第3部11章『森の民』2
青い葉、黒々と光る太い幹。幾星霜を経て成長してきた大木群が連なる、雄大な森林地帯の最深部。木立を縫うように流れる糸筋の如き小川からは薄い蒸気が上がり、靄のベールが地衣類を柔らかに覆って、下生えまでもが包まれ、まるでベッドの中で眠りについているかのようだった。
1頭の牡鹿が小川に水を飲みに訪れ、優雅に首を下ろして流れを一嗅ぎし、舌を出してピチャピチャと水を舐め、喉を潤した。アライグマもやって来て、手にした木の実を念入りに水で洗い始める。
陽の光が階段状に射し込み、木の葉や枝が風に揺すられる度にカーテンの様に光が波打ち、翻って、まるで姿の見えない奏者が巨大な竪琴を弾いているようにも見える。鳥達の声もその演奏に合わせて空を行き来し、森の平穏を言祝いでいた。
その小川を辿っていくと、それは1つの泉に繋がっていた。源流はそこなのだ。すぐ側には倒木があり、そこにはボタンに似た銅色の丸い笠を持つキノコが、小人の国を築こうと頭を連ねて民を増やし、占有権を主張している。倒木王国には厚い苔が覆って、緑豊かなこと請け合いである。
泉の底からは透明な水が湧き出して満々とたたえられ、水面は常に揺らめき、その下の世界を踊らせている。時折、水底から気泡が浮かび上がっては、弾け、消えていった。
その澄みきった泉の中で、長い水草が青々と茂って今日もご機嫌なダンスを舞い、天井には同じ世界が鏡写しになって、水草と気泡がそっくり同じダンスを踊っている。
突如、その水底から金色の光がふつふつと生まれて膨れ上がり、あっという間に泉を一杯にした。その光は泉から溢れてドーム状に盛り上がり、光の縁からは輝く霧がゆったりと流れた。光の出現に、動物達は今までの動きを止めてピクンと顔を上げ、木の陰に隠れてしまい、そこから様子を窺った。鳥の囀りは警戒の声に変わって仲間に注意を呼びかけている。
泉の付近一帯は、風になびく葉擦れの音と、光から発される、洞穴中の岩の囁きに似た不思議な和音に染まっていった。
光の膨張と和音のピークが過ぎると、彼等の目の前で徐々にドームは縮んでいき、やがて光は霧となって薄れ、風に溶けて消えていった。
完全に光が消え去った後、静まり返った森に残されたものは、湧泉にどっぷりと浸かって肩から上だけを出している何者かの姿だった。
動物達以上にその人の方がこの現象に驚いており、そうして水に浸かったまま、まずは頭だけを動かして辺りの様子を窺った。
「……凄い……」
初めての神秘的な体験にそう呟いたのは、ソニアだった。
魔鏡の中に入ると、急に上下感覚がわからなくなり、王子に言われた通りに息を止めて光の中で浮遊し、手足を動かし探っていると、そのうち足が何かに触って、それを支えに立ち上がってみたら、いつの間にかこうして泉の中にいたのである。
ソニアは暫く放心状態で辺りを眺め、目に映る立派で美しい木々や、光の帯の織り成す透明なタペストリーにただ心奪われていた。泉もこの上なく清らかで、生命力に溢れている。ナマクア大陸よりは北方地域を思わせる植層で、森の豊かさはトライアさえも凌ぐほどであり、彼女の溜め息を誘った。もっと彼女を魅了し賞賛を得ようと、こぞって木々は枝葉を揺らし、光が踊る。
「……なんて素晴らしい森なの……」
ナマクアらしくない植層であることは、早期帰還を目的とする彼女にとっては残念なことであったが、これほどの森を見られたことはとても嬉しくて、ソニアはゆっくりと泉から上がりながら、尚も目を輝かせて周囲を360度眺め続けた。ここがスカンディヤでさえなければ移動は容易く、川伝いに下っていけば、いつか道や村に辿り着くだろう。
ソニアはホッと一息ついて森の空気を胸一杯に吸い込み、そして吐き出した。いつの間にか動物達は戻って来ており、また小川で自分達の営みを始めている。どうやら彼女が脅威ではないらしいと悟ったようだ。
全身ずぶ濡れのソニアは、まず周りの安全を確かめながら鎧を脱ぎ、服も脱いで風を起こした。鎧と服に風を集中して当てると、雫を垂らしながらみるみる乾いていく。1番下の、戦士仕様でフィット感の強い下着だけの姿となったソニアは、陽の光で体を温めながら、自分にはもっと穏やかな風を当てて肌や髪を乾かした。
そして、この森では全く魔物の気配が感じられないことに気づき、ソニアはそれを不思議に思った。ここは一体、どういう所なのだろう?
