第3部17章『フォンテーヌ』2
エリア・ベルの村は大騒ぎとなった。誰かが結界を越えたのは確かで、しかも前科のあるフォンテーヌがいない。急いでリュシル達が捜索を始めたが、結界外の森をかなり広範囲に渡って探しても、彼女の痕跡すら見つからなかった。両親も友人達も激しく取り乱して泣いて、大精霊に祈りを捧げた。
急遽、青髪の彼も呼び出されて慌てて帰還した。彼は事態の深刻さをそのままに受け止めて、自らの責任を感じた。約束を叶えてやらずにおいたから、こんなことになってしまったのだ。
両親は、娘を探せるのは地上にも地下にも目の効くあなたしかいないと、彼にフォンテーヌの捜索を嘆願した。彼は勿論そうすると請け負ったが、全力で探し回っても全く手掛かりすら掴めなかった。
そこで、3日目の夜にエアルダインが関係者だけを集めて、この事を占った。本当に目の前が開けない事態に陥った時、暗中模索の状態の時、事の把握と対処方法を見出す為に、彼らエルフは精霊に頼ることが多い。人間世界の、当たる、当たらないのそれとはレベルが違うから、彼らは全幅の信頼を置いて精霊の力を借りていた。だからこそ、余程のことがなければ使用しない。暗い未来が指し示された時に、あまりに救いがないからだ。
だが、今回ばかりは彼等も精霊に頼った。特に両親の了解を得てから、長の館ホールで、エアルダインの他、リュシル、アイーダ、フロウ家の両親、そして青髪の彼が揃って円卓を囲み、中央に安置された水晶の中を覗き込んだ。
占う前に、彼らはフォンテーヌの生き形見である臍の緒を拝借して、生命の炎という魔法の炎にかけていた。その形見の持ち主本人が生きていれば、炎の中で燃え尽きることはなく、死んでいれば灰と化す術だ。
臍の緒は燃え尽きずに残って、やがて炎の方が鎮まり、消えた。両親はボロボロと涙を零し、嗚咽した。皆の顔にも真剣味が増した。生きていると判ったならば、早急な手助けが必要だ。
エアルダインの宣誓と詠唱が長く続いた後、水晶は白い霧の世界を見せた。エアルダインは長時間奮闘したが、やがて老齢に負けてグッタリと椅子に座り込んだ。
ダメじゃ、フォンテーヌは術の届かぬ何処ぞの結界内にいる、とエアルダインは溜め息混じりに言った。当然ながら、両親はどういうことだと取り乱した。それに冷静に答えたのは、彼だった。
……精霊術の透視が効かない結界を生み出せるほどの技を持つ何者かに、彼女は捕らえられたということですよ、フロウさん。当然ながら……人間ではない。
解ってはいたが、そう告げられると両親は肩を震わせて激しく泣き噎んだ。ああフォンテーヌ、フォンテーヌ、一体何があったのだ、とひたすら繰り返す。
彼もエアルダインも、引き続き捜索を続けると両親に約束して、今日の所は2人を家に戻らせた。エアルダインの命で、アイーダが彼等の家まで付き添って送りに行った。
館に残ったエアルダインは、その場のリュシルと彼だけに更に付け加えた。
……フロウに伝えるのは忍びなかったから言わなんだったが……彼女はもはや戻ることはないと、光は告げておる。
その言葉に2人は肩を落とし、彼は眩暈を感じた。フォンテーヌは、どんな事件に巻き込まれてしまったと言うのだろう。
そしてエアルダインはこう続けた。
……光はこうも言っている。《この事は、我々がしてきたことの代償なのだ》と。《代償》とは……《我々がしてきたこと》とは……何なのか……。
思い当たる事がないでもなかったが、こんなに大きな代価を求めるほどの事なのだろうかと皆は考えた。
だが、光がなんと告げようと、捜索の手を止めて諦めるわけにはいかない。例えそれが報われなかろうとも、指し示された運命に心が負ければ、奇跡というものは決して起こらないものだ。
