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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第11章
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第3部11章『森の民』6

 朝方まで続いていた宴の余韻がまだ会場に残り、酒と花と料理の匂いが漂っていた。床には、酔いつぶれてそのまま眠ってしまった者が何人もグウグウと鼾をかいている。誰がそうしたのか、温かそうな毛布がその1人1人に掛けられていた。朝の早い老人が逸早く数名で立ち働き、寝坊助達を避けて黙々と会場内を歩き回りながら後始末をした。主に潰れているのは、年若い者や壮年の男性ばかりだ。

 老人達は皿や杯等の食器類を検めて、それが何処の家から持ち込まれた物かを調べた。

「これは……カルスんとこのかな?」

「あぁ、そうみたいだね。……これはわかるかい?」

「そんなコップあったかね」

「さぁ……昨日は取っときのを使ったのかもしれないし」

1人が懐から杖を取り出して誰何呪文をかけると、その銀製コップはピョンピョンと跳ねて仲間の食器達が集まる所に移動した。

「なぁんだ、トラシラのか」

コップは皿やボウルと合流できると、落ち着いて動きを止めた。


 ソニアは同じ館の2階にある客間で泊まり、一晩中ずっと宴の音楽が流れてくるのを子守唄に、気持ち良くぐっすりと深い眠りに着くことができた。昨夜食した料理や飲み物や音楽、そのどれが1番効いたのか判らないくらい旅と戦闘の疲労は癒され、心身共に満たされた。

 客間は全て植物の色彩で統一されており、木目と光沢の美しい家具類には彫刻や象嵌がふんだんにあしらわれて、細部までとても凝っていた。ベッドにかかる淡い若草色やモスグリーンの天蓋布は、ゆったりとドレープを成して柱にまとめられており、ベッドの掛け布や枕には、キルトとレースがふんだんに使用されている。1番下の毛布などは、まるで羽のように軽くて肌触りも良く、体に溶け込むかのようだった。

 そんな心地良さとポプリの香りに包まれて眠っていたものだから、彼女にしては珍しく、日の出後もまだ目は覚めなかった。

 ナマクア大陸から一瞬でスカンディヤに移り、その後この土地に魔法移動しているから、時差で体が多少ビックリしてもいるのだ。何せ向こうは白夜の国だったし、今度はこの村に来て昨晩の宴である。生活のリズムがズレても無理からぬことだった。

 村人の方は少しでも彼女に長居をして欲しいから、誰も起こしになど来ない。ようやく彼女が目覚めた時には、窓から深く光が射し込んでいた。

 ソニアは窓辺に立ってうんと伸びをし、光を浴びてトライアスに祈りを捧げた。すると、窓辺に吊られているカットグラスがクルクルと揺れて虹の欠片を辺りに散らせ、虹の1つが光の玉になってフワフワと何処かへ飛んでいった。この村で起きる出来事の1つ1つが面白くて、ソニアは早くも笑顔になる。

 光の玉が知らせたのか、やがて例のアイーダという館付きの女執事が朝の挨拶に訪れた。

「おはようございます。お食事の用意ができておりますので、いつでもどうぞサンルームへ」

口調は長の側近らしく厳かで淡々としているものの、扉を開けて朝陽に映えるソニアの姿を認めた時の様子は、どこか感慨深げだった。よく知った誰かと彼女とを見比べて、その思い出に目を輝かせているような姿である。かつて自分に似た誰かがいたのだろうとソニアは思った。

 だが、誰もそれを口にしないし、訊いても教えてくれない。だからいい。ソニアは微笑みで返し、「わかりました」と応えた。もうこの村は故郷なのだ。それで十分だ。

 ソニアは顔を洗い、ネグリジェから戦士服に着替えて階下へと向かった。1階の、大きな庭園に面した一角はガラス張りのサンルームになっており、この時分から十分に光が射し込んで、とても明るく輝いていた。ここでもカットグラスが幾つも垂れ下がって煌めき、虹の欠片を踊らせている。直接光が入らぬよう、東側のガラス面だけ生成りの幕を垂らして朝陽を和らげていた。

 彼女が中央の卓に着くと、アイーダはピッチャーから水を注いでくれ、茶や焼きたてのパンや熱々のスープ等を次々と卓に並べた。パンはきっと起床を待って竈に入れたのだろう。

 ソニアは済まなく思い礼を言うのだが、アイーダは少しも気にせず、1つでも多く何か出来ることが無性に嬉しいようで、甲斐甲斐しく立ち働いて最高の朝食を演出しようとした。『ふっくらの歌』仕立ての焼きたてパンを千切って頬張るソニアの姿を眺めながら、アイーダは頬をピンク色に染めて18種類のジャムと7種類の蜂蜜の説明をした。どれも色取り取りで美しくて、とびきり美味しい。

