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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第3章
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第1部第3章『デルフィーの日々』その5

 デルフィー港衛兵は、月に一度、兵士全員で試合をして上昇志向を高めようとしていた。勝ち負けの世界で己の位置を知ることは、単純に戦士気質を刺激して励みになったし、普段上下関係にある者とも同等に戦えるので、その関係が覆ることもあって大いなる魅力だった。将校など指揮統率能力を求められる地位はそう簡単には手に入らないものだが、その下の、強さがものを言う役職は何時でも交替できるのだ。

 しかし、大概経験を重ねた年長者の方が戦闘にも長けているのが常で、才児が乱入でもしなければ、概ね地位は年功序列通りになっていると言えた。たまに負けても年長者としての大いなるプライドで再戦では勝ってしまうので、体力的な衰えが影響してくるまでは、上り坂式に地位を固めて行けるものなのだ。

 ところが、ここ最近はそうは行かなかった。少年隊時代から既に頭角を表していたので、兵士達も皆が予想して待ち構えていたのだが、今年の新人の躍進は目覚しいものがあったのだ。特にソニアとアーサーの。

 ソニアは練習試合では魔法を使わないことが多かったが、月一の対抗試合では相手にも全力でやるよう求められていたので、使える技を駆使すれば向かうところ敵無しの状態だった。しかも、魔法抜きの闘いでもそうだった。アイアス譲りの技が優れている為、たった12歳の娘にもかかわらず、まるで鋭い刃を持つ軽やかな羽を相手にしているようだったのだ。

 アーサーもまた、ソニアと長年組んで訓練して来たことと、年下で女の子であることに拘らずに彼女の優れた点を参考にして来たことで、かなり優秀な戦士に成長していた。魔法も使えず、アイアスのように完璧な瞼の師匠もいない中では、それは大したものだった。吸収できることも才能の1つだ。体格差による不利も動きでカバーして、5つ年上の相手でも素早く体勢を崩させて、剣を喉下に突き当てていた。

 彼ら2人の活躍を見ていた指揮官らは、早くもある計画を頭に描いていた。決意が固まるまで直接口には出さなかったが、ソニアが13歳になろうという頃にアーサーと一緒に呼び出されて、2人は団長室で話を聞くことになった。兵士らしくキリリと立って待つ2人は、並ぶと同じくらいの背だった。

「毎年、各地方から推薦されて城都に転勤になる者がいることは知っているな?」

「はい」

「今回、城都で特別に企画が持ち上がって、推薦定員制――――各地方から推薦される兵の人数が決まっているということだ――――それが、実験的に停止されることになってな。もう少し多い人数で城都主催の大会に参加して、成績のいい者から順に国軍入り出来ることになったのだ。つまり優秀ならば、これまでより多くの人員がデルフィーから国軍に入れるのだよ。それで、君達にその気があれば、君達を大会参加メンバーに加えたいと思っているのだ」

ソニアもアーサーも目を見開いた。恐れの微塵もない輝きがその中に見えた。

「長年城勤を希望している年長者を、これまでは優先的に推薦してきた。定員制故に、実力が伯仲している場合は年齢を優先させてきたのだ。――――だが、君等は抜群に優秀だ。デルフィーの名誉の為にも、君等のような若く優秀な人材がいることを知らしめたくも思っていた。そこで今回の企画が来たので、これはまたとない機会だと考えたのだ。本来権利のある年長者も含め、君等を加えて挑戦しに行くことができる。どうだね? 行ってみる気はあるかね?」

2人は間髪入れずにほぼ同時に「はい!」と力強く頷き答えた。長官は満足そうに若い2人を見て「よし」と言うと、大会予定日と、旅程の説明、用意すべき持ち物の話を簡単にしてから2人を勤務に戻らせた。

