第4部28章『炎の戦姫』12
炎に包まれた森の中では、アーサー、ルークス、ディスカスの3人が崖の上で火の手を避けていた。ディスカスは炎を浴びはしたものの、飛翔できるのですぐにここに来て避難できた為、火傷は殆ど負っていない。しかし、人型に化ける力は十分ではなく、体のあちこちから暗黒の霧を吹き出しては吸い込んでいた。頭髪は闇色の蛇に戻ってしまっている。
ルークスは元々ここにいたし、装備している鎧が防備に優れているから、全くの無傷であった。
一番ダメージを受けているのは、最もソニアに近い所で戦っていたアーサーだった。彼には魔法の飛翔能力もなければ、魔力を秘めた強力な鎧もない。ただの平凡な装備の人間なのだ。荒れ狂う海のように押し寄せてきた炎に巻かれ、必死で崖を這い上がってきた時には全身に火傷を負ってしまっていた。体力には自信のある彼であるが、火炎呪文の最高レベルを喰らったようなこのダメージには相当応えており、安全な所に来た今は膝を折って地に手をついたまま、立ち上がれなくなっていた。
人化しているだけのディスカスはともかく、人間の男に興味のないルークスは彼を無視し、ソニアが無事に逃れたのかを知ろうと空を見回した。下から押し寄せる熱気が彼の金髪を掻き上げていき、火の粉が天に帰ろうと舞い上がっていく。この光景は、彼にとって忌まわしい思い出に結びつき易かった。
その火の粉が舞い踊る炎の海を突き抜けて燕のように飛び込んできたのは、顔面蒼白のセルツァだった。
「――――無事か⁈」
この通りだとばかりに、皆は無言で視線を合わせた。よし、と言うようにセルツァも頷く。
「ソニアは、この地帯が戦場にならぬよう、自ら挑戦を受けて行ってしまった!」
「何⁈」
「どうして行かせたんだ!」
皆は一様に彼を責め、喰らいつくように迫った。
「場所は大体解っているから、これからすぐに後を追う! そこで、オレ一人より数は多い方がいいから協力を願いたい! 来てくれるか?」
三人共が勿論だ、と息巻いた。
「早く行こう! ソニア様が危ない!」
「あの女は一体何なんだ?」
「それは後で説明する。今は時間がない。……ん?」
ディスカスとルークスがセルツァのすぐ側に寄る中、アーサーだけが立ち上がりに遅く、そこでヨロヨロとしているのを見て、セルツァは懸念した。
「お前……大丈夫なのか?」
アーサーは顔を顰めながら痛みに耐え、苦しそうな声を吐き出した。
「いいから……さっさと行こう! 連れてってくれ……!」
先日の事件に自分だけが取り残されていたアーサーは、今度こそ現場にいたいという強い思いでセルツァに迫った。
彼の意気込みを見て取ったセルツァは、彼の体調を気遣いつつも頷き、三人の前に腕を差し出した。拳を作っているその腕に三人それぞれが手を伸ばし、しっかりと掴む。そして皆で目を合わせた。
セルツァは流星呪文を発動させ、四人一緒に光となり浮き上がると、東の空目掛けて飛び立ち、彗星の如く青白い炎の尾を引いて彼方へと消えていった。
中央大陸ガラマンジャ東端、元ラングレア王国領。三大都市の内の二つ、ロレアンとグレンブークに挟まれた大山脈グラステアは、山地の多いこの国を代表する険しい連峰である。もう少し北に行けばヴィア・セラーゴとなるここは山脈によって繋がっており、刃先のような鋭い山並みはヴィア・セラーゴにも劣らなかった。
そしてここは世界有数の火山帯でもあり、活火山・死火山両方を合わせて総計17の火山が連なり、旅人の行く手を阻んでいた。その中で最も活発な火山であるスモーキー・アンクル、フレア・クラウン、レディ・ドラクルと呼ばれる三つの山は、この数百年ずっと噴煙を上げ続けている。
そのフレア・クラウンの中腹、徒では到底踏み込めないような斜度の高い山肌に石造りの巨大な門があり、口を開いていた。空から飛んで来なければ出入りのできない造りだ。その門から先に通路が続き、中心に到ると、内部は驚くほど広い空洞になっており、そこに大神殿が築かれていた。
