第4部30章『トライア祭』36
――――歌劇『少女と森の悪魔』――――
幕の開けられた舞台は、いきなり炎の燃え盛る村を表現していた。鐘やレンズを使って本物の炎を大きく舞台に投影させており、そこに魔法の光も加わり、戦火に翻弄される村と人々が演出されている。
人々の台詞で、これが他種族による侵攻なのだと解る。現代の人々がすんなりと共感、同調し易い状況だ。
逃げ惑う中で一人の少女が家族と逸れてしまい、炎から逃れようと走るうちに森の中に入ってしまう。それが主人公なのだとすぐに解る強調のスポットライトが当てられていた。
少女は家族の名前を呼びながら必死で彷徨うのだが、炎に追われ明らかに孤立していた。若手女優の大熱演である。影の投影によって森の奥深くへと入り込んでしまう状況がよく表現されていた。
やがて少女は力尽きて倒れてしまい、気を失う。炎はまだ遠いが、迫ってきそうな気配だ。そこで照明が落とされ、森と少女はシルエットで表される。
そこに黒い影が表れて、倒れている少女に近づいて来た。何やら警戒するように、しかし興味深そうに少女を見ている。これもまた役者のよく研究された動きで、いかにも獣のような危険極まりない徘徊の仕方をしている。見ているだけで観客が少女の身を案じてヒヤヒヤするような仕草である。
流れる音楽も戦火とは別種のおそろしさを表現して、低く低く、唸るような旋律を奏でた。
そして黒い影は少女に覆い被さるようにして身を乗り出すと、そのまま彼女を抱えて連れて行ってしまった。食べてしまうのではないかと思う展開で緊張が走る。そこで間髪入れずに舞台は暗転した。
低く不穏な音楽が徐々に穏やかになっていく。安全かどうかはまだ判らないが、それでも危険は去ったような雰囲気となる。やがて小鳥の声が響くようになり、そこが比較的平和そうであることが伝わってくる。
照明がゆっくりと明るく灯され、色彩豊かな森の木の下に少女が横たわっているのが見えてくる。小道具の蝶が実に巧みに少女の周辺をヒラヒラと舞い、安心感を更に高めた。
暫く彼女一人だったかに見えた森だが、やがて木の陰からマントを被って這いつくばる大きな者がのっそりと出て来て、その辺をウロウロと徘徊した。明るくなってから見ても、やはりよく動きを研究していると思える獣らしい仕草をしていた。マントの下は男だろうが、背に詰め物をしてからマントを羽織っているらしく、身体を大きく歪に見せて不気味な生き物らしくしている。
それは少女のことを意識し、何度も頭を近づけて匂いを嗅ぐようなことをしては、また離れるということを繰り返していた。意識があるかどうか、無事かどうか、そういったことを気にしている雰囲気だ。この動きをずっと見ているうちに、先程感じた恐怖感が薄れていき、“もしかしたら少女を助けようとしている、いい奴なのかもしれない”という気がしている。
ややあって少女がううんと声を上げ、目覚めそうな様子を見せ、身動きした。するとそれはビクリとして少し離れ、木の陰に隠れて固まってしまう。そんなところがますます悪い奴ではなさそうに見えてくるので安心感が強まる。
少女は意識を取り戻して顔を上げた。
「ここは……何処……? 私は……皆と逸れてしまったの……?」
少女は村や家族を探すように首をキョロキョロとさせて辺りを見回した。全く見知らぬ森であるから途方に暮れる。家族の安否を心配し、村のことを心配し、そして自分の身を心配した。
少女が見回す時、それはジッと固まっているので、すぐには気づかれないのだが、やがて少女はあの毛むくじゃらのものは木なのだろうかと考えるようになった。沢山苔の生えた木の幹に見えているのだ。
そこで、ようやくそれが体を動かして、そっと脇に動いた。
それが生きた何者かであることが判ると、少女は絶叫した。必死で這いずり、その場から逃れようとする。これまた女優渾身の演技だ。今にも森の獣に食べられてしまうのではないかという恐怖が全身で表現されている。それの方が少女の反応にビクリとして物陰に隠れようとした。
ところが、少女の足は傷ついており、痛みに引き攣ってその場に蹲った。
その様子を見ていたそれが、心配そうに、おそるおそる、そっと近づいていく。動けない少女は叫びながらも、覚悟を決めたように頭を抱え、ジッとした。
だが、それは少女には触れず、鼻を近づけ、少女の足を嗅ぐような仕草をするばかりだ。
やがて少女もそれに気づいて顔を上げ、それがする仕草を怖々と見た。
「……痛いのか?」
それが口を利いたので少女は驚き、身を起こした。
「……言葉が喋れるの? あなたは……誰……?」
それは唸るようにして言葉を話す。名前はルシアンと言い、彼女が森に倒れていて火に吞まれそうだったから、ここまで連れて来てくれたのだと解った。
「助けてくれたのね……。ありがとう、ルシアン」
劇中ではマント姿にされているが、彼女の台詞からルシアンの容貌が詳細に語られた。マントではっきりとさせないのは、観客の想像力を掻き立てるためだ。
ルシアンは全身毛むくじゃらの獣族であり、体毛が黒っぽい灰色で、狼を人間の形にしたような体格らしい。つまり狼型の獣人だ。四つん這いになって動くことも多いが、安全な場所で落ち着いている時は二足歩行になる。
ルシアンは少女の傷を治す為に薬草を探して来て与えたりなど、色々と面倒を見た。
少女の名はアドリーといった。身動きがあまりできないから、2人は沢山会話をする。人間のような名前をもつルシアンは、昔のことをよく覚えていなくて、もしかすると人間だったような気もすると言っていた。だから、人間であるアドリーのことが気になったのである。言葉が喋れるのもその為だ。ルシアンの仕草と言葉から、この獣がアドリーに心惹かれていることがありありと観客に伝わった。
「あなたが人間だったのなら……どうして今はそんな姿をしているの?」
「……わからない。何も覚えていないんだ」
この世界の人間に伝わる物語では、魔法のような不可思議な技で何か別の者に変えられてしまうというストーリーはあまり一般的ではない。案外現実的な法則が脚本にも反映されており、観る方も慣れたストーリー展開の範疇で先を予想するから、多くの観客が考えた真相は二通りあり、1つは元から人間ではなく、そういう思い込みがあるだけというもので、もう1つが本人がかつて魔術師で、術に失敗して戻れなくなったのではないかというものだった。
それにトライアス詩編を基にしている物語であるから、舞台様に脚色されてはいるだろうものの、元の物語は現実にあったとされているものだから、それほど突拍子もないことはあるまいという観客側の読みもあった。
とにかく、そうして人の言葉が話せアドリーに気のあるルシアンは彼女を看護し、次第に打ち解けて彼女も親しく笑うようになっていった。
そして、彼女が歩けるようになると付き添って村まで連れて行き、一緒に家族を探してやるのだった。幸い家族も戦火を逃れて生き延びていたので、それを知るとルシアンはアドリーを一人で行かせ、自分はそこで別れ、人に姿を見られぬよう森の中へと帰って行ったのだた。
感動の再会を果たしたアドリーは、家族と再び一緒に暮らし、家を建て直すなどして復興の助けをしたのだった。
――第一幕終了――