことは明らかだ。少年の家も、この近くにあるに違いなかった。

 だが、彼は思い出せなかった。

 自分の家? 何処だっけ。何か手伝いを言い付かった覚えもないし、誰かの期待に反してそれを放り出した気もしない。でも、悪いことをしたような、人に責められそうな罪悪感が漠然とあり、あまりそこでゆっくりしてはいられないと思った。

 自分が何かを覚えていることを覚えていて、その記憶だけがうまく呼び出せない時はひどくもどかしいものだが、何を忘れているのかさえも判らないほどボンヤリとしている状態では、大した問題には感じられない。だから少年は深くは考えず、歩いているうちに何とかなるだろうと呑気に構えて、その辺りを散策した。

 人里の近い雰囲気通り、少年はすぐに林の中で枝を拾い集めている男と遭遇した。ただの村人のようなのに、片手には物騒な薙刀を握っている。草刈り用の鎌とは違っていて、小刀を木の柄に取りつけた自作の即席武器だ。間合いは十分取れるだろうが、かえって動き辛そうだな、と少年は思った。

 男は少年を見つけて、やけにビックリ顔になり、そこで立ちんぼになって辺りを見回した。

「……おい、小僧、おめぇ……何処のモンだ? 見ない顔だな」

少年は、何と答えて良いのか判らず、黙って首を傾いだ。

「……おめぇさん1人で……こんな所をウロウロしてんのかい?」

それだけは解るので、少年はコクリと頷いた。

「そんな危ねぇことしちゃいけねぇよ! 家は何処なんだ? すぐに帰んな!」

少年はまた首を傾いだ。男はいよいよ顔色を曇らせて少年に歩み寄った。

「……おめぇさん……まさか、帰る所を無くしちまったのかい……?」

よく解らない少年は、ううんと考えて頭を悩ませ、考えるほどに頭が落ちていった。男の方はその仕草でそうなのだと解釈し、同情的な顔になって少年の肩を取った。

「とりあえず、こんな所は危ねぇから俺の村へ来るがいい。さぁ、来な」

断る理由の思い当たらない少年は、男に連れられるまま、なだらかな傾斜を下って行った。

 程なくして、板葺きの屋根が数軒見えてきた。


 村に着くと、男はすぐに自分の母と妻に少年を会わせ、世話を彼女達に託した。すると他家からも人々がやって来て、ただ見物したり、一緒に手を焼いたりしようとした。

 少年はされるがまま人々に身を任せていたが、耳と目だけはよく働かせて、皆の言葉で状況を理解していった。特に、自分がどのように見られているのかを。

「特に知らせは受けてないけど……何処かの村が襲われちまったのかねぇ……」

「子供1人だけでこんな所まで来るなんて……」

「存外汚れちゃいないから、それ程遠くないだろうね。この村もいよいよ危ないのかもしれないよ」

「おぉ、怖い怖い。こんな寂れた村は放っておいてくれないもんかね……!」

「しかしまぁ、健気なことだよ……。こんなに小さいのに、よくここまでねぇ……」

「よほど怖い思いをしたのか、口も利きやしないし……」

「それに、賢そうないい顔をしてるよ。いいトコの坊ちゃんだったのかもしれないねぇ……」

「だが、着てるモンはそうは見えねぇぞ」

「……襲われたのが夜中だったんじゃないのか? だから寝間着1枚なんだよ。靴を履くヒマもなかったんだろうさ」

やたらに腹の減っていた少年は、皆が寄り集めて出したものを次々と口に入れながら話を聞いていた。その様が更に哀れを誘うようで、特に女達に溜め息と涙が見られた。男の家の居間は人でいっぱいだ。