神殿内部の壁面には総て石板が嵌め込まれ、キラキラと輝いている。中央には巨大な穴が開いており、天井にもまた同じ大きさの穴が開いて空にまで伸びていた。空に続くその口は噴火口へと繋がっており、床に開いている穴を覗き込めば、その遥か下方で噴出の時を待ちあぐねているマグマが煮え滾っていた。どちらの口も石板によって美しく装飾されている。床の口を取り囲む三体の大きな彫刻は蛇の形をしており、マグマを覗き込んでいた。それぞれの目には黒曜石が嵌め込まれ、炎を映して赤々と照り輝いている。
神殿内はあらゆる箇所で惜しみなく炎が焚かれており、夕暮れ時の乾いた空のように黄昏色に染まって、光沢のある黒いものが黄金のようにも見えた。
一つの星が門から中に入り、長い通路を経てこの神殿内部に入ると、通路と神殿とを分かつぶ厚い扉が閉じられた。そして神殿内部の、マグマに繋がる穴の内壁がゆっくりと円筒形のまませり上がってきて上昇し、真上にある火口への穴に接続した。しっかりと隙間なく繋がり、例えこのまま溶岩が上がってきても、この空間には漏れ出ないようになる。これで内部は完全な密閉空間となった。
星は床に降り立つと光を落とし、元の姿に戻ると、そこにソニアとヴァリーが立っていた。
ヴァリーは少々距離を置き、浮遊するのをやめて黒い火成岩を敷き詰めた床を右に左にと猫のように徘徊し、改めてソニアを値踏みした。火成岩の床は鏡のように炎を映している。ソニアの方はヴァリーだけでなく、見知らぬこの神殿にも注意を向けねばならず、辺りを見回した。
「……ここは何処なの?」
神殿内部は火山熱と焚かれる炎とで焼けつくように熱い。こんな密閉された空間でこんなに火を焚いて酸欠にならないのかと思ってしまう。
ソニアの問いを聞いたヴァリーは改めて腕を前に組み、目を細めて蔑んだ。
「そなた……本当に何も知らぬのだな。……全く、何と馬鹿げたことだ」
フレアクラウン山の内部がすっかり空洞化してできているこの空間は、球を上下に軽く押し潰したような形状をしており、床と壁の明確な境界がない。また、天井と壁の境界もない。一番高さのある中央部分では150ディーオス(約120m)ぐらいはありそうで、一番広い所ではその半径が100ディーオス(約80m)はあると思われる。中央にそそり立つ巨大な柱も含め、すべての部分に黒い火成岩がびっしりと嵌め込まれていた。よく見るとどれもが六角形をしており、よく磨かれて鏡のような光沢をもっている。そして何か不思議な力がこもっているらしく、足からビリビリと妙な緊張感が伝わってきた。
「……ここは、我らダーク・エルフ族の地上における神殿だ。火精を崇め奉っている。全ての出入り口は塞いだ。これで誰も邪魔は入らない。そして……逃げ出すことも、もはやできないぞ」
ヴァリーの周囲を陽炎が揺らめき立ち上った。戦闘態勢に入りかけたのを見て、ソニアは慌てて手を突き出しストップをかけた。
「――――待って! 戦う前に、この戦いの理由を教えて! 何も解らずにただ戦うなんて、そんなことできない!」
陽炎の高まりをそこで留め、ヴァリーはまた目を細める。紅色の長髪が靡き、しなやかに波打った。炎に踊る蛇のようだ。
足元で大地が活動する低音は始終しているが、それ以外は静かな空間であるから、ソニアの悲痛な叫びは神殿内部に反響した。
「……哀れだな。そなた、本当に何も知らされずに……ただ利用されているだけなのか」
目の前の敵があまりに小さいから、ヴァリーは構えを緩め、四方八方に飛ばしていた刃のような闘気を一旦収めた。だが、その瞳の中で燃える憎悪の炎だけはそのままだった。
「……いいだろう。そこまで知らないのであれば、教えてから始める方が礼儀のようだ。もう邪魔は入らないしな。時間はある。――――私の名はヴァリアルドルマンダ。ダーク・エルフ族、族長フレアルマンダの嫡孫だ」
「……ダーク……エルフ族?」
「やれやれ……エルフ族のことまで講義しなければならないのかい」
