第3部11章『森の民』4
そうしてエアルダインの命令で、先程の3人がこの村を案内してくれることになり、ソニアは村を見学し始めた。そうしていると、村中の者達がソニアをよく見ようと寄り集まって来る。今夜はこの客人が泊まっていくとあって妖精達は大はしゃぎしているし、村人たちも徐々にソニアを受け入れていき、行く先々で親切にしてくれた。
どの家でも皆が芸術家であり音楽家であって、工芸品を作ったり、新しい楽器を創り出したり、演奏したりしている。ソニアに対する緊張が薄れてくると、歌いながら作業する人も多かった。しかも皆、素晴らしい声をしている。工芸品も楽器も出来映えが見事で、歌や演奏では、人間の世界ではあまり聴いたことのない難しい和音や協奏を軽くやってのけていた。
ソニアはそうした物事1つ1つに目を輝かせて大いに喜び、好奇心の赴くままに珍しいものを見つけては盛んに質問し、知識欲を満たしていった。戦のことが気懸かりではあるものの、こんな素敵な所に泊まっていくと決めた以上、割り切って出来る限りのことを吸収していかなければ勿体ない。
彼等の生活は、美しくとも絢爛豪華ではなく、程々に質素で大地の温か味があり、ソニアの理想にとても近いものだった。先程見た田畑の豊かな実りによる支えあってのことだろうが、こんな風に人々が穏やかに美と悦びの営みに従事できたら、どんなに素晴らしいことだろう。
ソニアに付き添って村を廻り、彼女が夢中になっている様を見ているうちに、デラやアルスラパインも笑うことが多くなっていった。打ち解ければ明るい人々のようである。リュシルも満足そうに微笑んで、よき案内人となり、説明役にもなった。
この村の人々が身に纏う服の色調は自然の中で見られるものが多く、丈の長いローブが主流で、激しい肉体労働には不向きな格好をしている。その中でソニア1人だけが胴着とズボンにブーツ姿であるから目立っていた。
彼女の行く所、人々の笑い声や歌声があがり、和やかな時が過ぎていく。
だが、ある家の前に来た時、その家の年輩女性が目に涙を溜めて急に奥へ隠れてしまったものだから、ソニアは閉口した。その女性をきっかけに、まるで伝染したかの如く他にも似たような者が次々と現れて、何処かに行ってしまった。
訳が解らず、何だかとても気まずく感じたソニアはリュシルに訊ねた。
「私がここにいるのは……本当は良くないのでは?」
リュシルもまた、伏し目がちに彼らのことを見て切なそうにしていたのだが、ソニアにそう問われると一転して目を見開き、これまで優雅な所作とで穏やかな物言いをしていた彼にしては必死とも言える勢いで否定した。
「――――とんでもない! あなたを歓迎していない訳ではありません。どうぞ誤解なさらないで下さい。……我々は……この通り、閉ざされた聖域内で暮らしているものですから、感じ易い性質の者ばかりでして、あなたのような客人が来た喜びで少しばかり気が昂ぶっているのです。決して、あなたを避けているのではありません。本当に我々は、あなたのご来訪を嬉しく思っているのですよ」
デラとアルスラパインも、自分が1番手で発言できるタイプではないものの、リュシルの後には続くことができて「そうです」、「そうです」と賛同した。彼等の説得があまりに熱心だったので、ソニアもそう思うことにした。
暫く村からは離れた方がいいかもしれないと考えて、ソニアは次に、あの巨大な樹の下に案内してくれるよう願った。
「それはいいのですが……」
何やらリュシルが含みのある言い方をするので、ソニアが首を傾げると、デラが笑いながら言った。
「上から何が降ってくるかわかりませんよ」
そうして軽く脅しつつも、3人は楽しそうに彼女を巨木の下へと連れて行った。先頭を行くリュシルは特に事前の説明はしないのだが、デラとアルスラパインは度々妙なことを言って、2人だけで笑い合ってばかりいた。何があるというのだろうか。
