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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第3章
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第1部第3章『デルフィーの日々』その3

 それから、ソニアの日課は少し変化した。午前中はこれまで通り朝の訓練と学校に行き、自宅での昼食後は街一番の魔術師の家に行って、小一時間の個人レッスンを受けた。授業料はカラットの家が出すことになっていたが、興味を持っていた魔術師はそれを受け取らず、無償でソニアを指導した。

 中年の女性黒魔導士は、ソニアと話をするうちに、この子が予想より遥かに多い種類の呪文を扱えることを知って仰天した。そして、今は使えなくとも知識として持っている呪文の数も豊富で、恐れ入るほどだった。

 それでいて、この子が戦士になりたがっていると聞いたものだから、この黒魔導士も理解しかねて、ソニアに是非魔術の道、賢者の道へ進むようにと諭したのだった。

 ソニアはその度に、魔法も勉強するし学校にも行くが、自分が1番なりたいものは戦士であると言い張って、頑として聞かないのだった。

 黒魔導士は呆れつつも、物言いのハッキリしている少女を面白く思い、師として楽しめる優秀な弟子との出会いだけで十分とすることにした。そして、その時が長くは続かないであろうことも早いうちから解っていた。

 魔術訓練の後は、早々に参加許可が下りたデルフィー兵士予備隊――――俗に『少年隊』と呼ばれている――――の訓練をしに、ソニアは港近くにある駐在所へと向かった。

 関係者以外立ち入り禁止なので、初めてそこに入ったソニアは、そこがとても広い場所で、空き地にはトレーニングの道具や武器が沢山置かれているのを目にした。が体のいい大人達が腰にロープを結びつけて、重石を引きずりながら前進していたり、掴み合いの練習をしていたり、木刀を手にして剣技の練習などをしていた。

 予備隊の練習時間が近づくと、街から10代になったばかりの少年達が続々と集まってきて、彼等のスペースであるグラウンドの一角に集合した。

 ソニアもそこに行くのだが、どう見ても噂の少女らしい彼女のことが目につくと、少年達はおろか、トレーニング中だった兵士達までが集まってきて、笑いながら彼女を囲んだ。馬鹿にするというような域を通り越して、信じられないあまりに、何かの冗談だと思ったのだ。

「……お嬢ちゃんが……ソニア?」

「ウン、そうだよ」

大の男達に囲まれても全く屈託なくそう言う彼女に、一同は目を見張った。

「驚いたな……オレんとこのマーヤとほとんど変わらないじゃないか」

「幾らなんでも小さ過ぎやしねえか?」

ソニアの身長は男達の腰に届くか届かないか、というところだった。同い歳の子の中では背は高い方だったが、つまりは年齢が問題なのである。

 集合時間近くなってあの兵士が現れ、姿を見つけると真っ先にソニアの所にやって来た。デルフィー港衛兵のトップではないが、年齢的にもそこそこの地位にいる彼は、今日の訓練の指揮官となるのだ。

「よく来たね、ソニア」

 兵士等は彼女を目の前にして訊かないわけにはいかず、彼に色々と尋ねた。色々ではあったが、結局のところ内容的には大きく2つで、本当にこの子なのかということと、こんなに小さくて大丈夫なのかということだった。

「ま、追々わかるだろうよ」

兵士らしくあっさりと彼はそう言い、早速ソニアを連れて少年達の集合場所に行き、彼女の紹介も含めたミーティングを始めた。

 10歳から13歳ぐらいまでの子がそこに20人近く集まっている。その中には、ソニアのような10歳以下らしい少年も2、3人混じっていた。遊んだことがあるのはせいぜい10歳そこそこの年齢までの少年とだったので、それ以上の子はよく知らない子ばかりだったし、兵士を志望する子は大抵学校には来ていないので、更に知り合いは少なかった。

 北側の子で、今まで見かけることのなかった子が結構いる。ソニアを除けば、この中で最年少らしい黒髪の少年もそうだった。ヒソヒソ話しながらソニアを横目で見ることの多い少年達の中で、その子はただジッとソニアを見ていた。

