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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第3章
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第1部第3章『デルフィーの日々』その2

 アイアスを待つ心は時間を長く感じさせたし、そうでなくても子供の時間というものは大人よりも長いものだったが、日課があることでカチカチと音を立てて流れるように時間は先へと進んで行き、日々の発見はあっても、以前の生活ほどショッキングな出来事はなかなか起きなかったので、次第に当たり前のように日付が変わり、時が経った。

 アイアス恋しさは決して薄れず変わらないのだが、その苦しみに対する耐性が出来てくるというのか、麻痺してくるというのか、ソニアは当初ほど鬼気迫る勢いでトレーニングに臨むことはなくなり、落ち着いて一人前の兵士よろしく独自の技や魔法を磨いていった。

 アイアスに数々の魔法や戦闘の型を見せてもらっていたので、その記憶を頼りにして、彼女はアイアスそのものにならんとした。下手な人間が師に就くより、心の中に刻まれたお手本はずっといい教科書になってソニアの役に立ち、彼女を確実に実戦的な戦士に育てていった。

 街に兵士はいつもいるのだが、戦いはそう毎日ある訳ではないし、大戦直後で大分駆除されたこともあって魔物の数も少ないので、戦闘はなかなか見られず、またどちらにしてもソニアにはあまり興味がなかった。アイアスという最高の戦士をいつも心の中に持っている彼女には、その辺の一兵卒などつまらない存在でしかなかったのだ。

 彼と別れた当初はまだ出来なかった魔法も、根気よく練習して幾つか出来るようになっていたし、剣技だけでなく槍や体術の動きにも磨きをかけるようになった。

 修業が全て、苦痛から生まれた苦痛だけのものだったら、彼女をもっと追い込んでいたかもしれないが、自分が強くなるのを実感する度に、アイアスが近くなったように感じてソニアは嬉しかったし、強くなることそれ自体の戦士気質的喜びがあって、ソニアの精神に歪みは生じなかった。どんなに世間一般から逸脱しているように見えても、生産的な目標があって、それに喜びが伴っていれば、子供は健全に育っていくものなのである。


 そんな風にして彼女が学校に通い始めて半年ほど経ったある日、またあの男が彼女の前に現れた。修行を終えて子供達と遊ぼうといつもの溜まり場に行こうとしたその道すがら、前と同じように人間の姿に変化した状態で、彼はふいに目の前に現れたのだった。

「……やあ、ソニア」

ソニアはすぐに判って、わあっと声を上げて笑った。久々に会う彼女の反応に少し構えていた彼も、その笑顔を見て顔を綻ばせた。

 ソニアは彼を引っ張って、この前とは別の場所に案内した。港の見下ろせる高台だ。そこからは海がよく眺められ、街の人目からも身を隠すことが出来る。

 言葉で促された訳ではなかったが、彼女の目は彼の正体見たさの期待にキラキラしていたし、彼の方も姿を偽らずに面と向かっていたかったので、早速術を解いた。2度目でもソニアは歓声を上げた。

「やっぱり面白いなぁ! スゴいなぁ! 人間でそれが出来る人って、あんまりいないんだよぉ! お兄ちゃまは出来たけど、そんくらいしか知らないもん!」

彼の術一つでこんなに喜ぶソニアに、男の方も嬉しそうに笑った。

「暫くだったね。元気にしてたかい? 何か嫌な目にあったりとか……人間にいじめられたりとかしてないかい?」

ソニアはぶんぶんと頭を振って、泥んこの顔でニッコリした。

「ううん、だいじょうぶだよ。嫌なこととかする子もいるけど、この前こらしめといたから」

 彼はその話に興味を示して、ソニアに詳しく話させた。

 誰にでも悪さをするパーキーというガキ大将とアランという子分の2人組がいて、学校に行くようになって少ししか遊ばなくなったソニアのことが面白くなくて、学校帰りの彼女の頭に泥団子をぶつけてきたのである。

 ソニアの友達等が真っ先に非難を浴びせたのだが、ソニアは黙ってツカツカとパーキーとアランの所に行き、彼らを掴んで3人諸共に海に飛び込んでやったのだった。「何すんだよ」と喚く2人を尻目にソニアは「汚れた髪を洗ったんだ」と言ってやり、身軽にさっさと這い上がって、上手く登って来られない彼らをいい晒し者にした。港の構造上、桟橋の足をよじ登ったり階段のある所まで泳がないと、概ね絶壁になっているので、大人でもそこから這い上がることは出来ないのだ。普段嫌がらせを受けていた子供達は大いにそれを馬鹿にして憂さを晴らしたのである。一部始終を見ていた水夫達も笑っていた。