そして、巨樹へと向かう道すがら畑の側を通ったソニアは、そこでこの村の奇跡的に豊かな実りの理由を知った。ちょうど畑の上を3人の妖精が飛び回って歌を歌っており、彼らの体から光の飛沫が撒き散らされると、それを浴びた未熟な作物がソニアの目の前でぐんと成長して背を伸ばし、葉を広げていったのである。妖精達に直接触られた箇所は特に成長が著しかった。キルト細工のように濃淡の鮮やかな畑は、こうして実っていくのである。しかも働いているというより、まるで遊んでいるかのような妖精達の楽しい戯れによって。この歌はきっと、豊穣の讃歌なのだろう。
ソニアは拍手してその技を讃えた。この村は全てが魔法のようだ。まるで夢の中にいるようだ。
拍手のお礼に妖精達は手を振り、ソニアもそれに応えて手を振った。
そして、どんどん巨木に近づいて行くにつれ、デラとアルスラパインのお喋りなど耳に入らなくなるほどソニアは胸の鼓動が高鳴っていくのを感じ、小走りになっていった。
風が吹く度に、迫り来る嵐の如く唸る葉擦れの大音響。まるで大瀑布がそこにあるかのようだ。傘の下に入ると、葉と葉の僅かな隙間からどうにか零れた陽射しが光の矢となって地上に降り注ぎ、チラチラと星の瞬きを描いた。その星が体に重なる毎に胸がときめいて、彼女の肺を膨らませた。
やはり、この大樹には、何かがある。
青々と茂る麦畑を越えて野原に出ると、グラムベリーの茂みの向こうに、ようやく幹と大地とが接する所が見えてきた。ソニアはすぐさま駆け寄って行った。見上げる神の樹は天に届く壁のようで、その上には緑深い傘が空を覆い尽くさんと被っている。
ずっと見上げていると、不動の巨壁が今にも倒れて来そうな錯覚を起こし、眩暈を感じながらソニアは樹皮に手を触れた。そして腕一杯に抱きついた。曲面というより直線的な壁に近いので、へばりついていると言った方が正しい状態だ。
この巨体を支えている根の張り方も尋常ではなくて、それこそ巨人が足を幾本も突き出して腰掛けているかのように、地中にもぐる根の基部が太く太く剥き出しになっており、その1つ1つの高さが軽くソニア達の身の丈を越え、2人分3人分ほどに達していた。地中深くにまで、巨樹の根が支配する世界があることを思うだけでクラリとしてくる。
長い年月をかけて築き上げられた硬く厚い樹皮からは微かな温もりが伝わってきて、これほど大きなものが確かに生きているのだと実感させられた。
そうして樹皮に触れていると不思議にも心が休まり、まるで庇護者の腕に抱かれているような恍惚感があって、ソニアは大きく溜め息をついた。まだ何の苦しみも知らなかった頃、森の仲間達と折り重なって固まって寝ていた時や、大好きなアイアスと一緒に寝ている時にしか、こんな安らぎは得られなかった。絶えて久しく忘れていた安息だ。
ボトッ。
突然、何かが落ちてきた音がしてソニアは背後を見た。硬そうな殻に包まれた拳大の種のような物がそこに落ちて転がっている。すると、今度は親指の先ほどの種がパラパラと数粒落ちてきた。
「――――――おーい! コラ! 危ないだろう! 当たったらどうするんだ!」
デラが樹上に向かってそう言い、リュシルは顔を顰めながら落ちてきた種を集めて回った。
「この実をこんな風に粗末に扱いおって……!」
本気でカリカリしているのはリュシルだけで、デラとアルスラパインはクスクス笑っている。「だめだろう!」などと言いつつも、明らかにこのいたずらを面白がっていた。
種を集めるだけ集めると、リュシルが天に向かって声を上げた。
「――――お客人にいたずらをするんじゃないぞ!」
この葉擦れの大音声下で、その声が届いたのか定かではなかったが、それ以降種が降ってくることはなくなり、代わってハラハラと雪か紙ふぶきのようなものが舞い降りてきた。樹が降らせているのなら辺り一面がそうなるだろうが、どうやら誰かが意図的にソニア達の所にだけ降らせているらしい。透明なガラス製の管に油と小道具を入れて上下に振ってから静かに置くと、ゆっくりと淡雪が沈降してくるように見える飾り置物を見たことがあるのだが、まるでそれのようだとソニアは思った。縦に長く吹雪の柱が出来あがって、4人の上に降り注いでくるからだ。目に見える所まで落ちてくると、それが白やピンク、淡い黄色などの花弁が寄せ集められたものだと判った。
「アハハ、今度は少しまともなことをしてる」
「あいつら、あなたを歓迎してますよ、ナルスさん」