「――――今日から仲間入りする友達だ。小さな女の子だからって甘く見てボヤボヤしてると、すぐに置いてかれるからな。気を引き締めて、共に競い合いなさい。さぁ、自己紹介を」

ソニアは兵士に促されて一同を見渡し、凛として言った。

「私はソニア。誰にも負けないくらい強くなりたいの」

兵士はニヤリとし、少年達――――特に年長の者は訝しげな顔になった。《誰にも負けないくらいだって? 笑わせてくれるよ》。そう彼等の顔は語っていた。

 兵士は次に、少年達1人1人に自己紹介させた。兵士としての訓練を受けているだけに、彼等の紹介はキビキビとしており、さっと一歩前に出て、名を告げるとまた戻るというのを、向かって右側の者から順にやっていった。年齢順で列の位置が決まっているらしく、最後の左端が最年少らしき例の黒髪の少年だった。

「――――アーサー=ヒドゥン!」

それが彼の名だった。兵士は、その左端の少年の方へ歩いて行きながら話をした。

「今まで人数が半端だったが、これで全員組みになって練習できる。年も背も近いから、ソニアとアーサーがこれから組むように。いいか? アーサー。何か不満はあるかね?」

彼は大して間を開けずに、またキビキビと顎を上げて言った。

「――――ありません!」

兵士は頷くと、ソニアを彼の左隣1番端に並ばせて、同じ姿勢をとらせた。

「――――さぁ、今日は新しいメンバーも入ったところだし、皆の力がどの位か見てみよう。いつもの筋力トレーニングも兼ねて、全ての内容で競い合ってもらうぞ」

ソニアはどのようなことをするのか解らなかったが、いざやり始めれば簡単な話だった。腹筋、背筋、腕立て伏せ、駆けっこ、重量挙げなど、基本的なトレーニング項目を皆で一斉にやり、最後の一人になるまで数をカウントしながら個人勝負をするのだ。彼女がいつも当たり前のように行っていることばかりだった。

 時々こうした内容を訓練に組み入れるのは皆知っていたが、今回これを行った兵士の意図を、年長者達はすぐに悟ったのだった。何故ならば、早速、最初の項目である腹筋から彼らと張り合い残ってきたのは、入りたての少女だったのである。

 項目によっては体重がある者の方が不利なものがあるが、大抵は年長者ほど体がしっかりしてきて耐久力もあり、こうした競争をさせれば年の順に残るものだ。しかし、確かに年少者は次々と脱落してハアハア息を切らせていたのだが、最も端の方にいる2人だけがなかなか潰れず、懸命に食らいついていた。

 ソニアはただいつも通りに黙々とやっているだけであって、驚いている隣の少年アーサーも、それに攣られて負けじとふんばっていた。彼もここに最年少で来ているだけの強さがあるので、もともと力はあったのだが、新入りに触発されたことで更に奮闘していた。

 体力や腕っ節を頼りとする兵士を目指しているだけに、少年達の体力勝負のプライドは高く、特に年長の3人は年下に負けてなるものかと歯を食いしばった。そのうち1人が脱落し、ここまで食らいついて来たアーサーも脱落し、年長ももう1人脱落して、最後はソニアと最年長の2人だけとなった。

 アーサーは息を切らせながら、隣でまだ体を動かしている少女を呆れ返って見、初めてその顔の尋常でない真剣さを知ったのだった。《誰にも負けないくらい》を命懸けの目標として掲げているソニアは、自分がここで1番になるまで死んでも止めるものか、という眼光を宿らせて鬼気迫る勢いで臨んでいた。彼同様、彼女も相当に無理をしているのだ。だって、いくらなんでも相手は13歳の年長者なのだから。

 確かに日頃の訓練の差で、既にソニアの方がアーサーより優れていたかもしれない。だが、この時明らかに圧倒的差を持って違っていたのは、意気込みだったのである。

 2人の勝負が続き、このままでは止みそうになかったので、兵士が終了を告げた。少年はすぐに止めたが、ソニアは続けながら不満の目で言った。

「まだ……! 終わってない……!」

 兵士は彼女の前に立って、有無を言わせぬ眼差しでビシッと指差すとこう言った。

「ソニア、よく覚えておきなさい。兵士になりたければ、上官の命令は絶対だ(・・・・・・・・・)