さすらいの魔法戦士は、そうして生涯の使命として、フォンテーヌ捜索の責務も負うことになり、ハイ・エルフの目撃情報をあらゆる種族に求めたのだった。
エリア・ベルの森から遥か彼方、大洋の向こうに存在する絶海の孤島にフォンテーヌはいた。
彼女が目覚めた時、そこは見知らぬ石造りの一室で、ハイ・エルフが好んで使用する木造の住居とは全く趣が異なっていた。ベッドも家具も全てが暗色の漆塗りである。エリア・ベルではここまで暗い色に塗装することはない。裂いたばかりの樹皮のような明るい肌色や、白樺の幹くらいの色がハイ・エルフの好みだ。
好みの内装や調度品ではないが、ここが手の込んだ高貴な一室であることだけはフォンテーヌにも判った。
天蓋の薄布が風に柔らかくはためいている。フォンテーヌは陽射しに気がついて、おそるおそる這うように家具と壁を渡り、窓に近づいた。
光の射し込んでいる口の先は石のテラスで、装飾彫刻の彩な支柱が何本も並んでいる。外は見事な快晴だった。そしてテラスに立っただけで、目の前に広がる青い、青い大きな水溜りを見ることが出来た。それが何なのか一瞬判らなかったが、うごめく白い筋や翼の尖った鳥達が行き交うのを見ているうちに、これこそが《海》なのだとフォンテーヌは気がついた。
そして、生まれて初めての潮風を浴び、香りを嗅いで、青い世界をまんべんなく見渡した。真下には森が広がり、元気良く緑の山を隆起させている。好奇心は多いに刺激されたが、心の根底では恐怖の川が今にも決壊しそうな状態で危なっかしく流れていた。
幸い誰の姿も見えないお蔭で、いきなりパニックに陥ることはなかった。ここに来る直前の出来事を覚えていたから、この場所が、仲間達の助けが及ばない別種族の世界だということは解っている。
だからフォンテーヌは、真っ先にそのテラスで仲間と連絡を取る為の魔法を試みた。魔方陣を敷いて発動させるが、完全に光り切らないうちに陣は静まって、ただの図形と成り果ててしまった。何かが、魔法の邪魔をしている。ここはただの場所ではない。
フォンテーヌは慎重に、その他幾つかの連絡手段の技を試みたが、どれもうまくはいかなかった。他の基本的な魔法は使えて、炎や光を生み出すことはできるのだが、外界と交信する種類のものだけ制限がかかっているようだ。
カモメを呼び寄せて対話してみると、ここは広い海のど真ん中で、飛んで何処かに辿り着くのはとても大変だと教えてくれた。彼らは海上の旅でも途中で波に浮かんで休むことができるからいいが、彼女はそういうわけにもいかない。
この島を出る助けになりそうな術の一切が働かず、他には何の手も思いつかなかった。無謀に空を飛べば、途中で力尽きてしまう可能性が高い。ここが何処か位置を知らないから、エリア・ベルの方角もわからないので、当てずっぽうに流星術で他の見知らぬ土地に飛んでしまうのは尚危険だ。
せめて、この反魔法結界の外に出て連絡を取ることが出来れば、きっと仲間が助けに駆けつけてくれるだろう。まずはこの建物を出て、それができそうな場所を探してみることが重要なようだ。
フォンテーヌは、ここまでは務めて冷静に考え、パニックを起こさず気丈に状況判断することができた。しかし動き出せば足は震えていて、それを止めようと差し出した手も、また震えていた。
部屋の中に戻り、置かれた品の数々を検分し、時には手に取って確かめた。魔法道具らしきものは1つも見当たらなかった。姿見の中の自分を調べ、どこにも傷を負っていないことと、荷物を失っていないことを知った。
まだ、誰かの動く物音も気配も何1つしない。ここは夢の中なのだろうか? しかし夢というものは、殆どがかつてあったことの繰り返しや、自分の中の想いで、その角度を変えて見るのが主だが、こんな場所を思い描いたことなんて今までにないし、勿論経験だってない。予知夢や、お告げの夢であるかもしれないが、あまりに鮮明で生々しく、動いている時間は明らかに現在の匂いを持っていた。