デラとアルスラパインがそう言うので、ソニアは目を丸くした。
「……あいつらって、誰です?」
上方ばかりを見ていたリュシルが一度ソニアに目を向け、それからまた監視が重要な役割であるかのように上を向いて言った。
「……この樹の上に住む者達なのです。この樹の番人でもあるのですよ」
「えっ、ひ……人が住んでいるんですか? この上に?」
ここから見える範囲に枝はあまりなく、全てが上方に集中してしまっている。下から登ろうとしたら、とても手掛かりになりそうな枝は見当たらない。1番近くに見えている枝も、枝と言うよりむしろ幹だ。これを登ろうとしたら、岩肌を素手で登るのと同じ技術が要るだろう。
「その人達は……一体どうやって登るんです? この幹を。飛翔でもするのですか?」
「まぁ、見ていて下さい。今に降りて来ますよ」
リュシルがそう言うと、本当に間もなくして人影らしきものが幹にくっついてモジモジとしているのが遥か上の方に見えてきた。どうなっているのかよく解らないのだが、その小さな人影が動く度に花弁が新たに撒かれているようだった。
暫く見守っていると、その人影は大きくなり、姿がハッキリとしてきた。樹から降りて来る速さとしては速過ぎるように思われる。そして、その様にソニアはまた驚かされた。
小さな人が3人、バスケットを手に樹の幹を歩いている。普通に地上を散歩するのと同じ陽気さと気軽さでスタスタと歩を進め、5歩ほど歩いてはバスケットから手を振って花弁を散らせているのだ。あまりの奇妙さに彼等を凝視していると、そちらの重力方向が正しいような気がしてしまい、また一瞬クラリとした。
声が届く所まで来ると、その小人達はゲラゲラ笑いながら言った。
「――――よう! リュシル! そうカリカリすんなよな!」
「――――お前さんは怒ってばっかりだ!」
「ガロン……ムジラ……いつも、いつもお前達はこんな事をして……! 今日のお客人は特別な方なんだぞ! どうしてこんな失礼な――――」
「まぁまぁ! とにかく先にこのお嬢さんを紹介してよ」
「ドネル……」
陽気に歯を見せて笑っているこの3人の小人は、樫の木で作った人形のように浅黒い肌でゴツゴツと隆起に富んだ顔をしており、髪の毛も暗色でモジャモジャとしていた。耳はリュシル達ほど長くはないが、人間よりは尖った形をしている。また別の種族らしい。
ようやく地上に辿り着いた彼等は何でもないように地に足をかけ、そのまま普通に立った。魔法なのか、それ以外の技なのか、さっぱり解らない。
デラやアルスラパインはニコニコしているものの、リュシルはムッスリして彼等を睨んでいるので、彼等もちょっとだけ反省顔になった。
「……わかったよぅ! お嬢さん悪かったよ。オレたちゃいつもああして客を歓迎するんでさ。だからまぁ……許してくれな!」
ソニアは興味津々で目を輝かせて彼等に手を差し出した。
「初めまして。私はナルス。色々な話を聞かせて下さいね」
3人共が大きな口を目一杯に広げ歯を剥き出しにして笑い、任せなさいと胸を反らせて一斉に手を出し、彼女と握手した。3人が一度に手を出すので、ソニアは両腕で3つの手と握り合う。その様が可笑しくてソニアはフフフと笑った。彼女が喜んでいるのを見て、リュシルもようやく彼等を許し、1人ずつ紹介した。
「この樹の番人をしている、ガロン、ムジラ、ドネルです。彼等は皆、ドワーフ族の者です。ドワーフ族は彼等の王国に住んでいるのが一般的なのですが、代々その中から、この樹の番人が選ばれて移り住み、樹の上に住んで見守っているのですよ。ですから、ここにいるのは選ばれた者達なのです」
「おうともさ!」
3人共が、ちょっとでも誉められるとすぐに気を良くして胸を張る。とてもお調子者の性格らしい。ガロンというのが特に大きな団子っ鼻の男で、ムジラが垂れ目の男、ドネルが髪を天辺でお団子巻きにしている、一応女性らしい者だった。
そんな種族のことを見るのも聞くのも初めてのソニアは、新鮮な出会いに甚く感激した。
「あなた方の王国というのは、何処にあるのですか?」
「ここよりずっと下ですわな。下の、洞窟の国の中におるんですわ」
