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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第11章
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第3部11章『森の民』5

 夜になってから、エアルダインの館にある礼拝堂のような造りのホールで宴が催され、村中の人々と妖精達が、手に手に自慢料理や酒等を持ち寄り集まった。メインの料理や飲み物は既に用意されていたが、持参された物も加わると実に華やかで豊かな宴会場となった。大柄な中年の者が指示して切り盛りをし、皿を手にして歩き回る少年少女達が通路を往来する。

 宴席の配置は人間世界と殆ど変わらず、奥に上座があって、エアルダインと主賓のソニアが入り口に向かって座し、その前に広く舞台が開けられた。そこから先、入り口までのエリアには長い卓が縦に4列設けられて並び、人々が卓に向かい合ってズラリと顔を揃えた。

 楽隊や踊り子は上座前のスペースで素晴らしい演技を披露して客人をもてなし、上座からも一般席からも声援を浴びた。

 村人たちは宴会好きらしく上機嫌で、ソニアが歌や踊りや料理に夢中になっているのを見ると、尚のこと喜んで盛り上がった。

 飲み物も全てが美味しくて、最初に勧められた葡萄酒も、マナージュの樹液を混ぜて熟成させたというブレンド酒も、口に含んだだけでほっと体が温かくなっていい気持ちになる。ソニアはその変化を楽しみながら一口ずつ酒を飲み、異種族の宴を堪能した。

 この村では皆が仲間で主従関係がなく、平等に宴を楽しむことができるから、放っておいても人々の方から我も我もと演技に参加してくるので、見世物に事欠くことはなかった。職業音楽家や踊り子がいるわけではなく、誰もが陽気で歌好き、踊り好きであり、自分が歌い踊る時には演ずる楽しみを、人の技を見物する時は、見て味わう楽しみを存分に満喫した。

 淡い空色のロングドレスを来た娘達が輪になって踊り、花弁や魔法の星屑を散らせた時には、ソニアも手を叩いて喜び、それが蝶や木の葉に姿を変えた時には、子供のように感嘆して驚きの声を上げた。

人間社会では、遊びや見世物の為に魔法を使うことを術者は固く禁じられ、必要性あってこその魔法使用を厳守することで、魔法の神秘性、重要性を高め、魔術師の地位も向上させているのだが、ここの人々はあまりに高度な魔法を使いこなし、しかも日常と密接に関わっているだけに、まるでこちらの方が当たり前のように思われてくる。

 だからといって、彼等が魔法を軽んじている様子は微塵もない。自分達の身に降りた神秘という恵みに感謝し、誇りとして、それを少しでも披露しようとしているようで、収穫祭や感謝祭での収穫物陳列のようでもある。

 王に向かって作物や製作物の載った籠を差し出すように、ソニアの前に1人ずつ出て来ては変わった種類の楽器を奏でて見せたり、魔法で虹やオーロラを生み出して目を楽しませたり、自慢の料理を捧げたりと、長いこと人々の入れ替わりが続き、ソニアの好奇心の刺激と興奮が尽きることはなかった。子供までが歌を歌いに来たりする。兄弟姉妹でコーラスをして見せることもあり、その出来もまた素晴らしかった。ソニアは手が痛いことにも気づかないくらい熱心に、その全てに拍手を送った。

 客人にもてなしの技を披露すれば、皆は1人1人ソニアに質問を浴びせ、ソニアは返礼としてその1つ1つに快く丁寧に答えた。そして彼女もまた、楽器の名や歌の意味など、様々なことを尋ねた。

 楽器は、人間でも使う形に近い弦楽器から、横笛、縦笛のような吹奏の楽器、鼓や鐘のような打楽器と、種類も変種も豊富であり、中でも1番好まれているらしいのが小型の竪琴だった。ソニア自身、トライアでは竪琴を選んで奏するようになっていたので、ここでも嗜好性の共通点を見つけることができ、ますます自分とこの村との関連を強く感じて嬉しく思った。

 1人1人がトライアの宮廷音楽隊に引けを取らぬ実力を持っているし、歌声の魅力も、混成和音の妙も、王立歌劇団顔負けの完成度である。自分で歌うだけでなく、観るのも聴くのも好きなソニアは、これまでに観てきた演奏会や舞台の全てをこの一晩でいっぺんに味わっているくらいの強烈な感動に見舞われて、大戦の脅威すら一時忘れて陶酔した。