フォンテーヌはベッドに座って暫く考え込んだ。すぐにでも扉を開いて部屋の外へ行き、建物の外へ出る道を探らなければならないのは解っている。でも、部屋の外に出ただけで何に遭遇するかわからないから、おそろしかった。まだ何事も起きていないこの空間にいれば安全なような気がしてしまう為、なかなか移動することに踏み切れないのだ。
フォンテーヌ、フォンテーヌ、まずはここから出なくちゃ。行きましょう。
おそるおそる扉の獣面ノブに手をかけて、ゆっくりと回した。鍵の外れる音は静かだ。そして重量のある扉を押し開けた。エリア・ベルの村ではこんなに重い扉はあまりない。子供でも簡単に動かせるような軽量の木のドアが主流である。この扉の重さは、ここに閉じ込めようという意図でそうできているのかと思いたくなるほどだったが、暗色塗装家具で統一された部屋の雰囲気に合っているので、そもそもの仕様かもしれなかった。こんな所にも、ますます異種族の影を感じて、フォンテーヌはゾクリとした。
皆の言い付けを守らなかったから、早速罰をお与えになったのですか? ウージェン様。私もあの姫のように、汚らわしい輩の慰み物となって、二度と村に帰れなくなるのが相応しいと?
ずっと肩は震えっぱなしで、何かあればすぐにでも叫びを上げそうなほどに全身が緊張し、怯えていた。
扉を開けた先の通路も同じように石造りで、窓がない分薄暗い。それを照らすために点々と定間隔で油灯が壁に設置され、その明かりが奥に続いていた。
とにかく外に出たかったので、見つけた階段をすぐに下に降り、テラスから外を見た方角に向かって出入口を求めた。普通なら人2人が楽に通れる大きさの出入口があって然るべきなのだが、他種族らしく建築のルールが異なっているようで、それらしき物は何も見当たらなかった。
フォンテーヌは、廊下の角々に建っている魔獣像に心で語りかけた。
外に出られる扉は何処?
魔獣の反応はとても薄かった。エリア・ベルと違って、物の意識が非常に低いらしい。それで、5つの魔獣に呼びかけて、ようやく答えらしいものを結びつけることが出来た。もう少し奥に行くとあるらしい。
ここだ、ここだ、と答える魔獣の側で壁をよく探したら、殆ど判らないくらいに石壁と一体化している扉の際を見つけて、フォンテーヌは慎重に押し開いた。これまで殆ど使われることのなかったらしいこの扉は、隙間に厚い苔を生やしていて、とても重い。自分の力では開けられないのではないかと半ば諦めかけた頃にようやく光が射し込み、薄暗い通路を照らした。
そこから先は、もう一息だと力を込めて押せる限りに押した。石造りの扉はゆっくりと外に向かって動き、体をすり抜けさせられそうなくらいに開いたら、手を止めた。
フォンテーヌは羽化する虫のように体をよじらせて外に出し、脱出した。元通りに閉じるのはあまりに億劫なので扉はそのままにしておき、素足のままで森の中に入って行った。振り返って見上げても、館の全景が一度に眺められない程に木々が建物に迫っていて、石の壁と長年の領土争いを行っている。
エリア・ベルで素足の生活は長いから、土から直に言葉を聞きながら、フォンテーヌはこの土地の性質を理解した。鉱物のとても多い、植物が育ち難い土だ。それでも、この土地に適合した種類の植物がこれだけ鬱蒼と生い茂っている。
エリア・ベルのような清らかさはここにはないが、それでも、おそらく世界中の森がそうであると思われるように、この森も生命に溢れて、足から強さが伝わってきた。フォンテーヌが初めて嗅ぐこの森の香りは湿っていて、孤独の色があった。絶海の孤島故の、住人達が感じる閉塞感の為かもしれない。
