第4部31章『堕天使』57
「――――ソニア様! ソニア様!」
激しく肩を揺すぶられ名を呼ばれる中、ソニアは意識を取り戻した。
監禁室のベッドの上に横たえられ、番兵長が顔を覗き込んでいる。扉は開け放たれたままになっていた。これが演技で、策略によって脱出しようとしているというような考えは全くないのだ。
目覚めても、ソニアは暫く口が利けず、そのまま横になっていた。今、目の前に見えるものたちよりも、黄昏色の世界で見てきたもののことを思った。
彼女が目を開けたのを見て、一度だけ番兵長は具合を尋ねたが、彼女が目をそちらに向けて反応を示したので、それ以上肩を揺さぶるのを止め、膝立ちの状態で彼女の容態を見守りながら側に控えていた。
間もなく、そこに城付きの医師とアーサーが駆け付けた。医師は城内勤務であるから近いのでいいが、アーサーは丁度外に出ていた所で知らせを受けて、ここまで猛ダッシュでやって来たから、2人の到着は同時であったが、アーサーの方は激しく息を切らせていた。
ソニアが倒れたと聞いたものだから、長年の戦士生活で一度も彼女が倒れたことがなかっただけに彼は死ぬほど驚いて、血相を変えてすっ飛んでやって来たのである。
ソニアは起き上がろうとしたが、皆に止められた。
「……もう大丈夫よ」
「何が大丈夫なもんか! ちゃんと診てもらえ!」
一番激しい剣幕を見せるアーサーに向けて、彼女は無理矢理に微笑んで見せた。
「……本当に……大丈夫なんだ。理由は……解ってるから」
「理由?」
ふと気がつけば、番兵の陰になって見え難かった窓際の角の下に、ディスカスが蹲っていた。何とも哀れな様子で放心してる。彼女の方を向くことさえできずにいた。傍目には、主人の卒倒にショックを受けて現実的な対応ができずにいる役立たずのように見えるだろう。ソニアは目を伏せた。
そして取り敢えず来てくれた医師に診察してもらうと、本当に目立った異常が見られなかったので医師は首を傾げた。念の為に番兵長が確かに意識不明であったと証言して仮病ではないらしいことをアピールしてくれる。
異常がないのなら、もう大丈夫だと、どうにか皆を納得させて、ソニアは医師と番兵長に礼を言って下がらせた。医師は去り際、少しでもおかしな前触れがあったら無理をせずに、すぐに自分を呼ぶよう言い残して退室していった。
ベッドの上に起き上がり腰掛けるソニアを、アーサーは跪いて正面から肩を抱き、顔を覗き込んだ。なかなか安心できない様子で不安そうにしている。
「…………いろんな大切な人が……急に死んでいく……」
彼女がそんなことをボソリと言うものだから、アーサーは閉口した。
「さっきのは……死の痛みを共有してしまったみたい。……多分……私の双子の弟が死んだわ」
言っていることの意味は理解したが、困り果てているといった表情でアーサーは首を落とした。そして、もはや降参という風に頭を横に振る。彼は彼で、現実に手一杯だった。
「……行って。本当にもう、大丈夫だから」
「…………」
不安と疑問と心配だらけの疲れた顔で、彼はソニアを見た。彼女の方も疲労していたが、呼吸は安静なものに戻っている。
「……これから最終審議なんだ。色々あって遅れた」
ソニアは黙って頷いた。
彼は他にも何か言おうとしたが、言えず、顔を背けて目を閉じた。そして彼女の手を取りギュッと握って、その手にキスをした。
時間はない。アーサーは立ち上がり、扉に手を掛けた。
「……行ってくる」
もう一度、ソニアは頷いた。彼は早足で出て行った。
扉を閉めに戻って来た番兵長に頼んでディスカスを部屋の外に連れ出させると、ソニアはようやく1人になって、黄昏色の世界に思いを馳せることができたのだった。
審議のことは、全く期待していなかった。