第3部10章『雪原の彼方に』8
タークの案内で、設備が比較的無事なままに残っている南塔3階の会議室に辿り着くと、そこではもう扉を開けて人々が待ち構えており、ソーマ等を迎え入れた。全員がそこに勢揃いで立っている。殆どが何時でも戦える武装姿の兵士で、その中に年輩のヒゲもじゃの大臣と、若き王子がいた。
王子も戦闘装備をしており、それと身分が判ったのは、やや高位らしい紋章が鎧に刻まれているのと、胴着とマントに施された細かで煌びやかな刺繍が目についたこともあったが、何より、王族らしい風格と気品をこの人がキラリと光らせていたからだった。
ソーマは軽いウェーブのある銀髪だが、この人は見事な直毛の銀髪で、腰まである長い髪を柔らかく後ろで編み込んでいる。目は夕日のような暖色の黄金色だ。
ソニアは遠慮気味に後方から彼等を観察し、再会の模様を眺めていた。自分よりは年上そうだが、まだ若いその王子を見ていると、彼の目元があの王に似ていることにソニアは気づいた。
「おお! ソーマ! 生きていたのか!」
「王子!」
ソーマと王子は固く握手をして、互いの肩を叩き合った。王族と部下というより、もっと砕けた親しみのある様子である。幼少からの馴染みといった雰囲気だ。おそらく王子の学友や武友としてあてがわれた良家の子息がソーマであり、長年仕えてきたのだろう。そして実力から、やがて王宮騎士団となって、団長に昇り詰めたのだ。
「お前……その腕は……」
王子がソーマの左腕に気づいて、そこに触れた。ソーマは静かに頷く。
「おお……! 何てことだ……!」
傍らの兵士達も無念の声を上げた。
「……左腕だからまだ良いのです。……死んでいった仲間に比べれば……」
ともかく2人は抱き合い、こうして再会できた喜びを今一度噛み締めて「良かった」「良かった」と言った。そして戦士も、王子と直に接して健在を喜び合った。ソーマは大臣や兵士等とも抱き合った。
王子はもう1人の生存者に最初から気づいており、女性と判っていたから礼儀として先に挨拶をするつもりだったのだが、彼女の方から後ろに下がっていたので、前に出てきた戦士の相手をしていた。だが、それが済むと貴人らしく胸に手を当てて婦人に丁寧なお辞儀をしてた。
「ご婦人がこうして健やかであられるとは、大変喜ばしいことです。しかも、このように危険な旅に出られようとは」
ソニアはこの部屋に来るまで、一切火の気のない城内の寒さに合わせてフードを被ったままでいたのだが、少々躊躇いがありつつも、そこで礼儀としてフードを取り払った。
彼女のルピナス色の髪が露になり、そこで王子は動きを止め、そのまま硬直してしまった。迎えた一同も皆が皆、彼女の美貌に目を見開いたので、一見すると王子の反応も同様のもののようなのだが、彼の表情が間近で見えるソニアには、その目つきは異様だった。
そして一瞬で、過去のあの瞬間にフラッシュバックし、今は亡きメシュテナートⅡ世が自分を食い入るように見つめた眼差しを思い出したのだった。王子の目の光も、それと全く同じだった。同じ黄金色の目が、彼女を驚嘆の矢で射ている。
ソーマが紹介すべき人物を思い出して、遅ればせながら言った。
「ご紹介が遅くなりましたが、この方は異国の方です。事情でこの地にやって来て、お国に帰る手段を探しておられます」
ソニアはおそれず王子の視線を受けとめ、そこで腰を落とし、かつてと同じ淑女のお辞儀をした。
「私はナマクア大陸のテクト王国から参りました、ナルスと申します」
一同から驚きの声が、ほぅ、と上がった。
「なんと……そんな遠方より……!」
「ずっと南の国ではありませんか……!」
「これほど美しい方でありながら、実は戦士でいらっしゃるのですよ。それで目的が一致しまして、我々も彼女の戦力をお借りしながら、ここまで旅をしてきたのです」
王子もさすが同じ王族であり、あの時の王と同じく長々と凝視はせず、すぐに温和な表情で緊張を覆い隠した。
「……なるほど、いずれ去られる方とあっては残念なことですが、こうしてお会いできて大変喜ばしいことです。貴女のような素晴らしい方と」
「私こそ、光栄でございます」
王子は手を差し出し、彼女がそれに応えて手を伸ばすと、その手をすくって優雅に接吻した。
「私はこの国の王子、メルシュです。是非ともお力になりましょう。貴女の事情は後ほど詳しくお聞かせ願えますかな? 今は、やるべき事が多いもので」
ソニアは、彼が『この国』と言ったことに頼もしさを感じて微笑んだ。
「私も微力ながら、何かお手伝いを」
