第3部13章『キル・キル・カン』3
「……私は、あなたと、あなたのその小さなお連れさんについて、もっと教えてもらうべきように思います。本当のところ、あなたは何者なのです? ナルス。是非教えて頂戴」
ソニアもそう思った。まさかこんなことが起きるとは思ってもみなかったから、トライア出身の国軍隊長と身分を明かしている。無事に帰れるかの保証はないが、このままにしておける訳はなかった。もう、この2人はソニアを人間ではない者として見始めているのだから。
今はハイ・エルフの姫として振る舞っている手前、あまり大声では話せないので皆で寄り集り、囁くようにしてソニアは自らの素姓を語った。ポピアンも知らぬことが多かったから、3人共がよく耳を傾けて聞き入った。
人間ではないかもしれないと思いつつ人間と共に暮らし、今ではその国や世界を守りたいと考えていること。今回の旅で縁あってポピアンの住むハイ・エルフの村に行き、そこで自分の外見とあまりに似た人々と出会ったこと。そして村の長にも仲間に違いないと認めてもらい、自分はハイ・エルフの血を引く者だと信じているということ。しかし自分が何者であれ、今の望みは無事にトライアに帰り着いて、人間として暮らし、国を守ることなのだと説明した。
最後にはポピアンも加わった。
「あたしは一緒に旅をして世界が見たくてついて来ちゃったの。こうなった以上は、ハイ・エルフの姫として堂々としてた方が話もまとまり易いと思うから、そうさせてるのよ。だから、あなた達も合わせてよね。その方が安全だから」
フィンデリアは聡明な顔つきで黙考し、緑柱石色の瞳をキラリと光らせた。カルバックスは何も言わず、姫に出方を任せている。
「……この事が知れたら、私は人間世界にはいられなくなるかもしれません。でも……私はトライアに帰り、あの国を守りたい。だから……もし無事に帰ることができたなら、どうかこの事は私達だけの秘密にして頂けませんか?」
フィンデリアは尚も沈黙していた。そして、やおら手を差し出しポピアンに向けた。意を解したポピアンは、出された掌の上に舞い降りる。鳥のように軽やかで華やかだ。星の飛沫が弾け、キラキラと輝く。
「…………」
ジッとポピアンを観察し、その驚異を目に納め、そのうちにようやくフィンデリアは言葉を発した。
「……まず間違いないことは、私達はあなた方に助けられた、ということです。ディライラの被害も、本当ならもっと酷かったに違いありません。あなた方が何者であろうと、これは感謝すべきことです」
ポピアンはニッと笑った。
「こうして、人間ではない方とゆっくり落ちついてお話ができるのは初めて……。これはとても貴重なことなのだろうと思います。平和的にお付き合いできる異種族がいるなんて、きっと素晴らしいことですもの」
ソニアも微笑した。そう言ってもらえるのは、とても嬉しい。
今度はソニアに視線を移し、真直ぐ見つめながら姫は言った。
「……この事は、本当は広く人々に知らせるべきではないでしょうか? ……でも、あなたが秘密にすることを願うお気持ちも解ります。受け入れられない人が多いかもしれませんからね。どうやら、私の一存で決められることではないようです。あなたのご判断に委ねるべきでしょう。ですから、私共はこの秘密をお守りしますよ。いつか可能な時が来たら、どうかあなた自身の口から広めて頂きたいものです」
フィンデリアはカルバックスに「よいな」と確認した。彼は勿論その意向に従う。
「ありがとうございます」
「こちらこそ、助けてくれて感謝しています。しかも命懸けで。このことは決して忘れはしませんわ」
フィンデリアは深く頭を下げた。ソニアも恐縮して頭を下げる。
「何とか無事、ここから出ましょう」
「ええ、必ず」
おそろしく異常な状況下ではあったが、4人は笑い合った。きっと何とかなるという思いが強くなってくる。ただし、それはここがどんな所であるかを、ポピアンがまだ詳細には教えていないからだったかもしれない。
女王の間ではタビザとヴィヒレアの他、主要な虫人と軍幹部が集まって、この度の戦の細かな確認と出来事の検証を重ねていた。先程ハイ・エルフの姫から直に得た証言も加味されている。
軍の末端者の情報も、触角による伝達で急速に集められていく。ベヒルカ広場にいる者でも、触角を震わせれば都市入口近くにある受信針が信号をキャッチし、それを都市内に送ることができた。
