第1部第3章『デルフィーの日々』その4
アイアスはやって来ず、また花月が来て、ソニアは更に背が伸び、リラは嬉しそうに服を仕立て直し、相変わらず修行と勉強と夜の歌の日々が続き、たまにやって来るゲオルグとまたお喋りしたり贈り物と歌の交換をして、また祭の季節がやってきて、学校には新入生が入ったり、学業を修了して都に行く者がいたり、この街で働く者がいたりし、それでもアイアスはやって来ず、少年隊での訓練は、集団行動の基礎などの兵法的なことも含むようになってきて、兵法に関心を持ったソニアはそれも独自で学ぶようになり、また花月が来て――――――
何をどれだけ繰り返したのか解らなくなった頃、ソニアは11歳になっていた。アイアスと別れてから、いつの間にか6年もの月日が流れていたのである。彼と別れた時の年より長い時間が経ってしまったのだ。
日々彼を待ち続けていた彼女には、この時間はその前の5年となど比べ物にならないくらい長いものだった。1年経とうと2年経とうとアイアス恋しさは変わらず、狂いそうなほどの渇望にはならずに済んでいたが、それでもやはり恋しかった。11歳の今でも、それは全く変わっていなかった。
成長した今は、もしや2度と会えないのでは、と思う大人めいた部分も現れてきてはいる。だが、恋しさがそのままに残っていて、相変わらずどうしようもなく彼女を《強くなる道》に駆り立てていた。冷静に2度と会えない可能性を考えてしまって恐怖すればするほど、強くなろうと思わずにはいられなかったし、その切迫感が彼女の戦士としての成長に拍車をかけていたのだ。
ソニアは同じ年頃の少女より背が高く、手足も引き締まって美しいラインを描き、サバンナから出てきたばかりの野生児の如き、しなやかな体つきをしていた。少女らしい、体の固まっていない華奢さはあるものの、同年代の少女と比べれば、見事に戦士らしい肉体への道を歩んでいると言えた。
ルピナス色のサラリとした直毛も長く伸びて、腰より下まで垂れているのを、何時でもただ1本の細紐で結っていた。これも彼女の知らぬことだが、その髪も多くの人々や少年達を魅了していたものだった。激しい修行や訓練の中で痛めつけられているはずなのに、リラの丁寧で愛情のこもったブラッシングのお陰で、色の美しさを損なうほどの荒れ振りは免れていたのである。年頃と言われるにはまだ幼かったが、それでも充分、彼女は美しく成長していた。
少年隊の仲間などは、組み手や試合の時に思わず打撃に尻込みしてしまうくらいなのだが、彼女の方はそんな遠慮や手加減が全く要らないくらい、むしろ逆に彼女の方が手加減するべき側であるほどに優れていて、目にも止まらぬ速さで相手を弾き飛ばしたり、ねじ伏せたりしていた。
この頃には、かつてアイアスが見せていた闘気の操作による遠方の破壊攻撃も出来るようになっていたので、まだ正規の兵士ではないのに、既にデルフィー港衛兵達の誰も、まともに1対1で彼女と戦って勝てそうにはなかった。
魔術の指導は殆ど終了しかけており、彼女が魔導士ほど多種の呪文を身につけられそうにないことの見切りもあったが、指導する黒魔導士の方でも教えられることが無くなってきていた。
学校でも、この街の学び舎で出来ることの限界に近づきつつあった。今では、彼女の発する疑問や悩みに教師の方が驚き、考えさせられるばかりだった。
それらを総合した結果、じきに兵士としての生活に専念できるであろうと見たデルフィー港衛兵団の副団長――――あの時の兵士である――――は、11歳という異例の若さではあるが、実力を重視して、彼女に正規の兵士になるための資格試験を受けることを提案した。
これまでの訓練を見てきた仲間は誰一人として反対はしなかったが、それなりに若さには不安を抱いており、それを口にする者もいた。だが、彼女がダメなら他の者はもっとダメだろうというくらい精神力もしっかりしていたし、冷静で落ち着いた行動は評価すべき点だった。だから、副団長の提案は難無く兵団会議を通ってソニアに告げられ、彼女は喜び勇んでテストの日を待ちわびることとなった。
彼女が少年隊に入隊した当初の年長者達には、通常の試験資格年齢である13歳になってから挑戦し、正規兵士の仲間入りをして既に働いている者が何人もいた。
アーサーは彼女の1つ上であるから12歳になっていたが、彼も規定より1つ若いながら今回挑戦資格が与えられ、ソニアと共に試験を受けることになった。彼の学業の方は修了にまだ道程があったが、兵士としての幅を広げるには既に十分な勉強をしていたし、彼自身、試験にパスしたらもう兵士職の方に専念するつもりだったので、受かれば学校はそれきりの予定だった。
