第4部31章『堕天使』66
ディスカスが出て行った後も、彼女の部屋には暫く人の出入りがあった。ソニアに好意的であった者達が、どうしても最後に一言別れの挨拶を言いたくて訪れるのである。
いずれも言葉少なく、困ったことがあったら何でも言ってくれと申し出たいところなのだが、もう二度とこの大陸に足を踏み入れてはいけない相手にしてやれる事などないものだから、たださようなら、お達者でなどと言うばかりで、短い間にやり取りが終わってしまう。それでも、地方の有力者や幹部など数十人がやって来た。
彼女に憧れていた他の女官や兵士達は、雑多過ぎる己の分を弁えて近づくことができず、ただ遠くから彼女の部屋に人が往来するのを眺めていた。
そして粗方人々との個人的な別れのやり取りが済んで夜が更け、もはや彼の他には誰も来るまいという時刻になった頃、アーサーが1人で現れた。
彼は入室する前に視線で番兵を少し遠ざけさせると、部屋に入って内鍵をかけ、密室にした。彼がずっとソニアのことを庇っているのは皆が知るところなので、あれだけの裏切り行為に遭い、しかも彼女が人間ではなかったのに、まだ愛情を持っているなんて、何と純情で健気な男だろうと皆に思われている。だから番兵達も気を利かせて部屋から遠ざかった。
ソニアも彼を待っていたから、2人は駆け寄り相手に飛びつくと、抱き締め合った。そして強く、強く抱き合いながら、小さな細い声で話し合った。
「済まない……結局……こんな……!」
「……いいのよ。これでいいの。私が招いた結果だから……あなたのせいなんかじゃないから」
顔を見ると、彼はもう涙をためて瞳を揺らせていた。昨日ほど狂気に近いものではなかったが、それでも苦しみに喘いでいた。
「……王様から聞いた?」
「……ああ、お前がどうするつもりかってことを。……オレは諦めないつもりだ。時間をかけてでも、お前への理解を呼び掛けていく。お前を失えば、皆だって解るはずだ! その大切さが……! そしていつか、特赦を出して国に戻れるようにする……! それまで……」
国を飛び出すと言っていた彼が、前向きな別の方法を選択してくれたことを喜んで、ソニアは優しく微笑み、彼の頬を撫でた。その感触に彼も目を細める。
「私も……その時を待って、この国に留まり、姿を隠して旅をするわ。そして、皇帝軍がやって来たら必ず駆け付ける……! あなたと一緒に戦うわ……!」
彼はもう涙を抑えられずに零し、微笑んで彼女にキスをした。涙の味だった。
「もし……この大戦が終わって……それでもオレ達が生き延びていて……それでも……まだ皆がお前を受け入れなかったら……その時はもう、オレはこの国を出る。それだけは止めないでくれ」
「アーサー……」
彼女の顔に、それを責める色はなかった。
「母さんにはミンナがいる。ミンナが結婚して、幸せになって……大戦も終わって心配事がなくなったら……お前を迎えに行く。お前と2人で、何処か別な所で生きる」
ソニアはむしろ嬉しそうに目を輝かせて彼を見上げた。
「そうね……。戦いが終われば……、この国が無事であれば……」
「その時は……いいか? ソニア、一緒に来てくれるか?」
ソニアは優しい眼差しで彼を見ていた。
が、ふいにその色が薄っすらと陰り、彼女は視線を落とした。審判も下り、ゼフィーのこともディスカスのことも片付いて心配はなくなり、国王にも自分の決意を伝えられ、別れを告げることができたので、残っていた他の問題がより鮮明に浮かび上がってきていた。それは、アーサーとのこと。彼の真心と愛を受け取る為には、彼女が通らなければならないと思ってる、ある道が残っていた。