風は温暖で肌触りも心地良く、スカンディヤで殆ど日に当たれなかった分、ソニアはここで思いきり日光浴を楽しんだ。木立や葉をすり抜ける日差しはナマクアより弱いものではあるが、防寒着にずっと覆われていた毎日を思えば十分な量である。
長い髪も風の中ですぐに乾き、肩にフワリとかかると気持ち良かった。城での戦いに合わせて薄着になっていたが、その格好がここでは丁度良く、着てきた胴着もズボンもすぐ乾いたので、ソニアはそれを着てようやく動ける恰好になった。
水気を拭き取った後の鎧と長剣の乾き具合を見ながら、さてこれからどうしようかと考え始めた時、人の気配を感じて、ソニアは辺りを見回した。
姿は見えないが、何者かがこちらを窺う視線を感じる。泉の周辺には木が少ないので、すぐに隠れられそうな大木はなく、ソニアはいつでも動けるよう体を緊張させながら、矢や魔法による急襲がないかに気をつけた。そして言った。
「――――――誰? 誰かるの?」
ソニアの声はささやかに木霊し、一瞬、辺り一帯が息を潜めたかのように静かになった。静寂の中で何らかの意思だけが行き来し、やがて――――――声が返ってきた。
「……あなたは何者です? どこから来られたのですか?」
三方から気配がしていたが、その声は背後の方からしてきた。どうもその人が中心人物のようで、他の者は一切口を開かなかった。
「お答え下さい」
「……私は……この泉から来ました。ビヨルクのメルシュ王子様からお許しを頂いて」
空気が少し変わった。知った者の名を聞いたことで少し安心したのだろう。
「ビヨルクから来られたと言うが……あなたはビヨルクの方ではないようだ。出身はどちらです? 名は?」
ソニアは、問いかけを続ける者がいる背後の方にだけ顔を向けて言った。
「……まず、あなた方から姿を見せ、名乗って頂かなくては。それが礼儀というものでは?」
暫し沈黙があった。気分を損ねた訳ではないようだが、相当慎重な人々らしい。
「……我々は、余所者に警戒していましてね。ここは我々の聖域です。あなたの世界の礼儀は、ここでは通じないものと思って頂きましょう。――――――さぁ、お答え下さい」
軍人生活によって長らく騎士道を重んじてきたソニアにとって、この扱いは不当で気持ちのいいものではなかったが、状況的にも、ここは彼等に従うのが妥当であろうと考えて、言う通りに答えた。
「……私の名は、ナルス。ナマクア大陸のテクト王国の者です」
また沈黙。しかし今度は、動揺のような波が別の者から発せられた。明らかな余所者と知っておそれているのだろうか。
「あなたの側にある物は、鎧甲冑とお見受けしますが……あなたは、もしや戦士をなさっているのですか?」
これまでの警戒は、とりわけ剣に向けられているようだった。物騒な道具は、こんな聖なる森に住む者達には忌み嫌われるのだろう。
「……そうです。私は戦士です。ここへ来る直前にも、ビヨルクで魔物と戦ってきたばかりです。ですから血や傷の痕が見えるかと思いますが、どうぞおそれないで下さい。私は、皇帝軍にしか刃を向けるつもりはありません」
再び沈黙。問いの明確さ、言い振りからして、頭の回転がノロい者達ではない。ただ、相当に注意深いのだ。
「……この聖域を出るまで、その鎧と武器は我々が預からせてもらいます。宜しいですね?」
特に所持する必要は感じられなかったので、ソニアは頷いて承諾した。いざとなれば、拳だけでも十分に戦うことができる。しかし、そんな出番もないだろう。……ないといい。そう彼女は思った。
