第2部第9章『刺客』その3
夕刻になると、休息に出ていた者達もチラホラと城に戻って来るようになった。帰りが早いのは通常休暇の者達ばかりで、遠征組はまだまだ実家でねばっているようである。勿論、夕食はそこで摂ってくるのだろう。
ソニアは朝と同じように仲間達が戻って来るのを眺めながら、すっかり息抜きして満足げな彼等の様子に心和ませた。今宵は王から食事に誘われていたので、予定時間が来るのをこうして待ちながら時を楽しんでいた。
すると、日が沈んだばかりの薄暮れの中でもそれと判る、艶の美しい栗毛の馬が裏門から入って来たので、アーサーだと判った。ソニアは思わず「もう少しゆっくりしてくればいいのに」と呟いた。もしこれが逆の立場だったなら、彼女はもっと早く帰って来たのだろうが。
今日の事が話したくて、彼の姿を捜しに厩舎へ行ってみると、彼が兵士達に囲まれて何やらからかわれているので、ソニアは物陰から面白く盗み聞きした。
「ミンナ殿に会いに行かれたのですか?」
「どんなご様子でしたか?」
ニコニコと彼の顔を覗き込む兵士達を、アーサーは何とも不愉快そうな目つきで見ている。
「……おい、こら、ミンナに手を出すなよ」
「え――――っ! アーサー隊長はミンナ殿をめちゃくちゃ大事にしているとは聞きましたが、本当なんですか? もしかして?」
取り囲んでいるのは主に若い兵で、通りかかった年輩兵が笑いながら言った。
「そうだぞ――――! 命が惜しかったら止めとけ――――!」
ワイワイ騒がしい彼等にアーサーはムッとして顔を赤らめている。
「ミンナには、オレがこれと見込んだ男以外は会わせないぞ! お前等には手出しさせんからな!」
「えぇ――――っ! じゃあ、俺達は落第点なんスか――――っ?!」
周りで眺めていた厩舎係や年輩兵や、休暇帰りの仲間がゲラゲラと笑っている。ソニアも可笑しく肩を揺すらせた。そこに彼女がいるのを知ってギョッとした下働きの者も、彼女が隠れて様子を窺うのを楽しんでいるのが解ると、一緒に笑った。
「おいおい! ダメだぜ! ミンナさんは! もし手なんか出したら、隊長殿に殺されっちまうぜー!」
アーサーは煩い煩いと喚きながら照れを隠して馬を預け、早々にそこを立ち去った。
城内に入ったアーサーは背後から声を掛けられ、それがソニアだと気づくと、すぐ笑顔になった。彼女が切り出すより先に彼は言った。
「夕飯どうだ? 一緒に」
「……その為に早く帰って来たの? あなた」
「そうだよ。ここんとこ2人でゆっくり出来なかったから、いい機会だと思って」
告白したことで彼はすっかりオープンになったようで、彼女が迷惑がらない程度にくっつき回るつもりらしい。ソニアは呆れて目を丸くした。
「折角なんだから、お母様やミンナとしてくれば良かったのに……!」
「ん……昼食は一緒にしたから、後一つはお前と一緒がいい」
ハッキリそう言う彼にそれ以上何も言えず、ソニアは苦笑して溜め息をついた。
「……嫌か?」
「そういう訳じゃないけど……ミンナが可哀想だわ。私にかまけてていいの? その間に誰かがこっそり攫っちゃうかもよ、隊長殿」
アーサーはまた顔を赤くして顰めっ面をした。
「……見てたな? もう……あいつ等はいつもああなんだ。オレをからかって楽しみやがって、チクショウ」
「フフッ、ミンナが本当に可愛いからだよ。私にまで訊いてくる人がいるもの」
「本当か?」
「ウン」
アーサーは面白くなさそうなふてくされ顔でブツクサと何か言った。
幼い頃から彼にベッタリ懐いている5つ違いの妹ミンナも、もう17歳だ。早ければ世の娘達が嫁ぎ始める歳である。父親代わりでもあった彼は、父親の分までそわそわと落ち着かないようだった。
