第3部12章『ディライラ狂想曲』1
中央大陸ガラマンジャ中部にある沿岸地帯最大の都市ソドリムは、今日も大型船の往来多く、荷馬車や人々の出入りが絶えなかった。
ガラマンジャ西部に位置する強国アルファブラと肩を並べることの出来るこのディライラ王国は、何よりも商業を国力の頼みとしており、海洋貿易で栄えた歴史から、主都も海沿いに存在していた。
情報、物資の流通にかけて世界に並ぶもののない海商王国であるここは、ヌスフェラートの世界侵攻が始まってからも極力船を出し、人も動かして、流れを滞らせまいと奮闘していた。海上を行けば、襲いかかる海の化物や海賊とも戦わなければならない。だから普通の一般市民は怖れて海に出なくなるものなのだが、この国は長年海賊と戦い続けてきた歴史もあり、数多くの優秀な戦士、術者を船の守りとして乗り込ませることが出来たので、現在でも海旅が可能なのだった。
だからディライラの海兵隊は有名で、何処かの国で単調な兵士生活を送るよりも場数が踏め、金回りも良いものだから、故郷にさしたる思い入れのない他国の者までが多数移り住んで、腕を上げ、名を上げようと入隊を目指していた。
この流れを止めることは全ての停滞に繋がると心得ている王は、少しでも以前と同じ生活をすることが戦いの勝敗を決すると考えていて、船乗りや護衛者の賃金を割増にしたり、新たな護衛者を募ったりと、流通の防備に資金を投入する政策を取っていた。そのお陰もあって、世界的に見ても、今はこの国に1番の腕利きが結集しているとも言えた。
また、それだけではなく、このソドリム港――――高台に王城が聳える海洋都市――――が未だ健在である最大の理由は、皇帝軍の直接攻撃を受けていないことにもあった。
これまで、真っ先に狙われて攻撃を受けてきたのが辺境国や小国ばかりで、いかにも我が国に劣りそうな所ばかりであることから、勝ち気で大胆な王は、ディライラの力を警戒して皇帝軍が踏み込んで来られないものと考えていた。小国なりとも、どうにか凌いで敵を退散させた例もある。だから、皇帝軍はますます慎重になっているに違いないのだ。世界最強とも謳われるアルファブラもまだ侵略攻撃を受けていないのだから。
先の大戦でも、この都は死守出来た。今度もきっと勝ち残ってみせる。王はそう心に誓って、この国が少しも怯んでいないことを見せつける為に船を出し続け、物を集め、人を集めた。
そんな港街の、市場が軒を連ねる石畳の大広場には、多くの人々が犇めいて盛況を見せていた。広場にテント出店しているのは主に食料品店ばかりで、世界各国から取り寄せられた珍しい野菜や果実が所狭しと並べられている。
きちんと店舗の構えられている商店街に足を運べば、衣料品や武器、防具類まで何でも揃う入り組んだバザールになっている。大戦を生き残る為に必要な武器、防具を調達しに来る顔ぶれが、現在における客層の主流で、街の何処にでも猛者が見かけられた。術者用の小道具や薬品類も品揃えが豊富であるから、魔術師達の姿も多い。
そのバザールを物色するが如く、1人の男が歩いていた。旅人風で、それほど裕福そうな身なりではなく、かと言って薄汚れてもいないので特に目立たず、雑多な買い物客の中に溶け込んでいる。鎧の類は身に着けず、腰のベルトに杖を差しているのみなので、術者であるとすぐに判る格好だ。
他の客は自分の求める品にばかり夢中で、店主の方も、男があまり関心を示さないのが判るとすぐに別の客を引きに移るので、誰の目にも深く止まることはなかった。
人の数の多さ。年齢層や体質的特徴の多様さ。申し分ない。
男は以前から何度もこの地を訪れ、街を具に観察していた。世界中で適当な土地を見つけてはプランを練っていたのだ。近々、ここが戦場になるという情報も既に仕入れている。後は時を待つだけだ。
そうして男は、きちりと閉じたマントの内側に隠し持つ貴重な品々をそっと撫で、ほくそ笑んだ。
情報を得る為にこの都市を訪れている者は他にもいた。丈の短いマントとブーツ姿の少女が、あちこちをうねり歩く。フードに頭髪は隠れているが、覗き見えるその顔はとても利発そうで美しい顔立ちをしていた。すぐ側には、長いローブとマント姿でピッタリと離れず後に続く男の姿もある。
両者とも剣は帯びておらず、杖を手にしていた。元はシミ1つない、刺繍や縫製の凝った豪華な布地だったことを思わせる2人の服は、今では数々の戦いを物語り、シミや焼け焦げで薄汚れていた。
