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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第7章
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第2部第7章『テクト城決戦』その7

「お――――い! ソニア――――っ!」

両手一杯にウリ科の果物『モイ』を抱えて、アーサーがテント広場へやって来た。

「見てくれよ! これ!」

「わぁ! どうしたの? こんなに」

武具の修繕具合を検めていたソニアは、アーサーの他に3人の兵も果物を抱えているのを見て、目を丸くした。

 戦いの後始末も一段落したので、今宵は城内で宴が催されているのだが、ソニアは警備やその他の事情も考えて遅れて出席するつもりで、まだトライア兵のテント広場にいた。部下は交代制で先に出席させている。

「テクトの人達からなんだ。わざわざ城内にまで運んで来てくれたんだよ。オレ達の為に」

「あら!」

ニコニコと腕の中のモイを見せるアーサーに、ソニアも嬉しそうに笑い、その中の一つを手に取って見た。すると、皮の表面に何か文字が刻まれているのに気がついた。

《トライアの兵隊さん ありがとう!》

子供の字である。ソニアはフフフと笑い、自分もそれを配ると言って彼から半分受け取った。他の兵もやって来て仲間を手伝った。

 順々にテントを回ってモイを配りながら、ソニアはアーサーに訊いた。

「ねえアーサー、何か連絡は来ていない?」

「トライアからか? 特にないぜ。オレより先にお前に報告するだろう」

「……近衛からも何も来てない?」

「……心配なのか?」

ソニアは思案顔で束の間アーサーと見つめ合い、そして小さく頷いた。

「そろそろ戻りたいのか」

「……うん。ここのことも心配だけど……もう何日もトライアを留守にしてるもの」

「そうだな。あの都の魔物達も、お前の歌を長いこと聴かないと暴れ出すかもしれないし」

そう言われるとソニアは、《またそんなことを》と言いたげな困り顔をした。アーサーは、ただ朗らかに微笑んでいる。

「今夜は暇乞いをするのにいい機会だろう。帰るのにも時間がかかるんだし、思い立ったが吉日だ。早いとこ決めちまおうぜ。実は、オレも長いこと近衛を放っておくのに気が引けてきたところだからよ」

「そうだったわね、近衛なのに城にいない近衛兵隊長さん」

2人は笑い合った。

 そうしていると、他のトライア兵も更にやって来て、胸の中の果物をどう捌こうか考えながら見回していた。訊けば、まだまだ沢山あるのだと言う。度重なる戦いで蓄えは乏しいだろうに、テクト民達はどうにか感謝を示したくて、これだけの数の果物を献上しに来たのである。

 そのどれにも一つ一つ礼の文句が刻まれていて、この手仕事の為にどれほどの時間を割いたのかが窺われた。

「これなら、私達には多過ぎるわね。皆さんにも配りましょう」

 2人は、テロックという柑橘類やら、ニバイという果肉の濃厚な果物を抱える兵士達を従えて広間へと向かい、宴会場にいるテクト兵や高官達にも果物を配り始めた。トライア兵への礼の文句が刻まれているが、皆は気にせず快く受け取ってくれた。

 見れば、テクト兵にもある程度は献上されていたようで、既に幾つか出回っている形跡があった。しかし、人数的にテクト兵の方が多く、数が足りないので、こうして配って丁度良かった。爽やかな香に包まれて、宴会場は一層華やぐ。

「――――おお! おお! ソニア殿! アーサー殿! ささ、こちらへ来て杯を取りなされ! そなた等がいなければ始まった気がせん!」

上座のテクト王は、2人が果物を配り終えるのを見計らって声を掛け、手招きした。姫君は、そんなほろ酔い加減の王に付きっきりで面倒を見ている。赤ら顔で大笑いする父王の傍らで、ロリア姫は困り顔をしてソニアに目配せし、クスクス笑った。