とにかくフォンテーヌは森を歩き回って、至る場所で通信魔法を試し、砂浜や湖にも出て同じことを試した。何処に行っても通信魔法は抑え込まれてしまう。あの建物だけでなく、この島全体に特殊な結界が張られているらしい。一切の通信ができぬ孤立空間を作ったか、或いは施術者だけがこの空間内から自由に通信ができるようにしたのだろう。
魔法が使えなければ助けを呼べないが、まだ全ての力が削がれたわけではない。エルフにはもっと重要な力があるのだ。これだけ自然に溢れていれば、その力を大いに振るうことができる。
フォンテーヌはそうして島中を巡り歩き、木々や鳥達と対話した。そして残念なことを知った。ここには船が1つもないらしい。勿論、外からやってくることもないのだ。もし船があれば、それに乗って水を操作し、鳥や雲の案内を頼りに大陸を目指すことが出来た。島を離れるだけでも結界から逃れ、通信魔法が使えたかもしれない。だが、その手は使えないのだ。
フォンテーヌは白い砂浜の広がる海岸で腰を下ろして、途方に暮れた。これからどうすればいいのだろう。ちょっと村の結界を出ただけであれほど怒っていた両親は、どんなに混乱しているだろうか。あの人は私を探してくれているだろうか。
彼が駆けつけて助けてくれることを想像したら、とても胸がドキドキとしたが、この場所を知らせなければそんなことも有り得ない。だからと言って、この大きな水溜りで慣れない水泳をするのは躊躇われた。ハイ・エルフと水との結びつきは強いのだが、海はまた別の独立した力を持っていて、淡水とは少し勝手が違うのである。
そうしているうちに日が沈んでしまい、森の中はどんどん暗くなって、エリア・ベルでは経験したことのないような闇の中に落ち込んでいった。光るものが何処にもないなんて、信じられなかった。夜空の星だけではあまりにも心許なくて、フォンテーヌはおそろしいはずなのに、まだマシに思える石の館の中へと戻って行った。そこには明かりが灯っていたからだ。
来る時に開けた扉はそのままになっていて、その隙間から篝火の明かりが漏れ出ている。フォンテーヌは、自分がこんなにも光なしではいられぬ者なのだと初めて実感しながら中に入った。それが火と知らずに引き寄せられて燃えてしまう蛾は、同じような心持ちで火に近づくのではないかと思ったほどだった。怖々と通路を進みながら、目覚めた時にいたあの部屋まで戻って行く。
部屋に到着すると、何と驚いたことに、そこには食事が用意されてテーブルいっぱいに広げられ、ベッドの上には数着の服まで並べられていた。やはり誰かがここにいて、この部屋に出入したのだ。フォンテーヌは息を飲んで固まり、その場にしゃがみ込んだ。また体が震えだした。
好意的に接しようとしている様子はあるが、それでも悪魔の誘惑のようでもある。フォンテーヌは暫くそこで座ったまま物音に耳を澄ませ、子犬のように体を縮こませていた。
何も起きない。聞こえるのは、暖炉の炎が揺れ、薪が爆ぜる音だけだ。炎のメロディーは大丈夫、大丈夫、落ちついてと言っているように聞こえた。
フォンテーヌは炎に励まされてソロソロと立ち上がり、陳列された品々を確かめた。料理の多くに銀製の蓋が被せられ、冷めないように気遣いがされている。テーブルの中央には新しい花までが飾られていた。エリア・ベルでは馴染みのないような見た目の料理が多い。よく知らない物ばかりだが、系統的に偏っている感じがしないのは、何を好むか判らないからバラエティーに富ませたのだろうか。ベッドの上に並べられた服も然りだ。
時が経つにつれ、また落ちつきが甦ってはきたが、食事をする気にはなれなかった。この内装や食器の趣味は、一体何処の種族のものだろう。