それで、ソニアも止まった。兵士は「よし」と言い頷いた。

「これまでも言ってきたが、また言おう。良き兵士とは何か? 上官の命令に直ちに従い、それを実行できる者だ。良き上官とは何か? 実行するに値する、優れた指示を与えられる者だ。個々の強さとは別に、兵士として、この能力を諸君は身につけねばならん。いいな!」

皆は、まだ横たわったままで「はい!」と大声で応えた。

 ソニアにとっては不満だったが、これは兵士が彼女の意気込みを知って、体のほうが潰れてしまわないように配慮してやったことだった。強過ぎる気迫が時に凶器となって、まだ体が十分成長しきっていない者の体に害を及ぼすことがあるのを知っているからである。

 ほんの少しの休憩の後、次々と他の競い合いをさせたが、決まって年長者とソニア、アーサーの勝負になり、大抵はソニアと最年長者2人だけが残って、兵士が止めに入った。皆がソニアを見る目つきは、次第に化物を見るかのようなものに変わっていった。しかし、重量挙げだけはどうにも体格差が大き過ぎて年長者に負けてしまい、ソニアは非常に悔しがった。

 何時になく目一杯体を酷使した少年達はもうヘトヘトで、真っ直ぐ立っているのも億劫なほどになっていた。兵士が最後に選んだのは、運動場がある広い空地空間の端から端、崖から囲いの柵の所までの短距離走だった。訓練を終えた大人達が宿舎の方に引き下がって見物客になったので、運動場を広く使えるようになったのだ。

 一列に並んだ子供達は、兵士達の見守る中、合図と共に一斉に駆け出した。

 足の長さが違うはずなのに、ソニアはこれに抜きん出た。両隣の者は、彼女が過ぎた後に風を感じた。まるで風そのものが走っているようだった。そして、こればかりはソニアの堂々の1着となった。兵士達はわぁわぁと歓声を上げて手を叩き、健闘を称えた。

 これによって兵士の意図通り、以後、少年達が彼女を甘く見てからかったり、虐めたり邪魔することは殆ど無かった。悔しい年長者も相手があまりに小さく幼いので、嫌がらせをしようにも弱い者いじめの構図が絵的に強過ぎて、そうすることは出来なかったのだった。

 この時、ソニアは学校に通い始めてまだ1年と経っておらず、ようやく7歳の誕生日を迎えようという時だった。彼女を見て呟いた、ある兵士の言葉が、やがて国中の者が口にする言葉の第1号となった。

「あの子……トライアスの再来なんじゃないのか?」


 それ以降、ソニアは学校と同じく週4日あるその予備隊訓練に参加をするようになり、それ以外の日は今まで通りの自主的な訓練を行った。彼女にとって予備隊での訓練は、個人的に強くなる為というより、兵士になる為(・・・・・・)仕方なく行っているようなもので、強さを磨くのには自主トレーニングの方が勝っており、兵としての規律や、上官の振舞い方や、人を統べるということの意識を予備隊で学んでいるようなものだった。

 仕方なくといっても無駄ではなく、兵士の考え方や得手不得手を知ることが出来たし、組み手や剣術で相手となる者がいる訓練は、1人では出来ない貴重なものだった。

 ソニア以上に、そこにいる皆の方が彼女から学ぶことが多く、兵士の指示で時には彼女に魔法も使わせると、大人達ですら簡単に彼女と1対1の闘いは挑めなくなっていた。彼女の魔法戦士ぶりを見ていると、皆は憧れや羨望しか抱かなくなっていったし、触発剤が強力であることで、皆も引っ張られるように強くなっていった。

 中でも、いつも一緒に組まされているアーサーの進歩には目覚しいものがあった。彼は女の子と組まされることに初日から文句を言わなかったし、彼なりに強くなりたい目標があったので、格好のパートナーを見つけたようなものだった。長距離走でも、人は目に見える位置に前走者がいれば、単独で走っているよりずっと容易く後に続くことが出来るのだ。ソニアがアイアスを思い描いているように、彼の場合は彼の父親を頭に描き、目に見える彼女を手近な目標として食らいついていたのである。

