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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第7章
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第2部第7章『テクト城決戦』その5

 さすがの副長も、魔法の余力が残り少なくなってきて息を切らせていた。肩を揺すらせながら辺りを見回し、爆煙が退いた壁下に、瓦礫と共に人間が倒れているのを確認する。皆、グッタリと伸びていてピクリとも動かず、多くが血に塗れていた。

 リヴェイラは満足そうに笑み、機嫌良く杖を振り回した。ダイニモカスを受ければ、殆どの人間は死んでいるはずだ。

 『バル・ダムール』を使ったことが今になって堪えてきて、後2発ベル・フレイアが放てるかどうかという、彼としてはやや不安なコンディションになっていた。だから、煙がもっと退いて、そこに全員が倒れているのを目撃した時、彼は更に高く笑った。

「ハハハハハ!! ウナ! やはり所詮は人間よ!」

 彼は、色彩的にも見つけ易かったソニアをすぐに認め、うつ伏せに倒れている彼女の下へと歩いて行き、止めを刺そうと杖の柄に手を掛け、覆いを引き抜き、その下の隠し武器を露にした。そこにあるのはサーベルだった。ここで武器を使おうということが、彼が余力に気を遣っている表れでもあった。ソニアの首に狙いを定め、舌なめずりをする。

 すると突然、瀕死と思っていた彼女の体が一瞬で起き上がり、離していなかった剣を強く握り締めて、下から思い切り彼の腹部に剣を突き刺した。サーベル状の杖を掲げたまま、リヴェイラは目を剥いて固まった。

 ソニアは、以前の教訓からすぐに剣を引き抜いた。彼等の体が恐ろしく強靭であることを身をもって知っているので、抜く際には刃に捻りを入れ、より傷口を大きくした。一連の行動の間、彼女の顔は悲痛そのものだった。

 リヴェイラの傷口からドバッと血が流れ出、口からも2筋どす黒い血が垂れた。

 案の定、彼はすぐに歯を食い縛って気張り、傷口をみるみる筋肉で塞いで血を止めた。粗方止まったところで、彼は激しく息をついた。

「………………」 

リヴェイラは、自分の予想に反してまだ立ち続け、剣を構えていられるソニアの顔、体を見た。剣先からは彼の血が滴り落ちている。彼女の体は確かにボロボロで、鎧の破損も酷く、ダイニモカスを受けたことは事実のようだった。

「……ウ――――ナ……」

彼は悟った。彼女は、あの不思議な風による盾がなくても十分に強靭なのである。咄嗟の受身、鎧の強度、持てる肉体の鍛錬度。風ではない、自身のオーラによる衝撃の緩衝――――と、挙げたらキリのない要素の組み合わせなのだろうが、とにかく、ダイニモカスを受けただけでは致命傷にはならなかったのだ。

 しかし、重症であることに変わりはなかった。

 リヴェイラがふと気がつけば、同じくボロボロながらアーサーも手をつき、ゆっくりと立ち上がった。海竜の鱗が施されているソニアの鎧よりも近衛の鎧はズタボロになっていたが、彼にもまだ戦える力が残っていたのだ。

 リヴェイラは非常に気に入らない様子で左眉を吊り上げ、舌打ちした。

「……そこの男と君は同じ型の鎧に服……ということは、同じトライアの兵か。何ということだ……! 今まで見落とされていたが、テクトより重視すべきはトライアだったか……!」

「そうさ……! オレ達の国には守護天使がいるんだ……! お前等なんかに負けるもんか……! よく……覚えとけ……!」

 挑発するアーサーにリヴェイラが気を取られている間に、ソニアは剣を軽く振って血を落とし、徐々に肩や腰のパーツを外し始めた。床に落とされる度にガチャリと重い音が響く。次々落とされるパーツの音から、彼女がこれまで、どれくらいの重さを負って戦っていたのかを窺い知ることが出来た。革製の鎧など比べ物にならないだろう。