「あなたは見たところ危険な方ではないようなので、我々の村へ入ることを許可します。ビヨルクからこの泉を通って来た以上、エアルダイン様に会って頂かなくてはなりません」
そして、ようやく三方からゆっくりと人々が姿を現した。大きな木の陰にいるので、最初はシルエットにしか見えなかったが、それでも皆の背がとても高いと判った。 やがて、3人は陽の射し込む所にまで出て来て、光の中に姿を晒した。全身が明るく照らされると、その全貌が明らかになった。
身の丈の高さより何より、ソニアは真っ先に彼等の色彩に衝撃を受け、釘付けになった。人間世界では“青白い”と称される程に白い肌。長髪、短髪と長さはマチマチだが、マメ科の花ルピナスに似た淡い青紫色の直毛。その髪は浮力でも受けているかのように軽やかで、毛先がゆらゆらと微風になびいている。そして、瞳は澄んだ宵闇色で、深いブルーがソニアを凝視していた。
その何もかもが、彼女がこれまで孤独を感じ、不安の素として悩まされてきた現実、これまでに自分1人にしか見出せなかった珍しい色と、そっくり同じだったのである。
そこにいたのは3人。その誰もが、彼女を驚嘆の眼差しで見つめていた。最も仰天している彼女の反応さえも吟味に値するものらしく、彼等はジックリと全てを観察した。
中心人物だった背後の者は、長い髪を後ろに垂らしている青年で、あと2人は少しが体のいい短髪の男と、長い髪を後ろで纏めて結っている華奢な少年だった。その少年でも長身のソニアと同じくらいの上背があり、あとの2人は彼女より頭1つ分は確実に背丈がある。
皆、戦闘や旅には不向きな丈の長いローブを来ており、ベストやガウンを、それぞれの好みで羽織っていた。森に見られる自然な風合いの色ばかりである。
そして、色彩や身長、服装より何より、彼等が人間でないと一目で判る明らかな特徴が他にもあった。
耳が長いのだ。
ヌスフェラートより繊細に伸び、ツンとした印象があるが、こんな耳は人間には決してないものである。そして……ソニアにもない。
額に細く優美な金の輪をはめた、聡明そうな顔立ちの中心人物がソニアに近づいた。
「……大変失礼を致しました。私はリュシル。この2人は、デラとアルスラパインです」
2人は紹介と共に彼女に会釈した。デラが体格のいい短髪の者で、アルスラパインが1番虚弱そうな少年だ。皆、片手に宝玉の施された杖を持っているので、全員が術者のようである。
リュシルの指示で鎧と剣が回収され、鎧をデラが、剣をアルスラパインがおそるおそる持った。
「我々は、この泉を数年ぶりに通って来た者がいることを感じられた、エアルダイン様の命により様子を窺いに参ったのです。皆、大層不思議に思っておりました。ビヨルクではまだ、メルシュ殿に16になる御子がおられぬはずでしたから」
「……儀式のことは、少しだけお話しして頂きました」
リュシルとソニアがそうして語る間、デラとアルスラパインは肩を寄せ合ってヒソヒソと話していた。鎧や剣でなく、彼女そのものに大いなる関心を示している様子だ。そのうちリュシルが一瞥で彼等を黙らせると、それきり2人は口を噤んだ。
「では、まず我々の村に参りましょう。メルシュ殿が遣したと言う限り、あなたにも何か事情がおありのようだ。エアルダイン様にお会いになって、ご相談頂くといいでしょう」
リュシルの先導でソニアは森の中を歩み始め、その後ろにデラとアルスラパインが続いた。数種類の羊歯が足をくすぐり、柔らかに吹き上げてくる風が皆の髪をなびかせる。
道々の植物や風景に目を奪われながらも、ソニアの心には色々と訊きたい事が浮かび上がってきて、口を開いた。後ろの2人は、そんなソニアの様子をまだ熱心に観察している。