 彼はこの話を愉快がって、とても楽しそうに笑った。

「ソニアの綺麗な髪にそんなことをした奴にはピッタリだよ。よくやったね」

 今度はソニアが彼の話を要求した。世界を旅して回っている者の話は、何より魅力的なのだ。彼は最近見た異国の街の話を聞かせてやり、ヌンタという変わった生き物の面白さを教えた。そしておもむろにマントを広げると、ポケットの中に丸まっていた毛玉を取り出して彼女に見せた。

「オレに懐いてしまったんで、そのまま連れてきたんだ」

 ソニアは声を上げて目を輝かせ、それにそっと手を触れた。温かな毛玉はフワフワとしていて、丸めていた体をゆっくりと解いて顔と手足を露にした。

 尾も入れると彼女の二の腕くらい長くて細い体をしたそれは、円らな黒い瞳を開いてソニアを見つめ、彼女の手に顔を近づけてクンクンと鼻をヒクつかせて匂いを嗅ぎ、手をペロリと舐めた。 

 ソニアはヌンタの仕草に夢中で見入っていて、彼が何やら真剣な目で2人の相性を見ている様子には気がつかなかった。

 背に赤い縞の入っている褐色の毛のヌンタは、スルリとソニアの手から肩に登って首元まで行き、ソニアをくすぐったがらせて笑わせた。

「かわいいねぇ! これ!」

彼はホッとしたように微笑んだ。

「……よかったら君にあげるよ。今度は君に懐いたようだ」

「エッ? いいの?」

「あぁ、そこら中連れ回すのも可哀想だから、君が飼ってくれれば助かる」

頷いてそう言う彼に、ソニアはキャッと喜びの声を上げてヌンタと戯れた。頭に上ったり首を一周したり、とてもすばしこくて、チュッチュという栗鼠のような高い鳴き声をした。

「何でも食べるし、そんなに沢山食べないから世話は楽だよ」

「うん! わかった。ありがとうお兄ちゃん!」

 ソニアとヌンタが遊ぶ様子を、彼は楽しそうに眺めた。

 ひとしきり遊んだソニアは、ふと思い出して彼に尋ねた。

「ねぇ、お兄ちゃんの名前、なんていうの?」

彼はソニアに何か訊かれる度に少し考えることの多い人で、今度もソニアを見つめたまま、暫く呆っとしていた。

「……ゲオルグだ」

「じゃあ、ゲオルグさんって呼ぶね」

彼はフフッとくすぐったそうに笑って、小さく頭を振った。

「……ゲオルグでいいよ」

「でも、大人の人には『さん』てつけて呼びなさいって、リラばあが言うよ?」

彼は紫色のスポットを持つ翠玉色の瞳をキラキラとさせて、優しくソニアの頭を撫でた。

「ソニアがいい子なのは解ってるよ。オレは確かに大人だけど、君とは友達だ。だから『さん』なんて言わなくていいよ。オレがいいって言うんだから、大丈夫だよ」

ソニアは「ふぅーん」と考え込んだ。

「トゥーロンにもダンカンにも、『さん』なんてつけなかったんだろう? それと一緒でいいじゃないか。オレもそういう友達になりたいんだ」

こう言われてソニアはよく納得し、「うん!」と元気よく応えた。

 彼は、人からヌンタを貰ったと言うと怪しまれるから、森で拾ったと言うようにソニアに教えると、もう日が落ちて辺りが薄闇に包まれ始めたので帰ることにした。

 帰り際、ソニアが「じゃあ、またねゲオルグ」と言うと、彼はたっぷり時間を掛けてゆっくりと微笑み、森の中に消えて行ったのだった。


 リラは、ソニアが見たこともない動物を突然連れ帰ってきたので驚いたが、見た目は狂暴そうな様子のない、子供に合った可愛らしい姿をしていたので、彼女の「飼ってもいい?」という珍しいお願いを一応承諾した。

 それ以後、ヌンタはよくソニアの肩や首に纏わりついて、何処へ行くにも離れなかった。そして、夜眠る時には彼女の枕元で丸くなって寝た。


 ヌンタは子供達にも珍しがられ、動物全般が苦手な者以外には羨ましがられた。猫や犬を飼っている者は何人かいるが、こんな風に肩に乗ってついて来たりはしない。大人達や教師も、見たことのない動物を奇妙に思って好奇の目で見ていた。