女王を中心としたこの都市が1つの装置のようになり、見事に統制された中で情報の網が行き届き、大瀑布の如く集められ流れていく。その中から必要なものだけを抽出して吸い上げていき、最終的に人間達の変貌と謎の戦士マキシマの姿が鮮明に浮かび上がってくる。
そして、もう1つの事実も浮かび上がってきた。人間を助ける強戦士だ。エルフのマントを身につけ戦う姿は紛れもなくあの姫君であり、しかも大蜘蛛や飛百足を仕留めているのだ。先程直に魂を確かめているから、付き合い方を間違えない限り敵ではないと判ってはいるのだが、何とも侮れぬ戦力の持ち主だった。
やはりマキシマの謎は解けないし、ハイ・エルフの姫との協定の結び方にも神経を使わなければならない。女王は頭を悩ませた。情報の収集を終え、壁から触角を離し嘆息する。
マキシマのことと人間が変貌する怪については、皇帝に調査を依頼すべき報告事項だと、幹部連でも意見が一致した。しかし、申し開きの際に自分達だけが発言したのでは証拠として薄く、撤退の理由を架空の存在になすりつけて弁明をしているのだと取られ、笑い者にされる可能性が高い。成果を上げてこその戦争なのだ。事実がどうであれ、そのような目で見られることは虫族として誇りが許さなかった。
「……母上、あの者達に証言をさせては如何でしょう。人間を差し出すのは嫌がるでしょうから、娘と男は人質としてここに残し、ハイ・エルフの姫と妖精を同行させるのです。敵族ではないですから、皇帝達もあの者達には何もしますまい。それを果たせば無事に帰すと条件を出すのです。あの者達には何ら害となることではありませんから、引き受けてくれましょう」
「……ふむ、良い考えかもしれぬ。検討してみよう」
タビザの提案に女王は好反応を示し、ヴィヒレア達とも相談した。
ソニアは、伝えるべきことを皆に伝えて話し合いも最低限済んだ後、1人物思いに耽った。
今はここから無事に出ることと、フィンデリアやカルバックスを守ることが第1の使命だが、何か他にも出来ることがあるのではないだろうか? この都市の者達は、いずれまた人間の国を攻めるのだ。こんなに敵軍の懐深くに入り込んだことは未だかつてない。勿論、この国の人達に危害を加えて出陣を止めようとは思わない。何か、もっと他の方法で穏便に人間世界への侵攻を止めてもらうことはできないだろうか? ただ何もせずに大人しくこうして待つだけなんて、実はそうと知らずに転がり込んでいる絶好の機会を、みすみす逃しているのではないだろうか。
理知的な宵色の瞳が虚空をとらえ、光が注がれる。
フィンデリアもカルバックスもそれぞれ思うところがあるようで、時折何か囁き合っていたが、それ以外は考えていることの方が多かった。
ポピアンはソニアのことばかり見ていて、その他にはあれこれよく解らぬ術の準備をしていた。
そのうちに、また別の虫人がやって来てこう伝えた。
「女王陛下が、ハイ・エルフの姫君とゆっくりお話がしたいそうです。お出で下さい」
「……私1人ですか?」
「あなたお1人か、或いは妖精と一緒に」
ソニアはポピアンと目配せした。そしてフィンデリアとカルバックスの顔も見た。明らかに不安そうで強張っている。こんな所で人間2人きりにされるなんて、何をされるかわかったものではない。頼みの綱であるソニアや妖精とは離れたくなかった。
「……我々は常に一緒です。共に伺えないのであれば応じかねます」
虫人はほんの暫し考え、それから頷いて見せた。
「では、共に来るがいいでしょう」
皆は客間から出て、再び王室に案内された。沢山の衛兵が居並ぶ中、中央に進んでいく。先程よりも若干数が多く、ソニアに向けられる視線やピリッとした警戒の波動が増したように感じる。あまりいい徴候とは言えなかった。
4人はなるべく固まって立ち、ソニアが前になって、その肩にポピアンが乗った。ソニアを警戒するように、すぐ側にヴィヒレアが立つ。そして戦意の兆しが見られないか、いつでも感知できるよう触角を盛んに震わせた。
女王も、じっくりとソニアを検分してから口を開いた。
「……色々調べたぞ。そなた……我が軍の主要な戦力を大分削いでくれたようじゃな。ハイ・エルフとは精霊術と魔法とが主な技だと思っておったが……そなたのような者もいるとは驚きじゃ。大した戦士ぶりである」