 普段、予備隊の子供同士はあまりお喋りをしないものだが、ある日、訓練の合間の休憩時に2人はこんな会話をした。

「……何で誰にも負けないくらい強くなりたいんだ?」

訓練中はふざけたりしない真面目な少年だが、普段は明るくて元気で、街で見かけるとニッコリ手を振ってくるアーサー少年は、この時は真剣な目で訊いてきた。訓練中はその辺で離れて遊んでいたヌンタが戻って肩に乗ってきたので、それを撫でてやりながらソニアは答えた。

「私が弱いから、お兄ちゃまに旅に連れて行ってもらえなかったの。誰にも負けないくらい強くなったら、迎えに来てくれるって約束したの。だから待ってるんだ。そしたら、またお兄ちゃまと一緒にいられるから」

「旅に行っちゃうの?」

「……お兄ちゃまが旅をしてる人なんだ。絶対に止められないんだって。だから、お兄ちゃまと一緒にいたかったら、旅をするしかないの」

「ふぅーん……」

傾いた日に照らされ、瞳をキラキラとさせているソニアの真剣な横顔を見ながら、アーサーは頭を掻いた。

「そんなに一緒にいたいんだ、その兄貴と」

ソニアははっきりと、強く頷いた。

「うん、世界中で1番好きだから」

「ふぅーん……」

 アーサーのことも話に聞く機会があって、ソニアが知ったのは、彼が大戦で父親を失っているということだった。優秀な戦士だった彼の父は戦闘で死亡し、彼はその後を継ごうと心に決めているらしい。残された母と妹を自分の手で守るべく、幼いながらこうして訓練を受けているのだ。父親譲りの優秀さもあって、かなり小さかったが入隊が認められたのである。

 そして感心なことに、父を亡くして以来、彼は家計を支える為に北側の港で働いているらしい。国から補助は受けていたが、彼なりに母の役に立とうとしていたのだ。全く立派なものだった。だから今まで彼女はあまり彼を見かけたことがなく、子供達の遊びの場や南北戦争でも、彼が前面に出て来ることはなかったのだ。

 それにしては最近学校付近で彼を見かけることが多くなったので、ソニアは不思議に思っていたのだが、やがてその理由を知ることになった。戦士職を志望する者にしては珍しく、次の学期から彼が学校に来るようになったのである。ソニアが学校に行っているということと、その優秀さから、彼は大いに学校に興味を示して何度か見学に行き、遂に母親に通学を願って承諾を得たのである。

 驚いたことには、少年隊の他の何人かも通うようになった。戦士が勉強をしないのは当たり前だという風潮はあったものの、勉強をしたがる者が現れれば、教師は感心して学校に歓迎した。 

 そもそも体力勝負の者は、大抵数の勉強や物の名前を覚えるのが苦手だったりするので、どうせ始めても勉強嫌いになって続かない者が多いのだが、この時入って来た数名は出来こそ優秀とは言えなくても、学ぼうという意志が強く、なかなか頑張っていた。

 中でもアーサーは飲み込みが早く、字を覚えるのを楽しんでさえいた。8歳の彼は遅れてのスタートではあるが、まだ十分に小さいので、これから学んでいけば同じ年の子供達にすぐに追い付けるだろうとザイーフは睨んでいた。

 予備隊の仲間達は、ソニアが自分達より遥かに先の事を学んでいるのを知って、改めて呆れ返っていた。

 誘拐犯に助けられて以来、ソニアを姐御扱いして慕っているカラットは、新入りが彼女の勉強の邪魔をしないか目を光らせていたが、予備隊の子供達は大人しく学習に取り組んでいた。

 アーサーや彼等が学校に行こうとしたのは、やはりソニアが求めている万能戦士のヴィジョンに自分達も惹かれた為であり、魔法は天性のものがないと出来ないから無理だが、勉強なら頑張れば誰でもやれると思ったからである。