美しい顔でこのなりだから、この娘は人々の目を引いていた。
「皇帝軍の情報ですか……そりゃ、術者が多く集まる酒場がありますから、そこへ行ってみたらどうですかね」
娘は、香辛料の卸売り店で店主に示された酒場街に向かって歩く。彼女を追うことに慣れた中年男が、後ろからこう言った。
「酒場だなんて……いけません。そのような物騒な所。しかもこの時分です。大して人はいないのでは?」
「今行って少なければ、夜また来ます」
「まずは国王様にお伺いを立ててからにしませんと――――――」
「おだまり」
少女はピシャリとそう言い放ち、振り返りもせずに酒場街を目指して歩いた。その後を、長い溜め息をつく男がついて行く。
その頃、同じガラマンジャ中部の海岸線より少し内陸に入った森の端に、彗星が到着した。深い森が切れる境界にあたり、すぐそこから人里に続く道に入れる場所だ。
星の光が弱まり消えると、そこにはリュシルとソニアがいた。
「さて、ここが、お連れすることが出来る精一杯の場所です。人間に見られることを避けているものですから、この様な場所で申し訳ございませんが、すぐに人里は見つかりましょう。ここは人間世界で言うと、ディライラという国にあたります。ここなら、そう遠くない所に大きな街があるはずです。そこを目指して行かれるといいでしょう」
「ディライラ……中央大陸ですね。あなた方の村も同じ中央大陸ですか?」
「ええ、そうです」
リュシルは頷き、ここで新たにお守りのような物をソニアに差し出した。紐で編み込まれた細長い物で、端には金属の輪があり、そこにジャラジャラと別のリングがついている。
「貴女が再び来る時の為に、これをお持ち下さい。この大陸の森林地帯のいずれかで――――出来る限り人目につかぬ所で、これを燃やして下さい。そうすれば、お迎えに上がりますから」
ソニアはとても嬉しそうにそれを受け取った。信頼と友愛、親交の証だ。
「また会いましょう」
「ええ」
2人は固く握手し、実に名残惜しそうにリュシルは切なく微笑んだ。出来ることなら、同伴して行きたいほどに彼女の行く道を案じているのだ。
ソニアは迷うことなく、手を振りながら森を出て叢を進んで行った。
「――――さようなら!」
2人とも、互いの姿が見えなくなるまで何度も何度も手を振った。やがて、なだらかな下り坂にさしかかって、彼女の姿が茂みの中に消えて見えなくなると、リュシルはそっと溜め息をついた。
昇り行く太陽の光が叢を温め、熱気と緑の香りが上り立ち、風に乗り漂ってくる。ここから先は、彼等の住む世界ではない。
「……さようなら、エア様の御子……」
リュシルはそう呟き、去り行く者への祈りを捧げて、守護の印を空で切った。
そしてまた星となって空へと飛び立ち、彼方に帰って行ったのだった。
ソニアがはじめに辿り着いた村は、大きな商道に面した宿場町だった。衛兵の多さと馬の数で、要所だとすぐに判る。道を徒歩で来た長身の女性に、門を守る衛兵が目を丸くした。
「おや、お1人で旅をなさってるんですか? 危ない」
ソニアは挨拶だけをして、この村の名と、ここに1番近い大きな街の名を尋ねた。ここはセントリムと言う所で、馬で行けば日暮れまでには主都ソドリムに着くことが出来る距離にあるらしい。それなら大変便利だとソニアは喜んだ。ディライラはまだ皇帝軍の攻撃を受けていないようだし、噂に聞く主都は情報の集まる大都市である。そんな所なら簡単に流星術者が見つかるだろう。
ソニアは乗せてもらえそうな馬車を探し始めた。身分を隠す為に決してフードは外さぬものの、見える顔の美しさと女性であるということから、馬の水場であっという間に3つの馬車が名乗りを上げた。争い合って喧嘩まで始めかねない様子だったので、ソニアは苦笑し、1番積荷の軽い馬車にお願いすることにした。綿糸の詰まった麻袋が堆く積み上げられている荷馬車だ。これを都で売り、帰りは商売用に買い集めた品を載せて行くのである。
彼女が選んだとあっては他の馬車主も口出し出来ず、ふて腐れてとても残念そうにし、選ばれた綿糸の馬車主はすこぶるご機嫌になった。ソニアは他2つの馬車主に丁寧に礼を言ってから、綿糸の馬車に乗せてもらった。
