第3部11章『森の民』3
「――――こちらです」
リュシルが街外れの十字路でソニアを呼んだ。今度は扉装飾の妙に見とれていたソニアは、我に返って慌てて後について行った。
白い家々の1つ1つが、全体の形や壁面の絵柄を異にしている。リュシルに導かれる方へ進んでいくと、紫色のリンドウ、ピンクのスイートピー、黄金色のダリア等が次々と現れて風に揺れた。淡い色の顔料でデザインされた白い陶磁器にも似ている。こんなに精巧な模様であれば、人間世界のトライアでも、祭や祝事の時にしか使用しない高価な品に値する出来だろう。
ソニアが衝動を抑え切れずに手を伸ばして壁に触れてみると、ツルツルでもザラザラでもないサラリとした感触だった。ひんやりとした吸熱感も心地良い。
溜め息ばかりついてキョロキョロと見回しながら進むうちに、丘の道に差しかかって、ソニアはゆるゆるとそれを登って行った。周辺より少し高いだけの丘で、ちょっと登れば、すぐに大きな屋敷の前に辿り着いた。これまでの家屋より、ずっと大きくて立派な邸宅だ。主館らしき正面の建物が樹の幹の形を模している。あの巨樹といい、この屋敷の姿といい、樹を愛でることは彼等の信仰なのかもしれない。
その主館は、人間仕様の建築で言うと目測で5階建てに相当する高さがあり、屋根と壁の明確な境界はなく、なだらかに屋根が始まり、その表面に手の平サイズの丸みのある瓦を鱗の様に重ねて張り巡らしている。それが壁になるにしたがって鱗の数はまばらになり、壁らしき壁に至ると輝くタイルの役目に変わっていた。
屋敷正面の正館から左右に建物が伸びて、奥に曲がっている。そして邸宅全体を木立が覆い、敷地の境界壁を成していた。
主館の下にある正面玄関までは、庭園の中を細い道が伸びており、その両脇をたくさんの百合や鈴蘭が飾っている。庭園内にはその他にも多種の花々が咲き乱れ、目を楽しませた。ここには季節というものがないのか、普通なら一度にこれだけの種類の花を咲かせることはできないだろうというくらいに数多の花が咲いている。これだけの腕を持つ庭師がいたら、何処の国の王室でも、さぞ重宝されることだろう。
鈴蘭と百合の道を通って正面玄関に着いたところで、リュシルが呼び鈴を鳴らした。扉に吊るされた紐を引くと、金属製の鳥がてこの原理で動いて鐘を突くようになっている。高めの可愛らしい音が長く響き、その余韻が全て消える頃に扉は開かれた。
内側に開いた扉の向こうには、中年でふっくらとした女性がいて、一同をさっと見渡した。その人はソニアの姿を検めるや、キラリと驚愕の光を見せたものの、すぐに真顔に戻って屋敷の奥へと案内した。さすが、長の住まう館に仕える人とあって、簡単には物事に動じないようだ。女性は体をユサユサとさせて先導した。
「さぁ、エアルダイン様がお待ちでございますよ」
若草色の長いローブの上に、同じくらい丈長の臙脂色のベストを羽織っている。ベストに施された白と銀の刺繍は、村の家々の壁に描かれていた植物や、この庭園の花々をたくさん寄せ集めてデザインされた美しいものだった。
少し進むと吹き抜けのホールがあり、円柱状の空間の真ん中に階段があって階上へと伸び、突き当たりから2股に分かれて更に上階へと続いていた。その階段も、水平である足場部分の直線以外は全てが曲線で構成された、温か味のある造りだった。
階段の向こうに奥へと続く通路があるが、そちらへは行かず、ホールに入ってすぐ左手の扉へ案内され、そこで一度止まった。屋敷内の至る所もその扉にも、繰り返しの漆掛けと経年の手入れによる縁の微妙な濃淡がある。その年季を物語る風合いが美しい。
女性が2度ノックすると、扉の向こうから、しわがれた弱々しい声が返ってきた。
「お入り」
女性が扉を開けて先頭になって入り、その後にリュシルが続いた。女性が誰かに報告する。
「リュシル様が戻られました」
その部屋は奥に長く、卓や椅子の置かれていないこざっぱりとした部屋だった。居間や客間、寝室の類ではないらしい。漆塗りの柱に赤銅色の壁面。臙脂色の絨毯。そのどれにも細かな彫刻や刺繍が施されており、家具調度品類がなくても十分に豪華な雰囲気を醸し出ている。大木をくり抜いた中にでもいるような色彩だ。
