第4部31章『堕天使』41
乾期の只中にある澄み渡った空を戴くトライアの早朝。ソニアは竜の雄叫びで目を覚ました。ビヨルクに行っていたゼファイラスが流星術で帰還したのだ。ソニアにそれを逸早く知らせたくて、子供らしい大声を上げたのである。ソニアのいる北塔も含め、城内全体が騒然としていくのが音で判った。
ソニアは扉の側にいるディスカスに訊いた。
「私のこと、ビヨルクに伝わっているのかしら?」
「決着がつくまで何も知らせるなという流れになっていました。おそらく、今は帰って来るなとだけ連絡が行っているでしょう」
それをこうして帰って来たのだから、多分ゼフィーが寂しがってソニアに会いたくてきかなかったのかもしれない。状況を理解したソニアは叫んだ、
「――――番兵! 番兵!」
すぐさま番兵長が駆け付け、上官の命令を待つ兵士の様に直立した。
「あの子は、私が直接説明しないと納得しないかもしれない! 誰でもいいから、私をここから出す権限のある人に、あの子と話をする機会をもらえないか至急頼んできて! お願い!」
兵士らしい小気味良い会釈の後、番兵長は駆け足で離れていった。
アーサーや国王がいるから大丈夫だろうとは思うが、自分に対する悪感情のせいで誰かがゼフィーに酷いことをしないとも限らないし、それでゼフィーが人間を傷つけたりしたら致命的だ。何事もなければいいと願いながら、ソニアは速やかに許可が下りるのを待った。
やがて、アーサーが飛んでやって来た。ハルキニアだけでは揉めたかもしれなかったが、その場にいた国王が即決して許可を与えたのである。
ハルキニア達も後からやって来たが、その時にはもうソニアはアーサーに連れられてゼフィー達の降り立った騎馬訓練場にいた。彼女の姿が目立たぬようアーサーがマントを着せていたので、早朝だったこともあり、あまり人目に付かずにそこへ到着することができた。
そこにいたのはゼフィーと、ビヨルクに派遣されているうちの、アスキードを含めた何人かがいて、何やら急にやって来た兵士達に囲まれて動くことができずに困っていた。帰って来るなとの連絡を受けていたとは言え、これはあまりに不穏である。
「一体……何があったんですか?」
教師アスキードはゼフィーの耳の付け根を掻いてやり落ち着かせようとしながら、皆でキョロキョロと辺りを見回し不安そうにしている。彼はもう十分ゼフィーの扱いに慣れているようだ。
アーサーはソニアの身体を一切拘束せずに連れ出したので、ソニアは自由な両腕を広げてゼフィーに抱きついた。
「ゼフィー……!」
ゼフィーはようやくソニアの顔が見れたので喜びの唸りをグルグルと上げたが、彼女の様子がこれまでと違い、酷く傷ついて悲しんでいることを感じた。
ゼフィーの毛むくじゃらな首筋にがっぷりと抱き着いて顔を埋め、ソニアは肌を通してゼフィーと通じ合い、現在の状況について話し合った。
勿論ゼフィーは怒りで剛毛をざわざわと立たせ、今にも暴れそうになったので、ソニアは心で必死に止めるように願い、理解してもらった。ソニアに酷い仕打ちをする者はいるが、そこにいるアーサーやアスキードのように、異なる者を温かく受け入れられる人間もいるのだ。
自分がこの先どうしようと考えているか、ソニアはゼフィーに伝えた。怒りを抑えるのにかなりの自制心を要したが、ゼフィーは聞き入れ、ソニアの願い通りに自分も行動することを約束してくれた。見守る兵士の幾人かも、この飛竜に慣れ始めた者がいるし、まだ飛竜が怖ろしくてもソニアのことを慕っていた者は、この光景を涙ながらに見ていた。
追放派の人々には、どちらとも厄介者としか映らず、嫌悪感たっぷりの目つきで眺めていたが、刺激してこの飛竜が暴れ出すと怖いので、極力何も言わずに息を潜めていた。
ソニアはゼフィーを説得するのに必要な短い間だけ触れ合うと、皆にも了解を得て、すぐに再びビヨルクへと戻ってもらうことにした。人間だけは戻ってきて良いことになっているので、流星術者はまたここに帰って来られるのだが、アスキードはずっと北方生活が続くことになる。
ソニアはアスキードにもよく訳を言って、済まないがよろしく頼むとゼフィーを任せた。アスキードは少しも嫌な顔をせず、むしろ同情的にソニアを見て、ゼフィーの面倒をよく見ると約束した。
流星となる際、ゼフィーは水晶玉のように大きい涙を一粒、騎馬訓練場の土に落としていった。