 リヴェイラは信じられないといった様子でそれを眺めた。

「まさか……素早く動く為にか? 外せば、この次はもっと酷いダメージを受けるぞ?」

「ああ、でも私は食らわない。この次はないからね」

 リヴェイラは苛立ちにピクリと口元を震わせ、眉も動いた。

 そして予告もなく杖を振り、宝玉から針のように細長い閃光を放った。

 ソニアはヒラリと避けて宙を舞った。壁に光の槍が突き刺さる。そしてリヴェイラの背後に軽やかに着地した。背面から突進してくるソニアに、振り向き様杖で応戦し、杖と剣とをぶつかり合わせた。血が止まったとは言え、腹部に裂傷があるとは思えない素早さと力だ。ソニアの方も、これまでのダメージからは信じられぬ身の軽さだったが。

「――――成る程。ダイニモカスを受けた体で鎧姿では思うように動けない。少しでも身軽になって、呪文を裂けようという訳か……!」

2人は同時に杖と剣を横に払って退いた。この間合いなら、彼が大呪文を放つ前に飛び込んで阻止できる。しかし、彼に追い詰められた色はまだなく、再び暗い笑みを浮かべて、嘲うように杖を左右に振った。

 突然、リヴェイラは四方に向かってキ―――――ッという金属的な声を発し、その怪音波を辺り一帯に響かせた。

 聞くに耐えない音に、ソニアもアーサーも顔を顰めて耳を塞いだ。ソニアはボンヤリとだが、アーサーには特にハッキリと聞き覚えがある音で、カドラスでの蝙蝠の大群が思い出されてゾッとした。

 間もなく、ドドドドという地鳴りが轟いてきて、それがこのホールに近づいて来るのが解った。

 大挙して入り込んで来たのは、魔物の群れだった。彼の怪音波は、将の位置を部下に知らせて召集をかける為のものだったのだ。数の勢いで遂に王城内にまで達して来た魔物達が、ここにも詰め掛けたのである。

 顔ぶれは、ここに辿り着き易い身軽な大型獣か、空飛ぶ種類のものばかりだ。強力な突破力でここまで来た巨大甲殻類から、虫類、鳥類に――――側近らしき3人の魔導士までいる。

 ナマクア大陸にはいない、その魔導士の姿にソニアはまたもや言葉を失った。人間から見れば魔物の一種類でしかないのだろうが、それは、かつて見知った者の姿によく似ていたのだ。蒼白い膚に紅い目。顔の隅々にまでよく浮き上がって見える血管の筋。頭の天辺から足元まですっぽりと被っているローブの色形に多少の違いこそあるが、それは――――――――――

