第3部16章『孤島の宮殿』4
ガルデロンはまず、邸内の噴水広場に彼女を連れて行き、そこで今後の散策プランを検討した。大まかな目玉施設を列挙し、何処から見たいか彼女に選ばせるのだ。家具調度品や宝物にあまり関心のないソニアは、屋内植物園と屋内動物園に興味を示した。
「では、こちらから参りましょう。当宮殿内の植物園、動物園は共に南側にございます。大まかに区分けされてはおりますが、途中からは混ざり合っておりまして、そのエリア一帯は熱帯林が再現されているのですよ」
道すがら、ガルデロンは施設の成り立ちや機能、これまでの変遷を淀みなく語り続けた。まるで本を手に、何ページも朗読しているようなものだ。正に生き字引である。
「植物園も動物園も、宮殿の設立当初からあったものではございません。ゲオルグ様がここへいらしてから、ご自身でお作りになったのですよ。はじめは水路のある、ただの広場に過ぎませんでした。ゲオルグ様は旅をされるのがお好きですから、この地上中を旅されては変わった動植物や気に入ったものを持ち帰られて、育成なさったのです。それが大きくなり、繁殖したり成長したりで、現在の森のようになったのです。
場所によっては天井を取り払い、暖炉にいつも火を焚いて熱帯の気候を維持するなど、様々な改良をしております。冷温を維持して北方の気候区を再現している所もございますよ。今後も増え、ますます大きくなっていくことでしょう。専属の管理担当者だけで10名おりまして、日々手入れを行っております。屋内ですから悪天候に左右されることもございませんし、より成長が促進されるよう処置も行っておりますので、とても見事に生え育つのですよ」
通路と広間の通過を繰り返しながら南側エリアに近づいていくと、光の射す所が多くなってきた。外が嵐だから強光ではないが、油灯よりは明るい照明になる。
日当たりの良さから、このエリアが動植物園として発足したのだとガルデロンは言う。人間世界では南側というのは特等であるから、占有されると困る者がいるものだが、ここで働く魔物達は地下由来の種類が多いとかで、太陽はあまり得意ではないらしい。だからこの建物内が薄暗くても平気なのだろうとソニアは思った。自分だったら、年がら年中こんな暗い屋内にいるのはご免被る。
ゲオルグは、この宮殿のことは好きなのだろうか? それとも、同じように居心地の悪さがあって旅ばかりしているのだろうか?
まず先に植物園に到着し、ソニアは全天硝子張りの見事なドームに驚かされた。丈高い草も木も、問題なく背を伸ばせられる余裕があり、熱帯特有の大きな葉が日陰を作っていた。見たこともない鎌状の実をつけているものもある。花とは思えないような珍妙な形をした花もあり、その中を珍かな鳥や蝶が飛び交い、まるで外の嵐が嘘のようだ。
ソニアが手を伸ばして草花を見ていると、羽根の大きな蝶がゆったりと飛んで来て、その手に留まった。彼女は思わず笑顔になった。
「おや、おや、ご挨拶に来たのでしょうか」
ガルデロンもにこやかに笑みを浮かべた。魔物がこんなに気の利いたことを言うのも驚きで、ソニアはまたトゥーロンを思い出した。
流線型の枠取りと赤、青、黄、黒の色彩を持つステンドグラスのような羽根は、ひとしきり彼女の手の上で休息した後、再び舞い上がり、ソテツの向こうに消えてしまった。
大きな釣鐘草が幾つも垂れ下がる区域や、虫を捕えて食べてしまう植物の区域もあった。箱庭や庭園、温室は確かに人間世界にもあるのだが、これほどの規模のもの見るのは初めてで、ソニアは感心し通しだった。
彼女が物珍しそうに棘だらけの丸い実を見つめていると、熱帯ゾーンの管理担当者がやって来て、丁寧に挨拶と説明をした。この担当者も暗鬼族系だ。彼はその棘だらけの実を防護用の手袋をした手で取り、中を割って彼女に見せた。勧められるままに、ソニアは放射状に並んだ房の1つを摘まんで取り、口に入れた。酸味が弱く、香味の強い爽やかな味がした。担当者はその他の植物についても色々と教えてくれた。
扉を越えて別区域に入ると、そこは亜熱帯~温帯域の森だった。見たことのある花や草が生えており、栗鼠が樹の幹を駆け上って行くのが見えた。
ここでは、また別の管理担当暗鬼がやって来て案内をした。元々あった水路が今では川として利用され、根が入り込んで水草が揺れている。薄く張られた水溜りには蓮まで咲いていた。ガルデロンが言っていた通り、どれもよく育って茎太く、丈高だ。
温帯域中央にはテラスが設けられており、小さな丸卓と2脚の椅子があった。上から枯葉や花弁が降ってくるのが楽しめる粋な場所である。ここでソニアは小休止を勧められ、茶をゆったりと口にした。何のしがらみも、出て行く理由もなければ、この場所で何度も時を過ごしたいものだと思った。
「……ねぇ、ガルデロン。私、まだエングレゴール家のことやお父様のこと、何も知らないの。教えてくれる?」