 そして、このささやかな変化が、今後数年間に渡って続く戦士志望の子供の流行となり、デルフィーから始まったそれは、やがて全国に広がって行くのだった。なぜならば、この時学校へ通い出したこの子達が、後年見事な活躍をして昇進を遂げるからである。特に、黒髪でよく日に焼けた肌のアーサーが。

 共に訓練と勉学を重ねて行くうちに、予備隊の少年達とソニアの間には友情が芽生えていき、よく笑ったり、相談したり、教え合ったり、悪戯したりして、楽しみながら力をつけていった。

 快活な戦士気質の少年が混じることで、今まで若干大人しかった学校の雰囲気も少し変わり、普段の生活では接触する機会のない名家の娘が、予備隊グループの年長の少年に密かに恋心を抱くようになって、頬を染めていることもあった(実はその少年の方も娘に一目惚れして必死にそれを隠しており、後年この2人の家を巻き込んでの恋愛沙汰はデルフィーの有名な話となる)。

 彼等と知り合ってから、彼等の練習風景を柵越しに見物しに来る子供も増えて、双方興味を引き合っていた。戦士を何となく馬鹿にしていた育ちのいい者も、彼等の汗まみれ泥まみれの努力を見ていると、考えを改めるようになっていった。

 ソニアは学校も訓練もない日の夕方にだけ子供達と遊び、憩いの時を過ごすのは夜、アイアスを想いながら歌う時だけ、という過酷なスケジュールを、そんな風にして毎日こなしていった。


 ある日の訓練帰りの夕暮れ時、ソニアは再び見覚えのある男と出会って喜んだ。

「わあ! ゲオルグ!」

いつも彼女が見つけるが早いか声を上げて喜ぶので、彼は嬉しそうだった。

「やぁ、久しぶりだね」

 2人は相談し合うまでもなく森への道を行き、いつものように人気のない所まで来ると、彼が変化を解いて偽りのない姿で面と向かった。そうすると彼女が目を輝かせるので、それが何より彼は好きだった。

 まずは元気だったか、困ったことがないか訊き合い、その後は互いの近況を話し合った。彼女がヌンタと仲良くやっていることを彼は嬉しがった。

「へぇ……兵士になるんだ」

「うん、誰にも負けないくらい強くなりたいから、この街で兵士になって、都に行って、そこで国軍隊長になるの! そしたらきっとお兄ちゃまも許してくれるわ!」

ゲオルグは「すごいね」と彼女の熱意を誉めたが、その顔は複雑そうだった。

「……ねぇソニア、君が、君の兄さんを待っているのはよく知っているが……もし、オレが一緒に旅に行かないかと言ったら……どうする?」

この申し出に、思いも寄らなかったソニアは目をまん丸にして彼を見た。

「……ちょっとだけ? それともずっと?」

「……ずっとだ」

威圧感のない、柔らかな物言いと落ち着きだったが、ゲオルグの顔は至極真剣だった。

「旅をしながらでも君は強くなれるだろうし、旅をしながら兄さんを探すことだって出来る。君が兄さんとしていたように、オレと君とで世界中を旅するんだ。……どうだい? ソニア」

この提案は、ソニアにとってとても魅力的だった。アイアスを待つのが苦しくて、彼が側にいないのが辛くて、彼女は毎日が禁断症状の中にあるようなものだった。その苦痛を和らげていたのがトレーニングであり、勉学だったのだ。

 もし、自分からアイアスを探しに行くことが出来たなら……

 ソニアはポーッとして木々の間から見える水平線に目をやり、夕映えの色を瞳に写して輝かせた。かなり長い間だったが、彼女がそうして考えているのを、ゲオルグはジッと待ち続けた。夢見心地なソニアに比して、彼の方は不安そうだった。

 ややあって、ソニアは視線を落とし、ポツリと言った。

「……行けない」

ある程度予想していた彼は、ただ目を伏せた。

「ゴメンなさい。……すごく嬉しいんだけど……ゲオルグと一緒に旅に行ったら、きっと楽しいんだろうけど……お兄ちゃまと約束したから……お兄ちゃま、きっと迎えに行くって言ってたから……この国にいないと……」