「お父様、あまり無理にお勧めしてはいけませんことよ!」

 ソニアとアーサーは招きに応じて上座へと向かった。

 周りを取り囲んで機嫌よく語らったり歌ったり、一芸を披露したりしていた兵士達は、鎧を着ていない兵服だけのソニアがスッと通り過ぎると、つい見とれてしまって言葉が止み、口を開けたままで後ろ姿を目で追った。

 普段の鎧姿も精悍でいいのだが、何分、あの鎧は前国軍隊長からそのまま受け継いで少し微調整をしただけの男性仕様であり、女性らしいしなやかさを演出できる訳もなかったので、兵服だけの姿は一段と違って見えたのだ。

 トライア兵服は半袖膝上丈のゆったりとしたチューニックを、ただ腰のベルトで締めているだけの亜熱帯域らしい物で、こうして兵服だけを着て歩いている彼女を見ると、それが短いドレスに見えないこともない。

 国軍服の黒い色は白い肌を引き立て、元から質がいいのか、日々戦いの中にあっても艶やかさを失わない髪は長く背に垂れ、後ろでゆったりと1つに束ねられている。額には、幼少時から身に着けている刺繍紋様の入った細いリボンが巻かれ、長く余った端は髪と一緒にヒラヒラと揺れていた。左手中指には金剛石の金の指輪を、右手首には細工装飾のあやなす銀色のブレスレットをしているので(本人以外誰も知らないが、2つともゲオルグからの贈り物だ)、その姿は名家の令嬢か一国の王女とも見紛うべき美しさだった。そして中でも――――――その辺の宝石より余程輝いて見える彼女の宵色の瞳が、高貴さを最も演出していた。

 テクトの者もトライアの者も改めて、彼女が『トライアス』と呼ばれることを心から納得し、今までのてんでバラバラだった話題から一様に彼女ついてのお喋りを始め、その生い立ちや家系を不思議がった。

 一方、アーサーはソニアの物ほど破損の酷くなかった鎧をまだ着用し、近衛の赤制服で今も兵士らしいなりをしているので、2人並ぶと、王女とその専属護衛官のようだった。

 2人は一礼すると、王のすぐ側に用意された席に座り、ロリア姫の手ずから杯に葡萄酒が注がれて、王の音頭に合わせ杯を掲げた。

「――――――勝利の立役者に乾杯!」

王の声が朗々と響き、会場中の兵も杯を掲げ、胸を拳で叩いた。

「テクトの方々にこんなに喜んで頂いて、大変嬉しく思います。トライア兵を代表して、お礼を申し上げます」

「我ら皆、そなた等の活躍に感謝しておるのじゃ! その想いが込められているであろう! 快く受け取って下され!」

 ソニアもアーサーも、トライアの代表として、テクトの人々に代わる代わる酒を注がれたり食べ物を運ばれたりして、丁重にもてなされた。勤務中には畏れ多くて2人に声が掛けられなかった者も、軍務に関係のない会話での交流を求めてやって来たし、王や姫とも語らって楽しく過ごした。

 ソニアは嗜み程度にしか酒を飲まぬ者だったが、アーサーは16歳で成人してからというもの、父親譲りらしい酒好きの性を発揮するようになって大いに飲んでいたので、この宴会の為に王が奮発して解禁した城の蔵のワインを存分に楽しんでいた。普段から明るい人なのに、酔うとますます陽気になるので、王と彼はよく笑い合い、ロリア姫とソニアが苦笑しつつそれを眺めていた。

 宴も酣で、すっかり皆の酔いが回った頃、王はソニアの肩を叩いた。

「――――ところで、どうじゃの? 明日、警備巡回ではなく仕事抜きで城下町を見物されては! 民も待ち焦がれているじゃろうし、ロリアが是非案内をしたいと言っておるのでな!」