ソニアは笑って彼の肩を叩いた。
「今夜は王様と食事なの。あなたもいらっしゃいよ。王様がきっと歓迎して下さるわ。お母様やミンナのことも話して頂戴」
先約があったと知ると彼は残念そうにした。しかし、それが王ならば仕方がないとすぐに割り切り、彼女の誘いに応じて廊下を進み始めた。
「今日は何事もなくて良かったな」
「ええ」
心配した襲撃も今日のところはなかったので、あのまま警戒態勢に入って勤務を続けていたよりも、よく休むことができた。有り難いことだった。
松明の照明で彼女の姿がよく見える階段に差しかかった時、彼は立ち止まって、実に嬉しそうに目を細めた。ニヤけていると言った方がいい。
「朝はよく解らなかったが……そうか、今日はそんな格好だったのか。いいなぁ、よく似合うぜ、それ」
「……ありがとう」
高官の住居に食事を運んでいる侍女の一人がちょうど階段から降りて来て、2人と鉢合わせた。噂の2人がそこで何やら話し込んでいるのでギョッとし、邪魔をしないようにすぐに通り抜けようとしたが、アーサーがボヤボヤしていたので少し接触してしまった。トレーの上のナプキンや食器が傾ぎ、慌てて2人は手を出してトレーと侍女を支えた。
「もっ……申し訳ございません!」
「いやいや、オレが悪かった。こんな所で邪魔だったな。済まない」
侍女はそそくさと退散してしまった。
ソニアが顔を顰めているので、アーサーは照れながら戸惑った。
「……悪かったよ。そんな顔しないでくれ。お前に見とれてたんだ」
賛辞には簡単に靡かずに、彼女がジロリと上目遣いで彼を見ているので、アーサーがおどおどし始めると、ソニアは下を向いて笑い出した。
「フフフフ……」
「……?」
「……あなたって、勿体無い人ね」
「……えっ?」
再び彼を見上げた時、彼女の顔はもう顰めっ面ではなくなり、苦笑になっていた。
「こういう……時々見せるだらしのないところがなければ、あなただって十分軍隊長になれる実力があるのに」
その言葉を聞くと、アーサーはそこら一帯に響く大声で朗らかに笑った。
「――――――ハハハハハ! 全くその通りだな!」
そして、2人は互いの部屋への分かれ道まで歩いた。一度部屋で身支度をしてから王室に行くのだ。
窓から見える空には、もうポツリポツリと星が輝き始め、西の空に僅かな残光が紫色に伸びているだけだ。城壁も通路も、明かりの届かぬ所は深い青に染まっている。森は暗い海に沈んでいくようにその闇を広げていった。
分かれ道でもう一度彼は立ち止まり、真顔で彼女を見つめた。下働きの者達は他の居住区で忙しくしているので、今ここには人気がなかった。
「……何?」
彼の黒い瞳の中で松明の炎がチラチラと踊っている。
「……オレは……お前がいる限り、軍隊長にはなれないさ」
彼の真顔が何を言わんとしているのか戸惑い、ソニアは首を傾げた。
「……私のせい……?」
彼はフッと笑って目を伏せた。そして首を振った。
「いや……お前は強い。それは実力だよ。オレなんかよりも、ずっとな。それとは別に……」
彼女がまだ首を傾げていると、彼は目を開き、柔らかく笑んだ。
「お前がいる限り、オレはだらしがないんだ」
アーサーはスッと手を出して彼女の頭を寄せ、その額に優しく口づけをした。
「じゃ、王室で」
彼はそれだけ言うと、必死の照れ隠しで自室に速足で行ってしまった。
残された彼女の方が落ち着いてそれを見送り、ゆっくり笑った。
ソニアの提案は快く受け入れられ、王室のテーブルには急遽アーサーの席も設けられて、王、王妃、ソニア、アーサーの4人がテーブルを囲んだ。王室音楽隊の優雅な笛の音や琴の響きが空間を彩る。
