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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第16章
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第3部16章『孤島の宮殿』6

 体調が回復していないのに歩き回ったことが悪かったようで、その後、ソニアはまた眩暈と悪寒が強くなった。多少の不調は動くことで逆に解消されないかと思っていたが、そんな効果は全くなかったのだ。

 もう夕方であったし、ガルデロンもとても心配して彼女を部屋に案内することにした。ソニアの部屋は先ほど準備が整ったと知らせが来ていたのである。

 彼女の体調不良についても再度ゲオルグに知らされ、彼女が7階南側の部屋に到着した時には、彼の方が先にいて待っていた。どのような部屋になったかを確かめていた様子だ。

「具合が良くないのに、無理をしたそうじゃないか」

彼女を見つけるなり、彼は小走りに寄って肩を抱いた。そして顔を覗き込み、額に手を当てて、顔色や体温を調べてみる。

「……今日はもうお休み。無茶をしちゃいけないよ」

彼に導かれて扉の大きな部屋に入って行くと、そこはこの宮殿内にしては珍しく色調の明るい世界だった。家具は白地に金装飾で、カーテンも天蓋もカーペットも白や淡いブルーや桃色ばかりで統一されている。ベッドのカバーやクッションには、ふんだんにレースがあしらわれていた。

 そして何より目立つのは、そこら中に飾られて輝く幾種類もの生花達だった。薔薇、芍薬、百合、葵、蘭、ダリア、向日葵、カラー、マーガレット、水仙、チューリップ、カーネーション。その他、名も知らぬ山ほどの花達。まるでトライア王立歌劇団ジュノーンの花形役者の楽屋である。宮殿内の植物園に咲く見頃の花を掻き集め、さらに世界各地から調達してこなければ、ここまで贅沢な花の園にすることはできないだろう。

 気分の優れなかったソニアも、さすがにこれには驚いて歓声を上げた。花の園で、ソニアの色彩は実にしっくりいく。この光景はいかにもエルフらしくて、花の女王様のようだった。一方、その様を満足げに眺めているゲオルグだけは、異邦人のように暗色を際立たせていた。

「すごい……こんなに沢山……」

ゲオルグは彼女をベッドに座らせ、頭を撫でてやった。

「花を見て、少しでも元気になってくれるといい。……お前の好きなものは何でも揃えるよ」

この花も、その言葉も、偽りのない彼の真心と知っていたが、その分、ソニアの胸には同じ大きさの重苦しさが圧し掛かってきた。これらは、自分をこの場に留める為のあらゆる手段のうち、美しく見える限られたものでしかない。同じ情熱とエネルギーで、見えない措置も取られているはずなのだ。それを思うと、おそろしさが募った。

「……ねぇ、一体、私の体に何をしているの? こんなに不調が続くのは、あの薬のせいだけではないんでしょう? こうやって、いつまでも私を病人みたいにさせて、閉じ込めておくつもりなの?」

「…………」

彼は悲痛そうに顔を歪ませて、彼女を撫でる手を止め、隣に静かに座り、そっと抱き締めた。

「……お前がそう思うのも……無理もないのだろうな。……本当に強過ぎたようだ、あの薬は。悪かったよ」

拒みも抱き返しもせず、ソニアはただ、彼の心を読み取ろうと集中した。どんな強敵と戦うより、この腕から逃れることの方がずっと困難で、双方に傷と痛みをもたらすに違いないから、どこまでも慎重になってしまう。

「お願いだから……私の知らない所で変な事をしないで。お兄様を嫌いになるようなことは何もしないで」

「…………」

彼は、ソニアよりずっと苦しそうに瞳を震わせて、抱く腕の力を強めた。

「お前に嫌われたりなんかしたら……お前を死なせてしまうのと同じくらい、オレは辛いよ。とても生きてはいられない。そんな事はしないから、どうか心配しないでおくれ。……いろんな事があって、お前は不安定になっているんだ。あの薬の副作用なんだろう。早くお休み」