「……お訊きしてもいいかしら?」
「……なんでしょう?」
リュシルは彼女に多大な関心を抱きつつも、威厳を保って振り返ることなしに、道なき道を進んだ。
「あなた方は……皇帝軍とは何の関わりもないのですか?」
「我々は、ヌスフェラートなどとは手を組みません。如何な戦でも、我々は介入いたしません。常に中立の立場です。今回また彼等がこの地上に来ているのも知っていますが、関わるつもりは全くありませんよ」
そんな彼等に伝えるのは少し躊躇われたが、ソニアは言った。
「魔鏡のある部屋を守ろうと、おそろしい魔物が皇帝軍から遣わされていて……それと戦い、ようやくここに来れたのです。その血は、その魔物との戦いによるものです」
デラがギクリと立ち止まり、改めて鎧をまじまじと見下ろした。アルスラパインも剣を握る手を震わせて、鎧の血を見ている。
リュシルはさすがに足を止めて振り返った。
「あの城に……魔物が?」
ソニアはその反応で、ようやく気づいた。もしかしたら彼らは、全く何も知らないのではないだろうかと。
「……皇帝軍の襲撃で、ビヨルク城は陥落しました。国王メシュテナートⅡ世もその時没されています。……ご存知ないのですか?」
3人は確かに驚いた。彼女に会って以来、アルスラパインはどんどん青ざめていく。余程、血生臭く残酷なことに免疫がないのだろう。
「何と……いつの間にそのような事が……」
思う所のある様子ながら、それ程長く心乱されはせず、リュシルは冷静なる面持ちで踵を返して進み始めた。その切り替えの早さに驚いて、少し遅れながらソニアは続き、更に遅れてデラとアルスラパインが後を追った。
「複雑なことになっていたようですな。ますます、お早くエアルダイン様に申し上げなければなりません。さぁ、行きましょう。もうすぐです」
歩きながら、彼等の好奇の視線をチクチクと背に浴びつつ、ソニアは思った。いつか聞いた言葉の意味は、全てここにあるのだと。
『ビヨルクの王様に会いに行ってごらん』
『君は本当に人間なのかい?』
『ある種族にとても似ているのでね』
『そなたは一体……何者なのじゃ?』
これまで、たった1人として見たことのない、自分に似た色彩を持つ者に、初めて会うことができた。流星術でに飛ばされなければ、ビヨルクにはまず訪れることはなかっただろうし、王族に生き残りがいなかったら、この村の存在を知ることはできなかっただろう。この村への道を王子に示してもらい、遂に辿り着くことができたのだ。これはもう、運命の導きと言ってもいいのではないだろうか? 自分はきっと、この人達一族に何らかの関係があるのに違いない。耳は、彼らと同じではないが。
これからきっと明かされるであろう真実へのおそれと期待が入り混じる緊張の中、リュシルに先導されて歩くこと1樽時(規定大樽の栓を開けて、中身がすっかり空っぽになるまでの時間のことだ)、ソニアはようやく木立を抜けて、その先の開けた景色を目にした。
人里のように広がる、よく手入れされた豊かな畑。何種類もの緑色が陽に輝いて濃淡のキルト細工を織り成し、実った作物や花が赤・白・黄色に映えている。
まだ近づいてもいないのに、そこから見ただけで畑の出来が見事で立派であると判るくらい、作物の成長と実りは素晴らしかった。人間の里でここまで育て上げるには、農家の努力はもとより、最高の天候や虫害の極少といった幸運に恵まれなければ難しいものだ。もう、この時点で普通ではない。これが既に何らかの魔法に違いなかった。
田もあり、畦道の端には花々が列になって道行く者を歓迎しているし、その色取り取りさ、華やかさは、田畑というより庭園のようだった。