 戦士体質の彼女がよく平らげるものだから、ますますアイーダは喜んで厨房を行き来し、野菜スープのおかわりやパイを運んだ。肉や魚は殆ど食さない習慣らしく、メインの料理の具も豆やチーズばかりだ。いかにも彼等らしい。

 そうしてアイーダの十分なもてなしを受け、食後の2種類のお茶まで楽しんでいると、ガラスの向こうに村人がヒョコッと現れて、お辞儀したり手を振ったりした。ソニアは笑って応えるが、アイーダは「あっちへお行き」と手で払い除ける真似をして乱入者を退散させる。

「やれやれ、これだから……。さてナルス様、お食事がお済みになりましたら、エアルダイン様の所へ行って下さいな。昨日の謁見室でお待ちでございますから」


 ソニアはお茶の後すぐに謁見室へと足を運んだ。もう、挨拶をして先を急がねばならない。中に入ると、横長の部屋は広くなっていた。今朝は中央の薄布が端にまとめられて紐で括られており、境界がなくなっていたのだ。籐の椅子にエアルダインが座してリュシルと共にいるのがすぐにわかった。リュシルは何やら布で巻かれた包みを手にエアルダインと話をしている。

 ソニアが入ってくると、2人共が嬉しそうに笑った。

「――――おぉ、来たか」

3人は互いに朝の挨拶を交わし、ソニアはエアルダインの手の甲に接吻し、ソニアにはリュシルが同じ様にした。

「……発つか」

「ええ。……短い間でしたが、本当によくして下さって、ありがとうございました」

「そなたとは、またゆっくり語らいたいものじゃ。是非、また来なされ。よいな」

「はい、是非!」

 エアルダインはリュシルに手振りで指図し、彼を前に出させた。彼はソニアとエアルダインの間で膝を折り、手の中の包みをソニアに差し出した。

「そなたに進呈したい物がある。どうか受け取って欲しい」

リュシルは包みを解いて、布の下に隠された物の姿を露にした。それは金銀の装飾がとても細やかな一振りの剣だった。とても細身だ。紋様全てが流線型で、柄さえも滑らかな曲を成している。あまりの優美さと繊細さ、そして伝わる力の波から、たった一目で非常に価値ある物と判る。

「――――これは精霊の剣。我々の手で造った、数少ない剣の1つじゃ。我等はあまり剣を使わぬからの。だから、永い間地下の蔵で眠っておったのじゃ。ようやく持ち主に相応しい者を見つけたので、是非ともそなたに使うてもらいたい。この剣が、そなたの旅を守るであろう」

これほどの剣を見たことがないソニアは、目を奪われたまま声が出せず、華麗な剣の虜となった。

「……さぁ、手に取って見るがよい。相性もあると思うからの」

エアルダインに勧められて、ソニアはようやく思い出したように剣に手を伸ばし、畏れ多さからそっと手に触れ、ゆっくり持ち上げた。とても軽い。鋼鉄製の長剣であるトライア国軍隊長の剣は、一般的な兵士用の剣よりも長く重量があるので、それを普段使用している彼女にとって、この精霊の剣は鞘とベルトを合わせても、抜き身の鋼鉄の剣よりずっと軽く感じられた。羊飼いが手に持って羊を追うのに使う木の棒とさして変わりがないくらいだ。

 そして手にした後は、自然と引き寄せられるように鞘を握り締めた。柄にも手を掛ける。なんて吸いつくような共鳴感だろう! 彼女の手にとても合っているのか、それとも素材が特別なのか、柄と手の相性はとても良く、最高のフィット感を持っていた。握るだけでウキウキしてくる感触だ。

 ソニアはスラリと、慎重に刃を鞘から抜き出して刀身を拝んだ。とても薄くて鏡のように光を返し、彼女の瞳を映し出している。幅も指2本分ほどしかない。中心ラインにだけ、蔓が絡み合う植物紋様が彫り込まれている。鞘から出した時の反響か、或いは秘めたる不思議の故か、鐘を擦ったような微かな和音が刃から放たれていた。

 戦士として培ってきた、武器、防具を見る能力が大いに刺激され、興奮のあまりソニアは首を横に振った。

「こ……こんな……素晴らしい剣を……?!」

エアルダインは、剣を手にしたソニアの姿を甚く気に入った様子でにこやかに頷いた。

「そなたに似合いじゃ。この村には今、誰も使い手はおらぬ。この先もまずないであろう。遠慮なく持ち帰っておくれ。そなたならば……この剣を正しく使うことができると信じておる」

そして、続いては傍らの大きな麻袋を示した。

「傷だらけの鎧も、できる範囲で修繕させておいた。少しは良くなったであろう」

ソニアは精霊の剣を鞘に納めて、麻袋の中の鎧を検めた。竜の鱗の施された国軍隊長の鎧は、血と焼け焦げの汚れもなく、亀裂には溶接と鍛錬の痕があって、隙間や穴は塞がれていた。