 ソニアは一貫して「森で拾った」と言い続けていたので、他に理由も思い当たらないから皆もそう思っていたのだが、大人や教師は真面目にこのことを考えた。これはまだ子供で、もっと大きく成長して狂暴になるのかもしれないし、異大陸から入り込んで来た魔物の一種なのかもしれないからだ。

 観察している限り害はなさそうで、たまにソニアにちょっかいを出そうとする者がいると、興奮して毛を逆立てて唸ったりする程度なのだが、大戦からまだほんの数年しか経っていない人々に、未知の動物はどうしても恐怖を抱かせるのだった。

 とにかく暫くの間様子を見ることにした教師は、毎日のようにヌンタの変化を見落とすまいと観察したのだが、ヌンタはそれ以上大きくはならず、特に心配はなさそうだった。

 ソニアが森でトレーニングしている間は、傍らの木を渡り移っては虫を捕まえて食べたりしていたし、家に鼠が出た時にはヌンタが捕まえて食べてしまうので、リラは猫代わりになると喜んでいた。教師は外国から来た旅人や水夫にヌンタを見せてみたが、誰も知らないと言うし、ヌンタは他にいないので『ヌンタ』と呼ばれ続けた。


 ソニアは未だ現れぬアイアスを想って、毎夜のように彼が喜んでいた歌を歌い、代わりにヌンタに頬摺りした。誰にも負けないくらい強くなれるのは一体いつのことなのだろう。途方もなく先のことだったらどうしよう。


 そんなある日、学校でソニアがトライアの歴史を勉強していると、教室に3人の港衛兵がやって来て、教師と何やら深刻そうに話し合った。暫く相談した後、教師ザイーフは助手ティアナと話し合って、そこで授業を打ち切った。

「今日、カラット君がまだ来ていないよね。休みなのかと思っていたが、家は出たらしいんだ。道で彼の荷物だけ見つかったから、これから先生も探しに行ってくる。だから今日はこれで授業は終わりだよ。皆、気をつけて家に帰りなさい」

 教師と助手が兵士と共に出て行くと、生徒達は皆、ザワザワと騒ぎ出した。カラットとは街の名士の息子で、ものが解らぬほど幼くはない10歳の少年である。荷物に彼の家の紋が入っていたから、すぐに彼の物と判ったのだ。

 既に港衛兵全員で捜索を始めており、両親や召使達も参加して必死に駆けずり回っていた。隣近所や、手の空いている大人達も手伝っていた。

 子供達はつるんで街の騒動を見に行き、教師の言いつけ通り家に帰った者は殆どいなかった。

 ソニアもそんな一人で、彼女の場合は状況を知りたくて一人で高台に登った。後ろからソニアの髪やヌンタの尾を引っ張るなど、主に女の子にばかり悪戯をする困った少年だったが、学友としてソニアは行方が気になった。

 街を見下ろすと、そこら中でまだ人が行ったり来たりしており、今の所街の中に彼はいないようだった。主立った兵士は既に森や商道の方へ行っている。漁師は港の水底に目を凝らし、潜れる者は潜って最悪を想定して動いていた。

 ソニアは首に巻き付いているヌンタを撫でながら囁いた。

「……何があったのかな……」

 迷路の中で進むべき道を考えたりする時にアイアスがしていた事を思い出し、ソニアは真似をしてみた。彼は3つの道があれば、その3つ全てを何度もジックリと見、360度何処にでも行ける時には、四方八方を見てこう言っていた。

『頭の中を綺麗さっぱりにして、何も考えずに全部見てみるんだ。ゆっくり時間をかけてね。そうすると、その内どこか一つがやたらに気になってくるんだよ』

 ソニアは背後の森にまでグルリと視線を動かして、そこから見える全ての景色を目に納めた。人の動きに気を取られてしまうのだが、灯台の明かりのようにゆっくりと体を回して、だんだんボンヤリとしてくると、次第に、動く者は蟻のように蠢くただの点にしか感じられなくなり、全てが一様な、重要さや存在価値に少しの差もない色の集合の世界に変わっていった。その感覚は、遂にダンカンにも先立たれて森で途方に暮れていた時の虚脱感に似ていた。哀しみはなかったが。

 ソニアは深緑色の中に吸い込まれていった。自分が、北側の森のある一点を見つめたまま固まっていることに気づくと、ソニアはわき目も振らずにそこへの最短ルートを辿って歩き出した。その感覚を片隅に残しておく為に、ソニアは目的地を真っ直ぐに見続け、夢遊病の子のようにフラフラと進んだ。