「かしこまりました。では……如何でしょう。古い、古い、昔の事からお話し申し上げて、近年の事については、後ほどゲオルグ様から伺った方が良いかもしれません。私が知り得ておりますのは、家系図にある名前と、その関係程度でございますから。何せ、本拠地であるエングレゴール邸はヴァイゲンツォルトにありますから、ずっとこの地上にいる私めには解らぬことが多いのです」
「ヴァイゲンツォルトって……?」
「ホホホ、では、まずはそこから始めましょう」
温帯の照葉樹林に築かれたガーデンでの、長いティータイムが始まった。ガルデロンは座ることなく、手を前に組み合わせたまま朗々と歴史を諳んじる。
「――――ヴァイゲンツォルトとは、地下世界に存在する、ヌスフェラートの王国でございます。国はたった1つですが、人間世界のものとは規模が違うのですよ。人間は細々と、広い世界に小さな国を散りばめておりますが、皇帝はそれらを全てまとめて1つにしているのです。
数ある領主の中でも名士に当たるのが、このエングレゴール家でございます。初代当主ゲルハルトⅠ世様は現在の重力魔法大系を築き上げられまして、その功績を称え奉られ、時の皇帝サリダーより広大な土地を拝領されました。ゲルハルトⅠ世様の発見により、空中浮遊の原理や無重力化の方法が見出されまして、現在あらゆる所に応用されているのですよ。
その後も、ご子孫は優秀な血を受け継がれまして、ヌスフェラート界における魔法学や魔法薬学、魔法生物学などの発展に貢献して参られたのです。
2代目当主グリュンハルト様は地下月の研究をされ、ご兄弟ゲルブラント様は通信術を開発され、3代目当主タチアナ様は変換・転送術を進歩せしめ、4代目グリュンハルトⅡ世様はヌスフェラートの吸血行為に関する研究をされました。弟君のゲドワルド様も暗黒気利用の研究をなされました。
勿論、只今申し上げた功績は全て直系筋のみにおいてのものです。分家など、全ての一族親戚筋も含めれば、発明家や研究者の数は大変なものになります。学会には、例年必ず一族の方々が出席され、3割方をエングレゴールが占めているのですよ。
5代目ゲドムンド様からは魔法学会の総長を務められるようになり、以後、エングレゴール家当主がその任に就く伝統が続いております。ゲドムンド様は暗黒生命体の生態について数々の新発見をなさいました。
6代目ヒルデガルド様は自然界の魔力を抽出して精製する技術を開発されました。7代目ベルデムンド様は魔生植物の品種改良に勤められました。8代目ベルトブラント様は竜研究において幾つもの新発見をもたらしました。9代目ゲルブラント様は増幅魔方陣の強化と新呪文の開発をなさいました。10代目アナスタシア様は防衛魔法の更なる改良によりシールドの効果を高めることに成功し、11代目ドーベルハルト様はこれまでのエングレゴール一族の功績を纏め上げた本を作成し、魔法学の百科事典製作にも着手されました。12代目ドーベルムンド様もそれを引き継がれまして、2代でようやく完成をみております。これで更に、エングレゴール家は魔法界での揺るぎ無い地位を確立いたしました。
そして、13代目ゲオムンド様に至るのでございます。お父上ゲオムンド様はドーベルムンド様亡き後、当主となられましてから、既に500年以上の長きに渡りエングレゴール家を統べておられます。
数々の功績がございますが、その中でも一番は、只今こうして皇帝軍の1大隊統率を任じられている事でしょう。カーン皇帝からそのような大役を仰せつかっている一族は他にはございません。バラ=タン家の者も要職にはおりますが、一部の限られた者だけですし、エングレゴール家からはリヴェイラ様もゲオルグ様も参加してございますから、この体制に適う所などございませんでしょう。リヴェイラ様は残念ながら現在行方不明でおられますが、すぐに後任も立てられる層がございます。
本来でしたら、ゲオルグ様がやがて当主となるべき嫡子様であらせられるのですが……ご事情が複雑な為、まだどうなるかは解らないところでございます。今回の大隊においても、あくまで陰ながらのご尽力で、表舞台に姿を出すことは全くございませんからね。
ソニア様は同じくゲオムンド様のご息女、そしてゲオルグ様の双子の妹君にてございます。ですから、当然ながらソニア様も、エングレゴール直系のご令嬢として名を列されるべき貴姫であらせられるのですよ」
何だか途方もないような話だった。人間と寿命が異なる種族での13代というのは、おそらくとんでもなく永い時代の流れがその中にあるはずだ。
それに、先祖達が行ってきたことを聞いてもピンとこない。自分の血にそんなことをする性質が入っている実感がまるで湧かないから、ソニアはここでもまた、やはり父親は違う人物なのではないかと思えて仕方がなかった。でも、ゲオルグと双子とあっては、それも有り得ぬことだが。この姿同様、自分の場合は母親のエルフの血ばかりが内にも外にも濃く表れているだけなのだろうか?
