第4部31章『堕天使』7
とある平地に辿り着いて、光から元の姿に戻り、そこでようやくその人物はマントを脱ぎ、ルークスのことも払った。
しかし、逃げる様子はなくてジッと彼のことを見ていた。ルークスも武器を即座に構えて相手を見据える。両者、既に戦闘態勢に入っていた。
「貴様……マキシマという戦士か? ディライラで虫王大隊の邪魔をした」
「……そうだ」
返ってきた声は、普通の人型種族の声音だった。虫人の声をじっくりと聞いたことはないが、発声器官が異なるから本来はもう少し違うはずである。また、竜人のように特別な三重音声などを持っているわけではないようだった。口ぶりも、平時から地上の言葉を使い慣れている者の様子だ。
「何故、我々の邪魔をする?」
「それは……言えないな」
相手から片時も目を離さずに、視界に入るものだけで環境を判断すると、ここは何処かの山間部にある川辺のようだった。左右に緑の傾斜があり、今いる場所がちょうど谷間になっていて、平らな砂利道になっているのだ。幅はかなり広くて、すぐ側に細い川がチョロチョロと流れている。悪天候の時などには増水して、この砂利場が全て川底になるのだろう。
「あんたは何者なんだ? 虫人なのか? 魔法で変化しているようには見えない。変種か何かなのか?」
「それも言えないな。だが……変種というのは近いかもしれん」
「理由も意思も表明せずに、ただ皇帝軍の妨害をする気なのか?」
「……そういうことになる」
ルークスはマキシマと対面していて、不思議な相手だと思った。竜の心臓を食べたり、竜とよく接したり、また様々な魔物と戦ってきたせいか、伝わる波動や雰囲気で相手の質を見極めるところが彼にはあるのだが、それによると、このマキシマは、彼が知る複数の魔物や種族の特徴を同時に兼ね備えているようだった。その全てを列挙することすら難しいくらいだ。
それで、そういった種々の存在をごた混ぜにした雰囲気かというと完全にそうでもなくて、例えるなら部分部分のみを取り入れている様子だった。つまり、100種の魔物を足して100で割ったのではなく、それらの特殊な性質のみが反映されている感じなのだ。只者ではない。それは確かだ。
「オレの方も訊きたいんだが……あんたは、ヴォルト唯一の弟子と聞く竜騎士か?」
「……そうだ」
「それなら丁度いい。あんたと戦ってみたかった。あんたは竜時間が使えるそうだな」
それが、逃げずにこのような僻地に降り立った理由なのだと知り、ルークスは更に顔を険しくした。強戦士ばかり狙うという、あのヴィヒレアを負傷させた謎の人物だ。
ヴォルトが言っていたことを、ふと思い出した。
『ヴィヒレアの言うには、そいつは力を“盗む”らしい』
その意味するところが、この多種混合の雰囲気にあるのだろうとルークスは理解した。どのようにしてかは解らないが、戦い触れた相手の性質を盗み出せるのだろう。それで、ヴィヒレアの強靭な外骨格を貫通できるようになってしまったのだ。つまり、今のこいつは肉体面だけで言えばヴィヒレア以上である。
こいつは自分の竜時間を奪うつもりなのかもしれない。だが、竜時間は奪うだけで使いこなせるような代物ではない。やれるものなら、やってみるがいい。ルークスはそう意気を高めた。
槍の柄を操作して、隠し鎌をスラリと出現させる。左右の山から吹き下ろしてくる風がちょうどこの谷間を通り、2人を煽っていった。
ヴィヒレアとの戦闘では一切魔法を使わなかったとのことだが、たった今、流星術を使うのを見た所である。おそらく魔法もそれなりに扱えるのだろう。だが、こちらにはこの鎧がある。余程厄介なものでなければ深刻なダメージを受けることはあるまい。要は、肉弾戦だ。
ルークスはかつて虫人と戦ったことはない。そうなるシチュエーションに至ったことがないからなのだが、虫王国に属する種々の虫達が竜にも劣らぬ特殊な時間世界の中で生きていることは解っていた。ヴォルトの用意した修行の中で、虫族が如何なるものかを知る機会はあったからだ。虫族もまた尊い生命であるから殺しはしないが、性質を知る程度に幾つかと触れ合ったことはある。
虫族はおそろしく素早いし、頑丈だ。かなり訓練されていなければ、その動きを見切ることは難しいだろう。その上、このマキシマは他の生命の長所を多々取り入れている様子だ。虫人と竜を掛け合わせた者と戦うつもりか、それ以上と思った方がいいだろう。
ルークスは、いつでも竜時間をかけられるよう精神状態をスイッチが入る寸前の所に持って行った。ヴォルトの教えと鍛錬によって、戦闘時はずっとそのモードでいられるのだ。
早速、マキシマの方から仕掛けてきた。堂々と正面に突っ込んできて、いつの間にか刃型に変形させている腕でルークスに斬りかかってくる。
確かに素早いのだが、動きそのものは凡庸だったのでルークスは難なくそれらをかわした。始めは出方を見るつもりだったので自由に攻撃させて動きを見てみるのだが、案外拍子抜けするほどに大した動きを見せない。体術や拳法といったようなものの訓練を受けた様子が微塵も感じられないのだ。普通、戦士であれば大抵何かしらの師や団体について教えを師事したり、教本を見て動きの型を学んでいたりするから、流れるような独特の動きをするのが常であり、中には我流の者もいて自作の舞を見せたりするが、それでも、それを編み出すに至るまでの長い試行錯誤や修行の跡が窺えるものである。ところが、このマキシマという者は、それらを一切感じさせなかった。