 商道付近にまで来ると兵士や大人の姿が遠くに見えたが、ソニアは彼らに気づかれぬうちにその道を横切って、更に森の奥へと進んで行った。普段から修行で森には来ているし、治安のいいお陰で殆ど魔物にも出くわさないので、ソニアに全く恐れはなかった。

 大分進んだ所で、ソニアは道から外れて単独捜索をしていた一人の港衛兵と鉢合わせした。子供を捜していた兵隊だが、目に飛び込んで来たのが目的の少年よりもずっと幼い少女であったので目を丸くした。

「君……何してんだい?! こんな所で危ないじゃないか!」

ソニアは呆っと目的地を見据えたまま、淡々と言った。

「……カラットを探しているの」

珍しく道を外れて続いている足跡を追いかけてきた兵士も「えっ」と驚いた。ソニアがまた一人で歩き出したので、兵士は「ちょっと待て」と肩を掴んだ。

「そんな事は大人がするからいい! 一人で森に入るなんて駄目だろう!」

ソニアは怖い顔をしている中年兵を見上げ、大人に叱られている怯えや後ろめたさをこれっぽっちも見せずに、当たり前のように彼の手を掴んだ。

「じゃあ一緒に行こ。一人でなきゃいいんでしょ?」

兵士は呆気に取られ、また黙々と歩き出したソニアに強引に引っ張られてそちらへ進み出した。

 しかし一度立ち止まった。

「――――いや、ダメだ。君は街に戻りなさい!」

ソニアはそう言われるとあっさりと手を離し、一人で先に進み始めた。

「こら、こら! ちょっと!」

兵士が追いかけてくるのでソニアは小走りになり、先程の感覚をどうにか保ち続けて、捕まらぬようジグザグに森の中を駆けた。兵士は叱責の言葉を投げながら必死でそれを追いかけ「まいったな」と何度もこぼした。

 ソニアがあんまりはしっこいので、兵士は一向に体に触れることさえ出来ずに追いかけっこが続き、次第に文句を言うのも疲れてきて、ただ仕方なく追いかけるばかりになった頃、ソニアははたと足を止めて木陰に身を隠した。兵士もつい同じ仕草をして彼女の背後につき、ようやく腕を掴んだ。

 やっと捕まえたと兵士が言おうとした時、ソニアが覗き見ているものが彼にも見えて、兵士は息を止めた。

 馬が3頭に大人が3人、そして子供が1人。カラットだ。

 10歳の子供は口に猿ぐつわを噛まされて声が出せず、涙で頬を濡らしている。悪事で身を立てている者独特の険しい顔をした男2人と女1人が、話し合いながらカラットを麻袋の中に押し込めようとしていた。

 ソニアのすぐ後ろで兵士が思わず呟いた。

「……何てこった、誘拐か……!」

 幼いソニアに、このような事をして何になるのかという悪人の事情はよく解らなかったが、とにかくその大人達が悪い人で、カラットが嫌な目にあわされているのだということはすぐに確信したのだった。

 ソニアは迷いなく飛び出して行った。兵士は大慌てしたが、様子を窺っていたくても、こうなるともはや自分も出て行くしかなく、鞘から剣を抜いて闘志を奮い立たせた。

「――――――カラットを放して!」

小さな女の子が突然そう叫ぶのを見て、誘拐犯3人とカラットは仰天した。すぐ後に兵士も現れたので状況を把握し、舌打ちはしても騒ぎ出さずに、彼らは自らの剣や弓を取った。女はカラットを抱えて、その首に短剣を突き付けて見せた。

「――――――おおっと! そこから動くんじゃないよ! この小僧の喉を掻っ切ってやるからね!」

カラットは抑え込まれてくぐもった悲鳴を上げて涙を流した。

 馬鹿でない兵士は、年齢に見合った合理的な提案をした。

「オレはもうあんたらの顔を見たぞ。その子に手を出したところで縛り首になるだけだ。逃げても絶対に捕まえてやる。だが、その子をここで放せば未遂ということで追いかけないでやろう。どうせ子供2人いたのでは追跡はできんから。どうだ? 諦めてその子を解放しろ」

 3人は目線だけで相談し合った。こうした現場ややり取りが長いのだ。その目の光の刺々しさや冷酷さに変化がなく、むしろ一層増したのをソニアは見た。彼等が下した判断は、兵士の提案よりずっと恐ろしいものだった。

 有無を言わさず、男2人がソニアと兵士に襲いかかって来た。血や殺人を好まない盗人や罪人はいるが、彼等はそういった者達とは違う、筋金入りの悪党だったのである。この顔ぶれなら圧倒的に彼等の方が有利だから、ここで2人を殺して、誘拐を尚も実行し続けようというのだ。

