第4部30章『トライア祭』28
ルークスは衣装を手に取ると、変装すると聞かされ心決めていたにも関わらず、やはり戸惑った。彼は3~4年ほど前に今の体格が固まってからというもの、パースメルバに乗る時に合わせて作られた黒い飛行スーツ以外のものを身に着けたことがない。材質がいいから殆ど劣化しないので長い期間を同じ服で通せるし、戦闘などで破れたりでもすれば、また地下世界の職人の所に出向いて新調するつもりなので、替えなどは常備していないのだ。着ているか、着ていないかのどちらかで、定期的に水辺に行ってスーツを洗い、木の枝や岩の上などで風や日光に晒し乾燥させている間、裸で泳いだりしているのである。
だから、常に全身黒という出で立ちに慣れていた彼は、手渡された服の明るい色調にドギマギしてしまった。淡い緑なんて、生まれてこの方、身に着けたことがないように思う。しかも亜熱帯らしい滑らかな肌触りの布地で、戦闘には全く向いていない柔らかな素材だから、自分とは違う世界の着物を手にしている感覚だった。そのせいで、なかなか着替える気になれない。
彼のその戸惑いがソニアを不安にさせた。
「もしかして……気に入らなかった? この服じゃ。この方が皆に紛れて目立ち難くなるから、いいと思ったの。その黒いスーツじゃ、多分人目を引いてしまうから。そういうの着ている人って、この国にあまりいないから。特に今日みたいな仮装日は」
落胆というほどではないが、彼女が自分の為に気を遣って、それが報われぬかもしれないことで見せた、このちょっとした残念そうな表情が彼をホッと幸せな気持ちにさせ、それと同時に焦らせた。彼女を喜ばせられるのなら、できる限りのことはしたいと思っていたのだ。このスーツ姿でなくたって。呼石の知らせが入ったら、すぐに引き返して着替えれば済むことだし、どうせこんな些細なことしかできないのだから、応えてやらねばと思う。彼女の為に。
ルークスはソニアに大丈夫とのしるしに頷いて見せ、微笑んだ。そして手近な木の陰に隠れるように入って行った。
受け取った時には、どのようなデザインか判らなかったその服だが、広げてみると、かなり布地面積が大きくて、腕も足も隠してくれるものだった。ヌスフェラートらしい肌色が見えることのないよう、手袋と頭巾もある。飛行スーツも両腕両足を覆っているから、この国の暑さには慣れたつもりであるが、気温にも気遣って、なるべく薄い素材にしたらしい。胴部はしっかりとした、やや厚めの作りだが、腕も足も肌一枚程度の布で覆うだけなので、着ていない感覚に近い。全体的にゆったりとしたデザインで、ズボンを固定させる腰帯部分以外は一切の締め付けがなかった。布全体に植物文様の刺繡がされており、その糸も淡い色だから、光の中にいるとまるで白い幽霊か妖精のようである。
一頃して出てきた彼女も同じような格好をしていた。カップルであることを示すために同じ服を着る組み合わせはよくいるので、彼女もそうしたのである。
「わぁ! 良かった、ピッタリね! あなたはそういう白っぽい色も似あうんじゃないかって思ってたけど、やっぱり似合うわ!」
似合うと褒められても、喜んで良いものやら微妙な戸惑いの中で彼は立ちんぼになってしまい、そんな彼の仕上げをする為に、ソニアが寄ってあれこれ世話を焼いた。帯などにズレがないか、肌が見えてしまいそうな穴などはないかをチェックする。そんな風にされる機会がないせいで、ルークスは母の面影をそこに見た。遠い昔、幼い彼に服を着せるのに、こうして母が肩や背を手で撫でたものである。そしてまた、白っぽいこの服が聖職者であった母の装束とよく重なった。
日頃鍛えている引き締まった体を覆い隠して戦士であることがバレない様にしているから、彼女の清楚さばかりが引き立てられ、それもまたいい。だから彼は、されるがまま暫し頭がぼんやりと熱くなっていた。
「どう? これなら私もバレないでしょう?」
ソニアは両袖の端を指で摘まんでクルリと一回りして見せた。二人お揃いの幽霊だ。何だか可笑しくてルークスは笑った。
「あら? 変?」
「いや……そういうんじゃないが、こんな格好、初めてだから」
ソニアはフフッと笑い、続いて頭巾の被り方を教えた。二人とも頭部が見えない方がいいから、それこそ聖職者のように頭からすっぽりと頭巾で覆うことになる。顔だけを出して、髪も耳も項も完全に隠すのだ。ルークスは肌の色と長い耳を見られない為に、ソニアの場合は髪の色を見られない為に。被せた布は額の所だけ紐で縛り、固定した。この頭巾までが白いから、本当に幽霊か雲の妖精のようである。ますますルークスは可笑しそうに笑い、ソニアも笑った。
「いろんな扮装の人がいるから、混じればこの方が普通になるのよ。信じて」
首も隠れるデザインだから、彼の肌色がどこからも見えることはなさそうだった。これに後は仮面を装着すれば完了である。
仮面は顔を全て覆うもので、目と口の部分に穴の開いた薄い金属製であった。微笑みを湛えているような人面を模っているから、二人してそれを着けるとニコニコ笑い合っているようだ。これにもまたルークスは笑った。
こうして立っていれば、彼の上背やソニアの胸の膨らみで、どちらが男でどちらが女であるかは判別できるが、何処かに並んで座ったら、案外判らないかもしれない。男のペアだと見られることもあり得る。ともかくそのようにして、二人の仮装は見事に整った。
仕上がりに満足したソニアは彼の手を握り、仮面の向こうに見える藍色の瞳を覗き込んだ。
「これなら誰にも判らないわ。安心して」
その点に心配がないことは有り難いのだが、彼としてはソニアの姿がまでがこんなに隠されてしまって、美しい髪や顔が見られないのは残念だった。
「そうそう、私のことは今日一日、ナルスって呼んでくれる? 名前でバレると嫌だから」
「ナルス? 何だい、それは」
「フフッ、ちょっとね。気に入ってる名前なの」
ルークスは彼女が連れてきた馬の手綱を取ると、彼女の肩を抱いた。
「なら、もう軍隊長ではなく、ただの娘ということなんだな? ナルス」
彼は先に馬に乗り、馬上から彼女に手を差し伸べた。飛竜を乗りこなすだけあって、彼はいとも簡単に馬を従わせている。
「さぁ、お嬢さん」
ソニアは楽しそうにクスクス笑い、淑女らしくしとやかに膝を折ってお辞儀をした。
「まぁ、紳士的ね。では、私をお連れ下さいまし、騎士様」
劇中の姫君よろしくソニアは指先もしなやかに彼に手を預け、馬上に引き上げてもらい、普段やることのない横乗りをした。
しっかりと彼の胸に寄り掛かり鞍に掴まると、もう一度二人は間近で互いを見つめ合い、可笑しく笑った。
「……ありがとう、ルークス」
馬上、ルークスは彼女の仮面を取り、自分のも取り払って、改めてこれからの始まりのキスをした。彼女へのこの想いがあれば、きっと心穏やかにしていられる。ルークスはそれを確かめ、ソニアはいつでも彼を見守るつもりである気持ちを口移しに伝えた。
仮面を被り直すと、彼はソニアをしかと抱き、ソニアも信頼を示して体を彼に預け、二人して前を向き、城下街へと馬を歩ませていった。