第3部13章『キル・キル・カン』2
部屋を出ると、そこにはまた戦車がいた。一同は再びそれに乗り、何処かへと運ばれる。ポピアンは障壁を解いてはいなかった。まだまだ心許せる訳もない。
何の役目を追っているのか、壁に張り付いて羽を動かしている羽蟻達の下を通り過ぎ、カプセル状の黄色い塊を運搬する者達とすれ違い、更に奥深くへと入り込んでいく。
時が経ち、自分の解る言葉でやり取りがされるのを聞いていれば人は落ちついていくものだ。カルバックスはかなり考えをめぐらせることができるようになって、ソニアやポピアンのことも度々凝視するようになった。ソニアはその視線に気づいてはいたが、今は取り合っている暇も弁明をする余裕もないので、彼が騒ぎ出さない限り放っておいた。
長らく戦車に乗るうちに、一同は大空間へと運ばれていった。幾つもの道が中央の球体に向かって伸びており、一同はその中で1番太い主要通りを進行していく。道の両脇にはズラリと兵隊蟻が並んでいた。それぞれ、目と目の間に赤い渦巻きの紋様を持っている。城兵の証だ。
後ろからは蟻人がついて来ており、珍客を前に騒ぐ兵士達に信号を飛ばして静粛を促した。槍を翳せば皆がお辞儀して後退する。
長い掛け橋を渡り、ようやく中央球体に辿り着いて、皆はそこで降りた。
とても天井の高いホールが一同を迎える。ここの内装はこれまでと少し違って、外骨格というより蜂の巣に似た黄金色の材質で全てができていた。蜜蝋のように照り輝き、其処彼処に鉱石の結晶が散りばめられ、王宮を彩っている。
幅広く段の多い階段が目の前に伸びていた。1つ1つの段差は小さくて殆ど坂道に近い。1段ずつ微妙に異なった湾曲のし方をしている階段は、上がるにつれて広い腕をすぼめていくように幅を狭め、円に近い曲を成していった。
蜂人の示すままにその段を昇り、その先に続く波形の通路を通り、やがて辿り着いた先は卵形に空間の空いた大ホールだった。壁際にズラリと槍持つ虫人が並び、蛇行する川の様にうねる赤い絨毯の道が中央に伸びている。
それを目で辿ると、先に至って細い階段が小さな丘陵を昇っていた。
玉座を華やかに飾る何らかのオブジェがその先の壁一面にあるかと思いきや――――――そこにあった大きなものは、生きた虫人だった。
丘陵には柔らかそうなものが敷き詰められてベッドになっており、そこにしな垂れるように寝そべっているのだ。頭も胸も普通の虫人より大きく、大人と子供ほどの差があり、何より際立っているのはその腹で、その中に家を建てて住めそうなほどに大きく、またこの部位がどこよりも大切にされて特大のベッドに沈み、世話役の蟻達が丁寧に擦っていた。
紹介されずとも、これが女王であると疑いもなく判別できる。まるで竜にでも出会ったかのように一同はその御姿に目を奪われ、畏れ、感嘆した。ヌスフェラートなど、まだまだずっと自分達の外観に近い親しみある種族にすら思えてくる。
そして、こんな途方もない種族まで1大隊に従えて参戦させているのだから、どれほど皇帝軍が強大であるか、人知の及ばぬおそろしい勢力なのかが改めて思い知らされた。彼等と戦って生き残ろうという考えを持つこと自体が、身の程知らずなことに思えてくる。
蟻人は赤絨毯の途中まで一同を進ませ、そこで止まるよう指示した。蟻人は女王に向かって平伏し、それから数歩下がって一同を見張る役に変わった。
「……私が女王キル・キル・ザビニじゃ」
ポピアンに促され、皆は頭を下げた。
「細かな話は後にしよう。まずは急ぎ力を借りたい」
すると、別の出入口から虫人が担がれ運ばれて来た。背をベッド型に変形させている蟻の背に横たわっているのは、美しい玉虫色の外骨格を持つ虫人だった。戦場でチラリと目にした記憶があって、皆はハッと息を飲む。
傷口には詰め物をして体液が流れ出ることを防いでいるが、応急処置でしかなく、ヴィヒレアは安静にしていなければならなかった。
「……回復が困難な傷を負っている。この者を癒して欲しい」
ポピアンは戸惑った。この障壁を解かずに集中するのは難しい。が、障壁を解きたくはなかった。
しかし、何の相談もしないうちにソニアの方が申し出た。
「私がやるわ」
「ナルス……」
「あなたはこのまま彼等を守ってて。私だけこの外に出てあの人を治療する」
「でも……!」
「他にもっと安全な方法がある?」
「…………」
