第4部28章『炎の戦姫』17
身軽に宙を飛び回り、衝撃波から身をかわし追跡を避けるも、そろそろ力が尽きようとしている。
魔法を行う精神力とスタミナを充填できる秘薬は常に携帯しているのだが、激しい動きにも壊れたり零れたりしないよう特製のカプセルに封印しているので、それを悠長に取り出して解除する余裕はなかった。通常の戦闘であれば、もう少しその機会を得ることができるものだが、このような高速連続攻防に至るとは自分でも予想していなかったのが現状だ。
補助者のいる団体での戦と違い、一対一の決闘では己の短所がこのように浮き彫りとなってくる。こんなに自身の弱い部分を痛感させられる相手に遭うのも初めてと言っていいだろう。
奥の手がないわけではない。だが、それをするにも長い呪文詠唱が必要で、戦いながらそれをするのは賭けのようでもあるし、発動できたとしても、その後がまた危険であった。万全のコンディションで行ってようやく使いこなせる技だからだ。今この状態で試すには危険が過ぎる。
だが……やるか? あれを。
息を切らせ、激しく汗しながら彼女はそう迷った。そうしている内にも彼の動きについていけなくなり、次々と真空刃を受けて足がもつれ地に転がり、彼女はルークスに一撃の隙を与えてしまった。
ハッとして見上げた時には、もう彼が空中で最大奥義を放つべく鎌を振りかざしていた。そして神速で一気に空を切り裂く。この位置では盾を作るのはもう間に合わない。ヴァリーの息は止まった。この瞬間ばかりは、全ての動きがスローモーションに見える。
その時彼女は何かに突き飛ばされ、視界が暗くなった。
激しい攻撃の炸裂音が耳に突き刺さる。
死の恐怖が頭を過っていた彼女は、一瞬何が起きたのか解らなかったが、ふと気がつくと自分はまだ無事で床に俯せていた。起き上がってみると、何者かが自分の上に覆い被さっている。それで暗かったのだ。よく見れば、セルツァが彼女を守るようにそこで横たわっている。
「うっ……」
「―――――セルツァ⁈」
苦悶の表情で上半身を起こした彼は、背後で訝しげに立っているルークスに首を傾けて言った。
「……彼女を殺すな。ソニアは無事だったんだ……! 許してやってくれ……!」
彼の足はヴァリーの代わりにルークスの技を受けてズタズタに裂傷していた。治療しなければおそらく立ち上がることもできない。あれを直に浴びていたら、彼女は死んでいただろう。
なおもヴァリーの盾になろうとルークスに向かって手を翳すセルツァの姿を見て、ヴァリーは瞳を震わせた。胸が熱くなり、締め付けられる。
「セルツァ……」
セルツァのことをこの場の仲間と認めているルークスは攻撃の手を止めていたが、殺気を失うことなく、合点のいかない様子で彼を見下ろした。
「邪魔をするな。どこが無事なものか! 彼女の状態を見たろう? この女は彼女を殺すつもりだったんだぞ! 何時またソニアを狙うか知れない。ここで殺しておく。そこを退け!」
「お前の言いたいことは解る! だが……彼女がここに来てソニアにしたことの数々……それには確かに理由があるんだ! 簡単に許されることじゃないが……だからと言って、ここで彼女を殺せば、今度は彼女の一族が全員敵となってソニアを恨むことになる。新たな敵を作ってしまうんだ……! ソニアに復讐の手が伸びてくるだろう……! それを考えてくれ! ここで彼女を殺すのは、ソニアの為にも得策じゃない!」
「……」
「どうしても戦うと言うのなら、今度は私が相手だ!」
そんな恰好で何を言っているんだと嘲りたくなるような様だが、セルツァは本気そのものだった。
ルークスは彼と戦って負ける気などしなかったが、彼と戦うことをソニアが決して望むまい、ということが何より頭に上った。そう考えると、セルツァだけでなく、この女さえも殺さないようお人好しのソニアが願うだろうと思い、間違いないと確信する。だが、彼女の気持ちより何より、彼としては彼女の安全を最優先にしたい。そう考えているルークスは決して槍を握る手を緩められなかった。
ルークスの心情も解るセルツァは、同時にヴァリーの説得も試みた。
「ヴァリー……もう十分だろう? 郷に帰ってくれ。もう二度と彼女を襲おうとするな。――――うっ……」
「セルツァ!」
痛みに顔を引き攣らせた彼を案じ、ヴァリーは彼の胸に手で触れた。心臓の鼓動が伝わってくる。何とか苦々しくも開いた目で、セルツァは彼女に懇願した。