ソニアはその《下》という言葉の意味が、ここより低地のことか、或いは地図で見た時の下、すなわち南方にあることを示しているのだと思った。
とにかく、丁寧で控え目な物言いのリュシル達とは違って、彼等の言葉や振る舞いは粗野で正反対であり、誰もが敬語で接していたリュシルのことすら腐れ縁の友人のように呼び捨てにしてしまう気さくさは、何とも面白くて人好きがした。
ドワーフ達は代わる代わる説明を始めた。
「――――さぁて、この樹ですが――――、もうかれこれ樹齢数万年にはなる樹でしてな、長年この聖地の光気と清い水を吸っとるうちに不思議な力を授かりましてな。色々と効用があるんですわ。葉は万病に効くと言われておりまして、煎じれば治療・回復薬としては一級品のものが出来あがるんですぞ!」
「その他、樹液から木の実に至るまで、どの部分でも使える上に、全てが素晴らしい効き目を持ってます。中でも有名なのが、花を樹液で煮詰めた《アマランタインの雫》でして、死に対する効果まであるんです」
「死者の呼び戻しが出来るというのですか……?!」
人間世界にそれ程の効能を持つ代物はない。死者の蘇生ができるのはただ1つ、呼び戻しの呪文だけだ。しかも、死んですぐの日没までに施術せねばならぬし、呼びかけに応じて魂魄が戻ってくる成功率は低い。魔法でもそれだけ難しい技なのに、それを何らかの道具や薬品で行うことが可能だなんて、ソニアは俄かには信じられなかった。3人の方はとても得意そうだ。
「――――そうそう、それで、10年に一度実る数少ない果実は、不死身になれるとか何とか言われて重宝されとりますなー。ま、そりゃ誇大広告ってもんで、実際は体の弱かったモンが強くなるとか、そういったコトなんですがな」
ソニアは改めて巨大な樹を見上げ、心の中で賞賛した。そんな効果を生み出す能力があるなんて、神の化身と呼ぶに真相応しいと言えよう。高く、高く、この地上で生きる何者よりも大きく天に伸びて、高みから世界を見下ろしているのに違いない。この樹の属するところは、殆ど天国に近いのではないだろうか。
「さらに言いますとですなー、先程落としたのは、その《不死身》の木の実でしてなー、お近づきの印にお客人にご進呈しますですよ。――――まぁ、始めからそのつもりで投げたんですがな」
ソニアは驚いてリュシルの手の中を見た。リュシルは苦笑しつつ、拾い集めた木の実をソニアにそっと手渡してくれた。
「いつもこうして実を粗末に扱うのですよ。貴重で尊い実だというのに、全く……」
「別に粗末になんぞしとらんわい! ちゃんとお客人にプレゼントしとるじゃないか!」
ソニアは手にした大小取り合わせて6つばかりの実をジッと見つめ、貴重な物らしい力を掌から直接感じて、ピリピリと肌を震わせた。
「持ってるよりも、今ここで食っちまった方がいいですよ。お客人の体が丈夫になりまさ」
ガロンにそう勧められたが、ソニアは戸惑った。話を疑っている訳ではなく、畏れ多く感じるのと、自分の為に使うのは勿体ないように思われたからだ。
「私……これを持ち帰って、他の人に食べさせたいです。私は今でも十分丈夫だし」
リュシルが穏やかに微笑み、デラとアルスラパインも顔を見合わせて柔らかく笑んだ。
「あなたは戦士でありながら、お優しい方のようだ。それ程貴重なものを手にして、自分より先に他人のことを考えられるとは。『人間の欲深には用心せよ』というのが我々の通説ですが――――あなたは、人間の国から来られたにしては、我々の心に近いものを持っておられるようだ」
ドワーフ達も感心した様子で見ている。
「食っちまった方がいいのに。お客人の美しさが増すこと請け合いってなもんですぞ」
ソニアがそれでも首を横に振るので、リュシルが1歩近づいて彼女の掌中の実を1つ1つ指差して説明した。
「この1番大きな物が、先程話に出た《不死身の実》と呼ばれている物です。体の弱った人には、これを与えるといいでしょう。あとの小さな物は、色によって効き目に違いがあります。この黒いのが筋力や骨の質を上げるもの――――あなたのような、体を資本にして生きている方にはピッタリでしょう。この黄色いのは、髪や肌などの美容に最も効きます。この緑と茶の斑は頭の回転を速くしてくれます。頭に傷を負って、ものの理解が鈍くなった人にもいいでしょうね。そしてこの明るい緑は、心が不安定な者や酷いショックにみまわれて心を閉ざしかけているような人がいたら、よく効いて落ち着きと安息感を取り戻せるようになるでしょう。この中で、あなたが食べさせたいと思っている人に必要のないものは、あなたがここで食べてしまった方がいいのでは?」