馬車には護衛が付いており、2人が前後に配置して山賊や魔物に警戒していた。どの荷馬車も同じようで、運ぶ荷が高価であればあるほど護衛の人数を増やしているようだ。中には、わざと護衛を少なくして安荷のふりをし、敵の目を欺こうとしているものもあるのだろう。
ソニアは御者台の横を勧められ、馬車主と並んで座った。後部にも荷物番が1人いて、麻袋に寄りかかっている。護衛者も荷物番も、隙あらばソニアの姿を盗み見ていた。
ソニアは必要がなければ戦士であることすら明かさないつもりだったので、マントから剣が見えないように隠し、そこに自分の荷物を置いて何食わぬ顔で世間話をした。
まずは、何処から来て何処に向かう、何処出身の者なのかを根掘り葉掘り尋ねられたので、ソニアは森林地帯から親の使いで来たことにした。主都で薬を求めるのだ。あまりその話を膨らませると会話が面倒になるので、早い段階でソニアは最近の世界情勢について質問攻めにした。何処が攻められ、何処がまだ無事なのか、この何日間かは全く情報に欠けているので、ちょうど知りたいところだった。分かっているのは、昨日エアルダインに見せてもらったトライアの無事だけ。でも、今この瞬間どうなっているのかは定かではない。
太って毛深い馬車主の言うには、ディライラは今の所どの街も無事で、新たに攻撃を受け始めた国の話は未だ聞いていないということである。ただ、彼はこうして定期的に都に上る時にようやく情報を得られる程度であり、まだ途中の宿場町で少し話をしただけだから、都に着けば何か新しいニュースが入っているかもしれないとのことだった。ソニアも、主都に到着したらまずは情報を仕入れたいものだと思った。
彼等は、この荷馬車でゆるゆる進んで主都から4日の距離にある農村地帯の者らしい。護衛も同郷の者だとか。いやぁ、こんな別嬪さんを乗せられて感激だと馬車主は何度も繰り返した。
途中で何度か魔物に遭遇したが、日々の往来が盛んな道であるだけに大物は大方駆除されているお陰で、大して手強い者ではなく、2人の騎馬の護衛だけで容易にあしらうことが出来たので、ソニアは御者台で馬車主に庇われながら一般人らしく振舞うことが出来た。
やれ、前衛の男はこれまでにどんな魔物を仕留め、後衛の男はあんな魔物を仕留めと、村出身の戦士の腕を自慢し始めれば、護衛者達も胸を反らせてみたりした。
今夜は主都で1泊して明日の昼に帰るので、良かったら帰りも一緒に乗って行かないかと誘われたが、おそらく滞在が長引くだろうし、他の街にも薬を探しに行くことになるかもしれないからと、ソニアは丁重に断り礼を言った。皆は残念そうにし、馬車主はいい薬が見つかるといいねぇと言ってくれた。
そんな風にして丘を幾つも越えて行くうちに、人や荷馬車とすれ違うことも多くなり、大都市に近づいてきたことがジワジワと伝わってきた。
途中、広い野原で馬車を停めて馬に草を与え、皆も食事を摂った。パンや干し肉を分けてくれたので、ソニアもお土産に貰った花の形のパンとチーズを出した。
皆、何だこれは、とびきり美味しいと喜び、ソニアは身内が作ったとごまかして微笑んだ。あまりに感心する彼等のほぼ全員が、これだけ料理の腕がいい身内の血を引いて、きっと同じく腕がいいに違いない、しかもこれほどの美人を嫁に出来たらどれほどの幸運だろうと考えて、思わず真顔になってしまった。ソニアの方は、皆がパンとチーズの素晴らしさに感激し過ぎているのだと思い、同族として誇らしい気持ちになった。
その後の道程はまた質問攻めになり、やれ結婚はしているのか、決まった相手はいるのかとソニアはしつこく迫られ、1人者の姉妹はいないかとまで尋ねられた。
こうして、ただの娘として長時間過ごすことがこれまであまりなかったので、そんな風に言い寄られることが初めてのソニアはだんだんと可笑しくなってきて、求婚者がいるとだけ教えた。これは本当のことだ。そうすれば、それはどんな男なのか、受けることにしたのかと追及された。ソニアは軍隊の高い地位にいる男だと教えた。そうすると、これは敵わないと思ったらしく、皆は段々と首を落とした。
おかしなものだとソニアは思った。地位を聞いただけで早くも諦めてしょぼくれてしまうなんて、男というものは地位や財産の差でそんなに簡単に序列を決めつけてしまうのだろうか。それとも世の女が、地位や財産の差で結婚相手を選ぶ傾向にあるのだろうか。心は? 相手の人の善し悪しは?
