第4部29章『対面』3
そんな折、この数日間止まっていた皇帝軍の襲撃がまた始まった。しかもそれはアルファブラで、先日落とし損ねたグレナドを今度は別の部隊が襲撃しに来たのだった。
それは竜ばかりからなる部隊だった。鳥達が失敗したから、代わって竜がやって来たのだ。グレナドの民達は一気に震え上がった。先日のあの悲惨な攻撃からまだそれ程日数が経っていないのだ。やっと立て直したばかりの家々や、まだ修復途中の建物ばかりである。鳥よりもっとおそろしいものが来襲したものだから、人々は叫び、逃げ惑った。
城で防備に徹していたクレイオンも気持ちの悪い汗をかく。彼は、生まれて初めて竜というものを見たのだ。もう今回はフェリシテも隠れず、心配する母と祖母だけを先に避難させて、自分は城に残った。
しかし、この部隊は不思議なことに演出程度にしか街や城を破壊せず、暫く上空を旋回した後、主力は丘の上に建つパンザグロス邸へと向かい、そこで降下して屋敷を襲った。しかも破壊が目的ではなく、鱗の肌を持つトカゲ人間のようなものが衛兵をいとも簡単に振り払いながら屋敷に侵入して奪ったのは、二人の老夫婦だった。パンザグロス夫妻だ。
鱗人は夫妻を生け捕りにすると、辺り一帯に轟く声で『夫妻を助けたたくば、あの島まで来い』と告げると、夫妻を竜の上に乗せて部隊共々グレナドを去って行ったのだった。
お蔭で、と言うべきか、街も城も被害は大してなく、謎の襲撃部隊は早々に撤収してしまったのだった。
パンザグロス邸を守る衛兵たちは、この大失態を非常に恥じ、悔いた。城にもこのことは伝わったのだが、先の大戦の英雄が生家であるから、それで狙われたのではないかということになった。それなら、如何にもありそうなことだ。
鱗人が言った『あの島』とは何のことなのか誰にも解らず、よって誰も夫妻を助けに行くことができない。明らかに人質に取られた様子であるから、すぐに殺されることはないのであろうが、守る対象がいなくなった自警団は何とも手持無沙汰で、屋敷や財産などを警備するだけとなってしまった。もしこのまま夫妻が帰らぬ人となり、英雄アイアスまでが現れず時が経てば、彼等の仕事はなくなってしまうであろう。だから、その点でも戦々恐々とし、そして長年仕えた主に対する純粋な心配とで、警備兵達は酷く落ち込んだ。
しかし幸いなるかな、この拉致現場を彼が目撃していた。最初は城の方に向かってしまっていたので夫妻の拉致を止められなかったのだが、連れ去られる間際の言葉は確かに聞くことができた。だから彼には『あの島』が何処か、すぐに解ったのだった。ヴォルトは彼に向けてあのメッセージを発したのだ。
両親の誘拐だけが主目的の様子で、後は特に目立った破壊を行わずに部隊が去って行ったので、彼はグレナドのことは大丈夫であろうと見て出発し、ヴォルトと対面するべくイクレシア島に向かった。
島にいたのはヴォルトと両親だけで、その他に共の者は一切いなかった。一匹の竜も潜んではいない。自分が殺された場所に戻るというのは何とも奇妙な感覚であった。
以前にヴォルトを待っていた時の景色とは、少々変わってしまっている。同じように霧に覆われてはいるのだが、当時と比べて城は更に激しく損壊しているし、大地も所々が抉れていた。全て、サール=バラ=タンとの死闘によるものである。縁がそれらを覆って隠すにはまだ時間がかかるので、何処も彼処も傷跡が生々しかった。
彼が到着した時、まだ日は高く昇っていて、一面が天国のように白んでいた。両親は何もない叢に座らされており、特に拘束具などはなく、傷もつけられてはいなかった。ヴォルトは竜人姿のままで、すぐ側の石に腰かけている。倒れた城壁だ。
流星術によって彼が到着したのが解ったヴォルトは立ち上がり、構えもせずにゆったりと出迎えた。現れたマント姿の青年をジッと見て、両者共が何も言葉を発さずに暫く相手を観察し、その様を両親が怯えながら見守っていた。
「……アイアスか?」
そう問われ、青年よりも両親の方が驚く。今度は信じ難いような様子でマント姿の者ばかりを凝視した。彼は無言でマントもマスクも取り払い、そこに打ち捨てた。
そこにいるのは、旅立ったばかりのアイアスと寸分違わぬ若々しさで輝いている、彼等の息子そのままの人物であった。両親はあっと息を飲んだ。
「……そうです。ヴォルト、久しいですね」
そうではないかと疑っていた両親も、先日訪ねてきた謎の客人と同じ名で竜人が呼ばれているものだから、これがあの男なのだと悟った。
「お主に、一体何が起きているのだ?」