 兵士はソニアを庇うように間に入って応戦した。優秀でよく戦ってはいたが、相手も歴戦の盗賊らしく身軽で、立ち回りも上手かった。縛られているカラットを放り出して女も短刀で参戦し始めたので、実質3対1になってしまった。

「――――――逃げるんだ! オレがここで食い止めている間に誰か呼べ!」

兵士はそう叫んだが、ソニアには間もなく彼が斬り付けられてしまうのが目に見えていたので、言うことを聞かず、代わりに戦いに加わった。

「――――――フレア!!」

突然火炎が発生して眼前を覆ったので、盗賊達は面喰って仰け反り、後退した。兵士もこんな幼い子がそれをやったとは信じられず、目を見張った。

 ソニアはアイアスを思い描き、アイアスになり切った。

「――――――退け! 退かねば倒す! 覚悟しろ!」

呆気に取られている火傷顔の盗賊は、痛みと驚きで笑うに笑えず、ただとても変わっているその子を穴の開くほどに見た。彼等が動かないので、ソニアは一人前に出て追撃した。

「――――――ザナ!!」

冷気の突風が吹雪となって3人に叩きつけられ、勢いよく吹っ飛ばされた。

 馬は怯えて木立の奥に退いているし、これでカラットは彼等から離れた所に取り残された。ソニアがすかさず駆け付けて彼の綱を解こうとする。兵士も遅れたが、そこにやって来て剣でロープを切ってやり、猿ぐつわも外してやった。

 3人の盗賊は、まだ信じられない顔をしてそこで目を丸くしていた。先程のように仲間同士目を合わせることが出来ず、今度は口で疎通し合った。

「……信じらんないけど、術者なんだよ。あのガキ」

「……どうする? 殺るか?」

「……殺っちまわないと、後が大変だぜ」

一度挑みかかった以上、子供でも殺しかねない凶悪犯として執拗に追っ手がかかるのは明白だったので、3人は本気になって殺意を漲らせた。

 それを読み取った兵士は、カラットを先に逃げさせた。ソニアにはいくら言ってもダメだった。カラットは泣きながら商道の方へ走って行った。すかさず一人がカラットの後を追おうとするが、兵士がその行く手を塞いだ。

 残る2人も追おうとしたので兵士一人では手に余ったが、何処からともなく風が吹きつけてきて盗賊に向かい風となり、そこでソニアが先へ行かせまいとしていた。小さな手を一旋させて、ソニアはまた吹雪を起こした。

「――――――ザナ!!」

先程より強烈な冷気を浴びて2人は吹っ飛び、木に叩き付けられた。近づいては危険だと判断した男は弓を取り、その距離からソニア目掛けて矢を放った。兵士は声を上げるが、離れていたのでとても防げず、しかしソニアはヒラリとかわして木の陰に隠れたのだった。その動きも、ただの子供のものではなかった。

 矢の攻撃が続き、そのスキに女がカラットの後を追った。ソニアは女に体当たりして転ばせ、追跡を阻止した。女はいきり立って叫び、ソニアの髪を掴んで引っ張り、滅茶苦茶に叩いて引き剥がそうとした。するとヌンタが唸りを上げて女の顔を引っかき、手に噛み付いた。

 女とソニアが絡み合っていることで矢の攻撃が出来なくなった男は、兵士の方に狙いを変えて一本放ち、足に命中させて兵士を片膝つかせ、そのスキに自分でカラットの後を追おうとした。

 それに気づいたソニアが女を振り解いて男の肩に飛び乗り、目を覆い隠して絞めつけた。男は喚きながら弓でソニアを叩き、手探りで木の幹を見つけて思い切り打ちつけた。衝撃で落とされたソニアは頭がクラクラとしながらも、その至近距離から炎撃を放って再度男の顔を焼いた。男はギャアアと叫びながら、転がっているソニアに蹴りを食らわせた。それが頭に直に当たったので、ソニアは一時的に視界が真っ暗になって朦朧としてしまった。