そう言って、ゲオルグは傍らに用意された水と薬湯を勧めておいた。今度は彼女の心情を考慮して、強く勧めることはしない。

 ソニアは何にも手を付けず、そっぽを向いた。いつかカリストが使っていたような香気がこの部屋の中に紛れていたりすれば元も子もないが、それでもこれ以上、衝突を避けて何かを口にするのは躊躇われる。兄を信じたいが、彼女にとっては、なるべく良いコンディションでここを脱出することの方が重要なのだ。

「……本当にごめんよ。オレも、お前が元気な姿でいる方がいい。早く良くなるよう願っているよ」

そして彼女の頬にキスをし、今一度2人で間近に見つめ合った。宵闇色の瞳と翠玉色の瞳。どちらの世界にも紫の星が瞬いている。

「……愛してるよ、ソニア」

「…………」

彼女はまた眩暈を感じた。そして一瞬、あのすすり泣きを思い出す。どうしてかは解らないが、心の奥底にある部屋から響いてくるかのようだった。

「……この宮殿は落ちつかないわ。幽霊みたいなのがフラフラしてるし」

「幽霊……?」

彼はその言葉にとても興味を示した。度々ディスパイクから報告を受けていたエルフの目撃証言だと思ったからだ。詳しく知っておきたい。

「白っぽくて髪が長くて……でも、そんな人はいないってガルデロンは言うし……。さっきも、私が寝ているベッドの周りを、ずっと泣いて徘徊してたわ」

彼は何のことやらと眉を顰めて首を傾げた。ソニアがこの場所で虜になっていることを、秘術で遠視しているエルフが嘆いてでもいるのだろうか?

「多分、女の子よ。……本当にいないのなら、幽霊ってのがこれかしら」

「……それも副作用なのかもしれない。不安定なせいで幻を見ているのかも……。またそんな症状が出たら教えてくれ」

ソニアがすぐに横になろうとはしないので、彼は何かあったらすぐに呼ぶようにとだけ伝えて部屋を後にした。

 1人になったソニアは、もう一度花で満たされた部屋を見回し、吐息した。

「……こうなったら、もう何も口にしないで、早く入れ替わる場所を探すしかないわね」

ポピアンの囁き声が耳に届いた。彼女の声が聞こえると、命綱の感触を確かめるようでホッとする。

「もし、そんな場所が見つからなくて体調がますますおかしくなるようなら、状況が悪くなるばかりだから、ソニアの判断でいつでも何処かの窓から飛び出していいわよ。追っ手の危険はあるけど、流星術で逃げましょう。もしそう決断したら、その時は合図して」

確かに、もう一眠りした方が良さそうだが、その後も回復が見られないようなら、そうするべきかもしれない。溜め息ばかりが漏れた。

「……ねぇ、さっき言ってた幽霊って、ホントなの? ソニアが寝てる時に、泣いてる誰かが側にいたって。私、ずっと見てたけど何も気づかなかったから。夢でも見てたんじゃなくて?」

ソニアは両手で顔を覆った。そして顔を擦る。疲労が骨から染み出して、それが肌の隅々にまで広がっているように感じる。

「……ホントなんだ。あいつの言う通り、副作用なのかな……」

よく解らないが、まずは少しでも自分を回復させる為に横になろうとソニアは思い、ベッドに乗り上がり寝そべった。

長年鍛えて培われてきた筋肉の細胞が、1つ1つ毒気によって破壊されていくように感じる。このままでは、戦士として復帰するのに障害となってしまうかもしれない。トライアを守る為には、そんなことは絶対に避けたかった。

 花の香りが鼻腔を満たし、感覚機能の一部を恍惚とさせていながらも、別の一部では力の崩壊という絶望がひしひしと迫ってくるかのように感じ、心も感覚も肉体も2分されていた。この地獄から早く抜け出さなければ。現世に戻らなければ。