 エアルダインは村長らしく上座中央にある天蓋付きの席で、アイーダと娘達にかしずかれながら宴を楽しんでいる。ソニアの喜び様が何より嬉しいようで、そればかりを見守って、自分は少しだけの料理や飲み物を口に運んだ。

 リュシルは1番の仕切り役らしく会場中を見回りつつ、大半の時間をエアルダインの様子窺いとソニアの接待に費やして、歌や踊りの意味などを実に詳しく解説してくれた。ソニアの席はエアルダインのすぐ隣なので、2人の間にいる時が、彼としても特に安心して全てに気を払えるようだった。

「あれはマナージュのことを歌っているのですよ。成り立ちや歴史について長く語り、終わらぬくらい延々と続くものもありますし、先程お見せした実のことを讃えるものもあります。年々付け加えられたり改良されたりしますので、1つの形に留まることはありません。歌う者によって変わることもあります」

「面白いですね。皆さんは即興がとてもお上手だわ。自分で歌を作ることも演ずることもできるから、簡単にそうなるのでしょうね。どうして皆さんはこんなに優れてらっしゃるのかしら?」

リュシルはそれを当然のことと思っているのか、得意がりもせずにサラリと言った。

「我々は、この世で最も芸術に秀でた民なのです。そのように神がお造りになりましたから。他にも優れた種族は幾つもありますが、これほど大地と密接に暮らし、大地の恵みを表現する者は、我々を置いて他にはありますまい」

リュシルの言うことは、本当にありのまま事実を述べているようにしか聞こえなかったので、尊大な言葉でも全く鼻につくところはなく、ソニアはすんなりと受け入れて、ただ同調した。そして透明な心で羨望した。

 突出して身体能力が優れているわけでもなく、魔法も限られた者しか使えない人間のような種族には、このような生活は夢物語でしかないのだろうか。

 しかし、むしろヌスフェラートの方にこそ、この村の在り様を学び、取り入れてもらいたいものだと思った。あんなに優れた者達なのだから、ちょっとした心掛けだけで、そうなることは可能なはずだ。

 そうすれば……世界はもっと平和になるのではないだろうか?

 そんな思いに耽っているうちに、やがてソニアの所にほろ酔いの青年がやって来た。

「ナルスさんの歌も聴いてみたいです! 何かお願いできませんか!」

そうすると、娘や老人や子供達も多いに賛同した。

「そうだ! あなたの国の歌をぜひ!」

皆があまりに騒いで手を叩くので、ソニアは照れ笑いをしながら承諾した。

 すると彼女が竪琴使いと知っていた楽器工房の者が、気を利かせて琴を貸しに出て来た。ソニアはそれを受け取って丁寧に礼を言い、装飾見事な琴をまずはよく眺めて擦り、その優美さを愛しんだ。そして弦を優しく一掻きして音を確かめ、更に二掻きした。調律も申し分ない。先ほど工房で少し触らせてもらったのだが、これまで人間世界で使ってきた物と比べて音階の設定にそれほど差がないので、そのまま使うことが可能だ。

 彼等は改まってきちんと座り直し、ソニアも琴を安定させるべく、体を微妙に動かして最適な体勢を探した。整った頃には、全員が息をひそめてシーンと静まり返り、彼女を見詰めていた。その様子があまりに真剣なものだから、ソニアはちょっと戸惑った。こんなに大勢の前で歌を聴いてもらうのは初めてなのだ。森での戯れはもっと気軽なものだったし。

 軽く咳払いをして、目を閉じ、その戸惑いを消してから再びソニアは目を開けた。

「私の……大切な兄が大好きだった曲です。彼を待ちながら……私はよくこの歌を歌っていました」

それだけ曲紹介をしてからスウッと息を吸いこみ、ソニアは柔らかく弦を爪弾き始めた。日々、国防に忙しくて満足な練習をしていないので、ハープの腕はそれほどではないのだが、技術よりも弾き方に情感が表れており、早くも人々は惹き込まれていく。