 すると、何か大きなものが過ったような風が起きて「ギャッ」という声がし、その後にも今度は女の悲鳴が聞こえて、その呻きが遠ざかって行った。

 視界が回復しだしたソニアが見てみると、弓の男と女は消え、負傷した兵士が未だ残る一人の男と戦っている最中だった。ヌンタの姿も見えない。

「――――おい……?! おい……?! 何処行ったんだ!!」

2人がいないことに、残る男が不安に駆られて叫んだ。

「まさか……先に逃げやがったのか……?! おぉ――い!!」

こうなると、それまで果敢に戦っていた男は、情けなくも皆の後を追って一人退散して行った。普段つるんで集団でしか行動しない者は、単独には弱いのだ。

 剣を地に突き立てて息を切らせている兵士の下へ、ソニアは駆け付けた。

「どうしたの? 何があったの? 皆逃げたの?」

兵士はまだ信じられない様子でソニアを見ながら、痛みに顔を歪めて首を振った。

「……いや……解らない。オレは見てなかった」

すると、暫くして男が逃げて行った方で新たな悲鳴が上がった。2人は息を殺して音に聞き耳を立てた。その後は静かなものだった。

「……何か魔物でも出たんだろうか……? 早くここを離れよう」

そう言う兵士だったが、立ち上がろうとしても足の痛みが酷過ぎてまともに立てず、悪態をつきながら矢を抜き始めた。

「毒ない……? 大丈夫……?」

「これだけ時間が経ってるが、妙な眩暈なんかはない。……大丈夫だろう」

そして歯を食いしばって呻きながら、一気に矢を引き抜いた。息を切らせて矢を投げ捨てた兵士は、出血を止めようと腰鞄から包帯を取り出そうとした。

 しかし、ソニアが「待って」とその手を止めた。彼女は傷口の上に小さな両の手を翳して集中すると、呟いた。

「ヒール!」

すると彼女の掌から白い霧が発生して仄かに輝き、傷口に吸い込まれていくと、あっという間に傷口は塞がって、痛みもすっかり取れてしまったのだった。兵士はますます目を釘付けにして奇跡の幼子を見つめた。


 兵士とソニアが2人で商道に出た時には、そこはもう大騒ぎで、泣きながら現れたカラットの呂律の回らない話に混乱した兵士やら大人やらが右往左往していた。しかし、まともに証言できる人間が戻ったことで事態は収拾し、早々と凶悪犯を追うべく騎馬の兵士が森に放たれた。

 知らせを受けたカラットの父親が馬で駆け付け、息子を力一杯に抱き締めて、ヒゲもじゃの顔で頬摺りした。カラットはまだ泣いていた。あんな恐ろしい目にあったのだから無理もない。そして、泣けるだけ大丈夫だとも言えた。こんな時に泣けない子供ほど、後々の心の傷が心配なものである。

 ソニアはそうしたこととは別の理由で、特に涙も哀しみもなかった。殺す気でこちらに向かってくる人間の姿を久々に見て、かつての旅を思い出し、それで少し放心していた。

 切り株に座っている彼女を、一緒に戦った兵士が気遣って隣に座り、ずっと肩を抱いてやっていた。

「……君の勇気は凄かったよ。オレでもビックリした。君は……一体何処であれほどの技を身につけたんだい?」

「……お兄ちゃまだよ」

「え?」

「……お兄ちゃまから教えてもらったの。あとトゥーロンにも」

「そうか……いいお手本がいたんだね。それに、君には素晴らしい才能がある」

今は犯人の追跡と、子供が見つかったことを知らせて人々を安心させ、カラットを宥めることに皆が尽力していたので、兵士はまだソニアの活躍ぶりを細かに人には話していなかった。放心している彼女の為にも、その方が良いようだった。

「私……誰にも負けないくらい強くなりたいの……!」

虚空を見つめてそう言うソニアに、兵士は思慮深く頷いて「そうか」とだけ返し、後はただ肩を抱き続けた。

 騎馬兵に後は任せて集団が街に戻り始め、ソニアも一緒に帰り始めた時、ヌンタがふいに戻って来て、スルリと彼女の肩に乗っかった。

「わぁ、どこ行ってたの?」

 見れば、ヌンタの口元は血でヌラヌラと濡れて光っていた。それを拭えるほどヌンタの舌は大きくないので、小さな手で口を擦ってはその手を舐めた。不思議に思いながらも、鳥か鼠でも獲って食べたのだろうと考え、ソニアはヌンタの背に頬摺りして、ようやくささやかな笑顔を浮かべたのだった。


 家に帰ると、戸口では知らせに驚いたリラが待ち構えており、ソニアを抱き締めた。保護者らしく「無茶をしましたね」とだけ軽く咎めたが、後はひたすらに誉めた。

「さすがアイアス様の妹君です。真に勇敢な行いでした。アイアス様も、きっと喜ばれることでしょう。私にとってもあなたは誇りですよ、ソニア。本当に今日はよくやりました」