デルフィー港衛兵独自の資格試験は学校のような筆記試験のはずもなく、ひたすら体力テストや実地行動の能力を測られた。港衛兵独特と言えるものは、港という立地条件故の水難救助や高潮時の住民誘導などがあることだった。
学期の終了を目前にした海月の中旬に試験は行われ、体力、実地2種類の試験が3日間に渡って開催された。ソニアとアーサー以外にも、今年13歳になる正規資格の少年が2名いて、彼らを含めた合計4名が先輩達の見守る中で挑戦を始めた。
少年隊の練習は試験の為に休みになっているのだが、彼等の頑張り見たさに年少の者達も会場に集まって、現在の少年隊トップ4名の奮闘を見守った。
ソニアとアーサーは意気込みに燃えていても緊張はなく、存分に力を発揮して初日の体力テストをこなし、持久力も、人を抱えての運搬も、行動の速さも見事にクリアした。かえって13歳の少年達の方が、その年齢に達したから受けるしかなかったという状態に近くて、ヒーヒー息を上げながらギリギリで課題を終えたのだった。
例年この初日に出来るだけ彼らをヘトヘトにさせておいて、その状態で残る2日の実地試験をどう乗り越えるかで兵士としての資格を測ることにしており、それは、常に万全と言える訳ではないコンディションの中でも、彼等が正規の兵士として迎えるに相応しい働きをするかを見極めようという意図によるものだった。時に、戦闘によって負傷した体で、尚も住民を守らなければならないからである。いざ大戦が起きれば、それは重要な能力なのだ。
ソニアとアーサーは、通常の受験者より優秀な成績で水難救助も住民誘導の手順も間違いなくこなした。港で溺れた人間に見立てた丸太を各3本も運び上げて救命措置を行い、最後には本物の人間(大人の兵士)が溺者役になって彼等に救助された。港湾内でのボートの操作もしたし、小船を幾隻も丘の上まで運び上げた。
大戦が記憶に新しく、海賊も未だ存在することから、兵士というと戦闘が真っ先に連想されがちだが、どの街でもこうした日常的な事故の対策や防災の仕事の方が多いものである。
13歳の少年2人もどうにかこうにか運ぶべき物を運び終えて、完了を報告しに試験官の下へとフラフラ戻った。
全過程終了と同時に試験官達は協議に入り――――と言っても、そこで立ったまま顔をつき合わせてヒソヒソと話し合っているだけなのだが、ややあって、4人全員の無事合格が告げられたのだった。ソニアとアーサーは優秀。13歳2人は減点箇所が幾つかあるものの、正規の兵士として迎える合格点には達していると判断されたのだ。
4人は飛び上がって喜び、皆で抱き合い、叩き合って、疲れも忘れ走り回った。
アーサーは言った。
「これで母さんもミンナも――――父さんも喜んでくれる!」
ミンナとは彼の妹のことだ。港で働きながら学校にも通い、少年隊の訓練に励んできた苦労人の彼は実に嬉しそうだった。
一方、ソニアは言葉にはせず、心の中でこう思った。《これで、お兄様に認めてもらえる日に近づいた》と。
とにかく、これで4人の少年少女達は、これから一人前の大人と同じように給料を貰いながら働くことが出来るのだ。アーサーは既に昔から働いてはいたが、正規の職業としてのプライドもあれば、賃金差もあり、その喜びは大きかった。若さと新人ゆえの薄給でのスタートとなるが、誇りは何にも増して勝っている。
4人ともが学校に通っていたので、団長と教師の判断の上、今学期は最後まで学校に通い終え、翌月から晴れて勤務ということになった。
魔術師との個人授業を終え、学校の最終日にはささやかな卒業式を開いてもらい、学友達と別れ、ソニアはこれまでの生活に別れを告げた。修行と学業と訓練とが入り乱れて細々としていたスケジュールがもっと解り易くなって、兵士としての勤めの時間と、それ以外の修行時間の2つに割り振ればいいようになったのだ。
嵐月初日の就任式に、4人は真新しい革製の鎧に身を包んで臨み、そこにはそれぞれの家族も見物に来ていた。ソニアにはリラばあが、アーサーには母と5つ下の妹ミンナ――――彼と同じ黒髪でとても可愛らしい子だ――――が、他2人には両親が揃っていた。