「そうか……」

彼が残念そうにしているのを申し訳なく思って、ソニアは付け加えて言った。

「もしお兄ちゃまの言う通りにしないで私が他所に行ってて……その間にお兄ちゃまが帰って来たりして、私がいなかったら、二度と連れて行ってくれなくなっちゃうかもしれないから……」

ゲオルグは2、3度小さく頷いた。

「ああ、解ったよ。君が兄さんを好きなのは知っている。ちょっと……訊いてみただけなんだ」

 彼はソニアの肩を軽く叩いて、気にしないように微笑みかけてやり、もうその話はやめにして、懐から小さな物を取り出した。

「砂漠の街で見つけたお守りだよ。君へのプレゼントだ。君の目の色によく合っているからね」

それは水色と紫と、浅瀬のような明るい青の層が入り混じった、丸い指先大の輝石を紐で縛ってある物だった。それを手に乗せられたソニアは、その美しさに見とれた。

「わぁ……! 綺麗……! 本当にいいの? ゲオルグ」

彼は「ああ」と優しく笑った。ソニアは目の前でそれをぶる下げて、色の変化を見つめながら言った。

「どうしよう、私、ヌンタだってゲオルグに貰ったのに、いつも何にも出来ないわ! 何にもお礼が出来ない、どうしよう……!」

「そんなこと、気にしなくていいよ。オレは君と会えるだけでいいんだ」

「でも……」

ソニアは贈り物をされたり、それに礼をしたりすることにはまだ慣れていない小さな子供だったので、何をしたら良いのか判らなかった。ただ、お礼をしなくちゃならない、したいという気持ちは、教わらずとも強くあった。

 そして、ふいに森での生活のことを思い出し、皆が喜んでいたあることを思い出した。《これが出来るのはソニアだけだ》と喜んで誉めてくれたことだ。そして、あのアイアスが喜んでくれたことでもあった。

「――――私、歌うね!」

ゲオルグは「えっ」と訊き返したが、ソニアは突然そのまま歌い始めた。アイアスが気に入ってくれていた1番よく歌う歌を、心を込めて解き放った。

 風が2人を包むように心地良く流れ出し、爽やかに髪を撫で、掻き上げてくすぐっていった。幼いソニアの高い声はとても澄んでいて、まるで鈴か鳥のようだった。葉擦れの音が川のようにさざめき、眩しい川の流れの中に漂っているような感覚が彼を包み、驚かせ、恍惚とさせた。歌というものをあまり知らないこともあったが、それを知る者でも初めてに違いないはずの、素敵で未体験の出来事だった。

 歌が終わった後には風だけが辺りに残り、暫し呆然としていた彼だったが、我に返ると首を揺すって唸るように褒め称えた。

「ヴェリータス! 素晴らしい……! 何て綺麗なんだ……! こんなの初めてだよ」

彼の喜び様に、ソニアも嬉しくなって笑った。そして尋ねた。

「ヴェリータスって何?」

「あぁ……オレ達一族の言葉で『素晴らしい』って意味だよ。あんまり良かったから、つい出てしまった。こんな素敵なお礼は、またと無いだろうね。ありがとう、ソニア。本当に良かったよ」

彼の心からの喜び様を見て、ソニアも安心することが出来た。

 子供であるが故に多くの物は持っていない彼女が出来るこの唯一のお礼は、それからも彼に聴かせるものとなり、その他の者達にも感謝の意を示す時に披露することになるのだった。

 彼女から快い返事が貰えず気落ち気味だった彼も、最後には満足して彼女と別れ、また森の中に消えて行き、ソニアも心からの贈り物の交換という喜びを味わいながら帰途についたのだった。

 彼女は首から下げて肌身離さぬようにしている小さな巾着袋の中に、パンザグロス家のペンダントとダンカンの形見の触角を入れていたのだが、それからはその中に、プレゼントのお守りの石も入れて過ごすようになった。