 魔導士は主に寄り、口を開いた。これら軍勢の中で口が利ける者は少ない。

「リヴェイラ様、どうなさいましたか?」

 側近魔導士達は主の腹の傷に気づき、「おぉ」と声を漏らす。人間と同じ言葉で話す彼らは、どうやら元来こちらの世界に住まう魔物なのらしい。

 魔物達に囲まれて、アーサーは剣を翳しながらホールを見回し、冷や汗した。

「……何て数だ……!」

魔物の襲来に気づいて、他にも何人かが必死で身を起こしている。リヴェイラはそれが心底気に食わない様子で、もはや僅かな笑みも見せなくなっていた。

「……まだ他にも生きていた奴がいるとはな……! 気流の壁で、何とか奴等を庇ったな……?!」

ソニアは、彼には解らぬ理由でまだ瞳を震わせていたが、彼に向かって勇ましく火花を散らせた。

 リヴェイラは部下に命を与えた。

「――――ここにいる人間共を皆殺しにしろ! 1人たりとも逃がすな!」

魔導士や獣の首領格らしい者がギャアアと叫び、群れ全体に主の御下知を伝えた。それに応えて、一斉に唸り声や遠吠えがホールを満たし、壁をビリビリと震動させる。

 魔物達は、相手が人間であれば誰彼構わず牙剥き爪を立てて襲いかかった。瀕死の者達には到底凌げない過酷な戦闘である。

 ソニアは、王と姫を見つけてそこに向かった。王と姫はかろうじて意識はあるものの、とても逃げ出せる状態にはなく、満身創痍のデイルが必死で盾になっている状態だった。

 アーサーもそこに駆け付け、3人掛かりで王と姫を死守した。魔法の力に頼らないソニアの風がなければ、とても太刀打ちできない窮状だ。

 獣を弾き飛ばし、鳥を叩き落して、魔導士の魔法は逆に風で呑み込んで威力を増大させ、彼等に撥ね返し一掃した。

 こんな時に躊躇っている場合ではないのに、ソニアは魔導士に対する攻撃にどうしても尻込みしてしまい、他の者から先に片付けていった。

 その間に姫は王に治療呪文を施し、自分より先に回復させた。防壁となる戦士達にも呪文をかけようとするが、動きが激しくてとても施術できる環境ではない。

 戦いながら、ソニアはふいに悪寒を感じてリヴェイラをチラと見た。彼は将らしく、部下に戦いを任せて端からただ眺めているだけなのだが、その目に恐ろしい企みの光がギラリと輝いていた。冷酷無比な計算で、何かのタイミングを窺っている様子である。

 あまりの不気味さに、気になって度々そちらに目を向けると、何やらリヴェイラはゆっくりと杖を掲げて宝玉を光らせた。アメジストの中の渦が激しく乱れ、輝きを強めていく。

 ソニアは瞬間的に彼の意図に気づいたが、それがあまりに恐ろしいので信じられず、頭を振った。このように密集して大胆な動きを取り辛い状況では、どんな魔法攻撃も回避は難しいし、鎧のない今は幾ら風を駆使しても防御らしい防御はできない。

 ソニアの口は思わず「止めろ」と言っていた。リヴェイラは暗い目を細めて杖を振るった。

「――――――ダイニモカス!!」

リヴェイラは、残る全ての力を込めて破壊呪文を唱えた。杖先から紫色の球が膨らんで、一気に弾ける。術者の集中力によって、先程より格段に威力が上がっていた。

 特大の爆発で城の屋根にも壁にも亀裂が走り、壁はガラガラと崩れて吹き飛び、石積みの柱は折れて砕けてしまった。部下の魔物も全て巻き込んで、生ける者も既に死んだ者も皆吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。度重なる衝撃で、主城は半壊寸前だ。

 術者の周辺ばかりが無人のスペースとなってクレーターが出来上がり、黒煙、白煙が入り乱れてもんもんと立ち込める。

 爆音と激震の後の静けさは逆に煩いほどで、これが静寂なのかも判らぬほど、辺りは恐怖と苦痛と死に満たされていた。

 壁に空いた穴やテラスから吹き込んでくる風が徐々に煙を運んでいき、ホール内は薄っすらと破壊の様を明らかにしていったが、それでも、暫く煙は消え去らなかった。

 リヴェイラはガクリと片膝をつき、手をつき、大きく息を切らせて目を伏した。もはや彼も、魔法を行える集中力の一片も残ってはおらず、腹の傷も疼いて、思うようには動けなくなっていた。残された体力だけが僅かな頼みである。

 半死半生らしい魔物の哀しげな呻き声が幾つも聞こえる。彼は、一切の良心の呵責無しにそれを聞き、ただの音としか感じず、耳を通過させた。

 ようやくホールを見渡せるほどに煙が薄くなり、瓦礫と共に幾つもの体が転がり折り重なっているのが判った。

リヴェイラはヨロヨロと起き上がり、手近な所に転がっていた人間の魔術師を見つけて、側に寄った。そして息を切らせながら手を翳す。

「……サックル・スパイア」

リヴェイラは、このコンディションでも行える唯一の魔法を唱えた。それは、闇の魔術師にとっては呼吸のようなもので、魔法の発動に欠かせない神秘の力を他人から奪い取るというものである。

 ぐったりと横たわる魔術師の体から輝く紫色の霧が流れ出て、リヴェイラの掌から吸い込まれ、体内に融けていった。

「……ビート クロゲン……」

不充分なのか、彼は苦い顔で次なる補給源を探して、今度は部下の魔導士を見つけて側に寄って行った。

 瀕死の魔導士は蚊の鳴くような声で言った。

「だ……旦那…様……」

自分の身に起きたことが信じられない様子で、魔導士は主を見上げる。

 リヴェイラは全く取り合わずに手を翳し、力の吸引を始めた。魔力と生命力の関係が密接な魔導士は、リヴェイラに力を抜かれると目の光を失い、糸の切れた操り人形のようにグタリと伸びて動かなくなった。