王は、お気に入りの2人を一度に並べられてご機嫌である。王妃は勿論2人には好意的であり、彼女の場合は特にアーサーの方を可愛がっていた。王子がいたら、きっとこんな風に日々を楽しんだのだろう。
一体何処から情報を仕入れて来るのか、縁談の話があったのではと王妃は彼に尋ね、アーサーはギクリとして危うく噎せそうになった。
面白いことに、彼が真っ先に顔色を窺った相手はやはりソニアで、彼女は知らなかったその事実に単純に驚いただけなのだが、王はその様を楽しそうに笑って見ていた。
「いや……その……自分の母が勝手に持ち込んで来ただけで……」
彼はしどろもどろでそう説明した。世のご婦人方同様、王妃もこのような話題には目がないのである。
近衛兵隊長ともなれば、各地の名家に目をつけられて縁談を持ち込まれるのは当然のことで、隠すほどのことではなかった。だが、彼はソニアには知られたくなかったらしく、とても困っていた。
実は、彼には早くからそうした話が何度も来ており、何年も断り続けていた。世間的にもソニアとの噂が通っていたので、滅多なことでは縁談を挑んで来る娘などないものなのだが、彼も優秀な軍人として大変人気があり、相当な数の娘に憧れられていたので、駄目で元々と、こうして意志表示をしてくる者が後を絶たないのである。
明言せずとも彼の心を察している母親は、息子の手を煩わせぬよう自分でなるべく断ってきたのだが、どうしてもと引き下がってくれない場合も多く、仕方なく彼が来た時に訊いてみることにし、何時でも幾つか話を抱えていたのである。それで、家に行く度にこれらの問題を片付けるのが彼の習慣になっていた。今回も、溜まった数件の処理をして来たばかりなのだ。
「随分長いこと断り続けているそうですわね。誰か心に決めた人でもいるの?」
たった数日前に彼の告白を聞いていなかったら違って聞こえたかもしれないが、自分にとっても意味のある事実にソニアは重みを感じつつ、耳を傾けた。
アーサーはもう彼女の方を向くことなどできず、弱り果てて赤面していた。
なんだ、そういう事か。
一度知ると、ソニアは容易に辺りが見渡せるようになった。王も王妃もとっくに彼の心を知っており、これまでずっと気がつかなかった自分に、どうにかして知らせようとしている。老夫婦は何か企んでいるようだ。
単なる道楽? お節介? いや……
「これ、これ、お前、彼はまだ若いのだよ。それに仕事で忙しい。そんな気には、まだなれんのではないかな?」
「あら、歳は確かにそうかもしれませんけど、隊長就任からは、もうすぐ3年ですわよ。幹部は皆、そのくらいにはもう家庭を持っていますわ。早くはありませんことよ」
彼の話をしているようで、王も王妃も視線を向けずにソニアの様子を窺っていた。アーサーは2人の意図は承知で、ただ彼女が迷惑がらないだろうかということを恐れ、気にしている様子だった。
王妃がすまして言った。
「ソニアは……どう思います?」
アーサーがまた目に見えてギクリとし、ソニアはフッと微笑んだ。
「さぁ……歳のことは私にはわかりません。でも……彼はとてもいい人です。是非、幸せになってもらいたいと思います。それに、彼に選ばれた人こそ、とても幸せでしょうね」
王はニッコリとして相槌を打った。アーサーはますます照れていた。
王妃としては、この答えでは不充分だったらしく、遂に露骨に尋ねてきた。
「例えば……ソニアはどうですの? アーサーなどは。仲も良いし」
今度こそ、アーサーは照れ隠しに口に含もうとしたグラスの水に噎せてしまい、はずみでフォークまで落としてしまった。
ソニアは可笑しく笑いつつも、この2人の遠大な計画まではまだ知る由もなく、極自然に「そうですね」と考える仕草をしてみた。