ポピアンは渋々認め、ソニアにだけ別の呪文を更に施し、いつでも陣の中に戻って来られるようにした。
ソニアはそっと薄紫色の障壁に触れてみた。何かがそこにある、という刺激だけは僅かにあるが、水の中に手を入れるような波紋が広がるだけで、難なく手が通過した。そこで体も全て外に出す。ソニアは攻撃の意志がないことを示す為に両手を顔の高さに上げて掌を見せた。衛兵達は触角だけをサワサワと震わせて、彼女達には判らぬ方法で囁き合う。誰も動きはしなかった。
すぐそこに横たわる虫人の側までソニアは数歩進んだ。そして腰を屈めジッと容態を診る。人間の体と違うから、傷の程度や回復の見込み等の一切を推し量ることはできないが、酷い傷らしいという漠然とした事実だけは見るだけで解った。なにせ、相手が苦しんでいる波動が伝わってくるのだ。あの、こちらを見ていた目のない虫人に刺された傷に違いない。
ソニアは風を起こした。患者を取り巻くように小さな旋風を起こす。衛兵達が触角をもっとサワサワと揺らす。女王も熱い視線を向けていた。ソニアのマントは軽くはためき、まだ被っていたフードからはルピナス色の前髪とキラキラ輝く2つ星が覗いていた。
手負いの虫人はジッとその星に目を向け、互いに見合った。
「――――――ヒール!」
発動宣誓と共にソニアは掌を患者に近づけた。その手から白い霧が吹き出し、旋風に呑まれて広がっていく。すると光は風の通り道に合わせて患者を包む繭の形を成し、回るうちにぐんぐんと強さを増して、強烈な白光となり虫達の目を刺した。このような強い光に慣れていない虫人達は顔を背ける。
ソニアは風を徐々に静めていき、それと共に光も落ちついていった。光の繭は溶けるように消えてなくなる。
ヴィヒレアは上半身を起こした。詰め物がパラリと落ちる。そして自らの手で患部を確かめた。血は止まっていたが、外骨格には大きな傷が残っている。
「……完治してはおりませんな」
患者は頭を振った。施術者に対して文句をつけているのではなく、魔法というものが彼等にあまり適していないことを残念がっている風だった。
ポピーが言った。
「今のは間違いなく最大級の効果を持っていました。残念ながら我々とでは体の造りが違うから、効き目に差があるのでしょう」
女王は溜め息をついた。そして手を振るう。
「お前の美しい体に傷があるとは……何とも耐え難きことよ……! 後は時に任せるしかないのだろうか? 何とかならぬものかのう……!」
このやり取りで、彼等が如何に外骨格への美意識と誇りを持っているかがよく伝わってきた。自らが所有する宝物に傷がついて狂ったように取り乱す人間もいるが、その宝が生命と一体とも言える身体そのものであったら、その落胆たるや計り知れない。
もう一度行ってみようかソニアが提案しかけた時、ポピアンが続けて言った。
「女王、まだ試すべき方法があります。我等一族が守りし神の樹のことはご存知ですか?」
「神秘の樹じゃな? マナージュとか言う……それが何か役に立つのか?」
ソニアが振り返り見れば、ポピアンはまだまだ自信あり気だ。
「マナージュの生み出す奇跡の技は様々ですが、中でも世に名高いのが実や花の効用です。魔法では不完全な治療や魂魄の呼び戻し等も、より高い確率で行えます。ほぼ完璧に。それを試されてみては如何でしょう?」
「今すぐできるのか?」
「はい、今ここに」
ソニアは嫌な予感がした。すると、ポピアンの杖の一振りでディライラの城に放ったままにしていた麻袋が出現し、その口が独りでに開いて、中から拳大の大きな実が浮かび上がってきた。
ソニアは慌てて駆け寄った。
「ポピー! それ……王様のよ?! あの方に食べさせる為に――――――――」
「また手に入れたげるから。今はここで使うべきよ」
ソニアは実と患者と女王とを何度か見比べて吐息した。虫人の傷はもはや生命に関わるほどではないのだが、治せるものなら治してやりたいとも思う。
仕方なく、また手に入ることを願いながらソニアは手を伸ばしてその実を掴んだ。
「……これ、どうすればいいの?」
「外の殻は硬いから、割って中身を食べさせるのよ。筋が1本あるから、そこからきれいに割れるようになってるわ」
ソニアはその場で実の表面にある筋に爪を立てて力を入れてみた。やがてパリッと筋が裂け、ほんの少しの隙間から光が零れ出た。中に妖精が隠れているかのようだ。
