第5部32章『滅亡のとき』10
ハニバル山脈の麓、人里も少なく樹高も高くなってきた深い森の中、降雪でそこだけは白んで見える山頂部を眺めながら、ソニアは倒木に腰かけて、ジタンと共に身体を休めていた。
ここまで来れば人と出会うこともないし、山脈沿いに旅をすれば猟場にも事欠かない。何か物入りの時は男装して近くの村まで行けばいいし、テクト領まで行って、そこの町で用を足すこともできる。
そして高みから町を見下ろすことで、何か異変があれば、すぐに察知することができるのだ。町の規模にもよるが、今いる場所から見える町はそこそこ大きいから、これくらいであれば王都が攻撃を受けたり、それを警戒する体制に入った場合は、この町にも流星術者が飛んできて警告を発するだろう。そして周辺の村々にも情報が伝えられて、皆は避難を始めるのだ。
それに夜であれば人目にも付きにくいから、時々王都が見える所にまで足を伸ばして様子を窺うこともできる。
そんなことを考えながら、ソニアは草を食むジタンを眺めたり、森の風景を眺めたりなどして、それなりにこの自由生活を心に定着させようとした。
そうして彼女が休み始めて間もないうちに、木陰からセルツァが現れた。草色の服や葉の色のズボンを穿いていても、あまりに鮮やかな青い髪であるから。目の端に入るだけで彼だとすぐに判る。
「……随分と思い切ったことをしたもんだね。戦乙女殿」
彼がそう言うまで不思議と意識さえしていなかったのだが、その目線が自分の頭部に向けられているのを見て、すぐに頭髪のことを言っているのだと解った。
「エルフの乙女は大抵、皆、長い髪をしているもんなんだが……まぁ、それもなかなか新鮮だ。似合うよ、ソニア」
彼はそう言いながら近づいてきて品定めの頷きをし、彼女の周りをグルリと一回りしてとっくりと眺めると、正面にやって来て微笑んだ。
「こうして山中に隠れているのもいいが……エリア・ベルに行って、そこから見守ることもできるぞ。その方が君も安全だし」
相変わらず、ソニアは笑顔もなしに彼を迎えた。今までのように怒っているのとは違い、今度は得体の知れない物事に引き込まれそうなことへの警戒に変わってきている。
「……この大陸を離れる気はないわ」
セルツァは肩を竦めて、参ったな、という顔で笑った。何とか機嫌を取ろうとしている。
「あの飛竜や、あいつに義理立てして、この事態を招いたことといい、それでもこのちっぽけな国を守ろうとするのといい……全く、君は偉いよ」
「……ちっぽけ?」
ソニアはあからさまに不快そうな顔をしてセルツァを睨んだ。
「……いや、悪い。言葉を間違えたな。価値が低いという意味じゃない。どんな小さな、たった1人の人間でも救おうとする……そんな感じに似ている。もっと多くの、大きなものを救える力と権力を君は持てるのに」
また、あの訳の解らぬ話を始めたのだと思い、ソニアは不機嫌そうな顔のままでセルツァを睨むように見続けた。
「この前は一気に喋ったからな……。理解できたかい? 君はこの国1つどころか、全ての世界を見守る所に行けるんだよ」
「……私には関係ないわ」
「――――関係ない? 何を言うんだ。君は――――」
そこでソニアがあまりに強く睨みつけたものだから、セルツァは止めた。そして溜め息をつき、頭を掻いた。
「やっぱり……こういう説明や説得はどうも苦手だ。……参ったな」
そして腕を組んで、グルグルとその辺りを回り始めた。彼が思案するときの癖なのだが、ソニアがこれをじっくりと見るのは実はこれが初めてだった。