鎧や兵服は合格してすぐに採寸され仕立てられていたので、こうして着られたのだが、兵士として携帯する剣はこの就任式で各人に授けられるのだった。兵士職任命の儀式も、本来なら仕える国王直々に成されるものだったが、ここは国都から離れているので、各地方都市がそうであるように、ここでも代理人として団長が剣を与えることになっている。地方出身者や国都の等級の低い兵士は、手柄を上げて国王から勲章でも授けられない限り、王直々の栄誉は得られないのである。
4人は、若い彼等に相応しい、あまり刀身が長くなくて扱い易いサイズの剣を、跪き下げた肩に抜き身で載せられ、1人ずつ誓いの儀式を行った。年齢順に13歳の少年2人、アーサーと続き、最後にソニアとなった。
副団長より年上で、引退間近の胡麻塩頭の団長はジッとソニアの目を見つめ、頷いて彼女の頭を垂れさせると、肩にそっと剣を載せて言った。
「国王に仕える新しき兵とならんとする者よ、名を名乗れ」
「――――ソニア=パンザグロス」
彼女の正式名を殆どの者が初めて耳にしたが、リラと同じ家名にしていないことを、一瞬気に留めて《おや?》と思っただけで、彼女の家名に聞き覚えがある者はあまりいなかった。
「ソニア=パンザグロスよ、そなたはトライア国と国王に忠誠を誓い、何時如何なる時も最大限の努力を持って、骨身を惜しまずトライア兵の務めを果たすか?」
「トライア国と、国王に忠誠を誓い、我が身命を捧げて勤めを果たします」
事前に教わっていた手順通りにソニアは返し、国王への敬意を表して、ずっと頭を下げたまま不動を保った。
「そなたを正式なるトライア国兵士として迎え、ここに剣を与える」
そこでやっとソニアは面を上げ、肩に置かれた剣が除けられて両手で差し出されると、同じように両手でそれを恭しく受け取り、また深くお辞儀をして、そのまま立ち上がって剣を高く掲げ、一回りして皆に見せた。拍手が響き、ソニアはニッと笑って大事そうに剣を眺め、後から渡された鞘に納めた。
鎧も剣も、彼女は初めて身に着け手にしていたが、見守る者達にとっても不思議なことに、その姿は何故か彼女に合っていているように感じられた。凛々しく精悍な若者とはちょっと違うのに、そこには、物語の中から戦の女神が抜け出てきたような強さと美しさが溢れていたのだ。
トライア国史上最も強く、美しい戦士の誕生の瞬間だった。
兵士の仕事は朝が早く、また夜勤もあって、農家や漁師のように日の出と入りを基準にして働く職業とは違った大変さがあった。夜勤は週に2度だが、祭りや催事や大型船の入港日などには不定期の夜勤も入れられたし、中型以上の魔物の目撃情報でも出た日には、何日間か連続して夜勤の人数が増やされたりもした。
どんな職業も、それに何年も従事すればウンザリとしてくる点が多々あるものだが、まだそんなものには無縁な若き兵士達は生き生きと勤めに就き、大人の仲間入りをした嬉しさで輝いていた。
ソニアは、それまで兵士という仕事自体に深く興味を示していた訳ではなく、ただ強くなったことを証明するのに最適な方法としか捉えていなかったのだが、いざ仕事が始まってみると、それが意外と自分に合っていることに気づいた。兵士というと戦士としてのイメージが強く、戦士といえば森にでも何処にでも出掛けて魔物や獣を仕留めて来る狩人的なものを描いてしまうのだが、そういった職業ハンターや戦のプロというものよりも、実際の日常は人々との交流が多く、訓練ばかりの平和なものだったのである。
防災の備えが行き届いているか見回ったり、子供が危険な場所で遊んでいないか目を光らせたり、港でプライドの高い水夫同士が喧嘩でもしていないか見て、遭遇すれば仲裁に入ったりと、本当に人々を守ることが何よりの役目なのだ。ただ外敵と戦い続けるより、ずっと温か味のある仕事だった。
かっぱらいやスリが出た時には追い駆けて取り押さえたり、徹底的に捜査もしたりするが、刃傷沙汰になることはまずなかったし、日々は穏やかなものだった。
いつかのカラット誘拐事件のような凶悪なものは、年に1度あるかないかのことと言えた。大戦による被害で貧しくなり、道を踏み外した者や、それ以前からの悪人が追い剥ぎをしていたりはするが、それには都の国軍がある時期出張して全国を巡り掃討して行ったので、目立った被害は聞かなくなったし、この数年は真に人間の好む、人間だけの、人間らしい世界が守られていた。
ソニアはたまに異形の者に会っていないと、その過去が遠ざかって行くようで寂しかったが、誰に話せるわけでもないので、稀にやって来るゲオルグに会えると本当に嬉しかった。彼の方も、成長していく彼女をいつも喜んで見ていた。