確かに、トライア王に《不死身の実》を食べてもらいたいだけで、あとは他に与えるべき人も思いつかなかった。新緑色の実はビヨルクの人にあげたかったが、もはや後戻りはできないので、すぐには渡せないだろう。
そこで、もしもの時の為に殆どは取っておくことにし、戦士として力をつけるべく、黒い実だけを食べてみることにした。
彼女が決意して実を口に運ぶ様を、6人ともが興味津々でワクワクしながら見守った。親指の先大の楕円形で黒い実を口の中に入れて、ゆっくりと噛み砕いていく。苦味はなくて干し葡萄に近い、濃厚で甘酸っぱい味が口に広がる。
実の力はすぐに明らかになった。舌にピリピリとした刺激があり、飲み下していくと喉からも力が伝わって、体の隅々まで漣のように電気が走っていった。
見た目は何も変わらないのに、彼女から発される戦士としての力の波動が増していく。ソニアは拳を握って見つめた。ただの思い込みかもしれないが、これまでに砕いたこともない大きな岩まで砕けそうな気がしてくる。剣も、今まで以上の速さで振るえそうな気がした。今ここでそれを試すことはできないが、実感としては十分だった。
「凄い……! 何て凄いの……!」
感心しているソニアを観察しながら、その変化を見抜いたリュシルがこんなことを言った。
「大したものですね。さすがです。その実はいくら肉体が強くなると言っても、食する人の元々持てる強さや、可能性の差で効果に違いがあるものなのですが……今のあなた程の効き目を見るに、並大抵の変化ではありませんね。あなたはかなりの強戦士なのでしょう。しかも、相当な努力をなさっているはず。――――いや、感心しましたよ」
ただ見ていただけで、彼等は力の変化を見抜いたらしい。目に見えぬものを把握する感覚に優れているのだろう。とにかく、これでますますソニアは一目置かれることになった。デラやアルスラパインの彼女を見る目が変わり、畏怖の度合いが強まっていく。
この実1つだけで樹の神秘を存分に知ったソニアは甚く感激し、もう一度木を抱き締めた。ドワーフ達も得意そうに笑みを浮かべている。
そして、ふと思いついてソニアは尋ねた。
「あなた達のように、私もこの上に行くことはできるかしら?」
陽気なドワーフ達であるが、これについては少々残念そうな表情を見せつつもハッキリと首を横に振った。その潔さが、仕事に対する姿勢は確かであることを窺わせる。ガロンが言った。
「それは、できないんですなー。こればっかりは許されないことで。決して。厳しい規定により、選ばれた者しか行けんのです。諦めて下せえな」
「そうですか……」
残念だが、これほど貴重な樹ならば、当然そのような厳しい戒律によって保護しなければならないだろうと納得できたので、ソニアは重ねて頼み込むことはせずに身を引いた。ちょっと立ち寄った程度の余所者になど開かれる訳がない禁域だろうし、易々と知られたり汚されたりしてはならない秘密があるに違いないのだ。
ソニアは、そうした秘密があることを喜びとして胸膨らませ、もう少し樹の観察と触れ合いを楽しみ、それから村へと戻って行った。
引き続きリュシル、デラ、アルスラパインの3人が案内を続け、今度は村の中央にある魔術訓練用のちょっとした養成施設やら、木細工の工房、パン工房、チーズ工房、織物工房、酒造、武器・道具工房(ただし武器の種類は少なく、杖や弓矢ばかりである)等、村のあらゆる技を片っ端から見学させてもらい、その1つ1つに驚愕し、胸をときめかせた。
人間社会ではまず実用性が先にあって、その上に見た目の美しさと、ちょっとした遊びというものを加えていくのだが、ここで作られる物は実用性が先なのか、美が先なのか判らぬくらいに両者が巧く融合していた。細工物はもとより、パンやチーズ等の食べ物も成形が凝っており、花やキノコを模していたり、細かく編まれていたり、幾何学模様だったりする。あの樹ほどではないが、これらの品々にも不思議な力がこもっているように見えた。