 ソニアは目を閉じ、アイアスを想う時そのままの姿で透明な声を放っていった。流動体だが、大気よりも濃密な水に近く、澄み切って月光を映している。いつもは人に知られぬよう声を抑えていることも多いが、音楽に生きる彼等の前なら、そんな躊躇いも必要ない。

 ソニアは想いの丈を込めて存分に追憶を語り、愛を訴えた。

 望んでも、望んでも叶わぬ、愛する者との再会。その哀しみ。月日が経っても変わらぬ、その想い。あの人は今、何処にいるのか。もう、自分のことなど忘れてしまったのか。会いたい。会いたい。あの優しい人に。どうして会いに来てくれないのだろう。自分の、何が悪いのだろう。

 胸が張り裂けそうなその波は、感性の鋭い彼等の心を容易に刺激した。

 小曲なのですぐに終わり、ソニアが目を開いて会場を見渡すと、誰も彼もが哀しい顔をして、その多くが涙まで流している始末だった。中には、泣き過ぎて肩をシャクらせている者もいる。

 ソニアは慌てて琴を抱き締め、彼らに謝った。

「ごめんなさい……! そんなつもりじゃ……」

せっかくの宴会で哀しい歌など歌うのではなかったと、ソニアは深く反省した。隣のリュシルまでもが目頭を熱くさせている。

 どうしようと狼狽えるソニアに、エアルダインがそっと耳打ちした。

「……よい歌じゃったぞ。皆、感激しとるのじゃ。なんなら……今度は陽気な曲もやってみてはどうかの?」

ソニアは紅潮しながら頷き、エアルダインの提案のままに、今度はトライアの明るい恋歌を演奏した。宴でも度々耳にする歌で、かなり古い。男性側の心情を歌うものだから、本当は男性が歌うことが多く、時々はアーサーもやっていた。

 さぁ、手を メリア 僕のメリア

 僕が ちびで 泥だらけの頃

 君も 小さく 黒かった

 小麦色の肌 栗色の髪

 あの頃のものは 色々と変わってしまった

 でも、今も残るのは その瞳

 アルエス1の 琥珀色

 全てが 今日から 僕のもの

 さぁ、手を メリア 僕のメリア

明るい調子の結婚式定番曲にいつの間にか人々の笑顔が戻り、それを見たソニアもようやくホッとした。そして安心するのと同時に、この歌を歌うアーサーの姿が頭を過って、今頃心配しているに違いない彼や王のことが思い出された。

 人々が大いに拍手して褒め称え、もっと、もっと、とせがむので、遠慮しつつも強引に促されて、ソニアはあと2曲、実りの讃歌やトライアスの讃歌を歌った。

 大好評のうちに彼女の披露も終わり、これ以上せがまぬようリュシルが指示して、宴会は次の出し物に移った。舞曲らしい。4人の少女と4人の少年が舞台に出て来て、等間隔に円陣を組んで向かい合い、2重になった。

 エアルダインが言った。

「よく見ておきなされ、ナルス殿。人間界ではなかなか知られておらぬであろう、創世の物語じゃ」

8人の少年少女のうち、まずは1人の少年だけが立って、後は全員身を伏せた。髪も耳もスッポリと頭巾で隠して、額のリングで留めている。意図的に会場全体の照明も落とされて、燭台の炎と魔法の蛍火だけが点々と浮かび、人々の顔を照らした。少年は両手で大切そうに光の玉を掲げている。広大な宇宙で輝く1つ星のようだ。

 傍らのリュシルが解説した。

「……生命の炎です」

すると、その光は少年の掌中でパアッと広がり、音もなく弾けた。やがて、伏せていた7人の少年少女達がゆるゆると立ち上がり、舞い始める。2重の円は、内が外になり、また外が内になっては回転していく。そのうちに、内側の4人が立ち位置を固定し、中心を向き合って集った。

「生命の炎から、力と魔法、そして精霊が誕生しました」

ここまではソニアの知る創世紀とも共通している。

 内輪を描く4人の中心に、1人の少女が現れた。この少女だけが特に白い衣装を纏って輝いており、更に存在を目立たせようと、魔法の蛍が周囲を飛んで光の飛沫を上げている。

 外輪の4人がクルクルと舞い、それぞれが異なる魔法を発生させた。詠唱なしに全てを行っているので、どんな魔法なのか判らないものが多い。1人は明らかに炎を、もう1人は弾ける電光を、もう1人は宙に浮く小岩たちを、もう1人は宙に浮く水の塊をそれぞれ自らの身に取り巻かせている。