これだけ愉しい雰囲気に包まれている中で切り出すのは忍びなかったが、今言わなければ機会を逃すと思い、ソニアは王に向かい、言った。

「王様、大変申し訳ないのですが……私共は、そろそろお暇をさせて頂きたいと考えておりまして……」

「――――――何と?! もう……帰ってしまうと言うのかね?! トライアに」

王の、王らしからぬ素っ頓狂な声が会場を通って皆の耳にも届き、視線が集中した。

「はい。長くトライアを留守にしているのが心配なのです。次に狙われるのはトライアかもしれないと思うと……居ても立ってもいられないのです」

「まぁ……! もう行ってしまわれるなんて……そんな……!」

至極残念そうな王と姫に、ソニアはゆっくりと頭を垂れ、きちりと静止して潔い決意の様を見せた。

「――――申し訳ありません。どうぞ、私共をトライアに戻らせて下さい! きっと……また有事の際には参上いたします! どうか……!」

ソニアにきっぱりと頭を下げられてしまった2人は、ただオロオロと見合って、しかし、どうにも引き止める術も口実も探し出せず、やがて肩を落とした。

「……そうか。……それはもっともじゃ。ワシらは、そなた達に頼ることに危うく慣れてしまうところであった……。それを間違えてしまってはならなかったな。――――そなた等はトライアの兵なのじゃ。どうぞトライアに戻って、国を守って下され!」

酔ってはいても、どんなに惜しくとも、テクト王は堂々と願いを聞き入れた。ソニアは微笑んだ。

「ありがとうございます! ――――明朝にもここを発とうと思っております」

 王は自分を納得させるように何度も頷き、そして、ふいに姫を引き寄せて耳元で何か告げ、玉座脇に飾られている王の剣を彼女に持って来させた。兵士達も、何だ何だと集まり出した。

 王は剣を受け取ると、鞘から刃を抜き出し、王権を示す飾り彫刻の鮮やかな刀身を露にして、松明や蝋燭の炎をチラチラと反射させた。王はその剣を眼前に番えて高く掲げ、そして目を丸くしているソニアの肩に、ゆっくりと降ろして載せた。会場の者は息を飲んだ。

「――――トライア国軍隊長、ソニア=パンザグロスよ! そなたは真に勇敢な将であり、戦士であり、このテクトの恩人でもある! これよりは、このテクト王、ジャーメイン=カルス=エン=ドゥ=テクトルの名において、晴れて『英雄』と名乗るがよい!」

静まり返った会場中は、その言葉が結ばれると同時にワッと沸き立ち、歓声と拍手に包まれて反響した。彼女の『英雄』の称号授与を誰もが認め、賛同し、慶びの声を送ったのだ。

「ソニア様、万歳!」

「英雄誕生、万歳!」

ソニアは、今まで酒を飲んでもそんなに赤くならなかった顔をパアッと紅潮させて見回した。皆が自分を見てにこやかに拍手を送っているのを認めると、信じられない様子で頭を振った。

「わ……私が英雄だなんて……とんでもない! 勿体無い……!」

 アーサーが、剣が載せられているのとは逆の彼女の肩を取って、頷いて見せた。

「お前には十分その資格がある。テクト民を代表して感謝して下さってるんだ。喜んで受け取るがいいさ!」

「……アーサー……」

ソニアは本心から称号を受け取ることは出来かねたのだが、ここで王やテクト民の顔を潰す訳にもいかなかった。瞳を少し潤ませてアーサーに微笑み、そして、恭しく頭を垂れて儀式を受けた。

「謹んで……頂戴致します」

また拍手と歓声が湧き起こり、長い間止まず、この盛り上がりが良いきっかけとなって、祝杯の後で宴はお開きとなり、トライア兵達は明朝の出立の為にテント広場へと戻って行ったのであった。



 中央大陸ガラマンジャの、未だ皇帝軍の攻撃を受けていない王国ペントワース領内にある港町サットーの酒場は、この時分でもゴロツキ達が屯して盛況しており、店の内でも外でも汚らしい者達が寄り集まって、何やらヒソヒソと話をしていた。

 海賊も身分を偽ってよく訪れる街であり、各国の輸出入船の中継地点としても用いられている為、見知らぬ顔の者が其処彼処にいるのは当たり前のことで、目立たずに人と会談をしたい場合には打ってつけの場所だった。そして今、暗がりに身を隠せば顔などは判り辛い。