「なんとお礼を言ったらいいのか……! ありがとうございます! エアルダイン様、いつかきっと、このお礼はさせて頂きます!」

「フフフ……そなたがまた来てくれれば、それだけで十分じゃよ。その時、その剣と鎧で行った武勇を聞かせてもらおうかの」

エアルダインはソニアを手招きして腕を引き、抱き締めた。そして髪を撫でた。

「エアルダイン様……」

ソニアもキュッと抱き返す。

「…………気をつけて国へお帰り。……危急の際はワシに知らせなさい。何か手伝える事があれば、お主に手を貸すぞえ。……よいな」

胸に詰まるものがあり、ソニアは目を閉じて心震わせた。

「……はい。エアルダイン様も、どうぞお健やかに。この村の変わらぬ平穏をお祈りしています」

2人してそのまま暫く抱擁していると、どうしてか傍らのリュシルまでが目頭を熱くしていた。やがて、名残惜しそうに手を握りつつ、それでも送り出すべくエアルダインの方から身を離した。

「――――では、頼んだぞリュシルよ。彼女を人の里まで案内いたせ」

「はい、お任せ下さい」

そうしてソニアはさらに鋼鉄の剣も返され、彼等手製のマントまで貰った。鎧は身分を隠す為に装備しないことにして麻袋に入れたまま下げ、腰に2本の剣を差して、それを長いマントで覆った。ビヨルクで貰った品々やマナージュの木の実は、別の巾着に入れて腰に下げている。これでもう旅立ちの装備は整った。

「また、お会いしましょう」

「旅の幸運を」

最後に2人は目で別れを告げ、ソニアはリュシルと共に館を後にした。


 館の外には見送りの為に数多くの人々が集まっており、彼女を見つけると競うように別れの挨拶を述べに来た。旅にどうぞと、食べ物やお守りを次々に差し出す。旅の邪魔にならぬよう、なるべく小さな物にしてくれているが、数が集まればそれなりに嵩張った。

 リュシルは呆れていたが止めはせず、鎧の入った麻袋を一度預かって魔法をかけた。杖の一叩きで麻袋に星屑が散り、浸透すると、見る間に袋は萎んだ。

「はじめからこうしておくべきでした」

そう言いながら彼が袋の中を開けて見せると、外観よりもずっと大きな空間がその中に広がっていた。何でも亜空間を築く魔法だとかで、背負う時にも殆ど重量を感じないらしい。餞別を全て中に納めてもまだ余裕があって、しかも本当に袋の素材分くらいの重さしか感じなかった。いかにも彼等らしい魔法だ。

 こうして無事に村人達との別れの挨拶も終わり、最後にソニアは聳え立つマナージュを見上げ、心の中で『また来ます』と告げた。大河の調べを奏でている、あの巨大な城を覆う緑の何処かに、今日もドワーフ達がいることだろう。

「では、行きましょう」

リュシルは手を差し伸べた。ソニアはその手を取り、しっかりと握って頷く。

「皆さん、さようなら!」

魔法に集中するリュシルと微笑むソニアは、その場で光を放って星に変わり、村人達の目の前で彗星となって飛び立ち、神樹を掠めて空の彼方へと消えて行った。

 残された村人達は、光の軌跡が消え行く様をずっと眺め、立ち尽くす。そして、やがて誰からともなく、クスン、クスンと泣き始めた。もうソニアに気を遣う必要はないから、形振り構わず人々は泣いた。若者達と子供達、そして妖精の大半がキョトンとしてそれを見守る。

 星が去った空を、エアルダインは館の窓から眺めていた。青く、青く、何処までも澄み渡った空だ。彼女に相応しい旅立ちの色だとエアルダインは思った。そして、午前の薬湯をトレイに持って現れたアイーダにこう言った。

「さぁ……することが沢山あるぞよ、アイーダよ。楽しみじゃ、楽しみじゃ」

そうですね、とアイーダが見ると、エアルダインの老いた目からポロリと涙が零れ、皺の刻まれた頬を濡らしていた。

「……あれほど……生き写しとはな……」

アイーダはただ無言で頷き、同じように涙を零した。

 長らく平穏であった村は、こうして星の光で震え、違ったリズムで脈動を始めた。今はまだ追憶と感傷とがその調べを占めていたが、この調べには続きがあって、そこには《希望》が待っている。それを皆が知っている。

 逸早く《希望》を歌い始めたのは、人々ではなくマナージュの方だった。神樹は光を振り撒き、葉を揺らして、この喜びを森中に広げた。それは風に乗り、風に乗り、何処までも、何処までも、流れていった。


終章

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