「まぁ、当面はうちが預かるよ。うちの人が連れて来たんだしね」

私達にも手伝わせてくれと、何人かが口にした。

 そのうちの1人は、意味ありげに男の妻と目を見交わしていた。妻は「わかってるよ」とだけ頷いて見せていた。皆の中でもとびきり不幸そうな顔をしている女だった。

 少年と目が合うと、女は目を涙ぐませて家の外に出て行ってしまった。夫らしい男がすぐ後に続いて出て行った。


 少年は服を脱がされて、どこにも怪我がないかを検められた。そして体を洗われた。新しい傷どころか瘡蓋さえないから、妻は驚いていた。

「よほどうまいこと逃げて来たんだろうねぇ……。背中には何か傷があるようだけど、ずっと昔のモンみたいだし」

妻は少年の肩甲骨の辺りを手でなぞりながらそう言った。それが少年の記憶の一部を刺激して、少年の目の前から曇りを1枚取り払った。

「あぁ……」

少年の口から声が漏れて、妻は手を止めた。

「おや、あんた口が利けるのかい?」

男の母親も側にやって来て少年の顔を覗き込んだ。

「お前さん、名前が言えるかぇ?」

少年の頭にすぐその答えは浮かんだのだが、言わない方が無難だという判断もできるほどに分別がついて、首を横に振ってみせた。生まれた時からなのかもしれないねぇ、と女達は囁き合った。

 少年は、それから物思いに沈んだ。少し取り戻せた記憶の糸を手繰る為に。

 父上と母上は何処なんだろう? 自分はこんな所で何をしているんだ? きっと心配しているだろう。先生にも怒られるなぁ。

 でも、人に訊いちゃいけないような気がする。自分の力で帰らなくちゃ。


 体を洗った後は眠くなり、少年はぐっすりとベッドで休んだ。

 日の沈まぬうちから眠ったものだから、夜半に目が覚めて起き上がると、居間で話し合う大人達の声が聞こえた。扉の隙間から覗き込むと、男と妻と、あの不幸そうな女が顔をつき合わせて相談している。

 何やら妻は、時期尚早だというようなことを繰り返し女に言い聞かせていた。

「……あんたの気持ちは解るけど、あたしはウンとは言えないよ。まだ何も判っちゃいないんだ。親心がついちまってから本当の親が判って引き離されることになったら、また辛い思いをするのはあんただよ? そんな目には遭わせられないよ」

「……俺もそう思うぜ。なぁ、カーラ、せめて半月待ってみねぇか? それでまださっぱり判らねぇなら、考えてみるからよ」

大人達の話していることが解り、少年は困った。自分は孤児だと思われていて、誰が親代わりをするかで揉めている。押しつけ合う見苦しいものではないが、名乗りを上げて希望していながら受け入れられない、ちょっと痛ましい場だ。おそらくあの不幸そうな女は、近年我が子を亡くしたのだろう。

 自分にはちゃんと親がいるから、すぐに出て行かなくちゃならない。この人達を失望させてしまう。早くしなければ。

 少年は扉を押し開けて皆の注目を集めた。ハッとして青ざめる女の顔は、月の下に咲く枯れかかった百合のようだった。この人から不幸の愁いが晴れて、再び母性愛で満ちれば、きっと美しくなるのだろうと少年は思った。

「……僕、家を思い出しました。これから帰ります」

少年が急に言葉を話したので、大人達はポカンとした。互いに顔を見合わせる。

 彼等が何か言い出す前に、少年は小気味良くペコリと頭まで下げた。

「いろいろ、ありがとうございました。すっかり良くなりました」

見た目の年齢よりずっとしっかりした物言いだった。頭の下げ方だって、随分落ちついている。だから3人の大人は尚更目を丸くした。

「……お……思い出したって……坊主、何処の、何て言う村の家なんだ?」

「これから帰るだなんて……とんでもない! 何言ってるんだい! 夜中だよ!」

どう説明しようとも面倒なことになりそうだったので、少年は構わず勝手口に直進して、取っ手に手を伸ばした。子供の手でも閂は外れ、扉は開いた。

 少年の動作があまりにはしっこかったので大人達は出遅れてしまい、少年を取り逃がした。脱走した子犬を追い駆けるように、3人は大騒ぎをしながら後に続いた。少年はさすがに悪いと思い、大丈夫です、大丈夫です、と繰り返し言いながら走った。

