第4部30章『トライア祭』6
ヴァリアルドルマンダの脅威の翌日、まず最初にディスカスが、そして続いてルークスが不穏な情報を入手した。皇帝軍の各大隊が担当する地域が変わりそうだといういのだ。話し合いが行われているという噂は聞いていたが、本当に変わるとなると、これは一大事であった。
ディスカスはゲオムンド付きの従者からその情報を得、ルークスはヴォルトからの連絡でそれを知った。魔導大隊がナマクアを退くことは考え難く、特にトライアは決して他軍に譲るはずがないのだが、そのゲオムンドが引くこともあり得るらしいのだ。どれ程の圧力がかかればそうなるのか知れないが、あのゲオムンドを動かせるのだとしたら相当のものなのだろう。
しかも、もし魔導大隊がこのナマクアを退いた場合、代わって訪れるのはヴォルト率いる竜王大隊になる可能性が高いというのだ。これには特にルークスが驚いた。トライア国軍隊長が天使ではなかったことは報告済みであるし、ヴィア=セラーゴにいた侵入者の一人がその人であるということも伏せている。情報を正確に伝えない引け目はあったのだが、天使か否かの調査が一番の目的で、そうでないことは明らかなのであるから、他の不都合な所は敢えて触れないようにしていたのだ。万が一にもこのような事態を避ける為に。だが、結果的にそうなってしまった。
驚いたルークスはヴォルトに問い詰めた。彼が気にかけているハーフの娘もいると知っているのだ。それが国軍隊長であったことは教えなかったので、もしかすると変な気の回しでこのようなことが起きてしまったのではないかとも思われたのである。
しかし、ヴォルトによると、一番大きな要因は巨大バル・クリアーの発動が確認されたテクトがある大陸だからだと言う。それにアイアスが絡んでいる可能性がなくなった為(ルークスはそれを知っているが)、もう一人別の天使がやはり生じているのではないかという懸念が皇帝軍側にあり、ヌスフェラートの部隊は関わらない方がいいという流れになってきているのだそうだ。ゲオムンドは、それでも自分は構わないからナマクアをこのまま担当したいと言っているそうなのだが、成果が捗々しくないから皇帝からも強く言われてしまっているらしい。そして、バル・クリアーの苦手な戦鬼大隊も除外され、暗黒大隊はもはや存在しないから、天空大隊、虫王大隊、獣王大隊、竜王大隊のいずれかで担うべきであろうと声があがっているようなのだ。
天空大隊はアルファブラ攻めの一件ですっかり意気を落としているし、虫王大隊はディライラでの痛手が大きく無理であるとして真っ先に辞退した(それ以外の理由があることもルークスは知っている)。そして獣王大隊と竜王大隊に何となくスポットが当たり、さてどうしたものかと獣王大隊長ラジャマハリオンとヴォルトとで悩んでいるところなのだそうだ。
あまり大っぴらには言えないらしいが、獣王大隊長は戦に対して既に後ろ向きであるそうで、そうなると、まだ何処にも正規の侵攻をしていない竜王大隊が引き受けるのが妥当そうな雰囲気になってしまっているのである。勿論、竜人天使ヴォルトは特別待遇を受けているから、他の大隊の成果と比べる必要は全くない。だからこそ、これまでずっと己が出て行くべき時をジッと見計らっていたのである。
まだ決定事項ではないとは言え、ヴォルトの方でも一応考えており、ルークスにも伝えたのは、一度は天使ではないかと思った者の程を見てみたいし、他の大隊が攻める時より、救いたい者を救う際の融通が利いて何かといいのではないかということだった。また、言葉にはしなかったが、別の地域を担うことでアルファブラに関与しなくなるから、復活したアイアスとの対決を先延ばしにできるという思いもあるようだった。
ルークスは引き受けないで欲しいと率直に願った。気にかけていた例の人物の意志は固く、人間と共に滅びるつもりで、救えないのはもう明白だから、せめて自分の大隊が滅びの実行者になる悲劇だけは避けたいと説明したのだ。
ヴォルトにも、彼の気持ちはよく解っているようだった。だから、もしそうなった場合はお主は参加しなくていい、と言った。それでルークスの気が楽になるわけがないのだが、ルークスが頼んでも聞き入れてもらえない程に事態が複雑化してきているのであれば、そこがせいぜいの譲歩点なのだ。
ルークスは途方に暮れ、この可能性をソニアに話さなければならない気の重さで、酷く落ち込んだ。
だが、これはディスカスにとっても非常におそろしいことだった。他軍が来ると決まれば、主人ゲオルグが早くここに来なければならなくなる。そして今はまだ、ルークスがいる。ソニアを殺しにやって来たら、確実に二人は衝突し戦うだろう。そして、それは竜王大隊との確執に発展する可能性が高い。
彼はまだ、ゲオルグにルークスのことを告げていないのだ。それを話さなければならないことも正直痛い。ゲオムンドの主張が通って引き続きナマクアの――――せめてトライアの担当を外れなければいいのだが、“戦に向けて各国の調査をしているので、我が大隊がナマクア攻めに適している”とゲオムンドが主張してもこの流れであるから、何とも難しいことになっていた。
ゲオムンド付きのその従者には、もし決定となった場合は逸早くゲオルグに伝わるようくれぐれも頼んでいるが、ゲオムンドの考えでそうはさせないことも考えられるので、自分からも部下を派遣して成り行きを見守らせるようにした。前回ゲオルグに内緒で刺客を差し向けたあのゲオムンドであるから、またゲオルグに知られる前に他軍の手でソニアを亡き者にしようとするかもしれない。その時、自分は他軍の背後にいるゲオムンドとゲオルグの狭間に立つことにもなるのだ。
この状況下で自分のあり方を判断するのは、一部下でしかない己の分を超えているとディスカスは思った。自分がどうすべきなのかは、主に決めてもらいたい。自分自身が今思っていることは、とにかくソニアを守り続けるのは正しいということだ。
だが、彼はゲオルグにこの事を伝えるのを今暫く待つことにした。まだ決まっていない今の段階で教えて勇み足になってしまい、早々とこちらに来られてもルークスと衝突しかねないし、ゲオルグ側の方でこのことを既に知り得ているかもしれないからだ。ゲオルグ本人も今回の話し合いについてはかなり注目していたようであるから、こちらよりずっと有効な根回しをするかもしれない。
ディスカスはひとまずそうして事が決まらぬよう願いつつ、状況を見守ることにした。結果が出るのは、もう時間の問題である。