それから、まずはソーマが城下の民家に子供達を残していることを皆に話し、兵士の幾人かが彼等を迎えに行った。子供の生き残りが救われ、会えることを王子達も喜んだ。迎えが戻って来るまでの間は、ソーマと王子が主となって情報交換をし、洞窟のことや周辺地域のこと、王子側のこれまでのこと等が語り合われ、お互いに把握した。
王子側が計画していた今後の活動は、まず第一に生存者探しであり、きっといるに違いない各地の避難者達を見つけ、情報網と物流を再開することだった。彼等の隠れていた森付近でも、主都陥落以降は敵の姿が消えてしまい、魔物の数も減っていたそうなので、今は全土がその状態にあると考えていいようだった。
ソニアが異国の兵士だから襲撃に関する情報を欲しがるだろうと思ってか、辛い記憶のはずなのに、王子も兵士達も敵のやり口や攻撃力など、皇帝軍の凄まじさについて詳らかに物語ってくれた。
ビヨルクを襲ったのは、ヌスフェラートの戦士ばかりが率いている大隊で、力による圧倒的な破壊攻撃を頼みとする特徴があったのだとか。配下には無数のトロールなどもいて、その巨体で拳や棍棒を振り回し、辺り構わず壊し捲ったものだから、城下町はこんな哀れな状態になっているのだ。
しかし、城そのものは美しさが気に入ったのか、城の攻撃だけは粗野で乱暴な部下を使わずにヌスフェラート達だけで攻めてきたから、形が残ったらしい。戦士と言っても、やたらに破壊攻撃を重ねる種類の者達ではなく、皆がとても優秀な戦気の操作者で、剣や槍をたった一度振るうだけで人を吹き飛ばしてしまい、しかも狙った所にだけその威力を集束することの出来る技術を持っていたのだとか。だから、こうして城内は比較的美しく残り、計算された必要最小限の傷跡だけを残して陥落したのである。如何に力の差があったかということだ。
「奴等は寒さが苦手だったようで、始めは長期戦に持ち込めそうだったんだが……それでも2週間と持たなかった。炎の幽鬼が仲間に加わるようになって援護したのだ。それからは圧される一方だった」
『アイアスの刃』と同じような技を持つ戦士がそれほどいたとなれば、無理もないだろう。
ソニアは、ナマクア大陸が魔導大隊の管轄と知ってはいるものの、もしそんな破壊の大隊がトライアにやって来たらと考えて恐ろしくなった。同等に渡り合える戦士は、下手をすれば自分一人だけかもしれないのだ。それをどうやって凌ぐというのだろう。ゲオルグは『とんでもない勢力』と言っていたが、その本当の意味が彼女にもようやく解り始めたのだった。
「この城を……こうして残して行ったということは、いずれここを使うつもりなのでしょうか……?」
ソニアがそう問うと、重たい沈黙が流れた。皆も解ってはいるのだが、言葉にされると恐ろしい。
「……そうかもしれません。単に、美しい建造物は使用目的がなくても後世に残すという美意識が、彼等の中にあるのかもしれませんが」
ソニアは目を伏し、思案して、如何に身分を隠そうとも伝えるべきは伝えなければと意を決した。
「……実は……私はテクトで皇帝軍と戦いました。その部隊のヌスフェラートがその時言っていたのですが……彼等はこの世界に移り住んで都市を幾つも築こうとしているようです。やはり、この城も……その時の為に残されたのでは……」
一同は息を飲んだ。
「――――――何と……、奴等と戦い、言葉を交わしたと言うのですか……?!」
洞窟でその話を既に聞いていたソーマが付け加えた。
「彼女の国、テクトでは敵軍を退けたのだそうです。敵軍の武器を逆に利用して巧くいったのだとか。護りの魔方陣が都市に発生して、今では魔物が入り込んでも暴れない都市になったのだそうですよ」
皆、信じられないと口にしつつも感心の溜め息を漏らした。無理もない。自分達の都市がこんな目に遭った彼等にとっては、まるで夢のような話だ。胸の捩れるような羨望を感じるだろう。
「そんな技が……ここにも生きていたら……」
メルシュ王子は狂おしく目を瞑って、心からの願いを呟いた。彼女にとっても奇跡的と言えたあの変化を望むのも当然だと思い、ソニアは深く同情した。
「何分……私共の方でも原因解明には至らなかったので、詳しい方法は申し上げられませんが、魔術師達の見解では『バル・クリアー』の効力ではないかと考えられています」
この面々の中で魔法の知識に長けているのは大臣と王子と彼女だけだったので、他の皆には何のことだかさっぱりだった。大臣があまりに難しそうに唸ったので、余程困難な技なのだろうと察することができるだけだ。
「何にせよ……そうした防御手段が成立しなければ……いずれ、この城は奪い取られるという訳ですね。今は単なる一時撤退で……」