で、決めたのか? と訊かれ、ソニアはまだ考えていると答えた。これまた、どうしてだ、どうしてだと迫られた。この問題に関しては、ソニアはずっと本当のことを話しており、今度もそうして「好きかどうかまだよく解らない」と答えた。男達は笑った。そして少し顔を上げた。
それじゃ、どんなのが好きなんだ? と訊かれ、ソニアは真っ先にアイアスのことを思った。すごく優しい、お兄さんみたいな人がいいと答えると、男達の顔は明るくなった。そして後はずっと、道中ちやほやされ通しとなった。
空の色が変わり始めた頃に最後の丘を越え、前方が大きく開けると、目の前に水平線が見え、太陽が眩しく海面を照らしていた。
高台の上に立つ尖塔も見える。その威容と大きさから、あれがディライラ王の城に違いないと一目で判った。この距離からでも、海に向けられた砲台の数の多さが窺える。翻る三角旗の数も、それに負けず劣らず賑やかだ。城は崖に沿って階段状に建っており、最上段の城郭からは、六角形の尖塔が何処よりも高く伸びて天を差していた。きっと灯台の役目も果たすのだろう。曲線とまではいかぬが反りと直線の多いデザインで、色は明るい。今も夕日に映えて外壁が黄金色に輝いている。
高い位置にある城だが、上から直接行くことは出来ないようだった。三方を急斜面や断崖に囲まれているので、下から登って行くより他ないらしい。
荷馬車は大きく曲がる道を進みながら、ゆったりと標高を下げて行った。ここまで来ると他方からの道とも合流して、人と馬車の往来はますます激しくなっていた。いかに商業を発展させているか、大戦時でもその勢いを削がれていないのかが、そこに活気として表れている。
港の大きさ、船の数、どれを取ってもトライアのデルフィーやクリーミャですらかなわない規模だ。さすが、主都を港街に置くほどの海洋王国である。
潮の香りとカモメの鳴き声を懐かしく思いながら、ソニアはこの絶景を思う存分楽しんだ。街の高さにまで下ると、今度は格段に徒歩で行く人の数が増える。馬車はそのまま中央通りを進んだ。
トライアの主都でも、祭の時でもなければここまで人が道に溢れないものだ。戦士、術者、商人、水夫、売り子、職人……大した盛況である。これだけ人と物が集まっていれば、動く金もさぞ大きいことだろう。
巨大な中央広場まで辿り着くと、そこで馬車は止まった。この先の市場で綿糸の取引をするのである。ここでお別れだ。
この広場を中心にして放射状にバザールが広がっているので、薬を探しに来たという名目上、薬品を扱う店が多い通りを教えてもらい、ソニアはそこで荷馬車から降り、存分にお礼の言葉を述べて男達と別れた。最後の最後まで、彼等は非常に名残惜しそうにしていた。
先を急ぐ為、ソニアは軽快に小走りで雑踏の中へと入って行き、いつまでも姿を目で追おうとする彼等の視界から、あっという間に消えたのだった。