「頼む……!」
彼のあまりに真剣な眼差しに、ヴァリーは切なくなって瞳を伏せていき、そして瞼を閉じた。彼の必死さは、自分の為ではないのだ。
「……それは……全て、あの小娘を守る為かい?」
「君のことも案じているよ……! 君はダーク・エルフの大切な姫なんだ! 万一のことがあってはならない」
それも、身分上の問題だけということか。
「……そうかい」
ヴァリーはセルツァの下から身を起こし、すっくと立ち上がった。
セルツァはルークスの方に目を向け、彼がまた刃を向けないか注意して見ている。痛みを押して膝立ちになり、彼女が陰になるよう、腕を広げて盾となる意志を示した。ルークスは構えを解きはしなかったが、様子を窺うだけで武器は動かさなかった。
そして立ち上がったヴァリーとルークスは再びそこで睨み合った。炎に映える金髪と鋭い藍色の瞳が彼女の目に焼きついた。
「……お前、竜時間を使うという竜人の弟子だな? ……今度会う時は、必ずお前を屠る。再び決着をつけよう」
二人の視線には、火花散る熱い敵意が漲っていた。
だが、膝立ちになっているセルツァに目をやったヴァリーの表情はそっと沈んだ。そして顔を俯かせた。現れた時から戦闘体制で意気込んでいた勇姿からは一転して、その様はたおやかで女性的だった。真紅の髪は今は靡かず、ただ背に垂れている。
「……私はね、セルツァ……。あんたに……守護天使になってもらいたかったんだよ。……昔から」
「ヴァリー……」
セルツァは振り返り、彼女とほんの一時見つめ合った。
そうして一言だけしおらしい言葉を吐いたヴァリーは、凛と顔を上げると、獅子の威風を取り戻してもう一度だけ二人の顔を見た。
「確かに、彼女の可能性は十分に見させてもらった。私はこれで戻る。――――さらばだ!」
ヴァリーは流星呪文を唱え、その場で星となり、神殿内部から通路へ、そして通路を突き抜けて火山外へと飛び出し、彼方の地へと虹のような光の弧を描いて消えていった。
突然目の前を流星が通り過ぎていったから、アーサーとディスカスは降りかかってくる石片からソニアを庇い守りながら、流星が過ぎ去った後の入口を見ていた。
セルツァから急にソニアを頼まれ、セルツァはルークスを追って神殿内に入ってしまったものだから、アーサーは胸の内に抱く苦しみに蝕まれながらも、必死でソニアを抱えて傘にも盾にもなろうとしていた。その間に、ディスカスが持参していた数種の薬液で彼女を夢中で癒している。
徐々に回復したソニアは、意識をようやく取り戻していた。
「……アーサー……」
「大丈夫だからな! もうすぐここを出られるぞ!」
ソニアはそうして彼の腕に守られながらも、彼の傷の方を心配して、火傷を負った肌に手を伸ばした。二人共が、酷い火事に遭ったような姿になっている。ソニアは申し訳ない思いで、アーサーは切ない思いで、互いを見つめ合った。
噴火と神殿内部から放出された熱のせいで、ここもだいぶ高温になっており、今の二人にはいるだけでヒリヒリと全身が痛む環境だった。一刻も早くここから立ち去りたい。
「――――来たぞ!」
ディスカスの声に神殿入り口へ目を向けると、そこからセルツァとルークスが並んで出て来た。ルークスが肩を貸してセルツァを助けている。そのセルツァは両足にかなりの裂傷を負っており、それを庇いながらヨタヨタとやっとのことで歩いている。どうしてセルツァが足にそんな傷を負ったのかは、三人にはまるで解らなかった。
セルツァは立ち上がれる程度には魔法で治療していたが、最後の流星呪文とソニアの治療に余力を残しておきたかったので、自分のことはその程度に留めておいたのである。
介助されているとは言え、この場では彼がリーダーだった。
「待たせたな……! さあ行こう! 脱出だ!」
セルツァは手を差し出してソニアの手を握り、他三人はセルツァの腕に掴まった。五人は光となって集束し、一つの彗星になり、振動する通路を突き抜けてフレア・クラウンを脱した。そしてヴァリーが消えていった方角とは別の彼方へ、空を駆け消えていった。
フレア・クラウンの噴火は鎮火に向かい、噴出する溶岩の量は減っていた。やや粘性の高い溶岩は多量に北側の斜面を流れ覆い、山を赤く燃え上がらせている。これでまた少し山の形が変わることだろう。
南側斜面にある神殿入口には溶岩が流れず、この噴火の中でも口を開けていた。あとは自然に、山の機嫌が治まっていくのに任せるだけである。