第4部28章『炎の戦姫』15
封印に打ち勝ち扉は開封され、ゆっくりと左右に横滑りしながら内部を明らかにしていった。ほんの少し隙間が開いただけで激しい炎熱が溢れ出てきて、彼らを驚かせた。轟轟と炎が噴出し、彼らに襲いかかってくる。そのあまりの威力に圧倒され、四人は扉から一時離れて熱から逃れた。
信じ難いとばかりにアーサーは立ち尽くし、首を振った。
「この中にいるというのか……? まさか……⁈ 焼け死んじまう‼」
ディスカスもお手上げの状態で、この炎獄の中に飛び込んでいく術が見つからず途方に暮れ、腰を落とした。
ずっと魔法を使い続けていたセルツァにも、この炎を打ち消して助けに飛び込める程の余力は残っていなかった。首に下げたリングに手をかけてみるが、このコンディションで使うことはとても危険であり、かえって事態を悪くさせるものと断念し、彼も片膝をついて息を切らせた。
そして、この炎を瞳に映し凛と立つルークスを見やった。
「今、この中に入って行けるのは……おそらくお前だけだ……! お前のその鎧なら、この岩盤のようにヴァリーの炎を凌いで持ち堪えられるだろう……! ソニアを頼む……!」
その言葉が聞こえているのかいないのか、ルークスは返答も見向きもせずに炎めがけて走り出した。そして迷いや躊躇いを一切見せずに炎獄の中へと突っ込んでいった。すぐに炎が彼の姿を隠してしまう。
何もできないアーサーはその光景を見て、自分のあまりの非力さを痛感し、打ちひしがれ、虚しく拳で床石を叩いた。そして、ただひたすらに彼女の無事を祈った。
神殿内部に入ったルークスは、荒れ狂う炎の海を掻き分けてソニアの姿を探した。現場に立って初めて熱の激しさが判り、彼自身も本当にこんな所にソニアがいるのかと思ってしまう。彼の鎧はこうした炎熱の防御に優れており、体表を覆うようにして自動的に干渉バリアが張られているので、暫くであれば楽に持ち堪えることができるのだが、この高温ではあまり長くはいられそうになかった。
彼女が無事でいるのか、心が非常に急く。
見回しても、炎が激しいあまり視界を遮るので見通しが利かず、神殿内部の形状がつかめない。どれだけ広いのか、どちらが奥なのか、少し動き回っただけで今入って来た入口の方角すら解らなくなりそうだ。
必死で彼女の名前を呼んでみたが、爆炎の吹き上がる音で彼の声は掻き消されてしまい、なかなか通らなかった。
彼は、先日見たあの女神に祈った。どうか彼女が無事であり、自分が早く助けられるように、と。
すると、彼はこの空間の高い所に浮かんでいる人影を見つけた。直感で、それは彼女ではないと思ったが、それでも彼は目を凝らしてよく見てみた。果たしてそれはソニアではなく、あのダーク・エルフであった。
今は一切の炎を纏わず、無防備な様子で何処か一点をただ呆然と見つめている。この空間の炎は全て彼女の起こしたものだろうが、その熱気に煽られ真紅の長髪がなびく様は、どちらかというと翻弄されているような印象だ。
ルークスは、彼女が見ている方向に目をやった。炎の主であるヴァリーの状態がそのようであるから、炎も徐々に治まってきており、大きな炎が切れてその先の視界が広がると、その全貌が明らかになった。
信じられないことに、火山内部であるはずのこの空間が、闇の霧に包まれた世界と繋がっているのである。炎が豊富であるから照明には事欠かないので、それが単なる暗がりであるとか、黒い壁である、ということはないのがすぐに見て取れた。他の方向を見比べてみるが、三方は薄れた炎の隙間から壁が見えている。つまり、ある一方向だけに世界が広がっているのだ。
闇の霧の向こうに炎の光は届かず見えないが、この炎に負けず轟き響いてくる様々な音が、広がりと果てしなさを物語っていた。中には、彼が聴き慣れた魔物の声に近い雄叫びも混じっている。だからこそ確信できた。この向こうは、完全に別の世界なのだ。
そして何より戦慄を覚えるのは、明らかに他大多数の雄叫びよりも重く低く、声の主の巨大さを窺わせる唸り声が霧のすぐ向こうでしていて、こちらの様子を見ているらしい気配を感じることだった。これほど濃い闇でなければ、とうにその姿が見えているのだろうが、まだ影形すらつかめない。
ヴァリーはこの危機を先に察知して理解し、だからこそ、そこに呆然と浮かんでいるのだった。炎を生み出すことも忘れて全身から血の気が引き、代わって脂汗がどっと吹き出してくる。
目の前の世界が何であるか、彼女には解っていた。どうしてこんなことになったのか、未だに信じられない。
闇の向こうから、こちらの気配を探る者の視線をまだ感じる。