「……この大戦が終わって、私も彼も無事生き残っていたら……考えてみるかもしれません。勿論―――――彼が望んだらの話ですけれど」
大戦中はこのような話はお預けである宣言をこうして出すと、王妃もそれ以上の追及はしなかった。アーサーはまだ噎せており、ナプキンで口を押さえながら、責めるような目でソニアを凝視した。《オレが望まない訳がないじゃないか》という顔だ。
「あなた達は大変お似合いですよ。もしそうと決まった時には……必ず私達に教えてちょうだいな、最初に」
王も王妃もこれを好感触と捉えたようで、満足気である。
これらの質問が、後々、王等にとって重要であったことを今はまだ気づかず、ソニアは微笑んだ。
すると、アーサーの噎せる発作がまだ治まり切らぬ内に、訪問者の存在が告げられた。食事中で良ければと、王は通す許可を与えた。
ややあって、そこにやって来たのは、王室付きの占い師マーギュリスだった。一見すると修道女のように見える、頭からベールをスッポリと被った美形の若者で、代々このトライア王室に仕える優秀な占者を輩出している家系の、現在の筆頭だ。先見の実力に長ける大概の占者がそうであるように、彼も全く皺のない、仮面の様に無表情で綺麗な顔をしていた。
彼の用向きを察知した王は、さっと不安を過らせた。マーギュリスはその王にまず一礼し、それから王妃、ソニアとアーサーの順にお辞儀をした。
大戦が始まってからというもの、彼が担う専らの使命は危機の察知であり、彼は四六時中その務めを果たしている。ソニアは、もしやその時が来たのかと息を飲んだ。
「……何か見えたのか? マーギュリス」
挨拶もそこそこに、王が単刀直入に訊いた。マーギュリスが王に近づき耳元で囁こうとするので、王は、構わず皆に聞こえるように話せと命じた。
「……近々、邪悪なる光が近づいて来るようです」
「皇帝軍か?」
「……そのようです。しかし、大きな軍勢ではない様子。……おそらく、ヌスフェラートではないでしょう。知性の輝きに欠けるところがございますから」
王もアーサーも唸り、王妃は怯えて口元を手で覆った。
「……読み通りで御座いましたならば、先日テクトを襲撃した軍勢ほどの戦力ではないようです。しかし……」
「しかし?」
ソニアが訊いた。このところ年相応の娘らしかったり、時には幼く感じられたりするほど真実に怯えていた彼女だったが、もうすっかり軍隊長として隙のない将の顔に戻っていた。占者の言った不気味な接続詞に、皆は敏感に緊張し、胸の縮む思いをした。
「……何と申し上げれば良いのか……この大陸の魔物ではないようで、その為、大変戦い難い様子なのです」
ソニアは虚空を睨み、目を細めた。
「……皇帝軍は大体、人間には不慣れな魔物をあてがって来るから、おかしくはない。でも……どういうことだろう? 戦い難いというのは……。マーギュリス、その魔物達の特徴までは読めないかしら?」
占者は目を伏せた。
「それが、個々の力は弱いのか、或いは強い個性がないのか、大変捉えにくいのです。未熟なもので、申し訳御座いません」
「……なに、これだけ解れば多いに役立つ。ありがとう、マーギュリス」
王の言葉に彼は深々と頭を下げた。ソニアはまだ空を睨んでいる。
近衛兵隊長らしく、落ち着きを取り戻したアーサーが言った。
「直接この城都に向かって来るのか?」
「……それが、また変わっておりまして、こちらの動き次第のようなのです。ここにいれば、ここで迎え撃つことになり、出向けばそこでの戦いとなるのかも……」
ソニアは即決し、王に目を向けた。
「――――私が行きます。戦いは人里に持ち込むべきではありません。手勢で仕留めて来ます」
王が承知するより早く、アーサーがソニアに食って掛かった。