 1ヶ月後、ちょうどソニアの誕生月である花月が大会予定だ。大会時には彼女の年齢が本来の正規兵士資格の年齢に達することもあって、参加に踏み切ったらしい。幾ら彼女が優秀でも、12歳だったらさすがに加えることは出来なかったのだ。後でその事情を知ったソニアは、この些細な偶然に感謝した。アーサーも大会後2ヶ月で14歳になるとは言え、13歳での出場となる。2人共に最年少参加者となるのだ。

 宿舎を出た2人はそこで立ち止まってニッと見合うと、拳をつき合わせて肩を叩き笑い合った。

「――――やったね!」

「ああ! やったな! 頑張ろうぜ!」

 アーサーの母と妹は彼の城都行きを大層喜んで、亡き父の形見である長剣に祈りを捧げて彼の成功を願った。

 一方リラは、誇らしく思うのと同時に早くも別れの時が来たことを感じて、まだ大会に出てもいないし城勤が決まった訳でもないのに、ホロリと涙を零した。ソニアは驚いたが、心苦しくとも決断は固かった。アーサーの母や妹とリラとでは、事情が違っている。アーサーの場合はまだ家族が若いので、もし彼の城勤が長引けば家族も都に移住すればいい。しかし、リラはもはやこの土地を離れられる年齢ではなかった。

 ソニアがもし城勤になれば――――リラはほぼ確信していたが――――おそらくそれきり、同じ家で住むことはなくなるのだ。いずれそうなるだろうとは覚悟していたが、まさかこんなに早いとはリラですら思っていなかった。

「……パンザグロス家の名を……知らしめしてらっしゃいまし! アイアス様の誇りとなるよう……!」

リラは本物の母親や祖母よりも、本物の賢い母や祖母のように涙を抑えて笑顔をソニアに向けた。そして勇気を持って1ヶ月後に彼女を送り出した。


 花月の半ば、兵仲間や街の人々に見送られて、参加者と引率役の幹部2人と魔術師は城都に向けて旅立った。魔術師がいるのは、遠方に大人数を運ぶのに最も時間と費用の懸からない方法である、流星呪文(コメット)を使う為だった。ソニアの師であった魔術師は流星呪文(コメット)の使い手でもあったのだ。教え子の勇姿を見られる機会が得られたことを、彼女はとても喜んでいた。

 参加者は、年長者4名にソニアとアーサーを入れた計6名で、トライアの各24都市からも同じ人数が参加する予定だということで、参加者総勢は100人以上の規模になる予定だ。そのうち、今回採用予定はたった30名なのである。これは例年と変わらぬ数字だった。

 大体毎年24都市から1名ずつ推薦されて上京し、残る枠は運が良ければ何処かの都市からもう1人ずつ優秀な者が引き抜かれていたのだ。

 これまではその伝統を守ってきていたのだが、若く優秀な人材の噂を耳にしたのか、より優秀な者を逸早く城に引き入れるべく今回の企画が持ち上がったのだという。確かにこれで、一気に6名全員が城勤になる都市があってもおかしくはないのだ。かなり大胆なアイデアだと言えた。

 それに、こういったイベントは城都を盛り上げ、城下街にも利益をもたらすはずだった。事実、身内や友人の応援をしたいデルフィーの一般市民も10名いて、一行を送り出した後に魔術師がまた戻って来て、流星呪文で城都まで連れて行くことになっている。24都市からそれくらいの人数が集まれば、宿屋も相当潤うだろう。

 だから、早くから応援団は宿の予約を取っていた。年に1度の祭りの時にだけ臨時の宿として商売を変える店や家は多かったので、急なイベントにも慣れた調子で次々と宿が開かれ、全ての応援団も旅人もうまく納まりそうだった。

 ソニア等参加者は、城が用意した城内の部屋や兵舎、或いは臨時のテントで寝泊りすることになっている。上官はきちんとした部屋をあてがわれるが、参加者は到着順に代表者の引いたくじで宿泊場所が決められるのだ。