やがて、おそろしい声が響いてきた。
『空ヲ切リ裂イタノハ何者カ』
それは、かろうじて言葉として聞き取れるこの世ならぬ響きをしており、その超低音が地鳴りの如く神殿を揺るがせた。
ソニアを探さなければならないのだが、下手に動いてはならないことも感じており、ルークスはその場に固まったまま成り行きを見ていた。
暫く待っても返答のないことに苛立ったのか、闇の主が動作する空気の振動が起こり、暗黒の霧が揺れ蠢き波立った。そして二つの光るものがまず認められ、そうするとすぐにそれは暗黒の霧を押し破って姿を現した。闇の領域から出てくると、残る炎に照らされて、その姿をじっくりと拝めるようになる。
巨大な頭、巨大な角と牙。光っていたものは、赤々と燃える二つの目。古色のきいた銅製品のような金属的輝きを持つ鱗に覆われている。
あまりの大きさ故、首から上だけをここに出現させたそれは、目視できる部分だけで120~30ディーオスにはなる鋼鉄の竜であった。
下にいるルークスは炎の中にいて目立たず、その竜はまっすぐにヴァリーの姿を目で捉えた。
巨大な、赤銅色の鋼鉄竜。
ヴァリーは恒星のような熱い目に睨まれ、行き場を失い、身を固くした。この相手を怒らせたら、この神殿ごと自分は消されてしまうだろう。だが、どう対処すればいいのかも解らない。彼女の胸を、生まれて初めて“絶望”という名の恐怖が襲った。
『オマエカ』
声を上げることもできず、ヴァリーは錆びた人形のように、ぎこちなくただ首を何度か横に振って見せた。
苛立ちか怒りか、鋼鉄竜はグルグルと唸り声を上げ、大きな口の隙間から沸々と紅い炎を迸らせた。今しもその口を大きく広げて、星を燃やす炎を吐き出さんとしているような危うい振動が大神殿を襲い、活火山に刺激を与え、マグマが地の底から上昇を始めた。そして一気に噴火する。
ルークスはこの振動に耐えようと身を低くした。竜の威容に痺れ、その場を動くことはできず、その様を眺め続けた。これまでに数多の竜を見てきた彼でも、これ程の大物を目にするのは初めてだった。
やがて、鋼鉄の竜はふと何かに気づいて首を傾け、二つの世界を繋いでいる境界面の霧が窄まっていくのを見て取り、首を引き下げ始めた。
そして去り際に、空間の裂け目に横たわっていた者の姿を竜は認めた。
『……覚エテオコウ』
そして大竜の頭部は鼻先を最後に闇の中へと全て埋もれていき、消えてしまい、波打つ暗黒の霧も吸い込まれるようにして小さくなっていくと、やがて跡形もなく消滅したのだった。
闇の霧が消えた後のそこには、火成岩でビッシリと覆われた元の内壁が聳えていた。今や神殿内部の炎は殆ど下火になり、元からある照明以外は燃え尽きようとしている。だから全体が見渡せるようになった。
ヴァリーは危機が過ぎ去ったことで脱力し、ヘナヘナと海月の如く芯を欠いたように下降し、地に足が着いても神経が走っていないかのようにガクリと膝をついた。黄昏色の空間に染まり、まだ震えが止まらず脂汗が流れ出ている。それは彼女の頬を伝い、顎から滴り落ちていった。
噴火を続けるフレア・クラウンは激しく振動し、頑丈に補強されている神殿内部はともかく、ここに至る通路には亀裂が走り、パラパラと石の欠片が落下した。
大竜の威容にすっかり心奪われていたルークスはようやく第一の目的を思い出し、下火になった神殿の、ちょうど闇が口を開いていた壁際にソニアが倒れているのを発見した。息を飲んでルークスはすぐさま駆け寄った。彼女は力なく俯せている。鎧全体が炎の煤でくすんでいた。
触れると、まるで熱線のように高温になっている。抱き起して揺らしても首がグラグラと動くばかりで、彼女の反応はなかった。意識不明の状態だ。
ルークスは槍を置き、彼女の胸元に手を翳すと、僅かに残る魔法の力で治療呪文を唱えた。掌が仄かに白く輝くと、その光が霧となって彼女の体にスルスルと吸い込まれていく。そうすると火傷が幾分か軽くなり、肌の赤みが薄れた。
だが、すぐに魔法の力は尽きた。翳していた手から治療の力が放出できなくなると、彼は苦い顔をして舌打ちした。これでは全く不充分だ。
「う……」
しかし、これでようやくソニアが身動きし、口から声が漏れた。瞼がヒクヒクと動き、肩に力が入っていく。それで彼女が生きていると確かめられて彼は安堵し、今まで冷徹なまでに鋭く光っていた眼差しが、このほんの一時だけ柔らかくなった。
これでは依然として彼女は重体であるから、早くきちんとした治療を受けさせなければならない。ルークスは彼女を抱き上げ、地響きと揺れが襲う中でしっかりと立ち上がり、入口へと走った。