第4部31章『堕天使』13
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そうすると、待ち構えていたかのようなタイミングで噂の当人がアラーキ大臣に連れられて登場し、待ち兼ねていた人々の心を沸かせたのだった。勿論、誰も声は上げず、言葉を聞き漏らすまいと息を潜めて、むしろシーンと静まり返っているのだが、視線ばかりがうるさく行き交っていた。
他のことで頭を忙しくさせているゲオルグでも、また厄介な連中が来たなと思うだけの余裕はあった。ここを通るのだから、ただ通過するというのはあり得なくて、やはりアラーキ大臣は従者2人を伴って真っ直ぐに彼の所へやって来た。
大臣はあくまで仕事上の都合で訪れたという様子であり、従者コリンは何やら得意そうな笑みを浮かべて後ろに控えている。そしてマリーツァは、いつもと変わらず愛想の良い笑みをニコニコと浮かべていた。誰にでも見せる、いつもの営業スマイルだ。
それに比して、彼の方だけがギクリとした様子で一行を迎え、かなり不機嫌そうな顔で応対した。アラーキ大臣の本質やゲオルグの普段の性格を知らない部外者達が見れば、これは噂の美女マリーツァを賭けて大臣と研究者が対峙する一種の修羅場である。だからゲオルグの表情は、正にそれを表しているのかと誤解された。
実際の会話はこんな風で、全く違っていたのだが。
「お忙しいそうですな、ゲオルグ殿。一人の従者もお付けにならず。手は足りておりますかな?」
「……大丈夫ですよ。お気遣いに感謝いたします」
アラーキ大臣が強面のわりに人の良さそうな笑顔でゲオルグに話し、応対する彼の方が無愛想であるから、他人の目から見れば、まるで往年の古狸が何食わぬ顔で年若い恋敵にこっそり脅しをかけているかのようだった。
「実は、今回はある提案をしようと思って参りました。ゲオルグ殿、よろしければ是非……暫くの間マリーツァを、貴方の従者としてお使いになりませんかな?」
ゲオルグはもっとギクリとして思わず目を剝いてしまった。聞こえなくても、その顔が『何?』と言っているのが解る。即刻、彼は申し出を拒否した。
「人手には全く不足しておりません。心配はご無用です」
従者にも聞こえる位置での会話であるから、当然ながらマリーツァにも聞こえ、彼女までが驚いた。
「あら、アラーキ様、そんな事の為に今日はここへいらしたんですか?」
「そんな事って、マリーツァ、これはとても重要なお仕事なんだよ。是非、ゲオルグ殿のお側にお仕えして、お前の力でこの国に引き留めてもらいたいのだ」
ああ、そのことかとゲオルグはようやく理解した。従者そのものが全く不要であるし、この大変な時に今は誰も側にいて欲しくない。完全にきっぱり、断固として断るつもりだった。
「申し訳ないのですが、私が従者を付けないのは、一人でいる方が作業の効率がいいからなのです。従者がいれば、かえって邪魔になるだけなので、ご勘弁願いたい」
「そこを、何とかできませんかなぁ。もうじきこの国をお出になってしまうのでしたら、せめてほんの数日でもいいですから」
あまりに早く、徹底した拒否姿勢をゲオルグが見せたものだから、マリーツァが悲しそうな顔をした。ゲオルグはできるだけそれを見ないよう、首を傾いで斜に構えた格好で大臣と相対している。表情の変化が大きいのは彼ばかりで、大臣の方は少しも変わらず笑っているものだから、実年齢では彼の方が大臣の3倍以上年上なのにも関わらず、この場では彼の方が若者らしく見えた。こんなタイミングで現れた厄介者達に苛立ちが募って、彼は思わず舌打ちをしそうになる。
「……私じゃ、邪魔ですかぁ?」
その声があんまり悲しそうだったから、ついゲオルグはマリーツァを見てしまった。何だよ、と言いたくなるくらい泣きそうな顔をしている。大臣はウン、ウンと勝手に頷いていた。
「やはり、お前もゲオルグ殿にお仕えしてみたいのだろう? マリーツァよ」
「はい。アラーキ様のお側も勿論いいですが、ゲオルグ様のお側にいるのも面白そうですもの」
‟面白い”なんて言葉で自分の生活を表現されては堪らない。ゲオルグは更にムッとしてマリーツァを睨みつけた。全く、あと何回断ればこの連中は退散してくれるのだろうと思うと眩暈がしそうになる。たった今、一人の男を殺してきたばかりだというのに、この連中はその空気を少しも感じないらしい。
「きっぱり、お断り申し上げる。誰であろうと私に従者は必要ない」
もう、大臣の機嫌を損ねてもいいくらいのつもりでゲオルグは強く言った。とにかくこいつらを追っ払いたくてしょうがない。
さすがに大臣もその意思を感じ取ったようで、少し顔を強張らせた。最初は断られるだろうとは思っていたのだが、今日は何やら別の事情が絡んでやけに排他的であると気付いたのである。普通なら、目上の者から申し出を受けたら、断るなんて恥をかかせたりしないものだ。それなのに、目上とも思っていないようなこの徹底した拒否ぶりは、とても驚きだった。