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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第30章
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第4部30章『トライア祭』5

 マリーツァは俯き、少し照れたような面持ちでモジモジとしてみせた。

「……あんたが家族のことを話してくれないから、あたしのことも言わなかったけれど……あたしには、ちょうどあんたくらいの兄さんがいたの。死んじゃったけどね。……死んだ時の年齢が……今のあんたと同じくらいの見た目だったの」

ポピアンに兄がいたことは事実であるが、年がとても離れていて、二百年以上も前に寿命で死んでいる。妖精の見た目はずっと幼いものであるから、ここで言うことは心理的にあまり合致していない。半分以上が出まかせで、彼女は別の関係をモデルにイメージしていた。

「姿もね、あんたに何となく似てるの。だから……初めて見た時から、あんたのことが気になって仕方がなかった。あたし……兄さんが大好きだったから。世界中の誰よりも」

この設定が、彼にとって最もすんなり受け入れ易いだろうという確信が彼女にはあった。ともすれば彼の傷を広げる危険性はあるが、その逆もあり得る。こう言ってダメだったならば、その時は諦めて早々に正体を晒し、告げるべきことを告げてこの国を去るしかないだろう。そう腹を括ったマリーツァは彼をジッと見つめ、肉親に向けるような親しみのある笑みを作り上げ、彼に向けた。

 彼女の言うことを鵜呑みにするつもりのない彼であったが、それでも、くすぐったくなるくらいに“兄が好き”という言葉に心解れ、そして同時に痛みも感じていた。

「……兄の面影を求めて……つまりは身代わりということか」

彼がマリーツァの中に見出したがるであろう人物の仕草や表情、笑顔の形を彼女は知っていたので、彼女は意識してそれを作り上げ、アピールした。とにかく真っ直ぐな笑顔。それでいて、押しつけがましくない柔らかな輝き。彼を受け入れている証しにキラキラと輝く瞳。

「……その兄とやらは、どうして死んだんだ?」

「……病気よ。生まれつき体が弱かったの。本を読んだり詩を書いたり……そんなことばかりしていた。……あんたは病弱な感じではなさそうだけど、なんかいつも顔色が悪いし、勤勉そうだし、共通点が多いんだ」

マリーツァは、彼女が本当に兄の姿をそこに見ているように、――――もとい、ソニアが彼を見ているように笑顔を作り続けた。一度ソニアに成りすましてすっかり彼を騙し、見事欺いていた程の卓越した術者である。経験も豊富だから、その辺の人間が誰かを真似るのとはわけが違った。今や完全な別人として目の前にいるこの場では、ただ仕草や雰囲気が多少似通っていればそれでいいのだ。難なくマリーツァは彼を魅惑し続けた。

 先程は挑戦的で、蔑むような笑みばかり浮かべてニヤついていたのに、今ではすっかり真顔になってしまっている。感触ありと見て、マリーツァはアピールを続けた。

 この笑顔と言葉が、あの忌まわしい夜を思い出すきっかけになることは百も承知であった彼なのだが、その苦しみ――――この先も癒される見込みのない――――に蝕まれるリスクを負ってでも、孤独が与える苦痛を和らげてくれる薬となりそうなこの笑顔を取ることの方が気楽に思え、彼はその薬に手を伸ばさないわけにはいかなかった。

 だが、まだ、最後の躊躇いがあった。相手は人間の女だ。

「あたし……兄さんが死んで一人ぼっちになっちゃったの。両親はいなくて、ずっと二人きりで生きてきたから。だから一人になってしまって……ずっとそこに居るのは堪らなくなって……この都へやって来たの。新しい土地でやり直せば、寂しさも紛れるんじゃないかって……そう思ったから。でも……あんたを見たら、やっぱり我慢できなくなっちゃったのよ。寂しくって、寂しくって……それであんたに声をかけたの」

彼は少しも話を遮らず、じっくりと耳を傾けていた。効果を与えているようである。マリーツァは顔をまた俯かせた。

「……ねぇ、兄さんとしてじゃなくたっていい。あたしと……仲良くしてくれないかなぁ……? あんたのこと……何て呼んだっていいよ」

 相変わらずステージ方面では歌と踊りとで盛り上がっており、このテーブルの周辺では他の客達が二人の成り行きを固唾を飲んで見守っていた。会話は勿論聞かれていないのだが、片やグラスを見つめて真剣な面持ちをしているし、片や俯いて膝に視線を落としている。何やら深刻な話し合いの様子だった。これが果たしてどんな結末を迎えるのかは、最後まで見届けない限り判らなそうであるから、人々は酒を飲みながらずっと二人の様子を盗み見た。