 流星呪文であっという間にトライア城都に到着した一行は、湖のほとりの野原に着陸して全景を見渡した。トライアの首都であるここは、デルフィーのような海沿いの街ではなく内陸に位置しており、湖と森に囲まれた美しい所だった。湖の傍らに小高い丘があり、そこが主な街となっていて、その最上部を大きな城が占めている。

 北方文化のような背の高い尖った形状とは違い、煉瓦を積み重ねて造られた横に広い質素な印象の城だ。主城の塔と四方の塔は高く抜きん出ているが、それらもあくまで見張り用の為であって、城の形状で外敵を威嚇をしようという意図は感じられなかった。

 女神トライアスを讃える国風に合っていると思い、ソニアはこの城も街も一目で気に入った。山や谷の少ない平坦な地形のこの国では、この丘の高さでも、その上に城が建てばかなり遠方からでもその姿を拝められそうだった。

 一行は野原から城下街に入って行き、既に到着している他の街の応援者や街の人々で賑わっている中を通り抜けながら、街並みを楽しんだ。

 デルフィーとはやはり若干違っており、石畳の道も煉瓦や木の家も、内陸らしい大地と森の色が多かった。そこに、色とりどりの花や洗濯物や色ガラスの窓が散りばめられていて、城都らしい華やかさがある。噴水のある広場では、彫刻のある3段式噴水の精巧さに皆が暫く見とれていたし、その周辺の劇場や国教会や市民館など、デルフィーにはない立派な建築物にもいちいち感激していた。以前ここへ来たことがあるのは引率の幹部等と魔術師だけなので、参加者6名は初めて見る物ばかりで、皆ずっと口を開けていた。

 やがて辿り着いた丘の頂上部、城の正面入り口には赤い制服を着た銀色の鎧の兵士が2人、門の両サイドで槍を手に門番をしていた。ソニア等が初めて見るトライア城近衛兵団の制服の色である。銀光沢の鎧は正面入り口を担当する者が身に着けるお飾り用の式典着であり、戦時でなければ通常は革の鎧か、もっと実用的でシンプルな白銀の鎧を身に纏う。

 大きく開かれた門には他に書類を手にした文官も待ち構えており、次々とやって来る参加者を名簿でチェックしていた。代表がそこでのやり取りを済ませると、続いてその場で箱の中からくじが引かれ、デルフィー班の宿泊場所が決まった。騎馬訓練場に設けられたテントの1つだそうだ。はずれの方らしいのだが、この城に来たばかりの興奮で誰もそれを不満には思わなかった。

 入ってすぐの所は騎馬隊の列を整えられるくらいの余裕がある広場になっていて、正面には城の壁が伸びており、左手に行くと更に大きく手入れの行き届いた美しい庭園が、右手には別の建物の背が見えていた。

 一同は文官の案内通りに庭園の方に進んだ。木や花々が生い茂っている豪勢なタイプのものではなく、城の外観の質素さに合ったシンプルな庭で、低木と芝だけで出来ている。鏡のように水が張って穏やかに水路へと流れていく池もあった。

 城内には赤制服の近衛のほか、黒制服の国軍も行き交っていて、一同の目を引いた。トライア国の兵士は兵服や鎧が統一されてはいるが、城都警備の国軍の鎧には、その証であるトライア国の紋章が胸に刻印されているのだ。兵服の肩から袖口にかけて赤いラインも入っている。この兵服か、或いは近衛の赤制服を着ることが参加者達の憧れだった。

 庭園を囲む回廊には兵士の他、文官、女官、様々な下働きの者が行き交っており、今回のイベントに合わせて慌しく働いているようだった。

 まずは宿泊場所に荷物を置き、それから城内を見物して、その後は城下街に繰り出して良いことになっている。大会は明日からだ。

 ソニア等一行は庭園を抜けて回廊を抜けて、訊いてもいないのに教えてくれた兵士の案内で迷わず騎馬訓練場に辿り着き、野営用のテントが10以上張り出されている中の、くじで出た番号通りのテントの中に入って行った。