「また行くのか?!」
「何かあったらすぐ戻れるよう手配して行くよ。マーギュリスが言うのなら、その可能性通りに動いた方がいい」
「帰って来てからまだ一晩しか経っていないというのに……!」
誰憚らず彼が心配そうな顔をしているので、ソニアが先に釘を刺しておいた。
「今度こそ、あなたはこの城を守っていて。小規模なら、あなたが来る必要はない」
彼も、それを押してまで長らく不在にしていた近衛兵隊長職をまた空きにするつもりはないようで、しかしながら不服そうに顔を歪めて黙った。彼が近衛という役職を選んでいる限り、仕方のないことである。
2人の間で折り合いがついたのを見計らってから、王は彼女に出征の承諾を与えた。
「マーギュリス、敵の辿るルートは判っているの?」
「……《敵は北方から》と出ております。それ以上には狭められませんが、おそらく、大陸上をペルガマ領から南下して来るのでしょう」
ソニアはアーサーと王に同時に言った。
「……私の手勢で、国境警備隊と合流しながら北上します。ハニバル山脈は越えないでしょうから、山脈の警備隊3つと、ロゼッタ付近の1つを動かして弧を描くように配置させ、必ず何処かが顔を合わせるようにして進軍しようかと。どうでしょう?」
「……そうじゃな。それが賢明な方法だ。しかし……もしもの時の為に、そなたはあまり遠くには行かんでおくれ。V字の陣を組んで、その頂点にそなたの隊があれば、同時にそれが満たせる」
「成る程、解りました。そのように致します」
「……オレも、それに賛成だ」
「術者を多めに連れて行かせて下さい。まだ敵の性質が判っていないので」
「うむ、よかろう。流星呪文ですぐ戻れる者ばかりにしておこう」
計画が立てられていく中、マーギュリスはまだそこで皆のやり取りを見ていた。ただ退出する機会を待っている訳ではなく、まだ言うべきことがあって、その時を見定めていたのだ。
「……軍隊長様」
王ではなく、彼がソニアを指名したので、何事かと皆が顔を強張らせた。
「何……?」
「実は……貴方様のことも出ておりました。《この国の守りの柱》……即ち貴方様のことです。大きな戦いではありませんが……何やら貴方様にとって一つの転機が訪れるようで……」
「転機?」
「……はい。良かれ悪しかれ、それは判らないのですが、貴方様にとって何らかの変化があるようです」
様々な事情があるだけに、ソニアは深く考え込んで、王もアーサーも明らかに不安を募らせた。
彼女にとって必ずしも悪くないことでさえ、自分にとっては十分な不安材料であるアーサーは、あれこれたまらない物事が浮かんで過ってはゾッとした。育ての兄が本当に戻って来て、彼女が共に旅立ってしまうとか、例のヌスフェラートの友人がまたやって来るとか、そんなものばかりだった。
「……ソニア、もし悪い事だったら大変だ。頼む。やっぱり、オレも一緒に行かせてくれないか? マーギュリスを信じるのなら、オレが城にいようと一緒に行こうと、戦局には変わりがないはずだからな」
「アーサー……」
「手前で潰しちまえば問題はないんだ。城の守りは今暫く副隊長に任せて、オレも同伴させてくれ。もしもの時――――単身でなら、オレが一番お前を援護できる!」
マーギュリスは、彼の考えが占い上支障のない方法であることを示して無言で頷いた。
「あなたは近衛なのに……!」
しかし、王も彼女に降りかかるかもしれない危険を考えて不安を募らせ、彼に賛成した。
「……そうしなさい。城はこれまでのように、副長の指揮で守ってもらおう。彼等もなかなかの兵揃いじゃ。滅多なことでは、この城は揺らがぬじゃろう。安心して任せて良いと思うぞ」
呆れていたソニアであったが、王が承諾したとあっては彼に無理強いは出来ず、代わりに一言皮肉った。
