第4部31章『堕天使』1
祭の最終日を迎えたトライアは2日間の疲れも感じさせず、今日が最後だとばかりに、かえって盛り上がりを見せていた。物売りの多くは、売り残らせたくない種類の品や、祭を過ぎれば価値が下がる流行物を投げ売りするようになるので、それをよく心得ている者は、この日を狙い目に買い物をするし、今年の花娘の中から一番を決めるコンテストや、工芸品等の出展作の大賞発表など、最終日を飾るに相応しい数々のイベントが目白押しなので、当然のようにこれまで以上の盛況となるのだ。
できる限りギリギリまで人々から祭の楽しみを奪いたくなかったことに加え、襲撃の危険を察知した経緯を説明するわけにもいかなかったので、ソニアとアーサーはただ2人だけで夜の間ピリピリと警戒を怠らず、国軍と近衛がいつでも出動できる状態にあるかだけを確かめ、何処かに敵の影がないか、隈なく目を光らせていた。しかし、朝陽を迎えても、まだ襲撃の兆候がないが為に、こうして人々は3日目の祭を大いに楽しんでいる訳なのである。
ソニアとアーサーの緊張たるや相当なものであったが、夜半にディスカスが2人に告げたことは2人を困惑させるものであった。まだ確実ではないが、竜王大隊の方で何か事件があって、その収拾で手一杯のようであるから、ルークスの招集も、その手伝いの為ではないかと言うのだ。だから、すぐにトライア襲撃ということにはまずならないであろうから、休める時に休んでおいた方がいいと彼は提案した。
ソニアを護るということにかけてディスカスが忠実であることはどちらも知っていたが、果たして彼がこの国を護ることにまで本当に気を遣うかは未だもって信用できない部分があったので、2人はその内容を鵜吞みにはできず戸惑い、結局、朝まで2人ともが寝ずの警備をして警戒を緩めなかったのだった。
もし警告鈴が鳴りでもすれば、セルツァが青い鳥姿で現れてさすがに注意を促すであろうが、その様子も見られずに朝に至ったものだから、やがてソニアもアーサーもディスカスの言うことが確かなのではないかという気になってきた。
直接襲撃の手伝いをしている訳ではないし、それだけ手間取っているのであれば、この国への侵攻が遅れる訳であるから、今頃ルークスは少しホッとしているのではないかとソニアは思った。
ソニアはディスカスに引き続きの情報収集を命じ、彼の軍が侵攻に転じないかを確認させるようにした。また、竜王大隊が今現在対処に追われている問題が何なのか、そしてルークスに課せられた任務が何であり、彼が今どうしているのかについても逐一報告させるようにした。何やら言葉に詰まりながらも一応「承知しました」と言うので、何処まで従ってくれるかは判らないが、できるだけ助けてくれることを願うしかない。今は他に何の情報源もないものだから、彼だけが頼りなのである。
朝の時点でも竜王大隊の問題は解決していない様子だとディスカスが言うので、ソニアとアーサーは交代で今のうちに一時休憩を取るということで意見が一致し、予定外に徹夜警戒をした疲労を互いに労わった。
ソニアなどは、このところ悩みで眠れなかったこともあって、もう二晩もきちんとした睡眠を取っていない。昨夜のあの一時のものも、どちらかと言うと短時間気を失っていただけのようで、休息というには程遠く、明らかに彼女は2日分、或いはそれ以上の疲労を溜め込んでいた。
本来なら朝まで休養を取ったソニアが、夜勤明けのアーサーと交代する予定だったのだが、アーサーに対するソニアの気遣いを上回る強引さで彼はソニアを先に休ませることにし、自ら進んで超過勤務を請け負ったのだった。
彼女自身も休息の必要を感じていたので、彼の好意に甘えて自室で仮眠を取ることにした。いざという時に自分の集中力が落ちては国を護る役目が十分に果たせなくなる。それでは意味がない。
ディスカスは彼女を側近くで護衛し、急の事態には逸早く報告できるよう、またそれまでは睡眠を妨げぬよう、彼女の部屋の扉前で番人のように立ち、通りかかる者達に鋭い視線を向けた。
事前に決めていたシフトの手前もあるから、ほんの二、三刻、いや、一刻でもいいから休ませてもらうつもりでソニアは部屋に入った。そして鎧だけを脱ぎ、軍服のままでベッドに倒れ込むように横たわり、目を閉じた。
ずっと王権のことで悩んでいたし、昨日はルークスを街に連れて行くことの緊張が一日中続いていたし、あんな事があったから、気苦労と睡眠不足でヘトヘトだった。
彼女は、まるで泥の沼にはまっていくようにして微睡の世界に吸い込まれていき、眠りに落ちた。
夢の中で、彼女はある世界を見ていた。
これが夢であるのか考え判別する気も起きず、ただ漠然とそこにあるのだが、そこで彼女は大気になったかのようにボンヤリと漂い、目の前で起きる出来事を傍観していた。
それは、このような夢であった。