 8人用だったので参加者6人だけならゆとりがあって、荷物を下ろしても十分皆が手足を伸ばせる広さがあった。夜寝るまでは用のない所なので、荷物から解放されると早速皆は見物に乗り出していった。

 城内は下働きの者が案内役としてあてがわれ、余所者がうろついていても邪魔にならない場所と、宿泊時に厄介になるであろう場所――――食堂や厠や水場等に連れて行った。

 さすがに重要な場所には行かせてもらえないし、地方から来て内心ビクビクオロオロしている彼等も、表面上は強い兵士らしく取り繕っていたが、敢えてそこへ行きたいとは思わなかった。  

 城勤の者達にも地方出身者が多いはずなのに、都にいることを鼻に掛けたような見下した目つきで一同を眺める者が多かった。

 しかしソニアだけは特別で、地方出であることよりも前に、どう見ても子供のように若くて、しかも見たことのない髪色の美少女であることが人々の目に止まり、その彼女が鎧を着て歩いていることが半ば信じられない様子で、殆どの者が立ち止まって彼女の通り過ぎた後を目で追った。

 仲間達の方が先にそれに気づき、いつも一緒にいて忘れかけていたこの事実を改めて思い知らされ、また同郷の者として少々得意にも感じた。

 ソニア自身はデルフィー時代からそうだったので慣れていたが、あまりに多くの人が自分ばかりを見るようになると、いい加減に気づいた。やはり自分は皆とは何か違うのだろうかと思って、また秘密にしていることへの恐れがチラリと過り、彼女の口数が減った。


 街では商店や武具店などをうねり歩き、さすがに酒場だけは自粛して横目にしながら通り過ぎ、湖観光や家族への土産物の下見などをして皆で過ごした。街の至る所で他の街の参加者達と挨拶を交わしたりもした。挑発し合って気を昂ぶらせている若い集団もいて、街の人々と共に仲裁に入る一幕もあり、とにかく城下街は賑やかだった。後から追いついたデルフィーの応援団とも会えて、みんなでワイワイと騒ぎ見物を楽しんだ。


 夕刻、参加者一同は城内のホールに集められ、そこで食事をすることになり、そこで初めてこの国の幹部の面々を目にすることが出来た。文官等は似たり寄ったりなので誰が何の役職なのか一目では判らなかったが、軍関係者は格好ですぐにそれと判ったし、何より頭に金の細い輪をはめている初老の男性が入って来た時には、手にした金の杖とガウンの刺繍の紋章でそれが国王なのだと判り、一瞬鳥肌が立ったのだった。すぐ側には同じく額に金の輪をはめた紺色のシンプルなドレスを纏う高貴な婦人がいる。王妃に違いなかった。

 地方から来たばかりの者達と城都出身の参加者達は、この国の高官達を目の前にして息を潜めて押し黙った。

 鋼鉄の鎧を纏い、鋼鉄の剣を腰に差した白髪混じりの戦士が前に進み出た。その両脇を固めている体格のいい猛者に比べると、紳士的な雰囲気のある中肉の長身で、いかにも司令官らしかった。

「よくぞトライア城に参られた、同士達よ。私は国軍隊長ジェラード=ヘパカリオン。諸君達が持てる力を発揮し、悔いなき戦いをして結果を出すことを期待している。明日に向けて力を蓄えてくれ」

 彼が軍式に胸に拳を当てると、皆一斉にそれに続いて、鎧と服と拳の擦れ合う音がホール一杯に響いた。軍人らしい短くさっぱりとした挨拶だった。

 続いて国軍隊長の紹介で国王が前に出て来た。一同は胸に拳を当てた敬意を表する姿勢を保ち、国王が手を翳してそれを下ろさせた。

「我がトライア城へようこそ。遠方から遥々ご苦労であった。わしは明日の大会を楽しみにしておる。この中の誰が残り、新しきメンバーとなるのか考えるとワクワクして落ち着かない程じゃ」