 酒場前の広場にある石碑の下で、わざわざ店の明かりが作る影の中に入るように立って寄りかかり、往来する人の姿に目を光らせている男がいた。彼は、この闇の中でも人間よりは人々の顔形がよく見える目を持っていたので、待ち人が来ればすぐに判るはずだった。

 やがて、石碑に歩み寄る何者かが現れ、杖を手に老いた者らしい緩慢な動きでやって来るその者の姿を認めると、男とその老人は連れ立って人気のない木立の中に入って行った。

 2人共人間の姿をしていたが、人間ではなかった。

「……早かったな」

「知らせを受けて、直ちに参りましたから」

「あの準備は進んでおるのか?」

「あと……一歩という所まで来てはいるのですが……」

老人はギロリと男を睨んだ。男は目を伏し、項垂れた。

「……まぁ、よい。今日はその話ではない」

「ナマクア大陸がどうとか……。何事なのですか? 急用とは」

老人は睨んだ時以外、後の殆どは男と目を合わせることもなく、淡々と中を見据えていた。

 2人がこうして人間の言葉を話しているのは、今は互いに人間の姿をしていることと、万一母国語を聴かれて、ここに敵がいることを人間に知られて騒ぎになるのが面倒であったこと、また、同族にもこの密会を知られたくなかったこと、そして戦時中に不自由なく扱えるように慣らしておきたいことが理由にあった。

「我が大隊が、ナマクア大陸を侵攻地域として選んだことは承知であろう。先日、南のテクト王国にリヴェイラを送っていたのだが……3日前に交信を絶ったきり何も連絡がなく、どうも様子がおかしいのだ」

男は、老人の言葉にひどく沈んでいった。構わず老人は続けた。

「水晶で見る限り、同大陸のペルガマやトライアには何も異常がないのだが、テクトの都市を覗いた時にだけ映像があやふやになるのでな。何者かの力が、そこに働いているのかもしれん。そこで、ワシはナマクア大陸に行かねばならんのだ」

老人が自分を見ないことを知っている男は、敢えて目で追うこともせずに俯き続けた。

「……テクト……。トライアのすぐ側ではないですか……」

老人は珍しく、また男の顔をジッと見た。労わりや哀れみの類ではなく、全くもってその心を見透かそうとしているだけに過ぎない。

「……そうだ。お前は何度もトライアに足を運んでいる。ナマクア大陸には特に詳しいだろう。だから――――案内役として一緒に来てもらおうと思ったのだ」

 男は溜め息をつき、ふいに顔を上げて言った。

「――――――父上……」

老人は杖を男の顔の前に翳して、言葉を押し留めた。

「今はともかく、人前では決してそう呼ぶでない……! 『閣下』、或いは『ゲオムンド様』と呼べ……!」

「は……はい……! 承知しております……!」

思わぬことで不興を買った男だったが、気を取り直して再び顔を上げ、今度こそ面と向かってゲオムンドに言った。

「……いずれ、トライアも攻めるのですか?」

「……そうだな。いずれそうなるだろう」

「…………」

 男はゲオムンドの前に跪き、嘆願者らしく手を取って強く訴えた。

「助けることは出来ないのですか……?」

男の目は至極真剣だった。あらゆる部下がこのゲオムンドを恐れて平伏す中で、この男の視線だけは真っ直ぐで強く、どうしても退けない必死さがあった。それがゲオムンドの気に入った。

 男の言葉の意味を十分に理解しているゲオムンドは、ニヤリと笑うと、彼の肩に手を掛けて頷いた。

「……成る程、やはりその事を心配しておったか。……どのくらい会いに行っているのだ?」

男は、本来ならおかしい事ではないと知っているのだが、ゲオムンドにそれを言われると、厳しく恐ろしい彼に比べて自分が情けなく思われて少々恥じらい、顔を赤らめた。

 そして囁くように言った。

「……年に、2、3度は……会いに行っています」

「……ふむ、そうか。ワシにとっては懸念の的でしかないが、お前があの者を大切にしておるのは知っている。我が軍に招き入れることは出来ないが、説得して、何処ぞに隔離すれば難を逃れられよう。……お前の所など、良いのではないか?」