 とりあえず、これで最低限の力を確保したリヴェイラは、改めて周囲を見回してニタリと笑みを浮かべた。我ながら恐ろしい威力だとでも言いたげな、悦に入った顔で低く低く笑う。大量虐殺に最適なこの破壊魔法がお好みの彼は、自らの嗜好を満足させる光景に胸を震わせた。

 そして、腰に下げた革のポーチから治療用の濃縮薬液を取り出し、口に含んで飲み下した。魔法が使えない者でも己を回復させられる代物は色々とあり、これは薬草や竜の骨の粉末などを長時間煮詰めて魔法で強化した、強壮効果のある治療回復薬である。このような物の研究が一番進んでいるのも、この『魔導大隊』だった。

 そうしてリヴェイラが自分の治療回復に夢中で何やらぶつくさと文句を言っている中、壁際で倒れているソニアは、自分の腕で抱きかかえるようにして庇い護ったロリア姫の無事を確かめていた。

「ソニア様……!」

お蔭で姫には意識があり、声も出せ、また、それを潜める必要があると状況判断ができる程に確かな精神を持っていた。

「……皆は……無事ですか……? 何とか壁を作ったのですが……」

位置的にホール全体を見渡せる体向きのロリア姫は、目だけでさっと辺りを見回す。

「……どうやら、半分以上手遅れのようです。……魔物達も沢山死んでいる」

ソニアは瞼を閉じて歯を食いしばった。魔物達の悲しい声が胸を締め付ける。歩き回るリヴェイラが魔物達に何かをしているのも、それが、部下達を回復させる為の行動ではない邪悪なものだということも、音だけで察していた。心の奥底からふつふつと怒りが込み上げて、今にも溶岩流となり噴出しそうだった。

 そんな中、姫の呼び掛けで、ソニアは怒りの海から一時這い上がった。

「ソニア様……あの男……呪文全般を使えるという訳ではないようです。今……そこで薬液を使って一生懸命回復しようとしているんです。治療呪文が使えたら、あんなことはしないはず……」

ソニアはじっと考えて、頭を動かさずに目だけで辺りを窺った。魔物達も一度に回復してしまうかもしれないが、命には代えられない方法がある。

「……姫、私が風を作ります。あなたは……あなたで出来る最高の治療呪文を、その風に向けて放って下さい。風が十分に強まってから」

姫の承諾の囁きを聞いてから、ソニアはグラつく頭で懸命に風の発生を念じた。自然風がホールに漂っていたが、その流れがゆっくりと変わって進路を変え、ホールを大きく一周するようになる。

 リヴェイラは、その風がまだ微弱だったので自然風だとしか思わず、風の多い日だと頭の端で考えながら、相変わらず回復する為の薬液や、固形治療薬(ヒール・ドロップ)を持つ部下を探し回った。いかに強い肉体とは言え、先程の傷口から微量ながら出血しており、早く治療しなければ命に関わるかもしれなかった。

 彼が風の奇妙さに気づいたのは、自軍において治療回復の道具を携帯する部下の少ないことに呆れ、ホール中央で溜め息をついた時だった。風が自分以外の、ホールの壁際だけをぐるぐると回っているのが解った。

「……アグラ メナ ジフォン……――――――?!」

 リヴェイラは倒れているソニアの背中に鋭い視線を向けた。

 彼が勘付いたのを感じたソニアは、関心を自分に引きつけて姫から注意を逸らせる為に立ち上がった。眼差しだけで、姫に死んだフリをするよう命じる。

 痛みと痺れに耐えながら、煤こけた体で立ち上がり、彼の方をゆっくりと振り向くソニアを見て、リヴェイラは思わず後退りしてしまった。

「何故だ……?! 何故、私のダイニモカスが君には効かない?!」

 ソニアは、豹が対決する時に敵と向かい合って円を描くように回る動作で姫から離れて行った。鎧無しで姫を庇ったソニアの体はボロボロで、腕を構えてもいられず、ただダランと垂らしている。彼に近づくフリをしながら、そうして姫から離れて行くうちに、風は強まっていった。

