第4部30章『トライア祭』49
ソニアもルークスも無言で歩き続け、朝来た時に馬を預けていた所へと戻り、馬を引き取った。しかし2人は馬に乗る気にはなれず、ルークスが手綱を引いて馬を連れ、2人並んで歩き続け、森へと帰る道を朝とは逆に辿って行った。
ランプを持っていないので暗い道であったが、幅が広かったし、ルークスの方にはよく見えているから、彼が選ぶ所を通れば馬が障害物に躓くこともなく、ソニアも普通に歩くことができた。所々、木の隙間から街の明かりが漏れて斑点状に照らされていたり、満月の光が射し込んでいる。そんな部分を通る時だけ、2人の姿がまるで幽霊のように浮かび上がるのだった。
気が重い2人の歩みはとてものろく、このまま戻れば今日という日が全て終わってしまうのだと思うと虚しくなって、ふいにルークスは足を止めた。ソニアも気付いて立ち止まり、振り返った。そうして暫く2人は見つめ合った。仄かな明かりの中でも互いの仮面は光を受けてよく反射し、存在感を放っている。
「……君は、“別れ”だと思うかい? それとも……“死”だと思うかい?」
もはや人気もない森への道と思っていた彼は、彼にも見えぬ暗闇の中に、まさか人がいるとも思わず、彼女の名前を口にした。
「ソニア……」
敵や追跡者の気に普段なら敏感であるはずの2人も、暗い未来を告知されたこんな時、殺気のないただの尾行者の気配は街から流れてくる音楽やそれぞれの胸に残る熱と不安のせいで掻き消されてしまい、まるで気が付きもしなかった。既に何日も魔物に監視されていながら、その気配を識別できていないのだから、仕方のないことかもしれない。それよりも2人は未来のことで頭がいっぱいだった。
「……もし、その2つしか未来がないのだとしたら……“別れ”の方がマシよね。本当かどうかなんて……起きてみなければ判らないけれど」
「……君が生きられるのなら……“別れ”の方がマシだ。オレも」
彼は切なそうに顔を伏せた。ソニアは彼の肩を取り、滑らせるようにして腕を撫でる。
「仮に“死”だったとしても……どちらか一方だったら、それは私よ。国が滅んで王様が死ぬかもしれないような状況で、私だけが生き残っているなんて有り得ないもの。だから……あなたは大丈夫よ、ルークス」
彼はまるで怒ったかのようにキッと顔を上げ、彼女を見たが、すぐに苦々しく顔を背けた。まだ呼石は反応していないが、竜王大隊の出陣が決まって、この国に攻め入って来たら、死の危険は彼女の方にあることが明らかである。
「有り得ない……! 君が死んで、オレが生きていられるものか……!」
この苛立ちをどうにかしようとして、彼はまた歩き始めた。それに遅れてソニアも歩き出し、差を詰めずに彼の後ろにいるようにした。馬は大人しく2人の気まぐれに合わせて進んでいる。
「“堕天使”はきっとオレの師匠だ……! もうすぐこの国にやって来て“煉獄”を……! クソッ……こんなに符合するなんて……聞くんじゃなかった……! オレは馬鹿だ……!」
拳を握り締めて震えている彼をソニアは切なく見つめ、それから小走りに追いかけて、その腕を取った。
「でも、いい事も言ってくれたじゃない。“再生”、“勝利”、“復活”、そして――――“希望”」
「……“希望”……」
彼は再び立ち止まり、慰めようと顔を覗き込む彼女を見た。そしてやはり、また視線を逸らして俯いた。
「そんなもの……“再生”も、“勝利”も、“復活”も……もし君が死んだら、何の意味もない……!」
歩き出すのも辛かったが、何かしていないと叫び出しそうな気がして、彼は無理矢理にでも道を歩んだ。彼の腕を抱いたまま、彼女も続いた。
「オレは……馬鹿だ……!」