部屋の中央は、入り口から奥に向かって縦長に薄桃色のカーテンで仕切られている。そのカーテンの向こうには窓か出入り口があるようで、光が射し込み明るく輝いていた。その向こうに何があるのかは見えない。どうやら、エアルダインという人物がそこにいるらしい。
全員が部屋に入ると、女性とリュシルはそこで足を止め、皆もそうした。そしてカーテンの方に向き直り、1列に並んだ。
姿は見えないが、その向こうからただならぬ雰囲気が漂ってくる。それが魔力なのか威厳なのかは判らぬが、ソニアの肌はビリビリと震え、その人物がこの者達の長的存在であることを納得させるだけのものがあった。
桃色の薄布の前でリュシル、デラ、アルスラパインが跪き、持ち運んできたソニアの鎧と剣は献上品の如く前に差し出された。女性は立ったままで見守っている。相手の姿を見ないうちに戦士が跪くことはないので、ソニアもエアルダインが現れるまでそこに静立していた。
リュシルが凛とした面持ちで言った。
「鏡の泉より参られた方をお連れ致しました、エアルダイン様。この方の仰るには、ビヨルクのメルシュ王子より許可を頂いて、魔鏡を通って来られたのだとか。詳しい事情はまだ窺っておりませんが、出身はナマクア大陸のテクト王国で、戦士をなさっているそうです。まずはエアルダイン様に会って頂くべきかと存じまして、お話を伺う前にお連れ致しました」
ソニアは、自分に向けて注がれる強い視線をビリビリと感じて緊張した。一国の王と向かい合っても、なかなかここまで空気が張り詰めることはない。ヌスフェラートの強敵を目の前にした時に感じるものとも似ている。やはり、この人々が人間ではないからなのだろうか。
暫くして、ゆっくり淡々とした年寄りのしわがれ声が聞こえてきた。
「……客人よ、お主……名は何と申す」
リュシルに言われた通り、ここでは騎士道は通じぬものと思って、ソニアはすぐに返した。
「ナルスです」
こちらからは全く姿が見えないのに、向こうからは見えるのだろうか。隅々を観察する視線を尚も強く感じて、ソニアはそう思った。
「……ようこそ、我が村に参られた。そなたは敵ではないようじゃ。よい目をしておる。安全な者である限り、我々はそなたを歓迎致すに……暫く、戦に明け暮れた体を休めていくが良い。……その鎧と剣は、その間は預からせてもらうとしよう」
いつエアルダインの命があったのかソニアには判らなかったが、その後、女性とリュシル達は退室していき、ソニアだけがそこに残された。来客の時にはいつもこうなのだろうか?
皆が深く一礼して退出した後、姿の見えぬ老いた人とソニアは何の会話もせず、互いが互いを探り合って出方を待ち、動きを見せず、沈黙が続いた。
「……そなた……」
ようやく地を這うように流れてきた言葉にソニアは目を見開いた。
「……ナマクア大陸の生まれではないようじゃのう。……何処ぞの生まれじゃ?」
人間世界でも、大陸の違いによって人々の風貌に若干の違いはある。だが、それとは違った理由でエアルダインが出生の偽りを見抜いているのは明らかだった。
「私は……孤児です。生まれや、両親のことは知りません」
「……親の名も知らぬのか?」
「はい」
ソニアの予想通りの反応だ。彼女の容姿に関心がなければ、一体どうしてナマクア出身でないことが重要であろうか。何故、親のことを尋ねる必要があろうか。
ソニアは心を決め、自らエアルダインに語りかけた。
「……私は、自分の出生を知りたいと思っています。これまで、どんなに知りたいと思っても、何の情報も得られませんでした。あなたは、何か思い当たる事がおありのようですが……」
「――――――いや」
エアルダインの否定は早く、強かった。
「我々は好奇心の強い血なのでな。そのせいで根掘り葉掘り訊いてしまうのじゃ。興味があるからといって……知っているという訳ではない」
「……何も……知らないと仰るのですね?」
「…………」
カーテン越しというのは、表情から心の動きを読むことが出来ず、何とも推し量り難い。