「……君は、不死身か……?!」

 ソニアは部屋の中央でテラスを背にして立ち止まり、ニヤリと笑った。その背後にいる被害者は少ない。万一彼が攻撃呪文を放っても、被害は最少になる。

 熱でやられた喉が焼け付くように痛いので、声を出すのは億劫だったが、更に感心を引く為に、ソニアは敢えて笑って見せた。

「……私だって人間だ。……不死身ではないさ。ただ……今度はもっと確実に出来たんだ。お前がダイニモカスをまたやるのが判ったから、間に合った」

 彼女は、ここでようやく周りを見る余裕ができた。姫の言うとおり、手遅れらしい者が確かに数人転がっているのが判る。ホールの床も壁も、爆発や閃熱ですっかり焼け焦げて今にも崩れそうになっており、カーテンやタペストリーなどは、とっくに燃え尽きて灰になっていた。口の中も煤の味で一杯だ。魔物達の亡骸や死に損ないもゴロゴロ転がっている。人間より、ずっと多いくらいだ。

 ソニアは顔を歪め、ハラリと一粒涙を零した。

「……何故こんなことを……?! ……殺すつもりで部下を使ったのか……?!」

リヴェイラは珍妙なものを見る目つきでソニアを眺めた。本当に、そんな発想に出会うのが初めてといった様子だ。

「…………何を言っている? まさか君は…こいつらに憐れみをかけているのかな……? ――――――こいつは驚いた!」

彼は頭を振って諸手を挙げ、大笑いをした。腹の刺し傷に響くだろうに、どうにも止められないようだった。

「こいつらは、主の作戦に役立ったのだ! 部下として本望なのではないかな? それとも君は――――――部下を優しく扱え、とでも? ハハハハ!」

ソニアは一歩一歩、少しずつ近づいて行った。一足毎に怒りと風が高まっていく。見知った者と同じ姿をしている魔物が蔑ろにされ、使い捨ての道具同然の扱いを受けているのは、あまりにも耐え難い光景だった。

「彼等は本心からお前に従っているのか……?! リヴェイラ! 汚らわしい技で操っているのではないか?!」

リヴェイラは嘲るような目で冷淡にソニアを見、フッと鼻で笑った。

「軍の統制を保つ為に持てる技を駆使するのは、将として当然のことではないかね? トライア国軍隊長殿」

ソニアは悔しさと憤怒でボロボロと灰色の涙を零し、その滴が煤こけた床に落ちた。滴の落ちた所が仄かに輝くが、あまりに小さくて、2人共それに気づかない。

 リヴェイラの方が若干マシではあるが、双方共ギリギリの状態で、立っているのがやっとだ。

 風はもう十分に強まったので、ソニアはなるべく2人に風がかからぬよう、ホール中心を無風に保って叫んだ。

「――――――今だ!!」

彼女の一声で、ロリア姫が呪文を唱えた。上半身を起こした姫の手から白い霧が放たれて輝き、風に乗っていく。ホール中を廻れば廻るほど光は強まり、真白な壁に囲まれた様になった。

 ソニアの目から零れる涙もその中に飛んで混じっていった。星屑のように小さな輝きがキラキラと瞬く。

 この風の意味を理解しているリヴェイラは、その中に飛び込もうとした。ソニアはすかさず力を振り絞って彼に飛びつき、共に床に倒れて霧の中へ入れさせまいとした。

「あの姫君は、君が庇っていたお蔭で無事だったという訳か……!!」

リヴェイラは、足にしがみ付くソニアを離れさせようとして何度も頭を蹴り、杖でも滅多打ちにした。それでもソニアは離さず、更に強い力で押さえ込んだので、彼はやっと補充したばかりの無け無しの魔法力で火炎呪文を放った。