 ソニアはニッと笑い、昼食も取らずに駆けずり回ってすっかりお腹が減っていたので、リラの用意した食事にかぶり付いた。毎日激しいトレーニングをしている彼女は食が良く、いつも普通の子の倍近く食べていたので、この時も、スープやパンやチーズを軽く平らげてしまったのだった。

 日の短い季節なので、もう空は暮れ始め、いつもの練習をしに行こうか考えていたソニアも、まだ森に大勢の捜索隊がいるのと、実戦によって十分に体を使ったこともあって、今日だけは無理をしないことにした。そして、その決定がなくても出掛けられなかったであろう数の訪問者が、その後続々と訪れた。

 まずは現場にソニアがいたということを聞きつけた教師ザイーフと助手ティアナが、そして次に、息子の口から学友の活躍を聞かされたカラットの父親がやって来た。教師等は心配していたがソニアはケロリとしていたし、手土産を抱えて来た父親は、ソニア本人のあまりの幼さを見て、信じられない様子で呆然と立ち尽くしていた。

 父親は先にあの兵士の所へ礼をしに行っていたので、そこで父親からここに来ることも聞いていた兵士も遅れて到着した。幼いソニアでは、大人が納得のいくように当時の状況を説明するのは難しいかもしれないと考えて、助けに来たのである。

「君が魔法をもう使えたなんて知らなかったよ。驚いたなぁ。どうして今まで言わなかったんだい?」

ザイーフはしきりにそう言い、ソニアはその《どうして》の理由がよく解らずポカンとしていた。

「貴女のご意向で密かに訓練させているのですか?」

リラは皆にそう尋ねられて戸惑い、やんわりと否定だけした。

「貴女は確か、この子を遠方から引き取られたんでしたね。ご親族でしたっけ?」

リラは言葉に詰まりながら、「ええ」と答えた。客達は全くの好奇心だけで迫っているので、敵でも何でもないのだが、秘密が多いリラとしては身構えてしまうのだった。

 今度は兵士が加わった。

「何でも、兄上殿に教わったそうですな。実に優秀な家系なのでしょう。あのヘイドリン殿も輩出されたのですから。亡くなられたのは実に惜しかった」

息子の名が出ると、リラも思い出して久々に目頭を熱くし、そっと涙を拭った。話の主役が如何に幼子であっても、その場に大人ばかりが集まれば話をするのは専ら大人で、ソニアは彼等のやり取りをただ見ていた。

「訳あって……この子の兄はこの子をここへ預けられましたが、その時から、この子は大分素養があったんだと思います。大変勤勉な子で、自分でもずっと訓練を続けているんです」

「それは知りませんでしたな……!」

教師ザイーフは目を輝かせて、真剣な面持ちで何度も一人頷いた。この世で一番勤勉を愛するのは教師という生き物だ。

「今時分からそれだけ魔法が使えるのならば、この子は賢者の素質があるかもしれませんよ。出来ることなら、都の英才学校に通わせた方がいい。あそこなら、この街より高度な魔法訓練が出来ますから。私が推薦状を書いて才能が認められれば、無償で寄宿させてもらえるでしょう」

集まった顔ぶれの性質もあって、進学のこととなると話が盛り上がった。

「息子の命の恩人なのだから、私が幾らでも資金後援させて頂きますぞ。このデルフィーから賢者が出るとなれば、我々も鼻が高い」

その道に詳しい者達はあれこれ手立てを挙げ、有名な魔導士や賢者の名を語って、伝わる生い立ちと彼女のそれとを比較した。

 どんどん話が進んでいく中、リラは一人ハラハラと状況に流され、しかし何も言えず、ソニアの反応や皆の顔ばかりを代わる代わる見た。助手ティアナは、神経細やかな若い女性らしくリラの不安を感じ取って理解していたし、兵士の方はまた違った意味で、ソニアがこの話題に関心を持っているのかどうかを読み取ろうとしていた。

 話が続く中、やがてソニアが突然口を開いた。

「私、戦士になりたいの」

すると一同――――リラを除く――――が《エッ》という顔で固まって会話が途切れ、全員ソニアを見た。

「私……誰にも負けないくらい強くなりたいの」

明らかに皆が《戦士だって?》という目で彼女を見ているので、リラが補足して説明した。

「……この子は、この子の兄をとても尊敬しているんです。その人が戦士だったから、自分もそうなりたいと思っているのでしょう。大変優秀な人でしたから」

「でも……戦士(・・)でしょう? まさか、こんなに魔法が出来て成績だって非常に優秀なのに――――」

教師は思った通りについそう言ってしまい、そこまで口にしてからハッとして、兵士に気を遣い口を噤んだ。兵士の方は殆ど顔に出さなかったが、知識人や富貴の者等に見下されているところがあるのは長年承知で、少し目を伏せた。