「何が大丈夫なもんかね! 止まりなさい! 止まりなさいって!」

騒ぎを聞きつけた村人の幾人かも、夜遅くだというのに顔を出した。何事だ、何事だと、どんどん騒然としていく。

 少年は白っぽい寝間着姿だから夜闇の中でも見つかり易く、何処までも大人達はランタンを持って追って来た。少年はひたすら逃げ、村の境界である植え込みも越えてしまい、そうすると尚のこと大人達は慌てて後を追った。

「村の外は危険だ! 夜なんかに出ちゃいけねぇ!」

植え込みの先は原っぱで、その向こうには木立がある。ほんの数本生えているだけでも十分な闇を築いている。更に奥の森は完全なる暗黒だ。

 大戦が始まってからというもの、外は危険だから村の家々は固く戸を閉ざして、夜に人が出歩くことはなかった。それが、珍しく声を上げて喚きながら人がやって来るものだから、徘徊していた夜行性の魔物が早速反応して飛び出してきた。

「――――――うわあっ!!」

突然現れた黒い塊に男は慄いた。姿はよく見えないが、目だけが金色にギラギラと光る獣が闇の中から踊り出て、少年の前に立ちはだかったのだ。

 不覚にも、本能的に男は足を止めてしまい、守らねばならない小さな子供の方がそこに1人、無防備に取り残された。

 だが、少年は全く怯えていなかった。それどころか――――――

「フレア!」

この田舎町で生まれ育った男が見たこともない炎が少年の手から噴き出して獣を襲った。真昼の太陽のような強い炎に照らされた魔物の姿は、脂ぎった灰色の剛毛に全身を覆われた、人より大きい狼だった。

 それはあっという間に炎で包まれ、叫びのた打ち回りながら倒れていく。もう少し小振りな1匹が更に襲いかかってきたが、少年はヒラリと舞い上がって軽快に回し蹴りを決め、首の骨が折れる音と共に、獣の影はドッと地に落ちた。

 この束の間の出来事を、男は全てただ呆然と眺めていた。追いついた幾人かも同じように、この光景を呆気に取られて見ている。

 少年はやや上気した様子で振り返り、もう一度だけ言った。

「――――この通り、僕は大丈夫ですから、心配しないで下さい」

そして闇の森に駆け込んで行ってしまった。

 村人達は幽霊か精霊でも見たかのようにそこで立ち尽くし、1歩も動けず、少年の後を追うことはできなかった。


 夜の森で眠ることはできないので、少年は夜通し森の中を歩き続け、魔物と幾度も戦った。とにかくやたらと腹が減るし、眠くなるし、時折節々がメキメキと痛んだ。痛いのはどうしようもないし、眠るわけにもいかないから、仕留めた魔物を焼いて食べるなどして空腹だけを解消し、腹を満たした。

 そして一足毎に、魔物が倒れる毎に、何かを思い出していった。肉体が驚くべき速度で育っていくのよりもずっと速く、心が成長していく。

 いや、追いついていくと言うべきだった。本来の姿に。

 恋を思い出し、教師の言葉を思い出し、屋敷のテラスに咲く花を思い出した。近代魔法大全の第1巻を全て思い出し、赤龍派の剣術の型を20通り思い出した。

 そして朝が来て村を見つけた時、少年は農家の納屋に潜り込んで泥のように眠った。彼は鼾をかかない上に、あまり動き回らぬ寝相のいい子供だったから、家畜達も特に騒ぎ立てず、闖入者を受け入れて放っておいた。