「……今後の世界の戦況にもよるかと思います。陥落させた都市に敵が移り住んでいる知らせは、まだ受けていませんし、寒さが苦手なのならば、ここに逸早く駐屯することも考え難いですから、全世界を制覇するまでは戻って来ないのではないでしょうか。それに、今暫くは諸国を攻めることに従事するでしょうし」
「……我等の命運も、他の国の戦いぶりにかかってくるというわけですな」
廃墟同然の城で語られる重い話は実に寒々しくて、暖炉いっぱいにくべた薪の温かさがなかったら滅入ってしまいそうだった。流れ上、ソニアは自分の事情も語った。
「……私は、その戦果の為に敵に目をつけられて刺客を送られ、危うく殺されるところを、事故に遭ってここまで飛ばされて来たのです。国も再び攻められるかもしれません。だから、一刻も早く戻りたいのです」
「……なるほど……そのような事情で……」
その頃、迎えに行っていた兵士達がようやく子供や青年等を連れて帰って来て、皆に歓迎された。特に子供達は頭をグシャグシャと撫でられ、抱きしめられた。やつれた兄妹の姿に涙する男もいて、実の子のように労わり「もう大丈夫だ」と言ってやった。
その後、打ち合わせの済んだ王子はソニアと2人きりでの談話を望み、部屋の隅の卓に着いて、風の音に耳を傾けながら語らった。もう夜更けなので子供達は眠り、大人の半数以上も横になっている。今は、外に光が漏れぬよう内から木戸を閉じているので、外の風景は見られない。
王子はまず、ここには流星術の使える魔術師は一人もいないし、近隣の村にもいなくて、城内にも流星魔術薬は残っていないという現実をソニアに告げた。つまりは、望める最高のパターンでの早期帰国はできないということだ。ソニアは吐息し、途方に暮れた。
2人きりになってから、王子は先程の好奇と驚嘆の光を目に甦らせていて、可能な限りソニアの姿を観察していた。失礼のないよう気を払ってはいるものの、どうしても抗えない引力が彼女にあるかのように何度も引き寄せられている。
「どうすればいいのか……何かいい方法はご存知ないですか?」
王子はとても含みのある言い方で、ゆっくりとこう答えた。
「……きっと、見つかると思います。考えてみますよ」
ソーマは美男子という言葉がしっくりいくシャープな顔立ちだが、この王子は、それより気品や穏やかさで人を魅せる、どちらかというとアイアスのようなタイプの柔和で整った面の人だ。その優しげな眼差しには理知の鋭い輝きが時折閃くものの、ソニアに不快な印象は与えなかった。彼がソニアの中にある引力の元へと向ける視線の光に、悪意のようなものは感じられなかったからである。
一体、この人は何を知っているというのだろう?
「……このような状況下で失礼かもしれませんが……よろしければ、貴女の生い立ちについてお聞かせ願えませんか? 大変興味があるのです。貴女のような方が……何故……」
王子はここで少し言葉を濁し、やがて言った。
「……何故……そのように……戦士をなさっているのか……などをね」
『ビヨルクの王様に会いに行ってごらん』
ソニアは、あの謎を解き明かしたい気持ちがようやく湧き上がって来るのを感じて、暫時の間、固まった。声低く静かに話せば、薪の燃える音で2人の会話は皆には聞き取れないだろう。
彼女は長くは躊躇わず、皮張りの椅子に凭れてジッと王子を見、慎重になった者がよくするように両手の指を組んで、そっと卓上に置いた。
「……私は只今、安全の為に素姓を偽っております。私が国に無事帰り着くまで、それを明かさないのでしたら、お話しできますが」
「……刺客の為ですか?」
「ええ、そうです」
「……いいでしょう。私はお約束できますよ。貴女が信じてお話し下さるならば」
2人は目を見合って、互いに悪意や企みがないことを探り合った。
ソニアはこの人を信頼に足る人物と見て、簡潔ながらこう説明した。
「私は孤児でして、両親が何者かを全く存じていません。心ある方に拾われ育てられたので、今現在こうして生きています。でも……これまでに何度も、会う人に何者か怪しまれてきました。私が――――このような形をしているからです。あなたも私の姿を見て、何か思うところがあったようですが……あなたは、何かご存知なのではないですか? メルシュ王子」
王子は、彼女が生い立ちを語るだけでなく直球で質問をぶつけてきたことに驚く様子もなく、ただ深く考えていた。沈黙が長いと、殆ど肯定しているのと同じ空気になっていく。ソニアの胸は高鳴った。王子の様は聡明で落ち着いており、自分の損得を鑑みているようではなかった。あらゆる意味で言うべきか、言わざるべきかを秤に掛けているようだ。
