第4部30章『トライア祭』33
「……凄いな。地下世界に持って行っても、そんなに引けを取らない出来だ」
「へぇ、そうなの。嬉しいわ」
地下世界の種族が、短命で魔法にそれほど長けていない人間に比べてずっと高度な技術を持っていることは理解しているので、その世界をよく知る彼に褒めてもらえたのは本当に誇らしかった。
この場で彼はあまり詳しく言えなかったが、地下世界において宝飾品作りに優れているのはドワーフ族とエルフ族、特にワー・エルフだとされている。それらの工房で作られたものであれば高値が付くのは間違いないのだが、彼の見立てでは、ここの品々もドワーフやワー・エルフの基準に適っているのではないかと思った。
ハニバル山脈北部で採掘される鳳凰石や水晶、金剛石、ナマクア大陸西海岸で主に採れる真珠等を中心に、技巧を凝らして銀線が踊る蝶の髪留めなどは、指輪、ブローチ、首飾り、耳飾りにも同じパターンが用いられている。大切な祝いの品として一揃い購入する者がいてもおかしくないだろう。
植物模様を中心に細かな刺繍の入った布地に宝石のあしらわれている飾り帯ばかりを並べている台もある。1つ1つの場にテーマや特徴のある品が整然と並んで目を引き、ワクワクとさせられた。これもまた立派な芸術鑑賞だ。絵と同じように、どの作品にも“芸術”と名付けて遜色のない技と心と歳月がかけられている。
そうした品々に対する各店舗のプライドから、この通りでは呼び込みなどが一切ない。取り揃えた作品に自信を持って、“どうぞご覧あれ”といった様子で店主と売り子が堂々と椅子に座している。単価が高値の物が多いので、盗みなどが起きないよう兵士も幾人か目を光らせていた。
籐細工と木細工の専門店を通り過ぎ、とある金製品の店へ来たところで、ソニアはふと、ある品に目を留めた。
「ねぇ、見て、あれ」
それは数ある首飾りの中の1つで、トップに蒼玉の目があしらわれている竜の頭を模った物だった。そんなに大きくなくてさりげないし、鎖がしっかりとしている男性向けの製品だ。
ソニアは店主に断って、それを手に取り、彼の顔に近づけてみた。
「これ、あなたにピッタリよ。ほら、目の色に合ってる」
どう反応していいのか当惑するルークスの目に、ますますそれを近づけて見比べ、ソニアは一人で「うん、やっぱり」と納得した。この金の色が彼の髪にも近いから、自然で合うだろうと彼女は睨んでいた。
「これ、頂くわ」
ソニアは即決して内ポケットから貨幣の入った袋を取り出し、値引き交渉もせずに提示の額を支払った。それは品の出来栄えと額の妥当性を認めたものであり、製作者に対する評価にもなる。
そもそも、この通りで値引きはあまりない。あるのは、とても素敵な品に巡り会ってしまったのだが、自分の手持ちではどうしても届かないという者が熱心にその状況を店主に伝えて交渉をする場合くらいである。それが本当らしいと認められれば、そこまで気に入ってくれたのなら、と手持ちの金額だけで譲り渡すケースもある。大切にしてくれる人に我が作品を委ねるというのもまた、芸術家、職人の心意気だ。
また、彼をあまり長居させてストレスに晒せないというのも、彼女が即決した理由だった。
「毎度あり! どうです? お兄さんの方も、このお嬢さんに何かお返しをされませんか?」
恋人はよくお揃いで購入していくのだ。だから各品々もペアを前提とした作りの物が多い。この首飾りの場合は、より細い鎖と小さなトップの竜があしらわれたものがペアに対応していた。こちらの目には紅玉が使用されている。口髭を蓄えた細面の店主は、それを勧めた。
だが、これには逸早くソニアが断りを入れた。彼の腕を引いて、実に嬉しそうに。
「いいの。私、もう素敵なものをプレゼントされたから、これがお返しなの」
そしてルークスの顔を覗き込み、ソニアは「ね」と微笑んで頬を寄せた。彼が十分な額の人間世界の通貨を持っているかは判らないし、使わせる気もなかったので、決まりの悪い思いをさせる前にそうしたのだ。
見せつけられちゃったな、と店主は笑い、お幸せにと手を振って2人を見送った。
装飾品店通りの途中にある小道に入って人込みを避け、ソニアはそこで首飾りを彼に差し出した。小さな巾着袋を付けてくれていたが、品がよく見えるよう袋の中には入れずに、袋の上に載せた状態で彼に手渡した。
「はい、これ。私からのプレゼントよ。今日……こうして来てくれたお礼に」
ルークスはそれを手に取り、不思議そうに眺めた。これまで、彼が他人から贈り物をされたことは数えるほどしかなかった。しかも、片手の指で数えられる程度だ。服、防具、武器、パースメルバの鞍。その殆どが敬愛する師匠ヴォルトからのもので、それ以外の物は、ヴォルトに対する敬意から弟子である自分に贈られた、という間接的なものだった。だから、ヴォルト以外の者から、しかも自分の為に純粋な贈り物をされたということに、何とも言えぬ不慣れな驚きを感じていたのだ。
ソニアは暫く彼の反応を見ていた。人間が作ったものを嫌って拒否しはしないか、喜んでくれるか、機嫌を損ねはしないかと心配しながら。
何か一つでもいい。人間世界と彼を繋ぐ物をお礼として贈り、身に着けて欲しい。これが彼女の願いであった。
「……どう?」
手作りの料理でも恋人に食べさせて感想を待つ娘のような不安げな上目遣いでソニアは彼の顔を見た。
人間が作った、という難点は、彼女からの贈り物であるという事実によって軽く吹っ飛び、彼は少しも気にならなかった。ルークスは金の首飾りをギュッと握り締めると、彼女を抱き寄せて目を閉じた。
「……ありがとう。大切にするよ」
「良かった! そう言ってもらえて。ここで着けてもいい?」
ルークスが承諾すると、ソニアは「貸して」と言って首飾りを受け取り、留め金を外して彼の頭巾の下に手を潜り込ませ、他の人から彼の肌の色が見えぬよう気をつけながら手探りで首にかけてやり、ヘッドが胸元に来るようにした。
彼女がそうして首飾りをかける間、彼は首筋に感じる彼女の手の感触に恍惚としながらソニアを見ていた。ほんの僅かな時間であったが、彼はこの情景をしっかりと心に刻んだ。
家屋の陰になり薄暗い小道。近くから、遠くから聴こえてくる幾つもの音楽。活き活きと流れゆく街の香り。光の妖精めいた仮面姿の彼女と、その手の温かみ。胸の熱さ。
もう彼に、この首飾りを外すことはできない。
仮装中は頭巾に隠れて竜のトップが見えない点が残念であるが、それでもソニアは満足そうにトップを頭巾の上から手で撫でて吐息した。
仮面を通して2人は微笑み合い、再び抱き締め合った。静かに、融け合うように。
そんな2人も街中至る所にいる恋人達の一組に過ぎず、あらゆる場所で同じように心を確かめ合っている男女がいた。そろそろ、昨晩踊り明かした若者達が目覚めて祭に戻ってきた証拠である。
路地裏の猫のように、通りを行き交う仮面の人々には顧みられることのない2人。何処にでもいる恋人同士のようにしか見えない道化師のカップル。
陽の高まりにつれて人々の喧騒も増し、その熱気が2人から立ち昇る情熱を共に天へと連れ立ち、揺らめき、舞い上がっていった。