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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第31章
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第4部31章『堕天使』54

 それまで力に満ち溢れて戦っていたマキシマの体に異変が起こったのは突然のことだった。彼の全身に激しい痛みが走り、まともに動けなくなる。

 その隙を見たヴォルトが怒涛のような連続攻撃を仕掛けてきて、マキシマは地に叩きつけられた。砲弾がそこに落ちたかのような震動が辺りを襲う。

 追撃しようと素早く降下したヴォルトだったが、寸前の所でスピードを落として攻撃の手を止めた。そしてマキシマが落ちてクレーターになっている所の縁にそっと降り立った。

 マキシマは、もう立ち上がれなくなっている。そして()()()()としていることがヴォルトには感じられた。何があったのかは解らない。だが、マキシマはそこで激しく引きつけのようなものを起こしていた。見ていると、彼の体がどんどんと変貌を遂げていった。虫族の外骨格のようだったものは消え失せていき、鱗のようになったかと思えば、ブツブツだらけの表皮になったりしている。そして右腕と左足それぞれの末端が黒ずんでいき、それが付け根近くにまで達して、やがて胴体から離れてしまった。腐り落ちたのだ。分離した手足は炭化するように真っ黒くなって、そのうち崩れて灰のようになった。

 全身を貫く痛みの中で、それでもマキシマは考えた。己の身に何が起こったのかを。

 これは拒絶反応なのだろうか? 天使という神秘の領域に住まう神の使者だけは、己の中に取り込むことのできない特別なものを持っていたのだろうか? 天使の恩恵を己の中に取り込むことは許されないのだろうか?

 天使として誕生していない者の肉体に天使の標が入ったことで、検閲され、判定が下され、相応しくないと否定されたのだろうか?

 単に許容範囲を超えた、ということではないようだった。何しろ数時間はそれを我がものとして行使していられたのだから。

 これは何か、それとは別の、天使に纏わる神秘なのだ。

 彼が落ちたクレーターを避けるように、野菜の魔物と人間達が通り過ぎていく。近づかない方がいい忌避すべきものがそこにあることを感じ取っているのか、単に足元が安定する平坦な所を選んで進んでいるだけなのか、その動きからは察することができない。

 ヴォルトはそこに立ったまま、マキシマと同様にこの変化の意味を考えていた。そして、マキシマが考えたものと同じようなことを、この竜人もまた考えていた。

 マキシマの体は徐々に元の姿へと変わっていき、そこには肌を黒ずませてもヌスフェラートであると判る姿になったゲオルグが横たわっていた。体の各所がどんどん崩れ落ちていく。この哀れな終末を、ヴォルトはただ見守るだけにした。敵として、なかなか天晴れで見事な戦いをした者である。こうして滅びていく今、弟子の仇は討てたから、滅んでいく肉体にまで鞭打つつもりはなかった。

 ゲオルグはそうして仰向けに横たわったまま、炎のように燃え染まる空を見上げ、己の敗北を悟った。そして不思議なことに、こうなったことで遂に終わるのだということが、むしろ嬉しかった。

 もう研究も、無為の日々も、孤独の闇も、今日、終わるのだ。

 もはや痛みなどの感覚もなくて、心の中の苦痛さえも薄れていく。

 そこへマリーツァが現れ、クレーターの中に歩み入り下りてきた。どうやってここに来たのかは解らないが、そんなことを気にする感覚も、もはやなかった。ただ、こんな所にいては危険だ、とだけ思う。何故この娘は、自分のこんな姿を見ても怖れたりしないのだろう?

 彼女は涙をポロポロと零し、彼のすぐ側に膝を折って顔を近づけた。本当に泣き虫だなと思う。

 “行くよ”と彼女が言う言葉が何度も蘇る。今でもその気持ちに変わりがないかのような、幻滅のない様子で、本当に辛そうに、悲しそうに、彼女はさめざめと涙を流していた。

 この娘と本当に一緒にいられたら、或いは楽しい日々が過ごせたかもしれない。今は素直にそう思えた。そして、自分があの時かけた言葉こそ、本物だったのだと理解した。

 そして、これで良かったのだと思った。この娘を殺すこともなく、双子を殺すこともなく、ただ自分1人だけ、こうして去って行くことで、全ての美しいもの、愛しいものはこの世に残る。穢れ、呪われているのは、この自分1人だけなのだから。これこそが自分に相応しい結末なのだ。

 ゲオルグはまだどうにか声を出せたので、マリーツァにそっと言った。

「オレの……マント…………。青い……瓶……」

この場においても、マリーツァの頭は冷静だった。

「……あなたのマントの中に、青い瓶があるの? それを使えば、あなたが助かるの?」

彼は目を閉じて首を僅かに横に振った。

「違うの……? じゃあ……それを使えば、この騒ぎが止まるの?」

今度は小さく頷いた。もう、それ以上の声は出せなかった。

 マリーツァはすぐにクレーターから出てマントを取りに行き、彼の視界から消えた。

 170余年の人生だったのに、最後の10数年にだけ凝縮された思い出。

 愛しい少女、愛らしい少女、あの輝き、微笑み。

 もう一度だけでも、会いたかった……。どうか……彼女が無事であるように……。

 燃えるような黄昏の中、彼は目を閉じ、風に融けていった。

 肉体全てが黒ずんで炭化し、それが崩れて風に流されていく。

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