ややあって、王子はただ頷いた。それだけでも、これまでの人生の中でソニアが初めて得られた明確な答えだった。
「……この問題は……おそらく、私としても大切な秘密を明かさねばならないでしょう。私と、貴女と、互いに秘密を出し合って、隠し持つことになるかと思います」
「……秘密……?」
王子は、ずっと合わせていた視線をここで逸らし、閉じた窓の方に向け遠い目をした。
「……今、ここでは言えません」
実に半端で困惑する回答に、ソニアは少し苛立った。王子には必要があってそうしているのだと解るのだが、何とも餌をチラつかされてお預けを食らっているような気分になる。
「……明日の予定は聞きましたね?」
「え……ええ」
「あなたやソーマ達が会ったという例の雪猿は、我々もどうにかしなければと思っていたので、明日、皆で退治に行きます。倉庫を開けたいのでね。それがやり果せられたならば……そこでお話しできると思います」
ソニアは目を見開いた。
「開かずの間に……関係があるのですか?」
ここでまた2人の目はバチリと合った。王子の瞳は、この計画に対する興奮が表れて熱く輝いている。
「……何故、あの雪猿があんな所にいるのか……何者の仕業なのかは解りませんが、私には一つ思い当たることがあります。おそらく……あの部屋のある物を守ろうとしているのではないかと。それだけ価値ある物が保管されているのですよ。あそこには。だが……誰にでも教えられるというものではないんです」
「……あそこには、王族の方しか入れないと聞きました。一体何故なのです?」
「我がビヨルクの王位継承者である嫡子は、代々16歳になると、あそこで儀式をするのです。あそこの――――……」
そこで王子は口を噤んだ。
「……いえ、これ以上は言えません。とにかく、私を信じて下さい。無事あの雪猿が退治出来たならば、あの部屋に直接あなたをお連れして、そこでお話しするとお約束します。必ず。そうすれば――――――あなたがお郷へ早く帰る途も、切り開かれることと思いますよ」
そして、王子は彼女を安心させる為に気品溢れる微笑を見せた。その笑顔に嘘があるとは思えなかったし、何より《明日》とはっきり時を明確にしているのだ。いつ教えてもらえるかわからない不確定な宣言ではない。今夜一晩くらい彼の言うことを信じて待ったとしても、何ら問題はないだろう。ソニアはそう思い、承諾した。
2人は北方狼の遠吠えが風に乗ってやってくるのを耳にしながら席を立ち、王子が手を差し伸べて彼女を案内し、皆の休んでいる所に連れて行くと、カウチを勧めてそこに寝かせた。淑女ということを気遣って、皆より少し離されている。ソニアは礼を言って休んだ。
王子は暖炉の側でもう少し炎を眺めて考え事をしてから、ようやく床に就いた。
皆が寝静まると、またルビがやって来てソニアの毛布の中に潜り込み、2人して眠った。
あまりに強く過去を思い出した為か、その晩、ソニアはアイアスの夢を見た。地下倉庫に続くあの空間で、幼い自分とアイアスが立っている。とても薄暗くて気味の悪い場所だ。ソニアはアイアスの手を握り、不安で身を寄せた。
『ソニア、訊きたかったら、ビヨルクの王様に訊いてごらん』
アイアスがそう言うと、雪猿が隠れていた通路の向こうの闇から誰かがやって来て姿を現した。ビヨルク王、メシュテナートⅡ世だ。肖像画と同じく体が爪で裂かれて、所々焼け焦げている。
アイアスの手を離したくないと思いながら2人して近づいていくと、いつの間にか手を引いているのは王に変わっていて、闇の通路の中に連れて行かれた。その奥を見たいような、見たくないような気持ちになっていると、やがて壁の一部から一筋の明かりが漏れているのが見え、そこに扉があるのだと解った。扉の前で立ち止まると、王がその扉を開けた。
すると、その向こうは一面の炎で覆われていた。隙間から漏れていたのは炎の光だったのだ。紅蓮の炎が全てを舐め尽くしている。
よく見れば、そこで燃えているのは――――――トライアだった。
城下街と城が、救いようもない程の炎に燃え盛っている。
ソニアが突然飛び起きたので、ルビが驚き目を覚ました。炎がそこにあって踊っているが、それは暗い部屋の暖炉で揺れる小さなものだった。
「ごめん……ルビ……ごめんね」
ソニアは彼を抱きしめて耳元で謝った。自分が冷や汗をかいているのに気づいた。
「……怖い夢……みたの……?」
「……うん」
「……僕、わかるよ」
そう言って、ルビが抱き返した。ソニアは彼の頭を優しく撫でてやり、2人してそれぞれが抱える恐怖から身を守るように寄り添い合い、まどろみの道を探った。