「……ナルスとやら、そなたの気持ちは解るが……親の顔も名も知らぬのでは、探り当てることはおよそ無理じゃろうて。……むしろ知らぬ方が、これまでの生活を続けられ、幸福に過ごせるかもしれぬぞ。孤児の事情とは……いつの世もそのようなものじゃ。ワシの思うに……そなたは、その事は忘れた方が良いのではないかのう」
こんな事を言われたのは初めてで、しかし望む答えには程遠く、ソニアの表情は曇った。唇を噛み、拳をギュッと握り締め、俯く。
すると、それを見てか、木の軋む音がしたかと思うと桃色の薄布が風圧でフワリと舞い上がり、その向こうから白装束の老婆が地面スレスレを浮いてやって来た。布の向こうにあったのは、ただ1脚の大きな椅子と、小さな卓だった。今まではその椅子から彼女を観察していたのだろう。
老婆の肌は樹齢数百年の木を思わせるほどに乾いており、人間の老人では見られぬ数の皺を走らせ、全ての美しさと艶と魔力を両の目だけに凝縮したように、強い力を秘めた瞳が輝いていた。頭にベールを被って、その上から冠を載せているので頭髪の有無は判らない。
ソニアの前に滑るようにやって来たエアルダインは、手にした杖の先にある宝玉をソニアの顎に押し付け、軽く上げた。ソニアは射竦められたように動けなくなった。
「……そなた、それがここに来た本来の目的ではあるまい? ……出生を問うのは、もう止めにすることじゃ。これからの生活を台無しにしてしまうかもしれんぞぇ」
その言葉か宝玉の光に催眠力があるのか、すんなりと説得されてしまい、ソニアはそれ以上この問題を口にしなくなった。それを認めるとエアルダインもそっと杖を離し、皺の波に隠れてしまいそうな小さな口に笑みを浮かべた。
「……さぁ、話すがよい」
ソニアは、ビヨルクでもそうしたように自分の事について若干設定を変えつつも、どうしてビヨルクに飛ばされたのか、どうしてメルシュ王子が魔鏡を使わせてくれたのかを話し、そして自分が1番望んでいるのは、1刻も早くナマクアに帰ることだと説明した。ビヨルクの惨状を知らない彼等の為に、ビヨルクの滅びも穏やかに語った。
「……成る程。それで、そなたは我々に人の里への道を示してもらいたいと言うのじゃな。よろしい、リュシルに案内させよう。ただし……我々は俗世を避けてこの様な孤立した暮らしをしている故、ナマクアへ直接行ける経験者もおらぬし、いても出させるわけにはいかない。じゃから違う所になるが、それでも良いかの?」
「はい! それでも結構です! スカンディヤのように、あまりに人が少なくて魔術師を見つけられないような僻地でさえなければ、何処でも構いません! どうかお願いします!」
「ホッ、ホッ、ホ、まぁ……そう興奮しなさるな。実は1つ条件がある。今宵は一晩この村に泊まっていっておくれ。もう少しそなたと話がしてみたい。折角、珍しく客人が来たというのに早く去ってしまっては……妖精達も不満がるであろうし」
ソニアは受け入れかねるような不安顔で嘆願した。
「あの……もし可能ならば……まだナマクアの3国が無事であるかを知る手段はありませんか? 或いは、私の無事を知らせるような手段は」
エアルダインは目を薄めて深く頷いた。
「……成る程。ビヨルクがそのような状態になったとあっては、祖国のことも案じられるであろう。ビヨルクのことは……我々は全く知らなんだった。細々と親交は続けておったが、積極的にこちらから目を向けはしなかったからのう。王の助けの声が届けば手は貸したじゃろうが……不運なことじゃ。王子殿も、そなたを通じてその事を伝えたかったのじゃろう。これからは多少なりとも手助けをしてやろう。そなたの祖国のことは、見ようと思えば見られるぞえ。知らせは届けられぬがな。人の里に行けば知らせる手段はあろう。ワシとしても、そなたに心安く滞在してもらいたい故、調べてしんぜようの」
エアルダインはそう言うと、誰かの名を呼んだ。そうすると先程の女性がすぐに入って来て用を言い付かった。
「アイーダよ、地球儀を持ってきておくれ」