 リラはもう少し付け加えた。

「魔法も扱える優れた人だったんです。だからそうなりたいのでは、と」

「……そんなに優秀な方だったのですか。一体名は何という方なので?」

 ソニアは、リラから滅多なことではアイアスの名を出さないほうがいいと言われていたので、言いつけ通りに黙っていた。理由はよく解らなかったが、その方がアイアスの助けになるかもしれないと教えられたので、すぐに了解したのだった。

 リラが口篭もっているうちに、皆が期待する答えとは裏腹に、ソニアが自分の意志を語り始めた。

「戦士と魔法使いが戦ったら、速く動ける戦士の方が強いでしょ? わたし、誰にも負けないくらい強くなりたいから、一番強くなれるものがいいの」

子供らしい言い様ではあったが、この子なりにちゃんと考えているのだということが伝わって、感慨深げに兵士がゆっくり頷いた。

「……成る程、その者の強さの域にもよりますが……同程度の者同士ならば、確かに戦士は最も強いですよ。もちろん1対1を想定しての話ですが。実戦は集団でのことになりますから、強さの図式は複雑になりましょうがね」

 カラットの父親や教師は、全く納得のいかない様子だった。どうしても戦士になりたいのかね? と、ソニアに対して無駄とも言える質問を繰り返した。

「この国で1番強いのは誰?」

そうソニアに訊かれて、大人達ははた、と止まり考え込んだ。これに真っ先に答えられたのは兵士だった。

「国軍隊長様だよ」

「こくぐん……たいちょう?」

兵士は頷いて見せた。

「ただ強けりゃなれるってモンじゃないが、この国の軍隊で1番強い人だ。魔術師団も賢者も、皆軍隊長様の命令に従って動くんだよ」

「……強い?」

「ああ、強いとも。今いる中で、1対1で戦って勝てる相手はこの国にはいないだろうよ」

ソニアは大人達が見守る中、夢見心地な放心の表情で視線を上げた。

「じゃあ私……それになれるよう頑張る……! それがいい……! それなら……誰にも負けないくらい強くなったって、お兄ちゃま判るよね……!」

教師も父親もその考えには賛成しかねて、この子の考えをどうにか改めさせなければと思ったが、何分にもまだこんな小さな子の言うことであるし、そのうち気が変わることだってあるかもしれないということで、英才学校行きの話はその辺にしておいた。

 リラは、アイアスが残した願いであり、今では自分の心からの方針でもあることを彼等に告げた。

「私は、この子のやりたいようにさせてやりたいと思っております。大人が見て間違っているように思えることでも、この子が考えて決めたことならば、その通りにさせてやるつもりです」

それを押し除けてまでソニアを都に行かせることは尚出来なかったので、教師等は苦笑して溜め息をついた。

 そしてこういう提案が成された。ともかくソニアはこれまで通り学校に通い、これからは街で一番優れた術者に、その者が教えられるところまで魔法を指導してもらい、その限界が来て、もはや都に移るべきかどうか判断した方が良くなった時にまた考えよう、というものである。

 兵士からはこのような提案も成された。教師と父親はソニアにそれを教えたくない不満さをありありと顔に出していたが、兵士はこの話が一番この子の心を掴んでいると知っているので、心持ちは得意だった。

「もし国軍隊長を目指すつもりなら、進むべき段取りは決まっているよ。まずこの街で兵士になるんだ。本当は10歳にならないと訓練には参加できないんだが、君のような特別な才能のある子なら、もっと早くても大丈夫だよ。そして訓練を終えて正規の兵士の資格が下りたら、この街で暫く兵士の仕事をするんだ」

ソニアは瞬きも少なく、実に集中して兵士の話を聞き、ウン、ウンと頷いた。

「それで優秀だと認められると、都の兵士として国軍入りをする。城で働く兵隊さんになるんだ。最初は一番下の位だけど、いい働きをしたり試合で勝ったりすれば、どんどん上の位に昇格していける。どこまでもどこまでも上がっていくと――――――最後は国軍隊長になれるんだ」

ソニアの目はキラキラと輝いていた。兵士は、自分の息子や娘に物語をして聞かせている時の反応以上に、今この瞬間、その輝きに喜びを感じていた。

「私、それがいい!」

教師と父親はしまったといった表情で目を合わせ、頭を抱えた。

「まぁ……今は学校に行って魔法を学んで……その他に出来るのなら、訓練もするということにすれば……いいんじゃないですかね?」

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