言葉をいちいち解せずにソニアが目を丸くしているものだから、ヴァリーは呆れて大袈裟に溜め息をつき、皮肉っぽく口元を攣らせた。
「セルツァがいたのに、あいつから何も聞いていないのか?」
「私……自分がエルフの子だと知ったのはつい最近で、殆ど何も知らないんだ。セルツァからゆっくりと話を聞く時間もなかったし」
「クソ……! 奴らめ、何て勇み足なんだ! 本人がこれで、どうする気だったんだ!」
ヴァリーはしばし怒りの矛先をハイ・エルフ族全体に向けて視線を逸らしたが、すぐに集束させてソニアを睨んだ。
「エルフ族というのはな、お前のようなハイ・エルフ族を含め四つの種族がある。我らがダーク・エルフ族、そしてワー・エルフ族とエイシェント・エルフ族だ。この地上世界を本拠地にするお前たちハイ・エルフ族を除いて、他三族は全て地下世界の方に住まっている。この神殿のように、地上における神殿は各々所有しているがな。……まぁ、これは余談だ」
いずれも、ソニアが初めて耳にする言葉や事実ばかりだった。
「とにかく、そえぞれの一族にはいずれ長となり跡を継ぐ者が定められていて、私がそうであり……お前もそうなのだよ」
「跡を……継ぐ……? ハイ・エルフの? 私が……エアルダイン様の孫だから?」
驚きの話だった。だって、村を訪れたのはついこの間のことであるし、その時は《きっと血を引いているだろう》と認めてもらえただけで、何も明かされずに送り出されたのだ。村に住まぬかという誘いは受けたが、それは同じ血を引くであろう一族としてのことであって、目的のあるソニアは穏便に断り、エアルダインもまたそれを認めてソニアの生き方を尊重してくれたのだ。
それが、実はエアルダインの孫だと知ったのはポピアンと共にエングレゴールの宮殿に連れ去られ、ゲオルグとの一件があって真実が明るみに出たからだ。そんなことがなければ、ポピアンはずっと秘密にしていたことだろう。何故か、隠し続けるよう命を受けていたらしいから。その結果がこれなのだとしたら、ソニアとしては些か信じ難い。
呆然としているソニアを眺めながら、ヴァリーは紅色の髪を優雅に弄った。肩から腕へ、そして指先へと滑らせ、掌に乗せるとフッと息を吹きかける。退屈だから早く済ませましょうよ、というような仕草をこうして色々して見せて嘲り続け、ヴァリーはクスクスと笑った。
「そーう。そういうこと。良かった。それくらいは知っていたのかい。お前は、ハイ・エルフ族の未来を担う者として、つい先日エルフ界に存在を公表されたばかりなんだよ。私はね……それが気に食わないのさ!」
「そんな……私……何も聞いていない……」
「ハハハハ! これだものな! お前も相当、同情されるべき立場のようだよ!」
本当なのだとしたら、内緒にされていたことは勿論ショックであるが、それ抜きでもソニアには理解できないところがあった。自分の感覚とエルフの感覚ではかなりのズレがあるのではないかと思ってしまう。
「そうだとして……私が後継者だと発表されたのだとして……どうしてそれが、違う一族である、あなたをそんなに怒らせることになるの?」
ヴァリーの笑みが消え、その面には憎しさだけが際立った。
「……お前がハイ・エルフの代表となり、同時にウージェン代行者候補にもなるからだ」
「……ウージェン……代行者……?」
「そこまで説明してやる気はないよ。お前の一族は、この土壇場までお前の存在を明かさなかった。それだけでも十分に汚いことだ……! 知っていようといまいと、その代償としてお前は我らの見極めに応じてもらう! 代表となるのに相応しいか、お前と戦い、全ての力を見せてもらおう! それができるまで、この神殿からは出さない!」
ヴァリーの周囲を取り巻く陽炎がカッと強さを増した。
ソニアとしてはまだ何も納得がいっていないのだが、ヴァリーの方では言うべきことを言ったと決めて戦闘態勢に入ってしまった。こうなったら、最早それに応じるしかない。ソニアは精霊の剣を鞘から抜いて構え、風で己を包んで護りの盾とした。