 それからというもの、彼女は時と共に《心・技・体》全てが成長していき、体が大きくなっていくにつれて、唯一の弱点とも言えた重量挙げの限界域も上昇していった。

 彼女が女の子であることから、将来体格的な問題は生じてくるであろうと見越していたアイアスが色々伝授してくれていたので、それに習ってソニアは、小さな体の者でも大きな力や効果を発揮し得る技や戦法の習得に精進していった。そもそも、アイアス自身が戦士といっても極一般的な体格の人で、恰幅のいい男達には到底敵わないような見た目であったこともあり、彼が自己開発していた技の数々なのである。

 アイアスが得意としていた、己の戦気を集束させ、拳や剣に乗せて振りと共に放つ技は並大抵の者では操作することの出来ない高等技で、成功すればその破壊力は尋常ではないはずだった。まだ彼女には扱えずにいたが、ヴィジョンはしっかりと頭の中にあり、いつかは自分にも使えるに違いないという根拠のない確信もあって、そのお陰で少しもめげることなく、上手く出来ない自分に腹を立てるくらいで、懸命に訓練に取り組んだ。彼女の秘密の訓練場である森は、日に日にその激しさの跡を残すようになっていった。


 芸術を愛するこのトライアという国では、毎年この国名物のお祭りが開催され、デルフィーでも乾期の美月(みづき)になると家々や街を飾り立て、いつも以上に歌や踊りや絵画、手芸、陶芸などの創作が盛んになって、国民や観光客を楽しませていた。

 ソニアはこの国に来てから早くも4度その祭りを経験し、その日は友達と約束し合って、朝から日暮れまで街をうねり歩いて楽しんだ。

 いつも、アイアスが迎えに来てこの街を出ることにばかり心が向いているソニアであり、国都に行って軍隊長になろうというのも、この国に根を下ろそうとしてのことではなくて、あくまでアイアスに認めてもらいたいが為だったが、そうしてトライアの多様な文化に触れて楽しんでいるうちに、いつしか郷土愛も育っていった。

 どれも皆、アイアスに対して抱いたほどの愛には至らなかったが、それでも友との遊びや訓練や勉強は楽しいものだし、デルフィーの青い海も潮風も、時折姿を見せるイルカ(この街の名の由来であり、古き言葉で『イルカ』を意味する)も好きだった。

 共に生活することでリラばあにも近親者らしい馴れ合いの情が湧いていたし、多くの人が自分の名を知っていて、呼び掛け合うことの出来る共同体の生活もなかなかいいものだった。最も愛する者と2人きりの旅もいいが、森での生活のようにワイワイ、ギャーギャー暮らすのもソニアの性に合っていたのである。幼少の育ちがその環境にあったせいなのかもしれない。皆に必要とされ、好まれ、愛されているのならば、集団生活の中で彼女は輝いていられた。

 しかし、日毎に郷土愛が強まり、友との絆が深まっていっても、それだからこそ、ソニアにはある気懸かりが鮮明に浮き立って見えてくるようになった。

 アイアスの無言の促しで、人間社会に来てから、ソニアは生い立ちのことを誰にも話したことが無いし、ゲオルグのような異種族の者ともいまだに平気で付き合っていた。

 ここで生活していると、人々がいかに魔物を恐れ、異種族を恐れているかが解ってくる。もし自分の育ちや異種族の友人のことが知れたら、果たして皆はどんな反応を示すのだろうか? かつて魔物を駆除せんと襲いかかってきた戦士達のように、また、人間を嫌って森に入れることを拒んだ魔物達が彼女に対して見せたように、あの冷たく恐ろしい眼差しを向けられるのだろうか?