王は気さくで人好きのする朗らかな人だった。いかにも人の良さそうな顔立ちをした優しい目でニッコリとそう言われると、一同の顔も綻んだ。そしてそれが、厳めしい者よりも余程王らしさを感じさせた。

「明日の為にも今宵はよく食べて、ゆっくり休んでおくれ。わしを失望させんよう、皆が万全の体調で臨み、楽しませてくれることを願っておるぞ」

 国軍隊長の音頭で、皆は杯を掲げた。

「この夜に、――――そして国王陛下に、――――そしてトライアスに!」

全員が復唱し、そして明日に響かぬ程度の量が注がれた杯を飲み干した。

 最年少同士よく隣り合わされているソニアとアーサーは、しきりに話をした。若者と言うよりむしろ子供らしく、あらゆる事に興味が尽きないのだ。高官達の装いやその位の高さ、凄さや、このホールの装飾に出された食事、他の都市から来た強豪などに注目してはあれこれと論じ、感心し合って目を輝かせていた。

 彼ら2人は本当に若いので、ただでさえ控え目に注がれている杯も、2人の分は特に少なくされていた。子供扱いはよしてくれと言いたくなりそうなものだが、参加者の平均年齢が20歳前後であることからすれば当然だったので、2人は何の不平も述べなかった。最年長は噂に寄れば35歳らしいし、そんな者から見れば、明らかに彼ら2人は自分の半分も生きていない子供なのだ。

 国軍の平均年齢よりも若い者達の集まりであるホール内は活気に満ちており、城勤を夢見る若者達はその場にいる今この瞬間に舞い上がり、興奮していた。ソニアはデルフィーにいる時よりずっと大勢の屈強な男達に囲まれているのにも関わらず、体格差や年齢差に全く気圧されることもなく、明日の健闘をアーサーと誓い合い、もう武者震いを始めていた。

 その後は、芸術国家と言われるこのトライアらしく、国王つきの音楽隊の演奏が参加者達の心を更にときめかせた。デルフィーの音楽家より確かに素晴らしい腕の天才ばかりだった。

 街には画家も踊り子も曲芸師も占い師も工芸家も沢山いた。こんな街に住みたい。ここは素敵な所だ。ソニアはそう思った。


 野営テントで落ち着かない夜を過ごし、だが戦士らしく眠るべき時にはきちんと眠り、ソニア等デルフィー班は大会の朝を迎え、朝日の中で伸びをした。胃が重かったり、肩に力が入って硬くなったりしている者は多かったが、皆それをひた隠しにして念入りに体を動かし、筋を伸ばし関節を柔らかくして軽口を言い笑い合った。

 トライア国軍入隊試験は全て個人戦で、数種類の体力テストとトーナメント方式の試合を行う。体力テストでの得点と、試合での成績を加味した総合評価によってランキングが決まり、上位30名がめでたく合格となるのだ。体力テストでヘトヘトにさせてから試合を行わせる意図も、デルフィーでの入隊試験と同じものだろう。とにかく、怪我だけは避けなければならない。

 皆は昨夜と同じホールで朝食を摂り、その後また体を整えた。そして日の出より3刻後には城の西北に位置する広い運動場に集まった。騎馬訓練場とはまた別で、筋力トレーニング用の鉄棒やウェイトなどの器具もある所だ。今日はそれらが端に避けられており、中央のグラウンド部分が広く空けられていた。

 一同はそこで番号の記された腕章を渡されて装着した。今大会での自分の番号である。ソニアは85番、アーサーが84番だ。

 国軍隊長ほか近衛兵隊長も広場に登場し、それぞれが大会について語り、激励して短くまとめ切り上げた。そしてまた国王が現れ、特別に設置された観覧用テントから挨拶をした。