ヌンタは未だに元気で彼女の肩に乗っている。動物にしてはあまり老いない方のようだった。ゲオルグも異種族らしく全く見た目の年齢は変わらず、ソニアだけが1人変化を見せていた。
「ソニアは根気がいいんだね。本当に兵士になってしまったし、まだちゃんと兄さんを待っているんだもんな」
ゲオルグは、鎧姿の方に目を留める時には色々と思う所のありそうな表情をしていたが、ソニアの顔の方に視線が移ると優しく微笑んだ。肌の色や多少の質感の違いはあっても、彼は人間と同じく目をキラリと輝かせていた。そういうものを異形の者に見つけた時、ソニアは種族の違いというものを大して感じなくなるのだった。
彼は折りを見ては、旅に出る気はないか彼女にまだ尋ねたりしたが、ソニアは一向に応じず、頑なにアイアスを待とうとしていた。
ゲオルグはいつも何か手土産を持って来て、ソニアはその返礼として、年を増して更に磨きのかかった歌声を披露した。彼はこれが何よりのお気に入りだと言っていた。いつも、目を閉じて恍惚と聴き入ってくれたものだった。
歌と言えば、彼女は大抵夜に家の窓辺でそっと歌うのが常で、歌声は風に乗って漂い、出所が不明なデルフィー七不思議の1つに数えられていたのだが(しかも耳にすると眠気を誘われることが多く、出所を追及しようとする者がいた試しはない)、遂にリラ意外の人間に1人だけ知られることとなった。
夜勤の夜に1人で、港の端にある人気のない桟橋で船の出入りの見張りをしていた時のこと、夜風の気持ち良さと半月の美しさに、つい歌いたくなって腰を下ろして楽しんでいると、同じく夜勤だったアーサーがやって来たのである。足音も立てずにそっと近づいて来たので、ソニアは気づかず歌い続けていた為、途中で歌に気づいたアーサーの方がそこで立ち止まって呆然と眺めているのであった。
歌が続く間その状態だったので、ようやくソニアが見張りらしく辺りに目を回して彼の姿を捉えた時には、思わず「ウワッ」と声を上げてしまったのだった。暫く夜闇の中で黙って見合っている2人の姿は、何だか滑稽だった。
「……驚いたぁ。アーサー、何時からそこにいたの?」
瞬間的にはソニアの方が驚かされているような図でありながら、アーサーの方が相変わらず呆然としていて、言葉に詰まった。
「お前……う……歌、上手いんだな。ビックリしたよ」
ソニアはニッコリと笑った。それで、アーサーも笑った。
「お前のその歌……みんな知ってんのかな?」
「さぁ……知らない」
「七不思議のセイレーンて……お前なんじゃないのか?」
「……何それ?」
アーサーは隣に立って説明した。この港に立ち寄った水夫等が夜に何処からともなく流れてくる歌を聴き、それが何処から来るのか街の誰も知らないことを知ると、海からなのではないかという話になったのだそうだ。海には歌で船を誘き寄せて水夫を酔わせ、海に引きずり込んで食べてしまうセイレーンという女妖の伝説があるのである。このデルフィーの沖にセイレーンの住まう島があるのかもしれない、と考えたのだ。
ソニア自身は、風に乗って歌が何処まで流れていくのか、またそれがどんな効果をもたらしているのかを全く知らなかったので、まさかと笑い、その物語の方に単純に関心を示した。
ソニアがいつも家で歌い、特に人に聴かせている訳ではないことを知ると、なんだかアーサーは嬉しそうだった。
「とにかくさ、良かったよ。今まで人が歌うのを聴いた中で1番だ」
「ありがとう」
アイアスやゲオルグ、森の仲間達によって賛辞には慣れていたソニアは、過分に得意にもならず素直に喜んだ。
アーサーがここへ来たそもそもの用事は、急なシフトの変更を彼女に頼みたかったからだった。立場的にも1つ年下の彼女――――そして同期の同僚の方が頼み易かったので、真っ先に彼女の所へ来たのだ。同期の他2人は今日の夜勤が非番だった都合もあった。
何でも父方の伯母が遠方から訪ねて来るらしく、隣街のサフランまで出迎えに行きたいそうなのだ。それで、明日彼が日勤でソニアが休みの所を、代わってもらえないかということだった。
普通なら夜勤明けの休みは貴重で、そんな申し出に大抵の者は渋るもので、アーサーも恐る恐る口にしていたが、ソニアは至って何でもないという軽さで「いいよ」と引き受けた。誰に頼まれても彼女はそう答えたに違いなかったが、その辺の大人やずるい若者とは別で、アーサーがごく真面目な少年であることを知っていたので、尚のこと迷いはなかった。長い少年隊訓練期間の中で、既にこの2人は確固たる友情を築いていたので、双方の頼み事は、不可能でない限り何を置いても受けたいと思っていたのだ。