「4大精霊と、全ての精霊を司る精霊王です」

この精霊王というのが、ビヨルクで崇められていたウージェンなのだろうとソニアは思った。純白の長い髪と長衣が一致している。

 そこからは、他の観客も参加して次々と輪に加わり、楽しくダンスを踊った。子供達が身につけている鈴がシャラシャラと鳴り、花と酒の香が満ち、広間は笑いと音楽に包まれた。彼等の喜びが波となって会場を圧し、反響し、ソニアの全身を揺さぶる。目の前のあまりに幸せそうな人々と、先程思い出したばかりの、自分を待つに違いない人々の苦境とを思い、その差に切なさが込み上げてきた。

 やはり、本当に感じ易い人々のようで、隣にいたリュシルは彼女の憂鬱にすぐ気づき、顔を覗き込んだ。

「……どうすれば……あなた方のような平和な暮らしが送れるのでしょう……。我が国は、今この時もヌスフェラートの脅威に晒されています。彼等の力はあまりに優れ、とても我々では太刀打ちできません。ひたすら侵略を防ぐことだけで精一杯です」

リュシルは思慮深い面持ちで目を伏せ、穏やかに言った。

「……我々は、俗世から完全に離れておりますからね。人間でも、暫くヌスフェラートの侵攻がなければ、領土拡張を巡って同族同士の争いを始める野心を持っています。我々にはそんなものはありません。ヌスフェラートのような強い支配欲も、竜族のような覇力も持ち合わせておりません。ただ、この森で慎ましく清く生きることだけが望みなのです。だから、特に煙たがられることも、危険視されることもないのでしょうね」

「そんな風に……皆が生きることができたら……」

それきり言葉が詰まってしまった。

 宴は最高潮に達し、光る蝶や星や花弁やオーロラが乱れ飛んでいる。何もかも、今ここでは、平和と悦びと光が全てであり、追う者も、追い詰められる者も、おそれる者も欺かれる者もいなかった。

 耳を傾けていたエアルダインがそっと言った。

「……そなたは戦士でありながら、心が血に染まっておらぬのだな。戦を重ねる毎に血塗れの鬼と化していく者が多い世の中では……珍しいことじゃ」

ソニアは、老人の白濁した目がジッと自分に向けられているのを、真っ直ぐな瞳で受け止め、見つめ合った。

「戦は……好きではありません。大切な者を守る為に……戦っているだけです」

エアルダインは皺だらけの顔をニンマリと笑わせた。

 ちょうどその頃、あのドワーフ達が会場に到着して宴に加わった。総勢10人で、皆、愉快そうにピョコピョコ飛び跳ねながら笑っている。

 まずは客人であるソニアに1人ずつ歓迎の挨拶をし、中でも1番のでしゃばりなガロンが進み出て、彼女との踊りを催促した。背がまるで合わないぞと冷やかされながらも、ガロンはニコニコとソニアに手を差し伸べて舞台へと連れ出した。ソニアも笑いながら引かれて行く。村人に混じると人々も喜び、小男と長身娘のちぐはぐなカップルは面白おかしく不恰好なダンスを踊って、大いに笑いを取った。

 エアルダインもリュシルも、その様子を見てフフフと笑った。

「……リュシルや……明日の出立までに、全て抜かりなく整えておくれ」

「はい。かしこまりましてございます」

輪舞曲を奏でる弦楽器の冴えた音の波が揺う中、この2人の思惑など知る由もなく、ソニアは村人達と波に乗り、代わる代わるドワーフとも村人とも踊ってこの夜を満喫した。

 小窓の外からは、歓喜の波に引き寄せられてやって来た灰色梟や栗鼠が賑わいを眺めている。夜の更け行くのを歌う梟の声も、今夜はどこか浮かれ気味だった。


 宴は夜更けになっても止むことなく続けられ、やがてエアルダインが村人にお休みの挨拶を言い、ソニアを連れ立って退出した。村人は残念がったが、それでも止める気は更々無いようで、主賓が去った後も宴は続けられた。小さな子供のいる親だけは、同じタイミングで我が子を連れて帰宅した。

