第5部32章『滅亡のとき』5
フェリシテは、彼の言う超常的現象のことを少しも疑わなかった。目の前にいるのがアイアスであるということを信じていたし、アイアスは彼女に対して一度も嘘を言ったことがない人だったのだ。
いつか戻ってくる。いつか迎えに来る。そのような約束を彼女には特にしていなかった。だから長年帰らなかったのも、彼女を妻にしなかったのも、約束を破ったり嘘をついたことにはならないのだ。ただ、心だけで2人は繋がっていたのである。
そして話を信じたからこそ、やはりこの人は普通の人ではないのだ、アルファブラの王となって国を治め自分を妻とするような、そんな人生で納まる人ではなかったのだとフェリシテは思い知らされた。セイルとの結婚は、どんな形で終わったにせよ間違いではなかったのである。
勿論この先も尋常ではない体験をして、超人的な道を辿って、世界の為に戦う宿命なのだろう。一度は諦めてセイルと結婚し、愛し、そして失い未亡人となった今、彼女は冷静にそう考えることができた。そして、そう考えられる自分を発見し、成長したものだと驚いた。
でも、情熱は別だった。
フェリシテはアイアスを抱き締め、その胸に顔を埋めた。自分からは、そんな畏れ多いことができなかったアイアスも、それに応えて温かく抱き返した。
こんな宿命の人を愛してしまったことが自分の運命であると彼女は思い、彼の方もまた、そんな自分を待ち続けた彼女への愛情と労しさを感じた。
「もうすぐ、私が生きていると名乗りを上げ、ホルプ・センダーに加わるつもりです。このアルファブラに皇帝軍の手が伸びてきた時は、今度こそ必ずや堂々と私が馳せ参じてお守り致します」
かつてのフェリシテだったら、もっと沢山ここに留まってくれるよう願ったかもしれない。だが、今はそうしなかった。
「貴方という重要な人が、生きて今ここにいることに感謝します。貴方は世界にとって、なくてはならない人です。よくぞ、生きていてくださいました」
女王らしくなったものだとアイアスも思った。存在感の強かった亡き父王の陰で花のように、ただ可憐に咲いていた女性が、今では一国の女王として強く立とうとしている。
そして、天使と言われる特別な感覚を備えている由縁か、アイアスはあることを感じた。
そっと身体を離し、「失礼」と言って彼女の腹部に手を当ててみる。するとそこに、彼女とは別のもう1つの生命を感じた。
「ああ……何と……! ご懐妊されてらっしゃるんですね……! 素晴らしい……!」
それを聞いてフェリシテは驚いた。確かに先月は月のものがなかったし、今月もその気配がないようだとは思っていたが、何分にも戦のストレスや父や夫を失う衝撃に耐えている今であるから、体も少し瘦せてしまっていたので、単なる体調の問題だと思っていたのだ。だが、この人がそういうのなら、そうなのだろうと信じられた。そして、それが夫を失った悲しみを思い起こさせ、フェリシテは涙を溢れさせた。
「まぁ……本当ですか……? セイルの……あの人の子が……ここに……?」