「――――――離せぇっ!!」

ソニアはもはや防ぐことが出来ず、至近距離でまともに火炎を浴びて飛ばされた。

 彼は風の中に飛び込もうと立ち上がったが、彼女が攻撃を受けた為に風は既に掻き消えて、残風が切れ切れにそよぐだけだった。

「ゲッセマ……!!」

さすがのソニアも、もう危なかった。後たった1発のフレアでも受ければ命が危うい。

 回復できなかった苛立ちに任せてリヴェイラが彼女を攻撃しようとすると、次々に兵士が起き上がり、武器を構えるガチャガチャという音がして、そちらに気を取られた。瀕死であった者の多くが、大幅に回復して戦気を漲らせ、リヴェイラを睨み付けている。

「……くそぉっ……! 『ムー・ジャヒール』にまで高まったのか……!」

驚いたのはそれだけではなかった。部下である魔物の多くもムクムクと起き上がり、再び戦に加われそうな体力を取り戻したのだが、そのどれもが今までの殺気がなく、キョロキョロと辺りを見回し、中には怯えている者もいたのである。その現象はリヴェイラだけでなく、意識を取り戻した人間達にとっても驚きだった。

「――――――戦え!! 人間共を殺すのだ!!」

リヴェイラが号令を発しても魔物達は戸惑うばかりで、明らかに場違いな縄張りに入り込んだ者がそうするように、廊下やテラスから次々と逃げ出す者が続出した。彼は大いに面喰って目を丸くした。

 そして何と、中には将たる彼を恨みがましい目でジッと睨む不気味な者達もいた。

 彼は、もうまともに戦っては自分も危険であると見て、残量の乏しい力で霧迷いの魔法を放った。

「――――――ミスト!!」

杖先から霧がどっと溢れ出すと、みるみるホール中を包んでしまった。

 霧を吸ってしまった兵士や魔物達は、神経に異常を起こして幻を見たり、上下感覚が分からなくなったりして倒れてしまい、闇雲に攻撃を始めた。放っておけば自滅してしまう。

 アーサーは戦い慣れしていたのと、予てからソニアに霧迷いの術の対処法を聞いていたお蔭で冷静に振舞い、目を瞑り呼吸を抑えて端に寄り、ジッとしていた。

 また風が起こった。等級的に低い霧は風に押し流されてテラスから外に流れ出て行ってしまい、ホールはスッキリと晴れた。

 リヴェイラは、もう惑うことなくその原因がソニアだと見抜いた。上半身だけどうにか起こしたソニアがそこで風を起こし、彼を睨んでいる。

 あまりの苛立ちに彼は杖をフルフルとヒステリックに震わせて牙を剥いた。

「今度こそ殺してやる!!」

風が強く吹きつけ、ホール中を駆け巡った。これが最後の攻防と覚悟して、ソニアもぐっと目を見開いた。もう体は動かず、何も出来ない。

 兵士もアーサーも走り寄ろうとするが、その多くが霧の毒に冒された影響を残したままで、まともに走れず、アーサーも間に合いそうにはなかった。

「ソニア――――――っ!!」

「――――――フレア!!」

ソニアは杖先の閃光を見て目を瞑り、項垂れた。いよいよダメかと思った。

 その時浮かんだのは微笑む(アイアス)の姿で、彼に会えぬまま終わることが切なくてならなかった。

 炎の炸裂する音がしたが、熱風は届いてこない。もう、自分は死んで感覚を失っているのか?

 ソニアは驚き目を開けた。

 目の前に、大きな何かが下りて壁になっている。巨大な甲殻類のハサミだ。付け根を辿って見ていくと、それは巨大甲殻類、大蠍(スカルピア)だった。

 アーサーも思わず立ち止まり、リヴェイラも目を剥いて固まってしまった。

 大蠍が、彼の行く手を塞いで睨み付けている。逃げなかった魔物の一匹だ。いかに甲羅の体が丈夫でも、ダイニモカスの衝撃を重く受けてしまう重量があるから、回復した後とは言え、体の所々が兵士の鎧並みに傷んでガタがきている。だが、それをまるで問題にせずに大蠍はそこにいた。