 少年は夢を見ることによっても、次々と大切なことを思い出していった。

 魔物達が溢れ出して世界は戦乱の空気に包まれ、人々が死に、王宮の戦士となっていた彼は国王に申し出て、世界の為に戦う旅に出たのだった。

 父、母と別れ、淡い約束を交わした姫君とも別れ――――――

 少年は日暮れ時までたっぷりと眠り、空腹で目を覚ました。

 そして、少年はとても賢かったから、ここでようやく心と体の違和感に気づいたのだった。今の今まで夢に見ていた自分の肉体と、今ここにある幼い体とは明らかにかけ離れているのだ。そして賢いからこそ、騒ぎ立てたり人に訊いたりしても、おそらく解明できず、事態を悪くするだけだろうと判断でき、もう少し時間をかけて様子を見るべきだと考えたのだった。

 今、自分の身に起きていることは何かの幻か呪いか、でなければ奇跡だ。だが、これはいい事ではない。まだよく解らないが、何か悪い事の一端だ。この先も――――――待っているのは悪い事なのかもしれない。

 納屋の干草に隠れるようにして身を横たえ、ぼうっと農具に目をやりながら少年は暫し物思いに耽った。

 まずは、やはり国と家を目指そう。それで全てが明らかになるはずだ。

 少年は騒がずにいてくれた家畜達に礼を言って別れ、再び外に出た。目立たぬように旅をしたいから、昼より危険でも彼は夜の中に進んで行った。



 翌日には、魔物の襲撃を受けて住人が死に絶えてしまったらしい家を見つけた。森の中にポツンとある小屋で、扉も窓も破壊され吹き曝しになっているのだ。

 廃屋になってまだ日は浅いようで、家の中に入り込んでいる木の葉や虫の数は少ない。年季が入ってずうっと放って置かれると草が生え、苔が覆ってくるものだが、まだその徴候は見られない。だが、人が住んでいないのは明らかな様子だ。

 食料品の類は何も残っておらず、獣が踏み荒らして行った形跡があるから、全て食われてしまっているようだ。幸い、人間の死体は見当たらなかったから、酷いものを見て気持ちが萎えずに済んだ。

 少年は寝室を借りて戸を閉じ、一夜の宿とした。

 そして、その部屋に残され床に落ちるままにされていた衣服を、かつての持ち主に心の中で詫びながら拝借した。一回り大きいだぶだぶのシャツとズボンだったが、身に着けるとこれまでの寝間着よりは大分良くなった。この格好なら、昼日中に出歩いているのを見つかっても、それほど見咎められることはないだろう。

 そしてその晩は、中肉中背のヌスフェラートと対決した夢を見た。

 名前も覚えていた。ヴィルフリートだ。この手で殺した。

 時と共に、少年の顔からはあどけなさが失せていった。

 そして、あるキーワードが彼の中に甦り、刻まれた。

 ――――――『天使』――――――

 彼の胸がズキンと痛んだ。

 まだ思い出せていない先の記憶に対する恐怖がサッと過る。今はまだ封がされている箱の中にあるものが、決して良くないものだということだけ、先に反則的に知らされたようなものだった。

 知りたくはないが……やがては知らなければならないだろう。

 そうして、少年は村から村へと旅を続け、道々の魔物を掃討し、幼い肉体を段々と鍛えていった。夜毎に、夢の中の世界は進行していく。

 彼はヌスフェラート軍の首領との決戦をも思い出した。

 バル=バラ=タン。あの巨漢戦士。そして死に様。

 そうか、自分はあの後、天使について調べる為に再び国を出たのだ。

 そして――――――

 その先が、まだ思い出せない。

 彼はこのまま国に帰って良いものか迷ったが、まずは近隣にまで戻って、そこで改めて考えることにした。その頃になれば、その先の記憶もきっと甦っているはずだ。

 大戦は終わったのに、どうしてまたこんなに魔物が出てきたのだろう。人々はヌスフェラートにも怯えている。新たな大戦が始まってしまったのだろうか。

 だとしたら、早く自分の記憶を取り戻さなければ。状況を理解しなければ。

 少年の目算では、故国までの道程はあと3~4日だった。

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