楽器工房では仕上げ途中の竪琴を見せてもらった。作者である若い男が言うには、これから躾や訓練をしなければならないのだとか。そう説明している傍から竪琴が自身で勝手に演奏を始め、調律の済んでおらぬ、ズレてややヒステリックな音を響かせた。作者はコラコラ、と窘めながら箱の中にしまって蓋を閉じた。すると琴は暫く演奏を続けたものの、やがてふてくされたように調子を落として止めてしまったのだった。ソニアは大いに笑った。
面白いのは、何処に行っても歌に出会うことで、人々が物を作りながら歌を口ずさんでいることが多い点である。人間の職人が仕事を楽にこなす為にテンポを生み出すのと同じかとソニアは思ったのだが、どうやら違うようで、歌は作品に向けて常に注がれ、それを受けた作品は輝きを増したり、キュッと縮まったりと、何かしらの変化を見せていた。
不思議に思いソニアが尋ねてみると、リュシル曰く、それらは力を持った歌なのだとか。火に入れて炙ったり氷水につけて冷やしたりするように、それらの歌によって独特の効果をもたらすことが出来るのである。
その場で説明してくれたものは『熟成の歌』と『秩序の歌』で、楽しげで陽気な『熟成の歌』は主にパン、チーズ、酒等の発酵食品の製造時に使われていた。
しかも、パンを竈に入れて焼く段階では『ふっくらの歌』とかいう、半端な口笛のように息をフウフウとさせるものをずっとしていた。出来あがったものを見せてもらうと、それは、それは素晴らしい焼き上がりの柔らかいパンが、実にいい香りをさせて艶々と輝いていた。王宮専属のパン職人でも、なかなかここまでの域に達するのは至難の技だ。
何でも、今晩は客人の為に宴を開いてくれるとかで、そこで出される菓子作りにも励んでおり、工房は忙しそうにしていた。彼等の魅力的な力で造られたものに触れられるなんて、どんなに素晴らしいことだろうと、ソニアは宴を心待ちにした。
目に映るものがあまりに印象的であるから、いつの間にか彼女は心を覆う影のことも忘れて夢中になり、村を大いに満喫していた。彼女がそうしていれば、村の人々もますます心を開いて共に笑い、自ら彼女に声をかけて歓迎した。
これほど質が高く豊かでありながら、決して消費し過ぎない生活というものが他にあるだろうか? 余裕に満ちた、それでいて生産的な生活をしているのに、贅沢ではないのだ。むしろ慎ましいとさえ言えるかもしれない。
ソニアはこの村の生活を心の底から称賛し、どうすれば真似ることができるだろうかと頭を廻らせた。この村の生活様式を詳細に記すだけでも、大変有用な本が十分に1冊書けそうである。
そうして、様々な技と悦びに心奪われながら村中を廻り、本の章構成まで思いついて順番に概ね満足がいった頃、早くも日は暮れて、村は紫色の薄闇に染まり、それから皆の瞳と同じ色の青い宵へと移り変わっていった。
すると、村中の至る所に生えている花や、家屋の外壁を彩る植物画が光を放ち始めた。それらは全て夜光性のもので、夜光百合や夜光鈴蘭がボンヤリと白く発光して、軒先やベンチ、道々の境界を照らしている。壁画の中の植物達は、相変わらず夜風にそよぎながら青白く光っていた。
そこに道があると勘違いして壁にぶつかってしまうこともあるのではないかと、ソニアは注意深く辺りを見回してみたが、壁画の色と本物の植物が放つ光の色とでは違いがあったので、そのような事故はなさそうだった。
それにしても、何て面白い光景だろう。子供達がこんなものを見たら、どんなに喜ぶだろうか。ソニアはそう思いながら、花に照らされた道を歩んでエアルダインの館へと戻って行った。
見上げてみれば、神の樹マナージュにも沢山の光が宿っている。枝や樹皮に光る植物が取りついているのか、それとも自身の実や花等が幾つも発光しているのか、蛍に集られた飾り樹のように見事に煌めき、そこに巨木があることを知らしめていた。少し近い所にある宇宙と、その星々にも見える美しさだ。あの何処かに陽気なドワーフ達がいるのかと思うと、ソニアは愉快な気持ちになった。