 何事にも正面からぶつかって行くように見える彼女だったが、威勢がいいとか、勝ち気だというのとは違っていて、あまりに目的達成の願いと意気込みが強いせいで周りにそう見えているだけで、内側には未だ暗い思い出や、こんな悩みを持っていたりもするのだった。だが、誰も彼女のそんな悩みには気づかないで、しかしながら只者ではないという特別の目で見ていた。

 アイアスから事情を聞かされ、沈黙のうちに見守っているリラだけが、そのことを気に留めていた。皆に必要とされ、好まれ、愛されているうちはいい。そうでない日が来ることなど、とても想像出来なかったが、世の中何が起こるかは解らないものだ。

 だから時々、彼女がきちんとした家族を持つれっきとした人間であることを、あからさまにではなく、やんわりと人に話して印象付けておいたし、本当にいざ必要となった時には、英雄アイアスの名を出すつもりでいた。世界を救った大戦の英雄が助けた子であると知れば、いかに人間離れして見えても、英雄への敬意によって彼女への対応も変わるであろうし、ソニア自身が目に余る悪事でもしない限り、そうすべきなのである。

 しかし、リラはいつも安易に口にしてはならないと、ギリギリまで様子を窺う心構えで皆の噂話に聞き耳を立てていた。

 カラットを救った活躍が知れ渡った時、彼女が少年隊の訓練を始めた時、そこでの尋常でない頑張りと能力や、学校での優秀な成績が知られる度、リラは街の人々が陰で「あの子は何者なんだ」と言うのを盗み聞きしていた。皆、リラの前では決して失言をしないように気をつけていたから、こうでもしないと解らないのだ。

 幸い、大抵の場合「でも可愛い子だ」とか「あの子は美人になる」といった好意的な意見が聞こえてきたし、子を持つ親がいた場合には、「あの子は人気者だよ」とか「ガキ大将にゃ仕返しをするが、弱いもの虐めは決してしない性根の優しい子だ」という強い肯定評が入って支えてくれていた。だから、今の所は必要なさそうだと、公表は控えて秘密にしておくことが出来たのだった。

 ソニアをただの子供と見ていない大人も、彼女の目の前で「本当に人間なのか」などといった発言はするわけもなかったし、その沈黙の中には一種の畏怖さえ含まれていた。

 ソニア自身も敏感に感じ取っており、大人達や子供達の視線や顔つきからその向こうの考えを読んで、リラに話したりもせずに一人心の中にしまっているのだった。森の仲間の死と思い出のように、それは簡単に口には出来ぬ重みを伴っている。感じ取られる不安は彼女の中に入るなり、井戸の口から落ちて奥深くへ消えていく石のように、心の底深くに隠れてしまうのだった。

 呑気で幸せに暮らし、子供らしい悩みしか持たぬ子供と比べると、明らかに夜は大人しくて静かになるソニアには、リラの方から質問することの方が多かった。普通なら「聞いてくれ聞いてくれ」と子供が親に纏わりついて、今日の面白い出来事を話したがるのだろうが、まるで口下手な子供に根掘り葉掘り話を訊く親の構図になっていた。

 リラは他愛のないことをコミュニケーションとして尋ねるばかりで、ソニアも訊かれれば学校のことなどを詳しくよく話し、誰がどうこう、と名を挙げて、腕白坊主の悪戯や教師のおかしな失敗話などでリラを楽しませた。リラは孫から聞くように子供の世界の話を本当に面白がって聞いていたので、リラの為にもソニアは億劫がらずに細かく話したものだった。

 ソニアは未だ幼いことと、自分の本当のことをまだ知らぬだけに、強く異種族庇護の意見を述べることが出来なかったが、それでも変わらず心の中にいる森の仲間達を愛していたし、ゲオルグのことも好きでいた。人々に後ろ指さされて突き放されることを恐れるようになっても、彼女は自分の嗜好や気持ちには忠実でいたのだ。人々に合わせようとするあまり、好みまで合わせようとはしなかったのである。

 そしてこの国でトライアスが信仰されているからこそ、彼女はそれを頼みに先人と同じ志を胸に抱いていることが出来たのだった。トライアスがあるから尚、ソニアはこの国に愛着を感じるようになっていた。自分がその再来ではと噂されていることも知らずに。

 恐れは、長い時間が経っても人々と上手くやっていけていることで次第に薄れていったし、人々の方も、彼女が特別優れているという点以外においては普通にいい子で、長い間問題無く過ごしているうちに、異形の者を見る感覚は弱まっていったのだった。

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