男の目が希望に輝いた。

「お許し下さいますか……! 必ず説得してみせます! ですから……どうか私が無事に事を成し遂げるまで、どうかトライアは後回しにして下さい! お願いします!」

ゲオムンドはまた頷いた。

「いいだろう。あそこは大した国ではない。いつ攻めようと変わらんだろう。お前の知らせが入るまで待つとしよう。……ただし、あまり猶予はないぞ。長いこと放っておくと、尻込みしていると見られて、大帝の命で他軍に役目を任されかねない。速やかに行え」

「はい! ――――それでは、早速向かった方が……!」

ゲオムンドは、再び男の顔前に杖を翳して黙らせた。怒っているのではないが、こうして全てを支配しようというのは、もはや癖を超えた性分だった。

「まぁまぁ……慌てるでない。まずはテクトだ。あそこに行って、事の真相を確かめねばならん。夜は難しいであろうから、朝を待って侵入したい。よいか?」

「……はい、仰る通りに」

ゲオムンドは薄ら笑いを浮かべた。

「では、案内はお前に任せたぞ、ゲオルグよ」



 早暁。太陽が地平から顔を出したばかりで、水平に射し込む光が城の外壁や遥か西に聳えるハニバル山脈を照らし、淡い黄金色に輝いた。桃色の空には金色の島の如き細い雲がたなびき、朝を神々しく彩っている。

 トライア兵は王城内にある石畳の広場に整列し、既に準備万端整っており、各自持ち馬の横で手綱を握って壇上のテクト兵と向かい合った。ロリア姫もデイル隊長も、その他兵士や高官等も居並んでいて、救国の恩人達を精一杯見送ろうと各々正装を決め込んでいた。

 別れの儀式に臨もうと、ソニアが代表して1人前に出た時、壇上からロリア姫が降りて来て、ソニアの側に駆け寄った。今日の姫君は白いドレスを身に纏っている。

「――――ソニア様!」

ソニアは会釈し、彼女に微笑んだ。

「何事ですか? ロリア姫」

姫は上気して、頬を一層薔薇色に染めている。

「私……あなたを見ているうちに、勇気が湧いてきましたの!」

「まぁ、私を?」

ロリア姫はニコリとして、ソニアのグローブと手甲で固めた手を、たおやかな両手で握った。

「私……ずっと自信がなかったのです。この国を継いで治め、守り抜くことが。でも――――今回は私にも少し戦えて、もっと出来るのではないかと思うようになったのです」

ソニアは心から賛同して頷き、微笑んだ。

「ええ、きっと出来ますとも。あんなに立派に人々を導いておられましたもの」

「あなたのお蔭ですわ。あなたの助けや、あなたという尊敬する鏡がなかったら、とても出来なかっただろうと思います」

「まぁ……尊敬だなんて、とんでもない……」

ソニアは畏れ多く感じて頭を振り、恥ずかしそうにした。

「本当です! 私……あなただったら、こんな時どうされるのだろうと、ずっとそればかり考えていましたのよ! だからあなたを見習って、私も恐れずやってみますわ! このテクトを継いで、治めてみます!」

「まぁ……! ではロリア姫は、次期ロリア女王ですね」

2人は微笑み合い、小柄な姫と長身の女戦士と身長差がある中で抱擁して友愛を示し、別れを惜しまずに、この次の出会いを約束した。

「――――また、近い内にお会いしましょう!」

「ええ! きっとよ! ソニア様!」

そう言うと、ロリア姫は王達の居並ぶ、横に長い階段状の壇上に戻り、王の脇に立った。

 テクト王は見計らって杖を掲げた。

「――――――トライアの兵士達よ! ご苦労であった! そなた等の勇気と尽力と恩を、我々は決して忘れはしまいぞ! 帰途道中での無事を祈る! そして本来の務め通り、トライアを守って下され! いつかまた会おう!」