彼はヴォルトに向かって手を翳し、今暫く待つよう手振りで願った。
「……先に、父上と母上に挨拶をさせてください。もう二十年近く無沙汰にしていたので」
ヴォルトはチラリと両親に目をやり、「いいだろう」と二、三歩下がった。
彼はそこで驚愕のあまり呆然としている両親の前で跪き、頭を垂れた。
「……父上、母上、長い間、顔も見せずにおりましたことを……どうぞお許しください。訳あって只今このような姿をしておりますが、私はあなた方の息子、アイアスです。お二人を長い間支えることなしに自分の旅にばかりかまけておりまして、済みませんでした」
アルカディアスとヘレナムは感激で震え、涙を流し始めた。ヴォルトは親子の対面を邪魔せず、それなりに感慨深く見守っている。
両親は彼に手を伸ばし、彼も更に近づいて二人をいっぺんに抱いた。老いた父母の姿を間近で見ると申し訳なさが高まり、労しさがこみあげてくる。
「アイアス……!」
「ああ……やっと……本当に……!」
そうしてひとしきり再会の悦びを味わった後、アイアスは両親を宥めるようにしながら離れて立ち上がり、そしてヴォルトと向かい合った。
「……私の親に何もしないでください」
「……それは心配しなくていい。私の目的は、お主と話をすることだけだ。それが済めば共に帰るがいい。その後の戦の責任までは持てぬがな」
「わかりました」
そして彼は両親にも目を向け、全員に言った。
「どうして今、私がこのような姿なのかを私の親にも説明する必要があります。だから、その前のことから話をさせてください」
「よし、いいだろう」
彼は両親とヴォルトの間に立つようにして、両親を庇いながら話し始めた。両親は涙を流しながら、それを聞いた。
「……私は先日、皇帝軍のサール=バラ=タンという者とこの場所で戦い、殺されました。まだ、この大戦が起きる前のことです。私を倒して、それを契機に世界侵出を始めるのだと言っていました。残念ながら、ここで阻止することができなかったので……この大戦は起きてしまいました」
「殺された……?」
両親が不思議そうにしている。目の前で生きている人間が、自分はここで殺された、と言うのは何とも奇妙な話である。如何に呼び戻し術などがこの世にはあるとは言え、一般市民にとって俄かには信じられない話だ。
「サールは、どのようにお主を仕留めたのだ? 汚い手を使いはしなかったか?」
ヴォルトがそう訊く。本当に戦う気は一切ないようで、立ち姿はとても落ち着いていた。
「あれが汚いか汚くないかは皇帝軍の美意識にもよるだろうとは思いますが、この土地の霊魂を強力に呼び出して足枷とさせた上、球形牢魔法を作ってくれましたよ」
ヴォルトの眉間がピクリと動いた。
「ゴースト達に全身を拘束された状態で、彼の鎌に刺されました。ここをね」
彼は自分の右肩から首の付け根辺りを触って示した。
「あれで、てっきり死んだものと思っていました。記憶が途切れていますから」
「……その後は、何があった?」
「わかりません。こことは全く違う場所で、急に目が覚めました。子供の姿で」
両親もヴォルトも押し黙り、シーンとなった。他にもっと観客がいて、無言でこのやり取りを見守っているような、一種騒々しい沈黙だった。
同じ天使として、ヴォルトがこの現象に多大な興味を示していることは彼にも解る。つい自分に置き換えて考えてしまうことだろう。
皆がどの辺りを疑問に思うかは、先に経験している自分がよく解っているので、彼は続けた。
「そして、その時点では過去の記憶が全くありませんでした。だから当初は、そのあたりの村に住んでいるただの子供だと、自分のことを思っていたのです。ですが、徐々に過去の記憶から甦り始めました。パンザグロス家で育つ子供としての記憶が。だから私はまず、その場所を離れてアルファブラを目指しました。
日を追うごとに体はとても速いスピードで成長し、記憶の方も甦っていきました。その頃はまだあまりに幼い姿だったので、皆の前に出ても驚かせるだけだろうと思い、隠れていました。それで……会うのがこんなに遅れてしまいました。すみません、父上、母上」
彼はもう一度両親に頭を下げた。
「今では、記憶は全て甦って思い出しています。体の方はこの通りですが、放っておけばいずれ元の年齢くらいにまではなるのでしょう。ですが、どうしてこんなことが起きているのか、自分では全く解りません」
ヴォルトは己が口を手で覆って深く考え込んだ。知性と肉体的優秀さ、そして神秘性において他種族に一線を画しているこの竜人という者がここまで物事に驚嘆することは稀である。