開きかけた後は少し指の立て方を変え、慎重に2つに割った。皮の片方だけに中身が寄り集まり、もう片方は外身だけが剥がれて蓋のようになった。中身は一見白い塊だったが、よく見れば薄っすらと筋が入っており、幾つかに分離できそうである。
ソニアは光溢れる実を患者の目の前に持って行った。ヴィヒレアは物珍しげに首を傾げつつ、その光に見入る。
「さぁ、食べて」
ヴィヒレアは手を伸ばし、1番上の手で白い実をそっと摘まんだ。折り畳める構造のその足は、今はきっちりと合わされており、肘に当たる所に4本指が生えていて、その指で実に触れている。
実は歪んだ三日月のような形に外れた。ヴィヒレアはそれをそっと口に運び、1口で飲み込んでしまった。光の飛沫が口の中に消えていく。
すると、ヴィヒレアの体の内側から光が迸り溢れ、身体そのものが光を放った。
「おお……おお……っ!」
触角をピリピリと震わせながらヴィヒレアは感嘆の声を上げ、傷ついた外骨格が見る見る塞がり、触角の先端が生えてくるのを自らの目で確かめた。
衛兵達も女王も触角を震わせ、ヴィヒレアから伝わる治癒の悦びに感応して言葉を漏らした。
ソニアも実を手にしたまま、間近で変化の波を感じ取り、神秘を目撃して虫達と同じように感激した。あの治療呪文でも治らなかった傷が、この実一欠けでこれほど劇的に回復するなんて! これをトライア王が食べたら、持病もたちどころに治るに違いない!
ソニアはまた実に視線を戻し、手の中に残った二欠けの中身をジッと見つめた。まだ、ここに幾つか残っている。これなら――――――
「女王、この実はマナージュに年間数えるほどしか実らない大変貴重なものです。その価値は竜の目玉でも購えません。そして、この光を失う前に使わねば神秘の力を失います。ですから残りを、お早くどなたかがお使いになるといい」
ソニアの望みも虚しくポピーの声が通り、すると未だ光を放つヴィヒレアがソニアの手から実を取り上げて、急ぎ女王の側に向かった。
「――――――お早く! 陛下!」
女王は優雅な手つきで一欠け摘まみ、ほんの暫くだけ眺めてから口に放り込んだ。
残りの一欠けを手振りで階下の者に与えるよう命じ、ヴィヒレアは段を下りて衛兵と並んで立つ、1人だけ槍も剣も持たず細いV字のティアラを頭に飾っている虫人の前に実を差し出した。その虫人は軽く足を折ってお辞儀し、それから実を口にした。
女王の体が光り、続いてティアラの虫人の体も輝きを放つ。これとは種類の違う実で変化を体験したばかりのソニアは、明らかにもっと貴重なこの実による変化が如何程のものかを想像するだけで肌が震えた。
「素晴らしい! 素晴らしい!」
女王は恍惚と身を仰け反らせて大いに効果を賞賛した。居並ぶ虫人達が翅を広げ震動させる。人間で言うところの拍手に相当するらしい。
実を失ったことは残念であったが、これだけ喜ばれる貴重品を献上したのだから、待遇に望みが持てるかもしれないとソニアは期待した。そして、自分の身1つならあまりおそれは抱いていないことの徴に、障壁の中に戻りもせず、ずっとそこで周りを眺めていた。
ようやく興奮も治まり、完全に回復した体ですっかり自信を取り戻したヴィヒレアは、ソニアの前に凛と立った。大きい。彼女の顔の前に胸部がある。
「そなた等の誠意、確かに見せてもらった」
戦意も殺意も全くない状態だが、ソニアはもしこんな者達がトライアを攻めて来たら、自分はどう戦えばいいのだろうと、ふと考えた。目の前のこの将は明らかに強敵だ。勝てるかどうかも全くわからない相手である。
「女王陛下、確かにこの者、ハイ・エルフと思しき姿をしております。先程の風使いといい、エルフであることは間違いありますまい」
その発言に、女王もソニアに注目した。女王はまだまだ興奮冷め遣らぬ様子で輝いている。そして深く考え込み、また小丘に凭れて触角をユラユラ動かした。
ヴィヒレアも少し振り返って盛んに触角を震わせる。ソニアに解らぬ言葉で会話されるのと同じ状況だった。
「……陛下がお前の心を見たいと仰せだ。よいか?」
「心……?」
「そのままでよい」
ヴィヒレアは4本の手を差し出した。ソニアはまだ実の殻を手にしたままだったので、それを1つに合わせて両手を組んだ。4本の手がそっとソニアの身に触れ、うち2本の先にある柔らかい指がソニアのこめかみに当てられる。触角がブゥーンと震え、女王もそれに合わせて触角を揺らした。
