第4部30章『トライア祭』18
城下街、近衛兵隊長アーサーの家。約束通り花冠を載せる為にやって来た兄に、ミンナは大喜びで飛びつき、幼い子供のように可愛らしくはしゃいだ。
彼女の晴れの日に合わせて彼も正装でやって来たものだから、すぐに近衛兵隊長だと知れてファン等に追いかけられ、家は沢山の人で囲まれた。さすがに敷地内には足を踏み入れないが、皆、正装姿の彼を目にして大興奮である。兵士に憧れている者ならば誰しも、その兵士の正装姿に最も弱いものだ。
そんな外の騒々しさはともかく、家に入ったアーサーは久々の一家団欒をした。先日ミンナとは夜に少し会ったものの、母親とはテクト遠征後の休暇以来である。
母は茶や祝いの食事の用意をしてテーブルに着き、満足そうに我が子等の姿を眺めた。ここ数か月かけて仕上げられたミンナのドレスは見事な出来栄えで、細やかな青い刺繍が白い布地に鮮やかに踊っていた。朝のうちにアイリスが評判の腕で化粧も施してくれているので、後は花冠を頭に載せるだけである。ミンナに合った清楚な化粧で、さすがはアイリスとアーサーは心の中で賞賛した。
「父さんが……どんなに喜んでいることか」
立派に育った息子と娘の晴れ姿に、母は涙した。壁に掛けた亡き夫の形見の剣に目をやる。墓はデルフィーに残してきたままなので、夫を感じられる物はこの剣だけだった。アーサーとミンナも暖炉の上に掛けられた長剣に目をやり、思い出に耽った。ミンナには殆ど父親の記憶はないのだが、良い思い出ばかりを沢山二人から聞かされて育っている。
アーサー同様、彼の父親も長身で体格のいい、うってつけの戦士であった。故郷デルフィーに帰れば、きっと父親によく似て立派な戦士になったものだと人々に言われるだろう。顔立ちや黒い瞳と髪は母譲りであるが、全体的な雰囲気は父に近いのだ。
息子は思いも寄らぬ程に出世し、娘も申し分なく生活の技を身につけて結婚できる年齢となった今、ミンナが何処かに嫁いだら自分は再びデルフィーに戻り、夫の墓の側で暮らそうかと母は考えていた。まだ二人にはそのことを話していないが、いつかこの子達と離れ離れになってしまうことを思うと、ふと気持ちが沈んだ。
二人のどちらが先になるかは判らないが、孫ができたら側近くで見守りたいとは思うものの、夫の墓をいつまでもそのままにして、この都に永住する気にはなれないのだ。だが、酷く寂しがるであろうミンナのことを考えると、なかなか切り出せない。
そうと知ったら、ミンナは自分も一緒にデルフィーに戻ると言い出すだろう。そうすると、せっかくこの城都市で暮らして、より相性と条件のいい夫を見つける機会に恵まれていながら、デルフィーへの移住を検討してくれる人物に絞らねばならないという制限がかかってしまうことになるのだ。母は娘に、できるだけ豊かで幸せな選択をしてもらいたいと思っている。だから、相手が決まるまではこの計画を明かさない方がいいとも思う。ましてや、今日のような祭の日になどとても言い出せないから、母はただ長剣の古びた色を見つめ続けた。
ひとしきり剣を眺めたアーサーは、妹の頭を撫でると温かく笑んだ。
「ソニアが、お前によろしくと言ってたよ。パレードを観に行けなくてすまないって」
「そんな、畏れ多いわ。お花を頂いただけでも十分光栄だもの」
噂の花冠はもう出来上がっており、テーブルの中央に乗せられていた。レカンも含め花はたっぷりと届けられていたので、花冠制作で余った沢山の花は、テーブルの花瓶に差したりドレスに縫い付けたりして飾っている。だから家中が花の香りでいっぱいになり、とても芳しい。花冠もミンナやドレスに合った素晴らしい出来だった。
ソニアがレカンを摘みにアルエス湖畔へと行った際のハプニングについて語ってやると、ますますミンナと母は有り難がって「勿体ないくらいだね」と花を丁重に撫でた。
「ねぇ、お兄ちゃん。ソニア様が王位継承者になるって噂を聞いたけど、本当?」
「やはり城下は伝わるのが早いんだなぁ。決まってはいないけれど、王様から申し出があったのは本当だよ。昨晩、宴の席で話が出たばかりなんだ。あいつ自身すごく驚いてるから、まだ考えてる途中で、引き受けるかどうかは決まってないけどな」
「そうなんだぁ……。でも、凄いことだよねぇ」
この二人もソニアのことは幼い頃から姿を見ているわけで、同じ郷里出身の一女性が驚異的な大出世を遂げ、その上、国家の最高権力者にまでならんとしているこの奇跡的な道程に、ただただ驚くばかりなのである。
そして、もしそういうことになったら、長年彼女を求めて追い続けているこの兄が、息子が、この先どうするのかということも大いに気になるところだった。もしソニアが王位継承者となって誰かと結婚するようなことがあり、それがこのアーサーであったら、彼までが王家の人間になるのだ。そうすれば、勿論彼女達も王家縁の人間ということになるのだ。アーサーはおそろしく努力してきた人であるから、これまでの出世もその結果得られたものであるが、自分たちは特に何もしてないと思っている二人にとって、自分達までがそのような畏れ多い恩恵に与ることになったら、あまりのことに腰が引けてしまう。だから今回の発表は、途方もなく衝撃的だった。
とにかく、そろそろ時間だということでアーサーは母から花冠を受け取ると、それをミンナの頭に厳かに載せてやった。レカンをふんだんに使って、その隙間を埋めるように数種の花が編み込まれているそれは彼女の頭にすっぽりと嵌り、まるで物語の挿絵に出てくる花の妖精のようにミンナを愛らしく飾った。
感慨に耽っていた母もそっと立ち、冠がズレないよう茎の細い小さな花を数本更に差して髪の毛に絡ませ、固定させた。これで少々の風や揺れなら冠は動かないだろう。
「……昔を思い出すよ。私もこうして頭を飾ったねぇ。その時はお爺さんが載せてくれたんだよ。本当なら……お前にも、お父さんが載せたんだろうにねぇ……」
「いいの。私にはお兄ちゃんがいるもの」
ミンナは若い娘らしい溌剌とした笑顔で母の悲しみを打ち消し、アーサーの胸に飛び込んだ。五つも年の離れた妹は、いつでもどんな時でも彼より小さく、こうして彼に擦り寄り、彼を見上げてきた。ミンナが自分を慕うことに疑う余地はないせいか、ふとアーサーは一心に見上げる彼女の姿に、幼いソニアを映し見た。
“いつかきっと迎えに来る”と言って、この国を出ることがあったら、きっとこの妹は死ぬまで健気に自分のことを待ち続けるのだろう。ソニアが兄を待ち続けるように。
だが、その兄は待たせるばかりで現われなかった上、死んでしまった。
その報われない哀れさを思うとソニアが労しくなり、それと同時に、こんなに可愛い妹には決して同じような目には遭わせまいと思った。自分が死ぬのであれば、この家族達を守って死ぬのだ。生きる限り家族を守って、ミンナを大切にする男を見極めて、せめて、この母と妹を必ず守り通してくれる立派な男に二人を託してから、自分は死にたい。
「綺麗だよ、ミンナ。お前が今日の花娘の中で絶対に一番だ」
アーサーはミンナの頬を撫で、微笑み合うと、ミンナをエスコートして母と共に家を出た。