長い説明を受けながらのティータイムを終えたソニアは、散策の続きを始めた。
温帯の先には寒帯の植物が並ぶ北国が待っていた。高山植物もこの区画にいる。密閉された空間で低音を保っているのは、管理者が定間隔で施す氷炎魔法によるものだ。魔法には事欠かない一族の宮殿とあって、そんな贅沢なことができるのかとソニアは甚だ感心した。人間世界では室温調整に魔法を使うことなど、まず有り得ない。
植物園が終わり、もう一度引き返して熱帯域にまで戻ってから、今度は動物園に入った。部屋の中で更に仕切りがされ、小部屋ができており、硝子の向こうや柵の向こうに鼠や猿が動き回っている。さすがに豹や牛ほど大きなものは飼育されていないが、行動半径を狭めても、動き回れさえすれば育成に差し支えのない種が幾つも揃えてあった。
蝙蝠のいる暗い部屋もあれば、吹き抜けの下に水が張られ、ワニが泳いでいたりもした。虫ばかりが集められている区画もあり、毛むくじゃらの蜘蛛が這い回っていたり、蛾や甲虫が木の幹に留まったりしている。目立ち易い発色のもの以外は、ソニアには殆ど見つけられなかった。大半は草や木に隠れてしまっている。
その先には大小幾つもの池が作られており、沢山の魚が泳いでいた。巨大な硝子の球もあり、その中でゆったりと海月が漂っている。透明な壷に赤い小魚が群れで泳いでいたり、デルフィーの海に潜った時に見られるような海藻や珊瑚が生え、縞模様の派手な魚も泳いでいたりした。
もう他の施設など見ずとも十分に、この宮殿の能力の高さを実感し、ソニアは感服した。あとで誰かに語る時に、巧く説明できるのか解らないくらいだ。
度々、外が嵐の中にあることを忘れては思い出し、ようやく全て通り終えて通路に出た時には、窓の外で稲光までが閃いていた。
「この近くにサン・ルームがございます。天候はよろしくありませんが、一度そちらで休憩なさいますか?」
ソニアは、まだ病み上がりの気だるい状態が続いていたので、それは助かった。普段はちょっと歩き回った程度でこんなにすぐ疲れてしまうことはないのだが、自分の体が荷物に感じるほど重い。ソニアはガルデロンに頼んで、サン・ルームに案内してもらった。
「南側には5つサン・ルームがございまして、1つにはゆったりお休み頂けますよう準備を整えさせてございます。さぁ、こちらへ」
手近な螺旋階段を昇り、自然光の通路を歩くうちに、ソニアはとあるT字路で人の気配を感じた。行く手に魔物はよく現れるから、別段不思議なことではないのだが、自分達が進む道と交わる右手に伸びる通路の先が何となく気になり、ふと目をやると、薄暗いその先に白いものがスッと過った。
ソニアはそこで足を止めた。今まで宮殿内で見てきた魔物達とは違い、全身が白っぽくて、長い髪まで揺らめいているように見えたのだ。一瞬のことだったので、もうそこにはただの薄闇があるだけだ。
「どうされました?」
「…………ここには、他にも人間か誰かいるの?」
「人間? ですか?」
「私みたいに長い髪があって、白っぽい人」
「さぁ……そのような者はいないと思いますが……。私以外に白いローブを身につけている者もおりませんし、ましてや頭髪はございませんねぇ。何かのお見間違いでは?」
「そうね……。いいの、別に」
ソニアはまた歩き出した。
ソニアの知らぬ所で、この事はディスパイクからゲオルグに伝えられ、強く警戒を勧められた。もうエルフの助けが来て彼女の目に止まり、そうと知らぬ彼女が皮肉にも、味方の存在をこちらに教える結果となったのかもしれないからだ。
しかし、彼女がその計画を知らなかったとしても、可能性があれば気づかぬほど愚かではないはずだから、態々こちらに教えるようなマネをするだろうか、とも彼は思った。何か引っ掛かる所があったが、今すぐ判明することでもないので、彼は自分のすべきことの方に集中し、この事は片隅に追いやっておいた。