 兵士の大会だが、記録係や進行役など主な役目は文官が担うようで、代表者から細かな説明がなされ、その後ようやく大会の開始となった。

 各項目を一つずつやるのではなく、流れるように一気に済ませてしまうのが今回のやり方らしく、太鼓係の音に合わせて腹筋、腕立てを行い、その後懸垂、重量挙げ、荷運びと途切れなくこなして行くのだ。ついて行けない者は後から追いついてくるしかない。

 現在の国軍にもこの参加者にも女性兵士はいたが、1、2名だったので、若いソニアは尚のこと注目の的だった。自分達のことで精一杯な他の参加者までが、ついつい彼女を盗み見ていた。

 まず全員が地べたに寝転んで腹筋が始まり、試験官の命で太鼓が鳴らされると、一斉に体を起こして2つ折りになった。その間を監督官達がうねり歩いて記録をつけ、問題がないか見回って行く。太鼓はゆっくりとしたテンポで打たれ続け、それに合わせて皆の腹筋運動は続いた。

 何回やるのか告げられていなかったし、実際まだ決められていなかった。鬼のように冷静な監督官が、参加者達の状況を見てその場で決定するのだ。決定役のリーダーは、この城都出身の兵士を採用する際これまで試験官となってきた男だった。

 さすがに各地から選ばれてやって来た者達なので、100回くらいでは1人の脱落者も出なかった。太鼓のリズムに合わせて一斉に全員が動く度にザッザッという土と服の擦れる音がした。今日は鎧を装着していない。

 150を過ぎた辺りから遅れる者が出始め、その数が次第に増えて半分近くになってきた時、リーダーの判断で後30回であることが告げられ、太鼓のテンポが少し速まった。そしてそこでまた少しが遅れ、残った者だけが太鼓に合わせて30回をこなした。

 その間、記録者達が彼等の番号を書き留めて行く。脱落者達を専門に書き留める監察官もいて、どの段階で何番が遅れたのかを克明に記録していた。

 無事終えた者の中にはソニアとアーサーもいた。ソニアは勤務外のトレーニングで当たり前のメニューだったし、彼もそれに習っていたので、これ位は日々の運動の内だった。

 続いてその場で体勢を変えて、即座に腕立て伏せが始まった。遅れている者も有無を言わせずそれに合わせなければならない。腕立て伏せは腹筋に続いて腹部の筋肉を使うので、日頃鍛えている者でも連続運動には腹部がピリピリと痺れた。今度は100回にいく前に3割近い脱落者が出て、監督官が早くも後50回と告げると再び太鼓のテンポが速まった。テンポの速まりは新たな脱落者を出し、無事50回を終えた者は先程より少なかった。

 無事終えた者から鉄棒の所に移動して30回の懸垂を行い、鉄棒の足りない者はすぐ傍らに置いてある重量挙げをした。かなり重い100パドの鉄アレイである。大の戦士一人分くらいはある。

 まだ体の小さいソニアやアーサーは苦労したし、特にソニアは1番苦手な項目だったのでキツかったが、どうにか持ち上げ規定通りそれを5回繰り返した。何と言っても、彼女は全参加者中最も体重が少ないのだ。

 それが済むと、懸垂をしていた者は重量挙げに、重量挙げをしていた者は懸垂に移り変わった。脱落して追いついて来た者はそこに並んで待たされた。どちらにしてもすぐには始められそうにもなかったので、彼等にはちょうどいい休憩時間となった。

 ソニアもアーサーも懸垂を終え、荷運びに移った。大人一人分はある大きな砂袋を肩に担いで広場を一周しては降ろし、もう1度担いでまた一周するというのを5回繰り返すのだ。手足の長さと重量のハンデで、ソニアはアーサーや他の大人に遅れはしたが、脱落と言うにはずっと先に進んでいて、先頭集団から若干遅れている程度だった。

 無事ゴールした所で、午前のテストは終了だった。もう皆ヘトヘトで、ソニアもアーサーも息を切らせて地べたに座り込み、暫く言葉もなくただ目線だけで《やったな》と言い合っていた。