そして完全に木立を抜けた時、空に何やら大きなものがあることに気づき、ソニアはそれを見上げた。特大の巨人が傘を広げて立っているのかと思ったが、それは不動で、とてつもなく背が高くて、まるで大きな城のようだった。
その全貌にソニアの胸は震え、鼓動は高まり、進む足は速まって、もっとよく見ようと身を乗り出した。もう緊張など忘れて、目は好奇と喜びに輝き、言葉も失ってしまう。
客人の驚きぶりを見て、リュシルは誇らしそうにそっと目を細め、説明した。
「あれは神の樹、マナージュ。ヌスフェラート語ではユングドゥラシルと呼ばれている聖木です。母の中の母、王の中の王、樹の中の樹、神の化身とも言うべき存在です」
彼の言う通り、それは確かに樹だった。目を凝らしてよく探せば、本当に小窓やテラスが見つかるのではないかと思えるくらい巨大な城の如き幹が天に向かってそそり立っているのだが、その表面は石ではない。ここまで成長するのに幾星霜を経てきたであろう巨体の肌は、その年月に見合ったうねりと艶を持っており、浮世の大木では見られぬ、時だけが成し得る神秘の模様を形作っていた。
一体、どれほど途方もない年月を生きてくれば、こんな姿になるというのだろう?
壮大に広げる腕は、生い茂る葉の山に隠れてしまい、地上に近いものの根元がかろうじて見えるだけで、それより上のものは緑の王国に埋もれてしまって、この樹の腕がどのように張り巡らされているのか、その全貌はどうなっているのか、それが全くわからなかった。
見渡す限り、この樹に対抗して日照権を争う存在は目につかないから、おそらく、こんもりと球状に枝葉を伸ばしているのだろうが、それはあくまでも予測であり、鳥になって上空から確かめないことには到底知り得ぬことである。
巨木に魅せられるあまり、彼女が再び歩き始めるのに大分かかったが、その間3人は一切急かしたりせず、興味深げにただ見守っていた。
そのうちに、そこを動いても樹は何処からでも見えることに気づいて、ソニアは歩き始めた。リュシルの先導により、巨木に近づいていく畔道を進んで行く。その間、彼女の口はずっと開きっぱなしだった。そんな、戦士というより子供や少女らしい純粋な目の輝きと感激ぶりは、デラやアルスラパインの緊張を和らげた。
湧泉のある所もそうだったが、この辺り一帯はまるで『バル・クリアー』が施されているかのように空気が清浄で、目に見える光の粒と目に見えない光の粒が混じり合って漂い、爽やかに流れているようだった。その風が、ソニアの胸を、心を、そして魂の深い所にある説明のつかないものを震わせて体を熱くし、瞳を潤ませた。
ふと気が付けば、何やらもっとはっきりした光が田畑の上を過って行く。その幾つかの星が彼女達の所へと近づいてきて、滞空したり旋回したりして纏わりついた。こちらを観察しているようだ。子供のような甲高い声がする。
「わぁ! お客だ! お客だ!」
「あれ――――――! 何それ! 鎧? うわぁっ! 血がついてるぅ!」
「きゃ――――――っ!」
星は、よく見ると手の平サイズの小人だった。翼が生えており、それを羽ばたかせて飛んでいる。翼といっても、虫の翅のように薄く透けて丈夫そうなもので、とても美しい。その羽ばたきが光の飛沫を振り撒いている。
彼女はマナージュの時にも劣らぬ驚きぶりで目を丸くして、その小人達を観察した。皆、鳥の羽毛か花か布切れで作ったような服を身に着けている。お伽噺でしか読んだことがなかったが、これは妖精なのだろうとソニアは思った。
「これ、これ、失礼のないようになさい」