それ以来、アーサーは彼女の歌のことを特に人に話したりせずに、1人で秘密にして楽しんでいた。
彼女が非番で彼が夜勤の日、たまたま南側近くの勤務で噂の歌声が聞こえてきた時、アーサーはボーッとしている先輩に街の見回りに行ってくると告げて曖昧な返事を貰うと、ソニアの家の側まで近づいて行き、物陰から彼女が歌っている姿を探したりもした。そして、確かに彼女は歌っていた。
これは、彼にとってとても御機嫌な秘密だった。だから、誰にも教えるものかとアーサーは決めていた。なるべく多くの物を人と分かち合おうとする善良な少年だったが、これだけはさすがに譲れなかったのだ。
ソニアが兵士になって間もなく、彼女は12歳になった。12歳と言えばまだまだ子供のようであるが、どこの世界でも女の子の精神的成長は早いし、彼女は特別な経験をしてきている上に、平均より背の高い少女だったので、もっと年上に見えた。
そしてその頃、デルフィー付近の森で魔物が増えてきたという情報が入り、商道沿いを重点的に警戒して、大勢で魔物駆除の遠征に出掛けることになった。兵士として馬の扱いの訓練も受けてはいたが、地方において馬は労力として重要であるので、とても人数分の馬は用意できず、指揮官とその部下数名が騎馬になるのみで、残る雑多な兵士達は皆が徒歩となった。
大戦直後に掃討された時の生き残りが再び繁殖して、ちょうど数を増やした時期なのだろう。大型の強力な魔物が絶やされると、その脅威を受けていた中型の魔物が、ここぞと数を増やすこともある。そんなことを繰り返した結果、今では奥地に行かないと高等な魔物には遭遇せず、稀少なものは本当の秘境に行かないと見られないくらいになっていた。だが、魔物の繁殖速度は普通の獣と同じだ。条件が合えば、増える時にはあっという間である。
ソニアを含むグループは南下する道程を行くことになり、ゆっくりと進軍して商道より森の奥の方へと足を伸ばしながら、出会った魔物達を次々と退治していった。
ソニアは未だに何の迷いもなく魔物を殺すことが出来ず、心の中ではもっと奥へ逃げて出てこないように祈りながら戦闘態勢に入るのだが、大概は狂ったように敵意剥き出しで襲いかかってくる者ばかりで、已む無く仕留めて息絶えさせたのだった。
デルフィー港衛兵は4班に分かれて、それぞれに新人が配属されていた為、このグループにいる新人はソニア1人だったが、彼女は下手な先輩達より鮮やかに一発で敵を斬ることが出来た。また、それは魔物を無駄に苦しませたくないという、彼女の慈悲によるものでもあった。
今回は少ない兵をデルフィーに残して、各十数人の4グループが4つの方面に数日をかけて行う遠征であり、ソニアを含む若手兵士にとっては初めての経験となった。
1日目の夜は商道沿いの森に少し入った所でテントを張って野営をし、交代で見張りに立ち、夜行性の魔物が現れればそれを退治した。ソニアがデルフィーに来て森で修行をするようになってから一度も見たことのない大型の種類や変わった種類が多くて、確かに魔物は急速に増えているようだった。
肩のヌンタは何時も警戒していたが、ソニアが危なげなく敵を討ち取っているうちはそこから離れずにいた。
2日目の昼、頻繁に魔物の目撃が報告される地域に入ると、一行は更に数グループに分かれて一時四散し、そのエリアをなるべく洗い出そう試みた。ソニアは4人グループの中の1人で、順調に奥地まで進み、何体か魔物を倒した。
しかし、日が傾きかけた頃に、3つ年上の若手兵士が迫り出した木の根に足を取られて転倒してしまい、足をひねって戦闘に参加できなくなってしまった。そこで、魔物の足跡を見つけた先輩2人はその跡を追いたがったので、それだけは確かめることにし、ソニアが若手兵士の足を診る為に残って、先輩2人だけで先に進んで行ったのだった。
若手兵士は気恥ずかしそうで、しかも世話役に残ったのがソニアとあって、照れ臭そうにしていた。強がって格好をつけても却って無様なだけだし、ソニアから馬鹿にしたような空気は少しも感じられなかったので、彼はただ素直にしょげていた。
ソニアは彼の足の様子を見て、治療呪文を唱えようとする。
ハプニングはここで起きた。
ジッとして声を潜めていれば魔物の方から寄って来ることはあまりないのだが、ここで先輩2人と別れるまでが騒々しかったし、1人が負傷している何らかの雰囲気でも嗅ぎ取ったのか、強力な魔物の群れが近づいて来たのだ。