一体、この人達の宴とはどこまで続くのだろう。全て付き合って観察しようとしたら大変なことになりそうだと思いながらソニアは苦笑し、エアルダインの案内のままに応接間へと入り、腰を落ち着けた。

 アイーダが温かい茶を出して退出し、エアルダインとソニアの2人だけになると、落ち着いた空間が生まれた。宴の音が耳に心地良く響いてくる。

「……そなたと2人だけで、ゆっくり話がしたかった。もし良ければ、もう暫くワシに付き合うてもらえるかの?」

ソニアは快く受けた。明日には去ってしまうのに、こんな貴重な人々と語らずに眠ってしまうのは、あまりに勿体無い。

 刺繍の見事な布の張られたソファーに座り、ゆったりと凭れて茶を手に向かい合うと、ソニアはまず宴を褒め称えた。それから、村の人々の技を褒め称えた。エアルダインは満足げに何度も頷く。神樹マナージュの話題に至っては、もはやソニアの興奮は止まらず、実の素晴らしさやドワーフの面白さ等を熱く語った。

「フッフッフ。余程気に入ったようじゃのう。あの上の話は聞いたかぇ?」

「上、ですか? あの人達が住んでいるとだけ。……登らせてもらえるか訊いてみましたが、ダメだと言われました。選ばれた者しか行けないって」

「ウム、誰でも行けると言う訳ではない。あそこには……神殿があるのじゃよ。それを、あの者達が管理している」

「神殿……ですか」

「何せ、あの大木じゃろう。葉が落ちれば集めねばならぬし、虫が取りついて病気になりかかっている葉や枝を取ったり……まぁ、大きな庭仕事と同じなのじゃよ。あの者たちがようよう働いて、あの樹と神殿は完全さを保っておるのじゃ」

ソニアは感心して溜め息をつき、その光景を想像した。初めて見たばかりの巨木の、未だ見ぬ部分をイメージすることは難しかった。ただ、あのドワーフ達が陽気に手際良く仕事をしているのであろうことは解る。

「神殿は……天と言葉を交わす場所じゃ。だから神聖視されておる」

ソニアはそれを、神のお告げや天啓を授かる為の儀式を行う場所という意味に取った。あんな高みで祈りを捧げたら、地上の何処よりずっと神に届き易い気がする。

「ワシの思うに……そなたの心清さであれば、あそこに行く資格はあるじゃろうの」

「本当ですか?!」

「ホッホッホ。今すぐにというわけにはいかぬが、そなたがまたここへ来てくれるのであれば、いずれ案内したいと思うぞ」

ソニアは目に見えて頬を紅潮させ、瞳を爛々とさせた。

「ま、この事は外の世界の人々には内緒じゃぞ。そなただけに教えた秘密じゃからな」

「ええ、きっと守ります。教えられないのが、ちょっと残念な人もいますけど……」

ソニアは肩を竦めて悪戯っぽく笑って見せた。

 エアルダインはふいに真顔になって、ソニアへ熱い視線を注いだ。

「……そなたは面白い子じゃ。善い心も持っておる。そなたならば……皆も歓迎するであろう。……どうじゃろう、いずれ……現世など捨てて、この村に住んでみんかぇ?」

ソニアはその申し出に大層驚いて息を飲んだ。老女の目に宿る光には、戦地に我が子を送り出す親の葛藤にも似た悲哀が映っていた。そしてソニアも真剣な顔になって、再び胸内の疑問を言葉にした。

「……エアルダイン様。そんな事を仰るのは……やはり私が、あなた方一族の仲間だからなのではないですか? 私の姿は、あまりにあなた方に似ています。片親でも……あなた方一族の血を引いているのではないでしょうか?」

「………………」

エアルダインは目を逸らしはしなかったが、何とも答えなかった。ここで否定しても今更白々しいだけであるし、既に、そんなことをするような他人行儀な関係ではないのだ。

「……出生を考えぬよう、あなたは仰いましたが……どうしても私には、半分だけでもあなた方と同じ血が流れているとしか思えないのです。あなたもそう思われているのではないですか?」