ソニアには何とも応えられなかった。ポピアンも姫もカルバックスも、ヒヤリとして身を竦ませた。ソニアの強戦士ぶりは間近で目にしているので、あれを知られれば敵視されても無理はないと思っていた。
「そなたの言い分は聞いたし、この戦時故、已む無い事情だということも解った。そして我が願い通り大将ヴィヒレアを治癒してくれた。じゃがな……この痛手はあまりに大きい。そなたが殺した大蜘蛛は、我が軍の大切な戦力じゃった。この度、我が軍が撤退することになった原因の一端であることは間違いない」
ソニアはおそれもせず、ただ堂々と誇り高い立ち姿で女王の脅しを一通り聞いた。そしてポピーですらヒヤヒヤと見守る中、意図を汲み取ったソニアが逸早く言い放った。
「何がお望みです?」
女王はピタリと動きを止め、触角だけを微弱に震わせた。ヴィヒレアは特に攻撃意志を認めず、静立したままでソニアの瞳を凝視した。宵色の星は、怒りでも畏れでもない、何か違う種類の輝きを宿している。むしろ背後の妖精の方が、万一の時に何をしてやろうかと思案して構えている様子だった。
ヴィヒレアから《案じる必要なし》との信号を受け取った女王は、やや首を傾いで続けた。
「……まぁ、聞くがよい。そなたらに害成すつもりはないから安心いたせ。ヴィヒレアを治癒せしめた返礼として、そなたらの生命は保証する。それは我が名に賭けて誓おう。しかし、この国から無事に帰してやる為に……もう1つ遂げてもらいたい事があるのじゃ」
「……何でしょう?」
女王がまた触角をブルンと震わせると、今度は変わって目の前のヴィヒレアが口を利いた。
「あの戦場で起きた、人間が姿を変え我々を襲ったという異常現象を、そなたは目撃している。相違ないか?」
「……ええ、確かに見ました」
「私に挑戦しかけてきた、正体不明の戦士のことは判るであろうか?」
「……あの……あなたと戦っていた者のこと? あなたに傷を負わせた」
ヴィヒレアは悔しさたっぷりに頷いた。
「見ていたか、あの者のことも……。あれが何者か、あなたはご存知か?」
「いいえ……、あなた方と同族の方だとばかり。だから不思議だったんです。どうして戦っているのだろうって。……仲間ではないのですか?」
「……同族かは判らぬが、仲間ではない。あのような者は初めて見た。あの者が今回の撤退に1番の影響を及ぼした。そこでだ、この2つの不測の事態が起きたが為に、我々が帰還を余儀なくされたことを、そなたに弁明してもらいたい。証言をするのだ」
「証言……?」
今度はタビザが引き継いだ。1歩ずつソニアに近づいて来る。
「我々は戦の成果や現状の報告を、逐一皇帝軍本部にしなければなりません。我が軍はこれまで順調に進攻しておりました。この度の已む無き撤退を、我が軍の汚点にはしたくないのです。本部にご同行頂き、あなたの口から語ってもらいたいのです」
「皇帝軍……本部……ですか?!」
ソニアが目に見えて当惑し眉を顰めたので、タビザは首を傾いだ。
「何か困ることでも? あなたはハイ・エルフの姫。皇帝軍とは何ら敵対関係にない種族の方です。あなたの戦士ぶりについては一切伏せます故、異常現象と謎の戦士のことだけお話し下されば結構。それだけなら何の危険もないでしょう」
それでも、彼等の予想以上にソニアは嫌悪感を顔一杯に広げた。
「……ヴィヒレアが同行しますし、同時に護衛にもなります。まさかあなたに害が及ぶとは思えませんが、万一の時には必ずお守りいたします」
「…………」
「それでもご心配ですか?」
この時、ソニアが彼等の知らぬ事情でどれだけ頭を悩ませていたか、彼等には知る由もなかった。幾つもの冒したくない危険が待ち構えている。
ソニアが悩んでいるうちに、ポピアンが発言した。
「認められないわ! 大切な姫を軍団のど真ん中になんか行かせられるもんですか!」
彼女もまた、彼等やソニアですら知らない理由で拒否の姿勢を取っていた。
意外だった反応に、虫人達は触角を揺らして相談し合う。フィンデリアとカルバックスはただ息を潜めて成り行きを見守った。
あまりに難航するので、やがてまた女王が言った。
「……そなたが引き受けて遂げれば、この戦の一切のことは水に流し忘れよう。そして全員無事に帰してやろう。遂げるまで、人間達はここに預からせてもらう」
言葉は穏やかだが、それは完全なる脅迫だった。ソニアがどう反応するかヴィヒレアは注意深く観察する。