 違うと解っているのに、ソニアはそこに、かつての友の面影を見出して涙した。

 そして確証はないのだが、つい先日発生した森での戦闘を見ていたトライア兵の幾人かと彼女は、この大蠍を、あの時彼女に殺されず見逃された者なのではないかと思った。

「何だ貴様は……!! この私に歯向かうというのか……?! そこを退け!! 退かんと貴様も一緒に殺すぞ!!」

リヴェイラは、大蠍相手に呪文を使うのは浪費と考えてサーベルの方で構え、素早く関節部分の弱点を狙って攻撃した。大蠍は手を振り、足を振り、尾の毒針で応戦するが、さすがのヌスフェラートはこの状態でも優秀な身体能力を見せて、足の腱を1本ずつ斬っていった。その度に大蠍は叫びを上げる。他の魔物も攻撃に加わろうとするが、入り込む隙がなかった。

「やめろ……! やめろ……!」

その叫びを聞くに耐えないソニアは声を張り上げたが、何も出来ず、大蠍はまともに逃げられない姿になって床に崩れてしまった。

 リヴェイラはその上に乗って巨体を見下ろし、歯をギリリと軋らせ、吐き捨てるように言った。

「手を煩わせやがって……!」

この不思議な光景に人間達は少しも手が出せず、彼等がそうして戦う間にアーサーがソニアを抱えて壁際にまで離れ、自分が盾となるよう守った。

 ソニアが何故こんなにも泣くのか彼には解らなかったが、背後のソニアが成り行きを見ようとして彼を退けさせようとすると、その通りにしない訳にいかなかった。

 リヴェイラは大蠍頭部の甲羅と甲羅の隙間、人間で言うなら眉間に当たる部分にサーベルを当てて、一気に突き刺した。大蠍の絶叫が響き、ソニアの胸が破れそうになる。円らな黒い目がダラリと落ちていく時、自分の方を見ていたような気がしてソニアはその目ばかりを見ていた。

 リヴェイラはサーベルを抜くと、ペッと唾を吐きかけた。

「やっと死んだか……! 愚か者め……!」

そしてヒラリと巨体から降りて、当初の目的に戻った。

「これで最後だ! せいぜい部下に慈悲をかけながら死ぬがいい!」

 アーサーはリヴェイラに飛び掛かっていった。兵士達もそれに続く。剣とサーベルがぶつかり合い、払われて応酬が続き、数で彼を圧倒する。

 しかし、他の兵士は次々とサーベルに突かれ弾かれて倒れ、数を減らしていった。全く、ヌスフェラートの肉体の強靭さには驚くばかりであった。

 満足な体でないとは言え、アーサーは流れるような動きでよく戦ったが、この兵が中でも重要な戦力と見たリヴェイラは、判断してさっと持ち手を変え、杖側を彼に向けると、至近距離で火炎をぶつけた。アーサーは吹き飛ばされて壁に衝突し、ずり落ちた。そこにサーベルが投げつけられ、アーサーの肩に刺さった。苦痛の呻きが漏れる。

「忌々しい……! 実に忌々しい……! この国でこれほど難儀するとは思わなかったぞ……! それもこれも……全てお前達の為だ……! 次は必ずトライアを滅ぼしてやる……!」

 リヴェイラは壁で串刺しになっているアーサーの下へツカツカと歩み寄り、彼の体に乱暴に脚を掛けてサーベルを抜いた。

 アーサーは吹き飛ばされた衝撃で剣を落としており、腰から抜き出した短剣を頼みにリヴェイラに斬りかかった。利き腕の肩を貫かれた後で、反対の左手で短剣を振り回しても結果は見えており、難無く彼は逆の肩まで刺されて床に倒れた。

 ソニアはもう動けまいと踏んでいたリヴェイラは全く彼女の方を見ずに、まずはこの男を倒すことに専念していたが、無視しているその傍らでは、白い獣に火が灯っていた。

 ソニアはあまりの苦痛と哀しみと憤激に、自分が炎そのものになったように感じて、その熱の力で陽炎の様に起き上がることが出来た。純粋なる怒りと、邪悪なる者を退けたい一心の涙が零れ、小さな 星屑のようにハラハラと宙を舞い、輝いた。