「………………」

「……親を特定したいとまでは申しません。難しいことでしょうから。でも……私には血の故郷が何処にもないのです。もし、私のルーツがこの村にあると知ることができたら、こんなに嬉しいことはありません」

エアルダインは長々と鼻息をつき、そして茶を一口含んだ。

「……そなたの……これまでの歩みを聞かせておくれ。叶うならば、記憶にある限りの遠い過去から」

質問に質問で返す形になっていたが、より核心に近づいていた。

 ソニアは少しも不服そうな様子を見せず求めに応じ、進んで過去を語った。物心ついた時にどんな生活をしていて、それが終わり、人間の世界で暮らすに至ったのかを。それを伝えればこそ、彼女が如何に戦に心痛め、またトライアに愛着を持っているのかが理解できる。そして、どれほど血の孤独を感じているのかも。

 まだまだ続く宴の音楽を背景曲にして、長い物語は淡々と進んでいった。

「……幾度もヌスフェラートに言われています。私の姿は、人間ではないある種族に似ていると。それは、あなた方のことではないでしょうか?」

「…………よう、話してくれた。……ありがとう。よぅく……解った」

エアルダインは瞼を閉じ、ますます深くソファーに凭れて沈みこんだ。そして、そのまま眠ってしまったのではないかと思えるほど長い不動の沈黙があった後、ようやく老女の口から言葉が出た。

「ワシも……ただの空似だとは思っておらぬよ。ビヨルクの王子殿も、そう思われたからこそ、そなたをここへ寄越した。……何故、ビヨルク王家とワシ等に親交があると思うかな? 実は……あの者達には、遠く、遠く、我が一族の血が入っているのじゃよ。かつて一族の中に人間の男に恋をして嫁いだ者がいてな。子孫は全てここへ里帰りをさせていたのだ。それがいつの間にか……成人した際のしきたりとなっていった。僅かとは言え、我等の血が入ったあの者達より、そなたは遥かに我等に近いなりをしている。これが……偶然であるはずはない。そなたはきっと……我等の血を多く流す仲間であろうの。だからこそ……この村を故郷と思うて、いつでも訪れて欲しい。共に、この村で住まわって貰いたいとも思うぞよ」

ソニアの目から、ポロリと涙が零れ落ちた。仲間を見つけて認知されるということが、こんなにも心震えることだとは知らなかった。彼女は手で涙を拭い、そしてゆっくりと笑みを広げた。エアルダインも、実に温かい眼差しで微笑し、頷いた。

「是非……また伺わせて頂きたいと思っています。本当に光栄です。ただ……私には、国で待つ大勢の仲間がいます。だから、世の中が平和になって、彼等の安全が確保できるまでは叶わない事だろうと思います。それに……そんな仲間達がいるから、やはり私が生きる世界は外にあります。住む……ということは出来ないでしょう。だから何度も遊びに来させて下さい」

エアルダインは切なそうに目を閉じ、俯いた。

「……ああ、いつでも訪ねて来なされ。そなたは……失うにはあまりに惜しい存在じゃ。我々の誰にとっても」

ソニアは手を差し出し、皺だらけの手をそっと優しく握った。そして笑い合った。デルフィーのリラばあ以来、初めて女性の身内を見つけたようなこの感覚はとても温かくて、ソニアの胸に宿る広大な闇夜に灯る篝火となった。

 きっと自分の親はこの村の出身で、こんな素晴らしい生活を送っていたのに違いない。そう思うと、とても誇らしくてならなかった。

 エアルダインはやおら立ち上がり、ソニアの側に来て頬に触れた。節くれ立った手で、愛しい我が子にそうするように彼女の頬を撫でる。

「親の顔も名も知らぬそなたの為に、ワシがそなたの親になろう。今や天涯孤独の身なのであろう? 義理の兄殿を除いては。ならば……ワシをそなたの母親と思うが良い。或いは、ばばとな」

ソニアは嬉しくて微笑み、立ち上がって老女を抱き締め、そして頬にキスをした。

「……ありがとうございます」

2人はそうして身内の契りを交わし、会談を終えたのだった。

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