リュシルが窘めると彼等は騒ぎ立てるのを止め、その代わり、リュシルが客人として扱っている限り危険な人物ではないのだろうと安心して、改めて来客を喜んだ。手を取り合って空中ワルツを踊り、舞い、ケラケラと笑いながら星屑を振り撒いていく。それが吹雪のようにソニアの体に振りかかると、彼女の肌に留まりキラキラと煌いた。ソニアは面白くて笑った。
「お客様を歓迎だよ! さぁ! 急がなくっちゃ!」
そう言うと、妖精達の大半が一斉に散らばり、何処かに飛び去って行った。
そして、そこに残った数人の妖精が、何やら違った様子で自分のことを見ているのにソニアは気づいた。今までの騒ぎ様の中では目立たず、陰になってしまっていたのだが、煩い者達が去ったことで彼等の存在が明らかになった。彼等は最初からこんな調子でソニアのことを見ていたのだろう。その眼差しは、会ったばかりの時のリュシルやデラ達と同じだった。
気づいたリュシルが先に注意を促した。
「この方は、人間の世界から参られたお客様だ。失礼な事は何もするな。そして、何も言うな。よいか?」
納得したかはわからないが、彼等は言いつけ通りソニアには何も言わず、仲間同士で寄り合ってヒソヒソと言葉を交わすだけにした。
「さぁ、お前達もお迎えする準備に行きなさい」
残っていた者達もリュシルの命に従って、後ろ髪引かれつつも飛んで行ってしまった。
神の樹から妖精に関心が移っていたソニアは、彼等が去る方向を目で追い、彼方に視線がいった。するとそこに集落があり、建物の屋根や壁が並んでいるのが見えた。それらは白く陽に輝いている。人間世界の建築のように直線的ではなく、自然物に習って設計されたように曲線的で滑らかな外観であった。
集落に近づいていくと、畦道はガラスやタイルで舗装された美しい石畳の道に変わっていった。一行の姿が目につくと、窓から顔を出す人や、通りに出て来てジッと様子を窺う者に遭遇するようになった。皆、ひどく驚いた様子でソニアのことばかりを見ている。そして、持てる色彩は誰もが同じで、白い肌とルピナス色の髪をしていた。皆の背が高く、それに合わせて家屋の作りも高い。
白っぽく見えた住居の壁面は陶器のようにツルツルで、それにしては目に眩しい照り返しのない不思議な素材でできていた。その表面に、紫とピンクの濃淡で麦の穂が描かれている。そして驚いたことに、その絵は風がそよぐと動いて、ゆったりと穂をしならせて踊ると、また元に戻った。
ソニアは「凄い」と「綺麗」しか言えず、そればかりを繰り返してひたすら喜んだ。生活に根差していながら、それでも遊びの領域としか思えない部分にこれだけの技を使えるのだ。あの魔鏡を生み出した人々であることも、至極納得がいくように思えた。
戸口や窓は木製で、その縁には果物やキノコが吊り下げられている。他にもドライフラワーにする花束や、魔除けのお守りらしき星型のオーナメントが吊るされ、風に揺れていた。
石畳に使用されているタイルの植物模様は、トライアで有名な城下街のものより数段技術が上で、幾何学的に美しく並べられており、そのパターンの妙、そしてタイル個々に描かれた絵柄の繊細さは、足で踏みつけるのに少々躊躇われるほどだった。だから、タイルの絵柄1つ1つを目に留めながら歩くソニアの進みは、とても遅くなった。
妖精達と同じく、村の人々はデラやアルスラパインが持つ鎧と剣にも注目し、魔物との戦いで残された血と焼け焦げの痕が見えると、震え上がって数歩退いてしまった。
だが、ソニアがとても純真そうに街の美を讃えて感激している様を見ると、彼女とその道具とを結びつけることができなくて、ますます複雑そうな顔をした。