 ソニアは抜刀して長剣を天に翳した。角度の浅い朝日に刃が煌く。

「――――――テクト王に敬礼!」

トライア兵は一斉に拳を自らの胸に当て、2度打ち鳴らした。

 ソニアが白馬アトラスに乗るのに続いて皆も騎乗し、隊列を整えた。そして、もう一度ソニアが剣を掲げると、テクト王も杖を掲げた。

 天に向かって上げていた剣を、トライアのある北を指して振り下ろし、叫ぶ。

「――――――トライアへ! 出発――――っ!」

 白馬の国軍隊長に続き、行きと同じように110隊が、その次には111隊と馬車と112隊が2列縦隊になって馬を進ませ、開かれた城門を目指した。テクト兵は手を掲げ一行を見送った。ソニアも皆もテクト兵に手を上げた。

 城下町に出ると、トライア兵の帰還を昨晩の内から聞きつけていた大勢の民が屯して沿道に連なり立っており、一行の姿を見るや、口々に感謝の言葉を投げかけた。

 花や、道中のお守りにと美しいレースのハンカチーフを渡す者もいて、兵士は笑ったり照れたり、すましたりしながらそれらを受け取り、ベルトに差した。この国では、レースのハンカチーフを作者本人からプレゼントされると、生きて再びその者に会えるという言い伝えがあるのだ。

 町中を通る間は子供達が列にくっついて走り回り、城塞の外壁にある門に近づくと、さすがにそこで止まって、異国の戦士達が去り行く姿を名残惜しそうに眺めていた。

 門を抜けて城塞を出、森の中に入り、一行は馬歩を速めた。城門の兵が最後の見送り人となって城壁の上から手を振り、精鋭の隊列が森の中に消えていくのを、敬礼の姿勢を長いこと崩さずに見守っていた。

 行きは40名いた総数もこの戦いで3名を失い、仲間から死者が出た一行は、やはりどうしても帰途につくや沈んでしまった。その3名は一足先に遺体が新鮮な内にトライアに運ばれており、本国で丁重に葬送されている。

 あの熾烈な戦いの中にありながら、たった3名の損失で済んだのは精鋭揃いのメンバーであったお蔭なのだろう。だが、たった3名でも痛手は大きかった。この大戦におけるトライア初の殉職者となる優秀な戦士を失ったのだから。

し かし、その痛みを忘れられずとも、成果はそれ以上に大きかったろう。皆もなるべくそう考えるようにして、勝利ばかりを語った。

「――――ソニア様! 英雄の称号を賜りましたことを王や民が知ったら、さぞ喜ばれることでしょうな!」

先頭近くの110隊員が、暗い雰囲気を和らげようとそう言った。皆も、そうだな、そうだなと口々に言った。まだ広大な魔方陣の中にいるので、森は平穏で静かである。

 ソニアは唐突に振り返って、アトラスを反転させた。

「――――――隊列、止まれ――――っ!」

皆、驚いて何事かと慌てて馬を止めた。最後尾のアーサーが、彼の馬である栗毛のジタンを駆って先頭までやって来た。

「――――どうした? 何なんだ」

 ソニアは戸惑っているトライア兵達を見渡し、それから語り始めた。

「止めてしまって申し訳ない。だが、今の内に話しておきたいことがある。私はこの度『英雄』の称号を頂戴したが、あれはテクト民の真心と顔を潰さぬ為であって、決して私の本心ではない。称えられるべきは……名誉の死を遂げた仲間達の方であると思っている。勿論テクト民はそのつもりだろうが、私はどうしても、彼等を差し置いて『英雄』と呼ばれるのは忍びないんだ。だから……トライアでは、このことを大っぴらにしないでもらえないだろうか。国王陛下には、私から直接報告するつもりだ」