 リヴェイラはサーベルを振り上げてアーサーを踏みつけにし、背面から心臓を突き刺そうと狙いを定めた。着用している鎧はもうボロボロで、そこに穴が開いているのだ。

「――――人間の男如きが私に刃を向けようとは! 己の愚かさを思い知れ!」

サーベルを振り下ろそうとした時、その手をほんの一瞬の早業で何者かに打たれ、サーベルを奪われ、リヴェイラはギョッとして、すぐそこに立つ、怒りに燃える星を見た。立つはずがないと思っていたソニアがそこにいて、髪を青い炎のように揺らめき立たせている。

「……去れ……! 悪魔……!」

ソニアは杖の宝玉の方を突きつけていた。奪った時の持ち手をそのままにしているだけで、特に意図はなかったのだが、その宝玉がふいに激しく輝き出したのでリヴェイラは慄いた。

「――――――去れ――――――――っ!!」

ソニアは杖を振り上げ、ただの武器としてそれをリヴェイラに打ちつけた。彼は寸でのところで身をかわした。アーサーも顔を上げ、その様を見ている。

 何もない空を過った杖だったが、宝玉が閃いて中から何かが飛び出し、爆発的に膨らみ広がった。ソニアの光る涙を含んだ為か、手にした者のエネルギーの故か解らなかったが、膨張する何かは白い輝きを伴って四方に拡大していった。

 それは巨大な魔方陣だった。

 膨らんだ光は城を呑み、城塞都市を呑み、森を走って、リヴェイラが入城する前に仕掛けた魔方陣より大きく広がり『バル・ダムール』を呑み込んで打ち消し、白い輝きに変えて、一帯を光の中に埋めていった。大きな地鳴りと震動が城を襲い、魔方陣は城塞の外5メカディーオス四方にまで達し、森ごとこの都市を覆った。

 全てが終わり、余韻の震動と音が僅かに残るだけとなると、何かが変化したことに皆が気づいた。今まで城を覆っていた、禍々しく重い空気がなくなり、それが清々しくて心地良いものに変わったのだ。今まで枷をされた様に重く感じていた体も少し軽くなったようだし、怪我の痛みも若干引いたようだった。

 生き残っていた王も、姫も、幹部も、兵士も、その様をしかと見届けた。

 杖先の宝玉の光が萎んで消えていくのと共にソニアの力も抜けていき、ガクリと倒れてしまった。アーサーが、負傷した肩をものともせずに腕を伸ばして彼女を抱き留めた。意識はあり、彼の呼び掛けにソニアは目を開いて、敵の姿を探す。アーサーもリヴェイラを見た。

 彼は、空気が変わった瞬間からガックリ力を落として、明らかに弱っていた。腹の傷が開いたらしく、血が多く流れ出ている。ヨロヨロとフラつきながら、信じられぬ様子で己が両の手を見つめた。

「……ゲッセ……マ……こんなことが……この体が……」

 もはや哀れを誘うほどに萎んで弱々しい姿と成り果てたリヴェイラは、複数の唸り声に気づいた。そこには、ソロソロと近づいて来るキラー・パンサーと大蟷螂がいる。

 声を上げる間もなく、キラー・パンサーが我先にと突進して彼の胸を切り裂き、血を吹き上がらせた。間髪入れずに、その次には大蟷螂が目にも止まらぬ速さで自慢の鎌を振るう。

 鋭い鎌の一旋で悪魔の首はスッパリと斬り落とされ、あっけなく床に転がった。暫く立っていた体もゆっくりと倒れていき、そしてドサリと床に崩れた。

 魔物がその屍に寄って集って噛み付き、斬り裂き、砕いて、二目と見られぬ再生不能な肉の塊へと将を変えていった。

 そして恨み晴れ、成すべき事がなくなった魔物達はふいに殺気も失せ、ただの獣になってウロウロと周りを見回した挙句、人間に特に関心を示すことも傷つけることもなく、テラスから去って行ってしまったのだった。

 悪魔の恐ろしい最期に、皆は固まったままで言葉が出ず、その場で長いことその肉片ばかりを見ていた。

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