 そう思ううちに、またソニアは霧の世界にさ迷い出て行った。


 薄暗い通路を進むゲオルグは、ふと足を止めて今来し方を振り返った。ソニアと、彼女が先程残した言葉を思う。

『泣いていた』

『女の子』

 彼は胸の内に抱く後ろ暗いものを思い出して、一瞬ゾッとした。

 まさか、違うだろう。そうだ。きっと、彼女を探しているエルフか幻だ。

 だが彼は、暫し視線を石造りの床と、そこに踊る陰に落とした。

 警備を慎重にしなければ。それに越したことはない。

 彼は再び歩み始め、宮殿中心部へと向かって行った。


 ソニアはまた奇妙な世界に嵌り込んだ。おそれのせいか、兄との衝突を再現しようとしているらしい。

 彼女は泣きながら、近づくな、寄るなとゲオルグに叫んでいる。彼は何も答えず、ジッとこちらを見つめるばかりだ。

『来ないで!来ないで!』

その望みは虚しく霧の中で反響するだけで、やがて薄れ消えてしまう。彼女は、これまでの人生で一度もしたことのないくらい激しく取り乱して泣き叫んでいた。

『怖がらないで』

彼は、それ以上彼女を狂乱させない為に離れた所から優しく話しかけていた。彼女は身も世もなく泣き続けるばかりで、部屋の隅にしゃがみ込んで壁にピッタリと背をつけていた。

『母さん! 母さん!』

どうやったら、ここから帰れるのだろう。元の世界に帰りたい。戻りたい。

 あぁ、本当に自分はトライアに帰れるのだろうか? いや、帰らなければ。

 霧の中で、ソニアは叫びと泣き声に包まれ、身を刺され続けた。とても不快で、一時も休まることがない。夢の中でさえ彼女は疲労を感じた。

 ようやく目覚めた時も、霧が部屋中を包んで霞めさせ、花を隠してしまっていた。あの啜り泣きが聞こえる。すぐそこで横たわっているのがわかる。

『やめて!』


 叫び声で、ソニアは本当に覚醒して飛び起きた。自分の呼吸が夢のままに切れており、冷や汗までびっしょりとかいてるのが感じられる。ソニアは己が肩を抱いて身を震わせた。

 すぐに耳元でポピアンが囁いた。

「ちょっと……大丈夫? うなされていたわよ、ソニア。悪い夢でも見てたの?」

これは副作用なのだろうか? 全く不快な、見るだけ疲れる夢と眠りだ。あらゆる意味で、ここにいたくない。早く離れなければという思いが募ってくる。

 ソニアはベッドから出て、覚束ない足取りで立ち上がった。花の美しさが、凶器の放つ輝きにも思えてくる。微かに届く風の悲鳴と雷鳴の轟き。外ではまだ嵐が続いているのが判る。嵐だろうが何だろうが、外に出たいと思った。

 部屋を出ると、すぐにガルデロンがやって来た。扉の開閉音に気づいたのではなくて、目覚めを感知して動き出したとしか思えない早さだ。これ以上束縛しないでと叫びそうになる。監視も気遣いも、もう沢山だ。

「どうかなさいましたか? ソニア様。何処へ行かれるのです?」

「……1人にして。放っておいて頂戴」

ソニアに突き放されたガルデロンは戸惑ってソワソワとし、この事を知らせに何処かへと消えて行った。ソニアは廊下をさ迷い歩き、何処でもいいから外に出られる扉や窓、テラスを探した。風を浴びたい。外の空気を吸いたい。

「ソニア……本当にどうしたの? もう限界? それならいつでもいいわよ」

番人達の幾人かを通り過ぎ、ようやく見つけたテラスの戸を開ける。すると、強風で戸は勢い良く内側に開いて壁にぶち当たった。雨風と雷光が弾ける。

 ソニアは目を細めて全身で雨に打たれ、両腕を伸ばしてもっと水を浴び、洗い流そうとした。体中の毒気を抜き、苦境からの脱出を遂げる為のまじないと信じているかのような、奇妙な衝動だった。