「あなた……何かある毎に出ていたのでは、国軍に戻った方がいいんじゃないの?」
返す言葉のないアーサーであるが、そうなっても構わないほどの強い決意を目に輝かせて、真っ直ぐに彼女を見つめていた。
「まぁまぁ、ソニアよ、すぐにこの都が戦場にならぬだけで十分じゃ。ここは臨機応変に行こうではないか。確かに異例続きではあるが、アーサーは重要な戦力じゃ。2人して確実に仕留めてきてくれた方が、ワシも安心である。この国を守って来ておくれ」
一度方針を決めれば、それ以上の躊躇いや不満を捨てて、軍人らしくソニアは頷いた。
「かしこまりました。全力で戦って参ります」
アーサーがホッと溜め息をついた。
ソニアとアーサーは直ちに平服姿のままで自軍に出征命令を下しに行き、部下と打ち合わせをして出発の準備を整え始めた。テクトからの帰国後間もないことに出征組も留守番組も驚き、震撼した。
マーギュリスの見立てでは、夜に出発するほど急ぐ必要はないとのことだったので、明朝を迎撃部隊の出発日時と定めた。
110隊は当然ながらまたしても出征なので、今日が休みで本当に良かった。妻や子供の自慢話に夢中だったディランもジマーもドマも、さっと顔色を変えて身支度に取りかかった。
王の提案もあって、ソニアに対して告げられたことは当面伏せることにし、皇帝軍の攻撃部隊が遂にトライアへやって来るということだけが俄かに広まっていった。
粗方回って、後は自室で眠ることが大切な務めとなったソニアが部屋に戻ると、扉の前でアーサーが待っていた。出征人員がいない分、近衛に出す指示の方が楽だったので、彼の方が早く用事を済ませていたのだ。テクトへ出発する時以上に彼は不安そうだった。
「……時間は取らない。少しだけだ」
彼は断るなり、彼女の肩を取った。
「さっき言ったこと、本当か?」
「え?」
「……生き延びたら……考えてくれるか? オレとのこと」
ソニアは戦いの予見を知らされてから、すっかり戦人として頭が切り替わっていたので、先程の王夫妻との食事で寛いでいた感覚にまで回路を立ち戻らせるのに束の間かかった。それだけ彼女がこの大戦と国防に真剣であることの表れなのだが、裏を返せば、やはりそれだけ2人のことに関しては彼の方が真剣である証だった。
本当に彼を、彼の望むように始終想える時が来るのかソニアは判らず、戸惑い、少し済まなく思った。
「ええ、生き延びたら……ね」
アーサーも彼女の心に鎧が纏われたのが解って、切なく眉を寄せた。
「お前に起きる事というのが……悪い事でないよう祈るよ。……そして、守る! 必ず勝って、戻って来よう!」
「……うん、早く済ませてしまおう!」
アーサーは断り通りそれだけ言うと、自室へ戻って行った。
暗い通路に佇んだまま、ソニアは考えた。
国王もアーサーも、自分の秘密を知りながらこの国に留めていてくれる。孤独の不安は、今や半減したと言っていい。一番避けられたくない人達に受け入れられたのだから。まだ判っていない秘密の真相は恐ろしいが、もはやすべきことは、居場所であるこの国を守り、この居場所を与えてくれる彼等を守ることだけだ。
魔法がいつも完全とは言えない、集中力と修練と熟練とを要するあやふやなものであるように、予見というものも、必ずしも完全という訳ではない。だが、もし本当に自分の身に何かが起こるのだとしたら、そのせいで他の者が苦境に追い込まれたり、傷ついたりしないよう、自分だけのことに留まるよう務めよう。
誰にも……大切な人達を苦しませてなるものか。
ソニアは彼の消えていった通路の闇を凛と見据え、その先に戦うべき相手がいるかのように鋭い眼光を放って、自分の未来に挑んだ。