不思議な波がソニアの頭に入り込んで来た。眠りに誘われるように瞼が閉じていく。ポピアンもカルバックスも心配そうに目を見開いていた。
殆ど同時に、ヴィヒレアが読み取ったものを女王も感じる。
何故か人間のイメージが多いが、そのどれもが1つの川の中を流れている。大切なものを守りたい、愛する者を守りたいという気持ち。彼女の中を流れる大河の調べは、その言葉だけで埋め尽くされていた。
そして源流に近づいていくと、その言葉は少し変わった。
《誰にも負けないくらい強くなりたい》
《あの人と一緒に再び旅を》
一途な愛から生まれた衝動だ。そのどれもが自虐的なまでに我が身に向けられている。
更に源流に近づいていくと、そこにはまた違ったイメージがあった。沢山の魔物達に囲まれ、友愛と和の中で暮らしている。
その、皆を愛する気持ち、かけがえのない思い出、絆が輝いている。
その中には多くの虫達がいた。皆が彼女を愛し、彼女もまた皆を愛していた。
この川の何処にも、何かに危害を加えたり、支配したりしようとする欲望も衝動もない。あるのは、愛と、慈しみと、護りの意志だ。
そして、この川は涙でできている。
ヴィヒレアは手をそっと離した。触角の動きが止み、ソニアもふと眠気に似た陶酔から目覚め、目を開けた。
ヴィヒレアの目がジッとソニアに向けて注がれる。1歩後退し、手を1本だけ胸に添えて軽く頭を下げた。初めて見せる礼である。同じ震動を感知していた衛兵達も槍を握る手を緩める。ティアラの虫人も首を傾いだ。
女王が言う。
「確かに……敵ではないようじゃな。よろしい、悪いようにはせぬ。だが、まだ調査に時間が要る。それに協力も願いたい。暫し滞在されよ」
女王の命で衛兵の1人が進み出て、ついて来るよう促した。ソニアは彼等を信じることを示して障壁には入らず、そのまま退室して行った。
案内されたのは、ほど近い所にある1室だった。先程一時的に通された尋問室とは違い、柔らかそうな素材の敷物が広がり、球状のクッションめいたものが転がって、中央にテーブル代わりと思われる茸状のオブジェがある客間だ。客として接待する意思が見て取れる空間である。
それぞれをどう使えばいいのかよく解らないので、まずフィンデリア姫を敷物の上に横にならせ、カルバックスとソニアもそこに腰を下ろした。ポピアンは大きく一息ついてソニアの肩に乗った。
これまでフィンデリアが目覚めなくて良かったと、3人共が思った。だが、長らく意識不明なのは心配なので、ソニアは改めて姫の容態を確かめた。頭を打ってから治療するまでに大分時間が開いたのも影響しているだろう。頭脳に深刻な損傷がなければいいと願いながら、もう一度治療呪文を唱えてみる。
そして思い出し、麻袋の中から他の実を取り出して、頭傷を負った人に向いていると説明されていた物をここで試してみることにした。カルバックスが戸惑うが、これがどんな効果を持つ物であるかをポピアンからも説明すると、どうにか納得してようやく同意が得られる。
この状態でどう実を与えるかをポピアンと相談した結果、試しにエルフの飲み物を口に含ませて飲み込むかを確かめてから、こちらが咀嚼してやったものを口移しで与えることにした。サイズ的に、当然ながらポピアンにはできない。
ソニアは、保護者であるカルバックスに緑と茶の斑模様が美しい実を差し出した。彼は戸惑った。
「さぁ、どうぞ試して」
「し……しかし……」
ソニアは、彼が迷う理由を全く理解し損ねていた。未知なる物を試すことにおそれを抱いているのだと思ったのだ。だが、そういうことではなかった。
「できれば……あなたにして頂きたい」
目の前でみるみる赤面していく彼を見て、ようやくソニアは彼の立場に気づいた。彼はただの臣下であり、親子ほどに年の離れた中年男なのである。本来なら直に手で触れることすら許されないような主従の関係なのだ。
ヒゲ面の男がそうして困惑するのを見て、ポピアンは可笑しがった。
「アハハ、そっか、お姫様と付き人なんだっけ。別にいいじゃない。必要があってすることなんだから」
カルバックスはギュッと目を瞑って頭を激しく振った。
「ダメです……! ダメです……!」