アイーダという例の女性は優雅に頷いてすぐに何処かへ行き、やがて、頭の大きさほどの球に芯を刺して軸にした、台座付きの変わった置物を持って来た。
すると、エアルダインが杖を一振りして部屋を仕切っていたカーテンが開かれ、アイーダの手から置物が浮き上がり、フワフワと宙を漂った。人間の魔術師でこんなに器用に物を動かすことが出来る者はいないので、ソニアは目を見張った。置物は、奥にあった椅子の脇にある小卓に飛んで行って静かに着地し、落ち着いた。
先程は滑空して素早く動いたエアルダインだったが、今度は自分の足でヨタヨタと小卓に近づいて行った。そして小卓の前に立ち、皺だらけの手で球にそっと触れて、カラカラと回転させた。この人が何をしているのか、ソニアには全く解らないので、まずはその場で成り行きを見守る。
エアルダインがブツブツと長い呪文を呟くと、球がぼんやりと発光し、手で回さなくても回転を続けるようになり、ゆっくりと模様を見せていった。表面の柄が世界地図に似ている。
「……アリアート、ナマクア」
そう言った途端、ナマクア大陸と同じ部分が急に光を増して、その光が球の表面上を少し浮かび上がり皮の様になった。
「……さぁ、来てごらん、ナルスよ」
言われるままにソニアが進み出て側に立つと、エアルダインは彼女の手を取って皮状に浮かび光る大陸に手を近づけさせた。
「指先で触れてみるがよい。そなたの見たい場所の今が見られるであろう」
何を言っているのか、どういうことなのかさっぱり解らぬソニアだったが、あの魔鏡や家々の壁面の魔法絵を見てきただけに、技術を疑う気持ちは少しもなく、世界地図で見た時にトライア城都がある辺りの地点を探し、そっと人差し指で触ってみた。
すると、突如彼女の脳裏に広大な森の鳥瞰映像が飛び込んできた。ここが何処かよく解らない、もっと下が見たいと思った瞬間には樹冠のすぐ上に視点が移動して、森の木々をよく見渡すことができた。確かにナマクア大陸特有の植物種だ。クローグの白い花が咲いている。
彼女が城都を求めて街の姿を思い浮かべると、自然に指先も動いて、いつしか鳥の様に空を飛びながら城下街の上空を旋回し、城を目の前にしていた。城は全くの無傷で美しいままだ。街の人々も、特に急襲に警戒している様子はなく、日々の営みに精を出しているようだ。トライア城都市はまだ皇帝軍の攻撃を受けておらず、無事なのである。
ソニアは王を思ったが、人物にまでは注目できないのか、それ以上彼女の要望に合わせて視界が急激に動くことはなかった。鳥の様に自ら進んで探さねばならないらしい。ソニアは先程のように下が見たい、右が見たいと方向を選んで城の中に入り、王室を目指した。見知った人達が急速に通り過ぎて行く。王は案の定、王室で床に伏しており、血色の良くない顔でテラスの外に目を向けて空を眺めていた。
国王陛下! 私はここです! 無事で生きています! きっとすぐ帰りますから! ソニアは心の中でそう叫んだ。通じたのかどうかは判らないが、一瞬王と目が合ったような気がし、その次にはエアルダインの声で呼び戻されてしまった。
「……どうじゃ? 判ったかのぅ?」
その声と、手に掛けられた皺だらけの肌の感触が一気にソニアを現実に引き戻し、館の一室に帰らせた。
ソニアは球に向かって悲痛な言葉を漏らした。
「王様が……あぁ……早く戻りたい……!」
国の大事という程のショックを受けているようではないが、それでも喜んでいない様子のソニアをエアルダインはじっくりと眺めている。
「……お国は無事だったのかぇ?」
そこで、やっとソニアはエアルダインと顔を合わせた。
「……ええ、無事でした。でも……国王陛下のお加減がよろしくないようで……」
「……臨終というわけではあるまい? どうか一晩は泊まっていっておくれ。なんなら、その王とやらの体に効きそうな薬を土産に持たせてやってもよいぞ」
ソニアにとって、これほどの技を持つ者からのそんな申し出にはとても魅力があった。人の世界で作る薬より、きっといい物を授けてくれるに違いない。
「お願いできますか?」
エアルダインはニッと笑って承諾した。