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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第30章
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第4部30章『トライア祭』27

 緑の香りをいっぱいに含んだ爽やかな涼風が木立を撫でかき鳴らしていく。数日前のあの時と比べて、もう少し日差しの具合は鋭くなっており、光のカーテンが織り成す白い世界はより鮮明で美しく、彼の心を和ませた。

 とある木の下、そこで愛しい者と抱き合った甘い記憶を思い起こし、しかし切なく、ルークスは空を見上げていた。

 昨夜改めて決意した彼は、日も昇らぬ早朝からそこに居て彼女を待ちながら、森の目覚めを見ていた。

 クローグはまだまだ盛りにあり、芳しい香りを漂わせている。空を駆け巡り囀る色彩豊かな鳥達。その声色とフレーズの多彩さ。よく肥えた土の臭い。木を這い上っていく宝石のような輝きの甲虫。花を求めて中を軽やかに舞う羽虫。

 初めてこの国土に足を踏み入れた時と印象は変わらない。この国は、美しい。

 じきにこの都が焼かれ破壊し尽くされるのだとしても、必要最低限の範囲に留めて、このような森はできるだけ、このままに残って欲しいと思った。

 そして、かつてたった一人でヴァイゲンツォルトを求めて森から森へと歩き、ヴィア=セラーゴの麓にある大森林で野性的な生活をしていた時の思い出も過った。あの頃に通ったあれらの森が、このように光に溢れて豊かであったら、もう少し生活がマシであったろうにと思う。心の拠り所もなく、守るものも、信じるものもない孤独な心を、きっと慰めてくれただろう。

 光と、美と、豊かさは、あらゆるものを清め、癒してくれる。彼はそれを身をもって体験していた。だから、美しいものはできるだけ世に残って欲しいと思った。

 ふいに彼の頬を、髪を、白い風が柔らかくすり抜け撫でていった。十分に眩しかった世界がさらに輝きを増し、全ての色が目覚めていくように見える。

 やがて、大木の下に腰かけていた彼の目に、馬に乗りやって来たソニアの姿が映った。

 彼を見つけた途端、彼女は馬を降りて喜びの声を上げ、跳ねるようにして彼に駆け寄ってきた。

「わぁ! 良かった! 来てくれたのね! ルークス」

出会いと立場の不運の為に、彼女の泣き顔や悲しむ顔ばかりを目にしてきた彼は、こんな風に心から喜びを表し、満面の笑みで光り輝く彼女を日の光の下で見たことがなかったものだから、深く心打たれ、痺れた。

 これまでにあった事、これから起きる事、それらを忘れて、ただとにかく、彼女がこんなにも喜んでくれたことを、彼もまた心から嬉しく思った。叶うことなら、ずっとこの笑顔を見て生きていたいと思う。

 この光の娘の為だけに人生を送ることができたら、どんなにいいだろう。

 だが、彼は決してヴォルトを裏切ることはできなかった。既に多くの情報を伏せている小さな裏切りはあるが、それらはヴォルトの不利益になることはないと確信した上でのことであり、ヴォルトと立場を異にするようなことだけは決してできない。

 だから、彼女を望むことは決して叶わぬ夢なのである。

 ルークスは立ち上がり、彼女を抱きしめた。ソニアもまた彼を抱き返す。

 決して手に入れることのできない、でも大切な宝物。僅かに残された、この時間だけが唯一自分に許されたもの。思い出という名の。

「……ありがとう、ルークス。嬉しいわ。来てくれて」

間近で見つめ合いながら、ルークスは言った。

「先に、言っておかなければならない事がある。やはり、オレの大隊がこの大陸を受け持つことになった。昨夜、入った知らせだ。今日にも襲撃が始まるかもしれない」

ソニアの笑みが消えた。せっかくの輝きをこうして沈めてしまうのは心苦しいのだが、伝えないわけにはいかない。こんな風にしか己を役立てないことが、ひたすらに残念だった。

「準備が整い次第、オレに知らせが来ることになっている。一緒にいて……もし連絡が入ったら、君にすぐ教えるよ」

 ソニアは目を閉じ、ほんの暫くだけ覚悟を決める時を得ると、再び瞼を開いて笑顔を彼に見せた。

「……わかったわ。ありがとう。とても助かるわ。お願いね」

こんな状況なのに、それでも、その笑顔は輝いていた。彼も、哀し気な笑みを返す。

 これくらいなんだ。オレができることと言ったら。今日、一日一緒にいて、襲撃を知らせる。

 白い肌、宵色の瞳。風に揺れる、淡い色の長い髪。全てを包む光。彼はそれらを心の中で称賛し、今一度、彼女がここにいることを、あの女神に感謝した。

 光輪を戴く女神の娘、きっと彼女は光の国の生まれの聖い姫君なのだろう。自分のような復讐と血で汚れた者が触れているのは罪なのではないだろうか。

 だが、そう思いながらも、彼は今、彼女を手放すことができなかった。

 裁きによって、焼き尽くされても構わない。今だけは、今日だけは、どうか……。

 静かな口づけで二人は重なった。光のカーテンが踊りながら射し込み、二人を照らし、大地にもその軌跡を残した。森と光が二人を祝福している。

 光の下、唇に傷もなく、涙もないその口づけは、どこまでも甘く柔らかだった。

 夜闇の中で心痛め、苦しんでいた時とは打って変わって、彼の内には不安を掻き消す安らかで温かい波が満ちていった。彼女の中に光を生み出す幾つかの星があるのだとしたら、その中の一つが彼の中に受け渡され、彼のものとなり、それが発光し始めたような驚くべき変化だった。

 太陽の光で満たされた時間こそ、彼女が最も自然に本来あるべき姿で輝き、光を放てるのかもしれない。そう思った彼もまた、彼女がこれまでに見たこともない優しく温かな眼差しで彼女の不安を解きほぐした。

 微笑み見つめ合う二人は今、光に包まれていた。

 ソニアは馬を繋ぎ、荷袋を地面に下すと、その中から仮装道具一式を取り出してルークスに手渡した。

「これが、あなたの分よ。これに着替えて。私もあっちで着替えるから」

それは、自分では調達している暇がないので、引き受けたがらないディスカスに無理矢理頼んで用意させた衣装だった。一秒たりともソニアから離れたがらないディスカスであるが、他の人々に知られてはならない特殊な買い物であるから、あなた位にしか頼めないと言われて渋々街に出掛けてくれたのだ。どれも彼女の注文通りで、二人が正体を隠す為に覆う必要がある身体の部位を巧くカバーしてくれる物ばかりだった。仮面もきちんと用意されている。

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