下を向いて顔を曇らせていたソニアは、ここでキッと顔を上げ、強い眼差しで女王を見据えた。殺意はない。
「……その前に、1つお訊きしたいことがあります」
「……何ぞな?」
ソニアは玉座ホール中の虫人を見回し、タビザにもヴィヒレアにも等しく視線を向けて、それから凛として言った。
「皇帝軍の目的は、人間を滅ぼし世界を作り変えることだと聞きました。あなた方もそれをお望みなのですか? 世界が欲しいのですか?」
核心的な質問をソニアが投げたことに、フィンデリアは驚き目を見張った。カルバックスも息を飲む。
辺りは静まり返り、触角の震動する微かな音だけがサラサラと流れた。虫人は誰もが皆、この発言に引きつけられている。
「……これはハイ・エルフとしてではなく、世界に生きる1人の住人としての疑問です。そう捉えて頂きたい。あなた方ほどの軍力を持ち、国も世界も確立されてらっしゃる神秘の種族でありながら、何故ヌスフェラートなどが率いる大軍の1大隊などに甘んじているのです?」
長い、長い、沈黙があった。ヴィヒレアは星を見つめ続ける。その色はどこまでも澄んでいて、淀みがない。色を愛する種族として、その星をとても美しいとヴィヒレアは思った。
女王は腕を組み換え、一度寝そべり直し、深く長く息をついてから口を開いた。
「……勇ましき姫よ。我等にそれを尋ねるか」
こうしている間もずっと触角が震動し、虫人同士は疎通し合っている。これほど通じ合い協調できる性質を持つ彼等の国では、嘘や犯罪はないのではないだろうかとソニアは思った。
「それをそなたに教える道理はないが、よかろう……教えてやる。我等は特に地上世界を欲してはおらん。地上に棲む我が仲間は、何故か皆、小さく頭が弱い。我々は、それはあの強い太陽光のせいだと思うておる。だから、日々太陽光に晒されている人間も脆弱なのだろうと。じゃから、地上に住もうなどとは少しも考えてはおらぬ、国を広げようなどとは望んでおらぬのじゃ。この王国で我等は事足りている」
「では……何故……?」
「……我等、地下世界に住まう者の多くが協定を結んでいる。最も力のあるヌスフェラート共とな。あ奴等の力は侮れん……。おそろしい術とからくりを巧みに扱う、欲望の鬼じゃ。それはそなたも知っているであろう? いや……ハイ・エルフは他のエルフ族と同じく、そのような協定に全面的には参じぬから知らぬのかな? 確かに、全ての種族があの皇帝に与している訳ではない。竜王国は他族の争い事には決して加わらぬし、エルフが加わらぬからドワーフも加わらぬ。じゃが……我等と獣王はこの戦に力を貸すと決めたのじゃ。利益を得る為ではない。損害を被らぬ為じゃ」
「……皇帝に脅されているのですか……?」
この問いについては明言を控え、女王はもう1つ長く息をついた。
代わってヴィヒレアが目の前で言った。
「長い歴史の中で、侵略を繰り返し試みているのはヌスフェラートだけだ。暗黒時代以降、他一切の種族は諸国に干渉しなくなった。国を拡大もせず、移さぬということで地下協定が結ばれたからな。各々それを長年守ってきているが、ヌスフェラートだけはまだ欲望を持ち続けている。そして、その目は今や地上世界に向けられているのだ」
今度はタビザが言った。
「この度の戦が終結し、ヌスフェラートが地上世界を手に入れれば、彼等の勢力は必ずや増大し、今までとは比べ物にならぬ新世界を築くでしょう。強大になった彼等の王国と正面戦い合おうとする種族はなくなり、事実上、彼等が世界の王者となるに違いありません。その時、我らの王国には一切手を伸ばさぬよう、これまでの関係を保つ為に、今のうちから力を貸しているのです。主従関係ではなく、これはあくまで助力です」
ソニアは切なそうに目を細め、顔を歪ませた。時折彼等の使う言葉の中に意味が解らぬものがあったが、言葉の流れで何となく理解できたし、ハイ・エルフとして振る舞う以上、あまり質問して人間並みの無知さを曝け出す訳にもいかなかったので、そのまま聞き流した。
「では……あなた方は人間に対して……それどころか世界に対して一切の憎しみも野望もない状態で……それでも戦っていると言うのですね?」
「……詮無きことよ。じゃから……そこの人間達に対しても、我等何ら関心はない」
ソニアは拳を握り締めた。こんなに不条理で悔しいことがあるだろうか。それもこれも、事の発端がヌスフェラートだなんて……しかもあの老皇帝だなんて……!