できるだけ気楽に振る舞おうと、この先の行軍の予想を軽く話し合っていた2人は、ふと聞き慣れぬ足音に気づいて息を潜めた。先輩2人がいなくなって暫く経っていたので、もう2人は遠くにいるはずだ。まだ治療しておらず戦えそうにない負傷兵と、最年少の兵士の2人きり。
彼は緊張して生唾を飲み込んだ。
「……聞こえたよな」
ソニアは黙って頷いた。ヌンタが警戒してフーッと唸り声を上げている。これが1番確実な返答だと言えた。
下生えが擦れ、枝が折れる、ガサガサ、パキンという音の連続の後、木立の中から姿を現したのはブラック・パンサーの群れだった。大型で素早く、殺傷能力の高い魔物だ。家族単位や一族単位で行動することが多い、ハンター的獣にしては珍しい生態の魔物だ。だから、より強いキラー・パンサー1個体に出会うより、ずっと危険で恐ろしいことだった。
真っ黒く艶のいい毛並みの体をくねらせて近づき、真っ赤な目を2人に向けて睨んでくる。その総数9匹。致命的な数だ。
彼は悲鳴に近い呻きを漏らして、満足でない足で立ち上がり、兵士らしく剣を抜き構えた。ソニアは状況に驚き胸がドキドキと高鳴ったが、恐れで腰を抜かすことはなかった。アイアスとの旅で、もっと危機的状況に陥ったことがあるので、未体験ではないのだ。アイアスのような強力な守り手がいないので決して安心は出来ないが、彼女は落ち着いて風を起こし、自分と彼とを取り巻かせ、壁にして敵から遮った。ヌンタは毛を逆立てて更に威嚇をした。
ブラック・パンサー達は、こんな若い2人が相手なら容易いと値踏みしたようで、ジリジリと歩を詰めて寄って来た。
「俺のせいだ……俺のせいでこんな……」
背を付け合わせていた彼が泣き出しそうな声でそう嘆くのを聞くと、ソニアは片手で彼の怪我していない方の太腿をパンと軽く叩いた。
「そんなの関係ないよ。とにかく戦おう。大丈夫」
まるで立場が逆になっていたが、そのお陰で彼は不思議と気持ちを落ち着かせることが出来たのだった。彼が負傷していなければ逃げるところなのだが、何としてもここで戦い、勝ち残らなければならない。
ソニアは今までに学んだ知識から、この敵集団に有効な魔法と攻撃の組み立てを考えた。
「……背後からの攻撃が得意なはずだから、戦いながらどうにか動いて、近くの木に背を付けて。そうすれば戦い易くなる。後は私に任せて」
12歳の少女とは思えぬ毅然とした指示と自信の高さに、彼は恐れをなして、ただ「わかった」と一言だけ返事をした。
その直後、同時に3匹が飛び掛かって来て牙を剥いた。
「――――――ザナ!」
数が多いので、ソニアは早速、風に魔法の氷炎をはらませて威力を増大させ、3匹にぶつけた。ギャアッという叫びと共に3匹は吹き飛ばされて、内1匹は近くの木に叩き付けられた。この程度ではまだまだ致命傷にはならない。
彼は指示通りにヨタヨタと手近な木に寄って行った。続いて4匹が舞い上がり、残る2匹が地を這うようにやって来る。ソニアは彼を守る為に近づきつつ、盾になる位置で止まって再び氷炎の突風を4匹に叩き付け、2匹には直に剣で立ち向かった。
先程の3匹の内1匹が立ち直って既に彼の所に向かっており、それだけは彼も相手をした。彼も手負いだが、パンサーの方も氷炎で動きが鈍っている。
風を常に起こしながら、魔法、剣、魔法、剣の連続技でソニアは集団を払い除けては、剣の攻撃で一匹ずつ確実に仕留めていき、何度も魔法を受けたパンサー達も徐々に弱っていった。身を守るのに必死な彼だったが、その連続技のあまりの鮮やかさについつい目が留まってしまい、度々見入っていた。
しかし、9匹はあまりに多かった。いかにソニアが立ち振る舞おうとも、同時に動かれると対処しきれず、彼は何度も攻撃を受けて、遂には脳震盪を起こしてそこに倒れ込んでしまった。
ソニアは慌てて彼のもとに駆け付け、倒れた彼が傷付けられぬよう、その場で戦った。まだ5匹残っている。彼を守る為に動ける範囲の制約された中での戦いは困難なものとなり、同時に飛び掛かられると、さすがのソニアでも完全に防ぐことが出来ず、爪で数カ所を斬られて戦闘服に血が滲み出した。
それでも、絶対に彼には傷を負わせまいと思い、凛としてソニアは構えた。ヌンタは彼女が傷を受けたことで唸り声を高ぶらせている。
5回の立ち回りで更に2匹を仕留め、残り3匹となった。それでもまだパンサー達は撤退を考えておらず、死ぬまで戦い続けるつもりのようだった。ここが縄張りだったのだろうか?