 着順はアーサーが25番でソニアが28番。知らぬ間に減点対象となるような事をしていなければ、この順位が現在のランキングと見ていい。これ以上順位を落とさなければ、今は安全圏にいると言えた。

 デルフィー班の他のメンバーは、体力自慢の年長者が1人13位に入っており、30位以内に1つの街から3人も入っているという健闘ぶりを見せていた。他3人も真ん中辺りの成績を修めており、まずまずではあった。

 13歳という最年少の子供が2人上位に入ったことで、彼等を知らぬ者達は驚愕していた。国王も国軍隊長も近衛兵隊長もそれに気づいて、大いに関心の目で2人を見ていた。特に、髪色の珍しい少女の方を。

 3人は高官同士テントで高みの見物をしており、一覧を回し見しながら話した。

「あの……子供らしい少年と少女はどこの街の何という者なのじゃ?」

国王の問い掛けに、国軍隊長ジェラードが一覧を見ながら答えた。

「おそらくデルフィーの者です。今大会の最年少がそこから2人来ているのですよ」

「84番と85番ですな」

近衛兵隊長が目のいい所を見せて2人の腕章の番号を読み取った。

「それなら間違いないですな。アーサー=ヒドゥンという少年と、もう1人の少女の方がソニア=パンザグロスです」

「――――パンザグロス?」

国王がその言葉に目を丸くした。反応の大きさに国軍隊長も近衛兵隊長も見入る。

「あの……パンザグロス?」

「……あの(・・)、と言いますと?」

「お前達も知っておろう。先の大戦を終結させた英雄を輩出した、アルファブラ国の名門の名だ」

2人は「ホウ」とささやかな声を上げた。この国軍隊長も近衛兵隊長も大戦時には現在の地位になかったが、それでも確かにかの名門のことは記憶していた。残念ながら世に出回っているのは英雄のファースト・ネームの方だったので、家名を言われても、多少年月の経った今ではピンと来るのに時間がかかったのである。それに、何せ異国の話であるし。

「あやかって同じ家名にしたということもあり得ますし……この国にいる理由が解りませんから、ただの同名者ではありませんか?」

「ふむ……」

(わたくし)も気になりますから、後程確認しておきましょう。今は彼らに大会に専念させたいですから」


 休憩と昼食をはさんだ後、今度は本日の最終競技、長距離走だった。単純なトラック競技ではなく、障害物などをふんだんに盛り込んで城を一杯に使うようにコース計画されている。

 鎧を着ない兵服だけの姿となった参加者が広場に集まり、コースについて監督官から指示を受け、白いテープの渡されている範囲内を通るようにくれぐれも注意された。兵服と言っても、暑くて殆ど皆は上着を脱いでおり、その下のシャツ姿になっている。裸の者もかなりいて、実に暑苦しい広場だ。

 ソニアもアーサーもシャツ姿でスタートの時を待ち、興奮に肌を震わせていた。よく焼けた褐色の肌が多い中、焼けてもまだ肌の白いソニアは、シャツ姿になったことでますます目立つようになった。

 試験官リーダーが旗を降ろすと同時に皆一斉に走り出し、広場を出て敷地内を廻る旅を始めた。ソニアは躊躇うことなく前に進み出て、道が狭くなって抜き辛くなる前に先頭集団の中に入り、その位置をキープした。

 城壁のすぐ内側を壁に沿って走るコースが続き、その途中に木の壁があって乗り越えねばならなかったり、這って進まねばならぬよう低い柵が設けられたりしており、それはまさに過酷な障害物レースだった。

 ソニアは身軽さで優位に立ち、木の壁もヒラリと登ってあっさり越えてしまい、柵の下も素早く這い進んで通過した。もともと足は速いので、重量挙げでハンデを負った分、今度は彼女の得意分野だった。水を得た魚の如くソニアは障害を次々とこなして走り抜け、コースの半分も行かないうちに、早くも前方に誰もいなくなってしまった。

