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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第31章
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第4部31章『堕天使』10

 張り裂けそうな胸の痛みと共にソニアは飛び起き、そして苦しい息を切らせた。

 大気のような存在になっていた夢から覚めて現実に戻った途端、肉体を持った生命としての五感が全て蘇ったかのように一斉に彼女を刺し貫き、全身を痛みが駆け巡る。

 あまりの苦しさに呼吸は小刻みにしかできず、心と身体の全てが感じる痛みで、叫びを漏らさずにはいられなかった。

 傷や血を伴う痛みではなく、身体の底から震え出てくる、名の付くあらゆる感情が全身を内側から刺しているかのようだった。

 敢えて一つに名を絞り、付けるなら、それは“哀しみ”だった。

 唯の夢だなんて全く思っておらず、あまりの生々しさに彼女はこれを現実のものと捉えていた。

 部屋の扉前にいたディスカスとアーサーがその叫びを聞きつけて、慌てて飛び込んできた。ディスカスは勿論ずっと扉前にいて番をしていたのだが、アーサーは城内を巡回している途中で立ち寄り、彼女がきちんと休んでいるか確かめつつ、ディスカスに敵方の変化が見られないか尋ねていた所で、偶然そこに居たのである。

 鍵はかかっていなかったので、何事かと驚きながら2人は扉を開けて中に入り込んだ。彼女は床に就いてまだ一刻足らずしか休んでいない。

 ソニアはベッドの上で起き上がった格好のまま、全身を震わせ髪も乱れ、真っ青な顔をし、止めどなく涙を流しながら顔をグショグショに濡らしていた。

「どうした?! ソニア!」

アーサーはベッド上で震えている彼女の肩をガシリと掴んだ。ソニアは唇をワナワナと震わせ、信じられないものを見た様子で虚空を見ている。不安や悲しみで彼女が涙するのを何度か目にしてきたアーサーだったが、こんなに酷いのは初めてだった。見ているこちらまでが押し潰されそうな痛みに彼女は喘いでいる。

 アーサーがふと気づけば、一緒に部屋に入り込む時は威勢の良かったディスカスもまた、そこに突っ立って何故か呆然とあらぬ所を見ている。感情が表に出難い者だから何を考えているのかは推し量れないが、何かに驚いているようであり、その姿は何とも異様だった。

 夢から現実に引き戻されて、暫くその落差に戸惑い苦しんでいたソニアも、やがてそこにいるアーサーとディスカスを認めて、2人の顔をきちんと見た。

 そして、まだ止まらぬ涙の中でどうにかアーサーを見続け、言った。

「彼が……死んだ……!」

目を見張るアーサー。ソニアは次にディスカスに向かって言う。

「そうでしょう……⁈ そうなんでしょう……⁈ 何てことに……まさか……よりによって……あの人に……!」

ディスカスは尚も呆然としたまま、何処にも目の焦点を合わせようとはしなかった。ソニアは両手で顔を覆い、そこに突っ伏してしまった。

「彼が……! 彼が……!」

アーサーは彼女の言わんといていることを全て把握しきれはしないものの、ルークスが死んだらしいということだけは理解して彼女を抱き締めた。そしてディスカスに怒鳴った。

「――――ディスカス! ディスカス!」

アーサーに名を呼ばれて、ようやくディスカスは意識の大半をこの部屋に戻したらしく、目を向けた。

「人が聞きつけて心配するといけない! 外に出て、この辺りに近づかないよう人払いをしてくれ!」

何かを命じられた時の遂行の速さは天下一品で、ディスカスは即座に部屋を出て扉を閉じ、この部屋付近に人が来たら追い払うべく離れて行った。

 アーサーはしっかりと彼女を抱き締め続け、その悲しみを感じ、共に泣いた。彼女が持つ不思議な感覚を信頼しているから、そして否定もせず呆然としていたディスカスの反応による裏付けによって、アーサーは少しの疑いもなくルークスの死を確信した。

 ほんの昨晩、闇の中から現れ出で、ソニアの護りを託し去って行った時の姿が蘇る。彼のことはソニアから話に聞くばかりで直接言葉を交わすことはあまりなかったが、どうしてかアーサーは殆ど彼のことが好きになりかけていた。そこに居ればソニアの恋敵として己の心を悩ませる原因となるのに、それでも同じ女性を目指した者同士だからか、それとも彼の人生に同情していたからか、どこか通じ合うものを感じていたのだ。

 幼少期に父を亡くした時以来、知人の痛々しい死を経験してこなかった彼は、思いの外この訃報に心振るわされた。あまりにストレートな悲しみがそこにあって、恋敵が地上から消えた喜びなどまるで感じる余地がなかった。

 声なく、涙だけではあったが、短い間ながら同朋の絆で結ばれたような気がしていた男の死をアーサーは悼んだ。

 ソニアの中で、月光の中、旅立って行こうとする彼の白銀の微笑みや、2人分の血で口元を濡らし涙する彼の顔や、悪鬼の如く立ち居振舞う彼や、暗闇の森で必死に彼女の手を引いて逃げようとする彼の後ろ姿や、朝陽の中で目を輝かせている彼の藍色の瞳など、様々な思い出の断片が脳裏を駆け巡って、その1つ1つが彼女を痛めていった。

 憎しみと苦しみだらけだった彼の人生が、自分と同じ種類の不幸を背負っていた彼の人生が、自分のように機会に恵まれ、もっと幸せな道を歩むこともできぬうちに終わりを迎えたことが、彼女の心を裂いた。

 最期の最期に彼の心を占めていたものが憎しみではなかったとしても、それは慰め程度にしかならない。もっと別の、美しくて温かな道を歩め、幸せになることができるはずの人だった。ただ、あまりに純粋で、あまりに不幸な、優しい人なだけだったのだ。

 この痛みは、同種の不幸を背負うソニアから救いを多分に奪い、彼女の心を裂いた。それでも耐え難い痛みの中で一番に浮かぶのは、月光の中で微笑する彼の姿だった。

 ソニアはアーサーの胸に顔を押し付けて声を殺し、痛みの続く限り泣き続けた。

 目の前に広がる闇の森の中を、月光に照らされたルークスが向きを変えて去って行き、闇の中に消えて行った。

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