「行くわね? いいのね?」

ポピアンがそう呼びかけ、覚悟を決め、魔法を発動させようと集中し始めた時だった。誰かの腕がソニアを後ろから抱き締めて捕らえた。このまま飛び降りたり、本当に飛んで行ってしまうのではないかという必死の形相で彼女を捕まえているのは、慌ててやって来たゲオルグだった。

 2人して一緒に雨と風に打たれ、見る間に全身ずぶ濡れになっていく。

「どうしたんだい?! 中にお入り! こんな所にいたら風邪をひくよ!」

彼女の返答も待たずに彼は宙を滑り、彼女を連れて宮殿内に戻った。そして、手の一振りでテラスの戸を強制的に閉じた。

 そこには心配そうなガルデロンと、もう2人ばかりの暗鬼が大きなタオルを手に待ち構えていて2人を包み、素早く水気を拭き取った。ゲオルグは彼女を抱いたままでタオルを受け取り、彼女を拭いてやりながら問いかけた。

「……落ちつかないのかい? まだ変な幻を見るのかい?」

ソニアは誰のことも見ずに、ただボンヤリと虚空に目を向けていた。自分が混乱しているのは事実だった。それに、こうして彼に捕らえられていることの嫌悪感が、心の奥深い所にある謎の小部屋で抑えようもなく高まって叫びを上げているのを感じていた。どうしてなのかは解らない。その小部屋以外の大部分は、兄である彼へ愛の為に開かれ、済まなさと温かさと、苦しさに満ちている。

 茫然自失で無表情なソニアに比して、逆に彼の方が泣き出しそうに顔を歪めていた。自分をここから出さない事が目下一番の目的であるとは言え、彼は旨く折り合いをつけて、これまでの関係を崩したくないと望んでいることがソニアにもよく解っている。だから尚のこと複雑だった。

 自分の中に2人の人間がいて、1人はとても小さいが、彼を心底おそれ嫌って離れたがっているし、大部分を占めるもう1人は彼の心情を理解し、愛しているのだ。このままでは自分がおかしくなりそうな気がして、ソニアは震えた。

「……着替えなきゃな。……温まったらどうだい? 地下に浴場がある。ゆっくりと浸かって心を落ちつけるといい」

それはとても魅力的な提案に思え、ソニアはボンヤリとしたまま、ただ頷いた。


 心配するゲオルグにそのまま案内されて、ソニアは宮殿西側の地下1層にある浴場入り口に連れて来られた。ここでも、入り口両脇に悪魔のような番人がいる。

「この島は火山島だから、温泉が出るんだ。この浴場は源泉をそのまま引いているんだよ。お前の体調に効くかもしれないから、ゆっくりしておいで。入ってすぐの所が脱衣場だから、その濡れた服をそこで脱ぐんだよ。乾いた新しいのを持って来させるからね」

彼もガルデロンもそこから先にはついて来ようとせず、彼女に気遣って1人で行かせた。

「……雨に打たれたい気分だっただけなの。心配しないで」

「ご用の際は、中にある呼び鈴で私めをお呼び下さい」

「……えぇ、そうするわ」

そう言って、ソニアは1人扉の向こうに入って行った。ゲオルグもガルデロンも暫く心配そうに扉を見つめていた。

「……ディスパイクがついている。他の者は誰1人として中に入れさせるなよ」

彼女の肌を見せまいとしての命に、ガルデロンは平伏して承知した。

 ゲオルグは額に手を当て、深く吐息した。誰かの機嫌や体調の変化を気遣って、これほどに苛まされることは未だかつてなかった。薄い刃の上を渡っているような緊張の連続で、彼自身もかなり参っている。早く、この嵐のピークが過ぎ去ってくれることを切に願うばかりである。四六時中側にいて見守りたいが、今はそうすることができない。

「……また何かあったら、すぐに知らせてくれ」

そう言いつけると、ゲオルグはまた、とぼとぼと宮殿の薄暗い道を1人歩んで行った。

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