 壁沿いに走り続け、構造上迂回しなければならない場所は迂回して進み、同じコースを2周して広場に戻って来るのが全行程だ。

 ソニアはその後もペースを落とさずに後続を引き離し、道々でコースを示しつつ不正がないか監視している試験官に驚きの目で見られる中、快走を続けた。彼女が走り去った後は、爽やかな風が通り抜けていった。

 ソニアは笑っていた。誰にも負けないくらい強くなりたい彼女にとって、1番になるということは大いなる喜びなのだ。その喜びが大きい分、失うまいと彼女は力を尽くし、手を抜いたりなどせずに全力で走り続けた。

 下半身は黒いズボンを履いているが、皆の目はそれよりも上半身の方に行ってしまい、まるで白い獣が駆け抜けて行くようだと思った。

 広場のテントで、1周目を終え2周目に入る選手を見ようと待ち構えていた王等3人は、1人抜きん出て現れた白い少女に度肝を抜かれて、言葉を失った。彼女が去って2周目に入った後、後続が現れるのには少し間があって、それにも驚かされ、3人のうち1人でも言葉を発せるようになったのは、その後になってからだった。それは国軍隊長ジェラードの呟きだった。

「……トライアスか……?」

 その後もソニアは独走を続け、風を切って――――いや、風に乗って突き進み、壁も柵も全て越えて、見守る文官や女官や厩舎係や下働きの者達の視線を背に受けて風の獣となり、最後の角を曲がって広場に辿り着くと、ゴールで待っていた2人の監督官が持つ2本の旗の間を通過して第1着となった。引率で来ていたデルフィーの高官2人は大喜びで手を打ち鳴らして互いの肩を叩き合い、女神の名を称えた。

 国王は迷いもなく立ち上がり、上気して息を切らせているソニアの下へと歩み寄り、興奮のままに彼女の肩に手を掛けて言った。

「見事じゃ! まるで白き豹のようであったぞ!」

1着の喜びに揺す振られていたソニアは、国王が直々に手を触れて言葉を掛けて来たことが信じられず、戸惑い混乱し、クラクラとしながら、しかし微笑んだ。

「あ……ありがとう……ございます」

王は頬を紅潮させてニコニコとしており、本当に優しそうな人だった。昨晩から既にそうだったのだが、ソニアはこの時はっきりとこの国王が好きになり、この人に仕えたいと心から思ったのだった。何か、人を虜にする天分をこの人は持っているようだった。

 今ではもう続々と走者が帰って来て、広場には座り込んだり四つん這いになったりする者達が増えていった。

 アーサーは34着で戻って来ていた。彼女の快挙には素直に喜んだのだが、自分の成績にはひどく不満なようだった。途中で大人の走者とぶつかってしまい、体重の軽い自分の方が弾き飛ばされてしまったらしい。それで遅れたのだ。そんなアクシデントがあって大人の中で34着なら、それはそれで凄いことなのに、彼は悔しそうだった。

 全員が帰ってきた後、皆はソニアを称えて喜び合い、互いの努力を労った。デルフィー班は午前のテストで13位だった者が、ここでも24着と好走していた。残る3人はまた真ん中辺りの成績だ。

 皆はアーサーのアクシデントを知ると、監督官が見ていればきっと遅れを加味してくれるだろうから、着順通りに受け取らなくていいと励ました。しかし、アーサー自身は「当たり負けする兵士を取ろうとするもんか」と真摯に受け止めていた。

 ともかくそれで第1日目のテストは終了し、アーサーは合格ラインギリギリかもしれないが有望だし、好調な年長の兵士もソニアもこれだけの成績を納めれば、明日の試合で余程の失敗をしない限り合格はもう見えたようなものだということになって、デルフィー班一同は概ね機嫌よく夜を迎えたのだった。

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