「ソニア……そんな……! あいつらだって、きっと称号を得たことを喜んでくれると思うぞ!」

「そうですとも! 閣下! 自分達の死によって貴女様が称号を放棄されても、逆に彼等は不面目に思うでしょうぞ!」

 ソニアは仲間達に詰め寄られ、言い迫られても表情を変えず、静かで確固たる決意を秘めた真っ直ぐな瞳を皆に向けた。

「……あなた達がそんなに喜んでくれるのは嬉しいよ。だから、済まないと思っている。だが……私が『英雄』と呼ばれたくないのには、他の理由もあるんだ」

「な……何だよ? 他の理由って」

 『英雄』の称号は、この世のおいて特別な扱いをされている。法や慣習は国によって違うものだが、王が与えられる称号については人間世界共通の不文律があって、『勇士』や『賢者』、『大使』などの称号が数あり、その中でも『英雄』は最上位に位置付けられている。

 しかも、一度何者かに『英雄』の称号を与えた王は、その者が死ぬまで他の者に『英雄』の名を授けることは出来ない決まりだ。そしてそれ故に、治世の内で『英雄』に値する者に巡り合い、その称号を授ける機会は、1人の王に一度あるかないかの稀な出来事なのである。『英雄』とは、それほどに価値ある称号なのだ。それが為に、『英雄』の称号があるだけで、その者はどの国でも特別な扱いを受けることを約束されている。

 言い換えれば、それほどにテクト王はトライアの援軍に感謝しているのだ。自軍の戦士ではなく、他国の者に『英雄』の称号を与えるなんて。

「……『英雄』は素晴らしい称号だ。今、この世でそれを持つ者は他に誰がいる?」

アーサー以下、一同はしんとした。まだ知らされていないだけで、この大戦中に他に幾人か新たに誕生したかもしれないが、今のところ1人しかいない。

「……英雄……アイアス」

アーサーが言った。先の大戦の英雄、と言うだけで誰のことか解るくらいの通り名だ。彼があまりに素晴らしかったので、当時、諸国の王が挙って彼に英雄の称号を与え、彼の仲間にはそれ以下の称号が与えられたのである。だから、未だ他の者に英雄の称号を与えられない王が多いはずだ。アルファブラのように。

 ソニアは頷き、その人を思い浮かべて目を閉じた。

「私は先の英雄を尊敬している。兼ねてより、『英雄』の称号は彼のような世界の救い主にこそ相応しいと思ってきた。だから――――英雄アイアスを敬うが故に、私は同じ称号で肩を並べる訳にはいかないんだ。成した事に、あまりの差がある」

そう言われると、彼女がこの称号を如何に重荷と感じているかが伝わり、返す言葉がなかった。

 また、アーサーはこの中でただ1人、彼女が先の英雄をあまりに愛するが故に称号を受け入れられないのだろうということを知っていて、複雑な思いになった。

「テクト王の好意も、あなた達が喜んでくれることも、とても嬉しい。だが……私にはまだ、苦し過ぎるんだ。この大戦が終わって……危機を乗り越えて生き延びていたら、その時やっと受け入れられるかもしれない。だから、今はまだ待っていて欲しい」

 彼女に最も近い110隊員が目を見交わした。ディランとジマー、そして今では110隊のメンバーであるドマが互いに頷き合った。

「解りました。ソニア様が賜ったもの、我々がとやかく言うことではありません。ソニア様と国王のご判断にお任せします。――――それでよいな? 皆!」

ディランの声に、少しずつ賛同の頷きが加わっていった。アーサーは何も言わず、ただジッとソニアばかりを見つめている。

 ソニアは皆にニッと笑って見せた。

「ありがとう。陛下と相談して、どうするか決めるよ。それまで、国民には黙っておいて」

 止めてしまった隊列を再び進め始め、一行は森の道を北に歩んだ。行きのように馬をギリギリまで駆る必要はないので、行軍は優雅だ。

 アーサーは無言で最後尾に戻り、己がポジションを守って、先頭を行くソニアの後ろ姿ばかりを見ていた。

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