女王は長い、長い溜め息をついた。かけ離れた種族ながら、負い目はあるようだ。
「……留まり続ける為には、走り続けなければならないのじゃよ、この世は」
ここで、ずっと発言を控えていたポピアンまでが加わった。
「きっと、天の戦士がまた戦を阻止しますよ? それでも戦うのですか?」
「天使か……そうかもしれぬ。じゃが、この度の戦は規模が違う。皇帝は本気じゃ。それに……既に天使は軍の中におる。これが決め手ともなった。天使を味方につけた侵略軍はかつてなかった。彼等の勝利は間違いないであろう」
ソニアは、アイアスが《天使》というものを調べ、彼自身がそうではないかと悩んでいたことを思い出した。その真相がどうなったのかは全くわからないが、ゲオルグがこう言っていたのも思い出した。『彼以上の天使が皇帝軍にはいるんだ!』だから女王の言う天使とは、少なくともアイアスではないのだろう。アイアスが何処にもいないことには変わりがない。今、天使のことなどどうでもいい。
「……ハイ・エルフとして一族は不干渉ですが、私個人として、この進軍は忌むべきものと考えております。人間の根絶など考えず、調和の道を選ぶようあなたから皇帝に進言しては頂けないでしょうか?」
「あの皇帝に意見しろと?」
女王は大いに笑った。タビザとヴィヒレアは触角を大きく上に突き立てた。驚いているらしい。何てとんでもないことを言うのだろう、と。
「人間は多大な被害を受け、あなた方もまた損害を被っている。それもこれも、全てはヌスフェラートのせいです。たった1人の皇帝が抱く野望のせいです。あなた方ほどの力があるのならば、彼等に抗うこともできるのではないですか? 利益を受けているのは皇帝達だけ。少なくとも、手は貸さないという立場を取ることはできませんか?」
フィンデリアもカルバックスも、そしてポピアンも、眩しいものを見るような眼差しをソニアに向けた。こんな異質な国のおそろしい状況下にあって、全く物怖じせずに一国一族の主に意見できるなんて。
ポピアンはニヤリと笑った。そして誇らしさに胸が踊り、呟いた。
「……さすがだよ」
女王はまだ笑っていた。肩を揺すらせ、手をヒラヒラとさせて頭上を仰いでいる。
「そなたはまこと――――――おそれを知らぬ勇ましき姫君じゃな! 長年培ってきたヌスフェラートとの友好関係を悪化させるようなことを、我等がすると思うかや? ご免被るぞな。ハハハハハ!」
虫人達はサワサワと触角を揺すらせ、盛んに囁き合った。ソニア達には解らぬ言葉だが、その中には驚きと嘲笑の両方が含まれているように感じた。
「我等は皇帝が望めば引き続き進撃するであろう。人間とヌスフェラート、敵にして戦って痛手が大きいのは明らかにヌスフェラートの方であるからな。だが……そなたがそこまで言うのなら、いっそのこと直に皇帝にそう申してはどうかな?」
ハッとして、ソニアもタビザもヴィヒレアも顔を上げ、女王を見た。王室内の者全員が女王に目を向ける。
「戦場を通りかかり、異変を目撃した者として本部で証言し、併せて意見すればよい。勿論、我等とは何ら関わりのないハイ・エルフ1個人としての意見ということでな」
「陛下……!」
「どうじゃ? 表向きは、そなたが意見を述べたくて我等に本部へ案内させたということにする。我等はあくまで案内役としてそなたを連れて行く。異常現象と謎の戦士について語ってくれれば、人間達は無事に帰そう。その先のことは、そなたの判断で行うがいい」
ソニアは胸がドキドキとし、その手もあったかということに気づいた。だが、あまりに難しい。実行するだけでも刃物の上を渡るような冒険である。