「……ずっとじゃなくていいよ。ほんの暫くだっていい。数日だって」

「……」

彼女がふいにまた手に触れてきたものだから、彼はドキリとして彼女の顔を見た。断ったらそこで泣き出しそうな目で訴えている。その視線から目を背けることはできなかった。

「あんた……礼儀正しいのが好きそうだものね。なら……あんたのこと、お兄様って呼ばせてくれる? 嫌なら別の呼び方にするし……」

彼は目を閉じた。ズキリと痛み、しかし悦びもまた思い起こさせる言葉だった。

「……いい? ……いいと言って欲しいよ」

真直ぐな瞳。憂いを秘めた、哀願。

 彼の応えはない。彼女は口を結び、辛そうにまた視線を落とした。

「……しろ」

「えっ?」

「……好きにしろ」

二人は見合った。彼は頬杖をついて無表情を装っているが、目には戸惑いと熱とが表れ、傷の痛みに揺れていた。

 マリーツァは、駆け引きに勝ったことそれ自体よりも、彼が見せたその目に高揚感を覚えた。熱となってポッと彼女の体を温め、胸がワクワクとしてくる。

「うわぁ! 嬉しい! 本当に嬉しいわ! ありがとう!」

喜びの笑顔をいっぱいに広げてマリーツァは彼の手を揺さぶり、頬を染めた。これらは作ることなく自然にそうすることができた。

 尚も冷静さを保っている彼はステージの方に目を向け、表情を変えなかった。

「……ただし、人前ではよしてくれ。呼ぶのも、寄って来るのもな。仕事の邪魔だ」

「じゃあ、いつならいいの? こうしてこの店に来た時だけ?」

彼女がそう言うのを聞くと、今晩これからこの店を去って城の部屋に戻り、もし少しでも心が強くなっていれば、もうここに来ることはないだろうと思いながら彼は頷いた。

「わかった。それでもいい。待ってるわ。でも……見計らって、迷惑にならなそうな時は会いに行ってもいいでしょう? 絶対に邪魔はしないわ」

これにもまた、暫くして「好きにしろ」という返事がもらえたので、マリーツァは満足して微笑み、席を立った。

「……ありがとう。本当に嬉しいわ。きっと会いに行くから、その時はお兄様と呼ばせてね」

笑顔の彼女。無表情ながら、嫌そうではない彼。見守る人々は、どうやらこの二人がただならぬ関係にあるらしいと各々結論付けたのだった。

「私、そろそろ行かなきゃ。ずっと同じテーブルにいると、店の主人に怒られちゃうの。だから今日はこれでさよならね。でも、良かったらもう少し私の仕事を見ていってちょうだい。それに、今日はもう出番がないけれど、今度来てくれた時は、あなたの為に歌うわ。だからきっとまた来てね」

マリーツァは知らなかった。他の様々な言葉やシチュエーションは意識して作り出し武器としていたのだが、彼の心を今宵最も動かしたのは、最後に何気なく残した、その言葉だったということを。

 “あなたの為に歌う”この一言に。

 彼とソニアとの間に歌の繋がりがあることを知らなかった彼女は、もう一度滑らすようにして彼の手に触れ、微笑みながら立ち去った。そして、彼女を待つ幾多のテーブルへと向かっていった。

 暫し感傷的になり恍惚としていた彼は、窓の方に顔を向けて、涙を零しかねない自分の顔を誰にも見られないようにした。

 暗黒の大海に浮かぶ漁火のように見えた街の明かりに安らぎを求めて来た彼は、期待通りの慰めを得ていた。いや、期待以上に。驚くほどに。

 彼はそうして暫く身動きできなかったのだが、周辺のテーブルにいる者が彼女との関係を根掘り葉掘り訊こうと近づいて来る頃にはだいぶ落ち着いて、城の、あの暗い部屋に戻っていく勇気が得られていたのだった。

 ただ本当のところ、そんな力は、彼女の最初の歌を聴いた時

“深遠なる安息 あなたの為の”

既に得られていたのだということを、彼すら気づいていなかったのだった。

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