自分に残された魔法の力と体力を考え、3匹なら十分倒せるとソニアが睨んだ時、そこへ新たな敵が現れてソニアを驚かせた。それはブラック・パンサーよりもっと大きい、パンサー属最大級と言えるキング・パンサー1匹で、黄金色の肌に目の覚めるような真紅の鬣をなびかせていた。この森一帯の頂点に君臨する主なのかもしれない。
ソニアもこれには参った。アイアスと一緒なら、4、5歳だったあの当時でも全く恐れなど抱かなかったが、今は負傷して気絶している仲間1人を抱えて単独の上、敵は複数なのだ。彼に「大丈夫」と言った時、その自信に嘘はなかったが、今は簡単にそうも言えなかった。
キング・パンサーが加わったことで明らかにブラック・パンサー達は勢いを増し、3匹揃って三方からソニアに飛び掛かって来た。
「――――――スキラ!」
ソニアは風と共に、鎌鼬の真空刃を発生させて3匹にぶつけた。風で威力を増大された刃はそれぞれに傷を負わせて吹き飛ばした。
それを見るや、キング・パンサーが巨体に見合わぬ素早さで突進してきた。ソニアは心を決めて深く構え、アイアス譲りの剣圧の衝撃波をキング・パンサー目掛けて放った。意外に強力な攻撃を胸に浴びて一瞬たじろいだが、テリトリーを侵された怒りの方が勝っているようで、激しく牙を剥いて唸り、咆哮して、その振動でソニアの髪も体も揺らがせた。
まだ力を残している3匹までもが、立ち上がってにじり寄って来た。敵の数が多かったせいで魔法を何度も使った為に、ソニアの魔法の余力は残り少なかった。せいぜい使えて後2発だろう。回復の為に力を残しておきたかったので、その全てを使う訳にはいかない。ソニアはいざという時まで、もう魔法は使わない覚悟で剣を構えた。
キング・パンサーと3匹が一斉に躍り掛かって来た。ソニアは気合いを込めた衝撃波をもう1度放ってキングを退かせ、残る3匹は直接斬り付けて素早く首や足を断った。接近戦故、彼女も幾つもの爪の攻撃を受け、切り裂かれて血だらけになっている。
そして最後のブラック・パンサーの息の根を止めた時、ソニアは膝を折って息を切らせた。まだそこにキングがいるのに、出血で朦朧とし始めていた。治療をしたいが、その余裕はない。
アイアスならお得意の技一発で倒しているのだろうが、真空刃が使えるようになったと言っても、まだソニアは彼の域にまで技を極めることが出来ていなかったので、2発を浴びせても尚、キングは立ち上がっていた。今度こそ決めなければならない。だが、立ち上がれるだろうか。
その時、肩の上で唸っていたヌンタが突然降りて、キング目掛けて走り出した。霞む視界の中で、ソニアはヌンタの体がムクムクと大きくなるのを確かに見た。キングほどではないが、それに近い位の大きさとなった鼬めいた魔物が、威勢よく雄叫びを上げてキング目掛けて突進し、体当たりをした。
ソニアは呆然としたままその光景を見ていた。キングと鼬は威嚇し合い、噛み付き合い、牙と爪で相手を切り裂きながら森の奥へと消えて行ってしまった。
戦いの音が遠ざかって行く。
ソニアはまだ呆然としたまま、今起こった事の意味を考えていた。そうしているうちに、遠くでギャアアという叫びが上がり、その後は静かになってしまったのだった。
血と、焼け焦げや、切り裂かれた緑のムッとする臭いの中で、ソニアは放心していた。やがて鳥の方が先に平静を取り戻して歌い始め、森に囀りが響き渡った。
鳥の声で我に返ったソニアは、彼の無事を確かめ、それから自分と彼とを風で取り巻いて、その中で治療の呪文を唱えた。白く輝く風の中で、2人はみるみる回復していった。ソニアの血は止まり、視界も晴れて痛みはなくなった。
彼も目を覚まし、ムクリと上体を起こすと辺りを見回した。ブラック・パンサーの死体の山を見て、本当の事だったのだと改めて知った彼は、また息を呑んだ。だが、もうどの一体も動く気配はない。
「……みんな……お前がやったのか……?」
ソニアは少しも誇らしそうな様子なしに、ただ頷いた。
叫びや魔法の発生音、衝撃波の炸裂音を聞きつけた先輩兵士2人が間もなく戻って来た。そして、戦闘後の惨状を見ると呻き声を漏らした。
「何てことだ……離れたりするんじゃなかった……! しかし、よく凌いだな!」
若手兵士はソニアの勇敢な立ち振る舞いを語り、自分が気を失った後のことはソニアに説明を任せた。ソニアは殆どそのままに語ったのだが、ヌンタのことについてだけは、どこかへ消えてしまったと話した。キング・パンサーは、他の化物と戦い始めて森の奥へ行ったことにした。
先輩兵士2人はブラック・パンサー9匹が確かにもう死んでいることを認めると、ソニアが叫びを聞いたという森の奥の方へ、その後を調べに行くことにした。ソニアも若手兵士もそれについて行った。本当にそんな大物がいたのなら、このまま放っておく訳にもいかないし、何より自分達の目でそれを確かめたかったのである。
戦いながら去った為に激しい跡が残されており、4人は難無く追跡することが出来た。そして、それほど奥へ進まぬうちにそれを発見した。
大型獣の中でも上級のキング・パンサーと、正体不明の大きな獣が傷付いて横たわっている。呼吸する胸の動きもなく、どうやら死んでいるようだ。