これまで彼をずっと苦しめてきた自責の念が蘇ってきて、ふつふつと湧き上がり、彼を蝕み始めた。彼女と一緒にいる時はあまりそんな己の姿を見せず、ただ静かに、今こうして共にいられることを喜び、噛み締めながら時を過ごしていたので、彼のそんな苦しそうな姿を目にし、手から直に感じると、ソニアも胸が締め付けられていく思いがした。今朝、そしてあの夕映えの中、あんなに美しく輝いていた彼が、まるで太陽が沈むとともに闇に呑まれてしまったかのようだった。
ソニアは、そんな彼がもっと深みへ沈んでしまわぬよう掴まえていたくて、急に思い切り抱き締めた。彼は立ち止まり、抱き返すこともできずに、そのまま棒のように立ち尽くす。
「あなたは、自分の中の怒りと優しさに引き裂かれて苦しんでいるだけ。馬鹿なんかじゃないわ……! それは、私が一番よく知っている!」
そして仮面が邪魔なので、彼女は自分の仮面を取り払い、彼の頭を抱き寄せて頭巾の上から彼の耳元にキスをした。布越しなのに、それだけでも彼の苦しみは和らぎ、痛み止めの薬でも効いたかのように胸の拍動が落ち着いてきてトロンとした。
「あなたの、その怒りも……優しさも……私は好きよ」
ルークスは瞳を潤ませ、半日ぶりに露になった彼女の顔に触れ、その頬や鼻筋や唇をそっと指でなぞった。何を否定したいのか幾度か首を横に振るのだが、それを止めるかのように彼女の手が彼の耳に触れると、彼は自分の中のものとの抵抗を止め、自らもそこで仮面を取り、そしてゆっくりと深くキスをし、力強く抱き締め合うのだった。仮面は地に落ちて転がった。
暗闇の中の追跡者は硬直した。
まだまだ盛り上がる祭の最中であるから、こうして森の方へと行こうとする者など全くおらず、あまりに人気のない道だったので、踏みしめた石や小枝の折れる音で追跡を悟られぬよう、大分距離を開けていたのだが、それでも2人の姿はボンヤリとながら見えていた。特に街の明かりが当たる位置では、もっとハッキリ姿が見える。2人が仮面を取ったのはちょうど、そんな場所であったから、横顔ではあったが、知り合いであれば判別できるくらいにはその様子を確認することができた。おそらく2人の方も互いをよく見たかったのだろう。
頭巾で隠れているので髪の色は見えないのだが、女性の顔には見覚えがあるし、美しい人だからそうそう転がっているわけではない。それに今し方、連れの男に「ソニア」と名を呼ばれたばかりなので、もう間違いはなかった。
しかし追跡者の目を疑わせ、そこに釘付けにしたのは彼女の方ではなく、連れの男の姿だった。仮面を取り払う時、男の方はええいとばかりに頭巾まで取り払ってしまったのである。だから頭髪なども全て見ることができた。
追跡者は何度も瞬きを繰り返してその姿形を凝視したのだが、どう見てもその男の耳は長く上に向かって鋭く伸びており、吊り上がり気味の目元には暗い影が覆っていた。
仮面と頭巾を取り除いた今、その下に更なる仮装をしているとは思えない。
追跡者自身、直にそういったものを目にしたことがなかったのだが、世界の暗いニュースを伝える新聞の挿絵や、ほんの一月前に起きた隣国テクトでの戦いを報ずる号外の挿絵に、この男によく似た種族の姿が描かれていたのを覚えている。
そしてもっと最近には、この城都に近い町が突然の襲撃に遭った際にも、似たような者の姿が目撃談として語られていた。そう、確か金髪ではなかっただろうか。
ただの嫉妬と名付けていても良かった追跡者の情熱は、突如として質の違う炎へと色を変え始めたのだった。
再び歩き始めた2人を見失わぬように足音を忍ばせつつ、もっと慎重に距離を開けて追跡者は進んだ。