彼は、そんな事をしたら自分に姫を託して死んでいった王や王子達に申し訳が立たないと思っていた。自分のような卑しい男に口移しなどされたら、大切な姫が汚れてしまう。
あまりに抗う彼の素振りにソニアは苦笑し、「わかった」と姫の傍らに座った。そして親指の先大の実を口に入れて噛み砕いた。ほんのり甘味があって花の香りがし、頭がポーッと熱くなってくる。もう成分が効き始めているのだ。
ソニアは咀嚼してドロドロにしてから姫の頭を抱き上げて上半身を少し起こし、背に上肢を入れて支えにし、喉に詰まらぬよう流れ易い体勢にしてから、姫の口に唇を重ねて中身を渡した。咳込んだり吐き出したりして無駄にしないよう、暫く唇をつけたままで様子を見る。姫の舌が反応して喉も動き、少しだけ頭も動くと、やがて少しずつ飲み込んでいった。
安心してソニアは顔を離し、姫が完全に飲み込み終え、胃にまで下っていくのを待った。それからまた横にならせ、エルフの飲み物で口の中をすすいだ。頭がまだポーッとする。
カルバックスは固唾を飲んで経過を見守った。不死身の実と違い、体が光るような劇的な変化はないが、姫の頬に赤味が差してくるのがわかる。
そしてフィンデリアは薄っすらと目を開けた。カルバックスが安堵の溜め息を漏らす。
「……ここは何処? 皆、どうしたの?」
見たこともない造りの空間に、見たこともない小さな光が浮かんでいる。
まずは彼女に状況を伝えなければならない。カルバックスにもポピアンやソニアのことを説明する必要があったし、ソニア自身もポピアンに色々と訊かねばならなかった。
そこで、まずはゆっくりと話し合いをした。ソニアが語り、カルバックスが語り、ソニアがポピアンを紹介し、ポピアンが語り、またソニアが語る。
フィンデリアは次々と語られることが信じられぬあまり言葉が出ず、しきりに辺りを窺い、ポピアンを見つめ、ソニアを見つめた。この奇妙な造りの部屋とポピアンの姿そのものが、語られている事が真実であると思わせてくれる。カルバックスがそこにいて、彼が否定せず同じように認めているものだから、それが嘘でないこともわかる。
最低限の状況説明が終わったところで、虫人が入って来た。姫はギクリと体を強張らせて、つい身じろぎしてしまう。戦場の真っ只中で意識を失ってからここで目覚めたばかりだから、どうしても身構えてしまうのだ。
入って来たのはV字ティアラの蟻人と、槍持つ護衛の虫人だ。蟻人は互いの警戒心を高ぶらせないよう、ある程度の距離を開けて立ち、そこで改めてお辞儀した。
「キル・キル・ザビニの娘、タビザです。よろしく、ハイ・エルフの姫君」
ソニアもその場で立ち上がり、お辞儀した。ポピアンにとにかく口裏を合わせるように言われているので、ハイ・エルフの姫として振る舞い、耳を見せないようフードも被ったままにしている。人間世界では礼を欠く行為だが、これ程かけ離れている虫族は気にも留めない。
「戦場で不可解な事が幾つか起きたようです。人間は、自らの体を変化させて兵士となり立ち向かう術でも開発したのでしょうか。何かご存知ですか?」
あのおそろしい獣のことを言っているのだと思い、ソニアはすぐに首を横に振った。
「……存じませんし、有り得ません。私も現場で目撃しましたが、あんな事は初めてです。聞いたことも、見たこともありませんでした。最後にはまた元の人間の姿に戻りましたが、そこで力尽きてしまいます。人間の行いであるはずがありません。私はてっきり皇帝軍の新しい技術なのかと思っておりました。ただ、それがあなた方の兵を襲う理由は全く解りませんでしたが」
「……そうですか」
タビザはカルバックスと姫にも顔を向けた。
「そこの人間たち、確かに相違ないか?」
2人は慎重に頷いた。フィンデリアはもう威厳を取り戻している。座りながらも背筋をシャンと伸ばして、虫人の視線を真直ぐに受け止めた。
「私の仲間も何人かやられました。あの化物になった後の爪や牙に傷つけられると、その人間も同じようになってしまうのです。あんなおそろしいもの……見たことがありません」
「……そうですか。我が兵士達の証言と全く同じようですね。わかりました。今はこれだけ伺いたかったのです。後ほど改めて詳しくお聞かせ願います。では、私はこれで。ゆるりとなさって下さい」
タビザは衛兵と共に退出して行った。時間が与えられれば、することは1つしかない。もっと話を突き詰めて、納得のいくまで訊くことだ。