あまりの恐ろしさに、普段強がりを言い合っている大の大人の兵士達でさえ、すぐに近づくことが出来ず木の陰から様子を窺っていた。ソニアはただジッと、正体不明の獣の姿に見入っていた。
あまりに大きく、耳も長く、小さい時には無かった鬣が背に走っているので、幾ら毛並みの色が似ていようとも、ソニア以外の誰も、これがヌンタだとは思わなかった。ソニアでさえ、霞んで朦朧とした中での出来事に自信が無かったのだが、こうして色形を見ていると、起きた事がどうやら本当らしいと悟ったのだった。
この事件の為に、やはりもう暫く付近一帯の魔物狩りを徹底して、少しでも森を安全にしようということになり、南下班は更に2日間をかけてゆっくりと森の中を行軍し、目的地のリドールという街に着いてそこで一泊してから、デルフィーへの帰途についた。もちろん帰りの道中も魔物退治をしながら。
4班合わせて多数の戦闘があったが、誰がどう武勲を強調しようとも、ソニアの戦いに勝るスリルは無かった。デルフィーに戻った彼女は、仲間を守って勇敢に戦った功績を称えられて早くも等級の星が1つ増やされ、最下兵から2等兵に位上げされた。当然ソニアはそれを喜び、リラも昇格式の夜にはご馳走でお祝いをしたのだが、ソニアは何とも喜びきれず、心の内にはヌンタの謎と、ヌンタを失ったことによる虚しさとがにあった。
アーサーは彼女の戦いを見られなかったことを悔やんでおり、彼もそれなりに成果は上げたらしいのだが、つまらなそうにしていた。ソニアはたまたま戦う状況に置かれただけだと言い、場合によっては危なかったのだと説明していたが、いくら偶然でも、実力主義のこの国でものを言うのは手柄なので、先を越されたアーサーは不満そうにしていた。
ヌンタが消えたことに注意を払う者、気づく者は殆どいなくて、森でビックリして逃げてしまい、野生化しているのだろうぐらいにしか思われていなかった。ソニアは何だかそれも哀しかった。もう6年も一緒にいたペットだったのだ。どんな生き物であれ、6年も一緒にいた者と別れれば、穴の空いた感じがするものである。
リラにも森であった出来事は説明できなかった。リラはただ「きっと無事で生きてますよ」とソニアを慰めた。
そして、ヌンタがいなくなってあまり日の経たぬうちにゲオルグが現れ、懸念していたソニアの気持ちは沈んだ。日勤を終えて家に帰る途中で、そのタイミングを計っていたかのように彼が街角で待っていた。
もう日は沈んでいて夜闇が迫る中を、2人は人目につかぬ木立の中へと入って行った。
「……ヌンタはどうしたんだい?」
何時も通りの挨拶の後、すぐにゲオルグは尋ねてきた。ソニアは先日森の中であったことを説明し、彼から貰ったヌンタを失ったことを詫びた。
そして、彼女としても怪しく感じるところがあり、彼に訊いてみた。
「……砂漠の国であの子を見つけたって言ってたわよね? ゲオルグ。その国にはああいう……大きくなれるヌンタが一杯いるの?」
彼は表情の変化も少なく黙って考え、そしてゆっくり首を振った。
「……いや、あいつがそんな特技を持っていたなんて知らなかったよ。ただの小っこい可愛い奴だとしか思ってなかった。驚いたよ。君に何事も無くて良かった」
彼の腕が自然に伸びてソニアの肩を抱き、そっと撫でた。仲良くはしていても、これまであまり触れ合うことはなく、時々ソニアが森の案内で手を引くくらいだったので、珍しいことだった。だが、嫌な気はしなかった。あまりに自然で、却ってそうしたことに彼自身の方が驚いているようで、ソニアに何事も無くて良かったというのは本当なのだとよく伝わった。
そしてそれとは別に、やはり彼が異種族だからか、不思議な力の波がソニアには感じられて、自らの体の一部がそれに緊張しているのを知った。
2人して夕闇の街を見下ろしながら、石段に腰掛けてそうして肩を寄せている間、ソニアはただ彼を感じ、観察し、ずっと抱かれるままにしていたので、ゲオルグはその手が離せず、とても気に入った様子だった。
異種族慣れしているソニアが久々に、いや本当のところ初めて、彼は一体何者なのだろうと考え始めた瞬間だった。今はまだ言葉に出来るほど明瞭な疑問ではなく、例え口にしたところでどう訊けばいいのかも解らなかったので、ただいつも通りに時を過ごした。
やがて彼はこう言った。
「ヌンタがいなくなって寂しかろう? 今度、新しく別なのを見つけてくるよ」
ソニアは彼の顔を見上げて首を振った。
「……いいよ。私はもう兵士だから、これからも一杯戦いがあるもの。連れて歩くのは可哀想だし、リラばあに面倒見てもらうのも悪いし、だから気持ちだけでいいわ。嬉しいけど」
彼はまた考え込み、ややあって「そうか」とだけ言った。ソニアはヌンタと彼の為に歌い、またいつものように別れたのだった。
その後、ゲオルグにしては珍しくたった2週間後にまたソニアの前に現れ、彼はプレゼントだと言って、今度は変わったブレスレットをくれた。木とも陶器ともつかぬ素材不明の、だが金属よりは軽く光沢のない、木の皮に似たシンプルな物で、少しゴツゴツとしていた。彼は異国の地で手に入れた戦士のお守りだと説明し、邪魔でなければ始終身に着けていると良いと教えると、またすぐに去って行ってしまったのだった。