第4部28章『炎の戦姫』10
もう止められない2人の魔法は同時に繰り出された。ヴァリーは腕を突き出し、セルツァは杖を振り上げる。紅の光球と青い光球は流星のように宙を飛び、中間地点で正面衝突した。ぶつかり合ったそれは火炎魔法と氷炎魔法を集束させた星で、熱と冷気の衝突によって激しい閃光と爆発が発生し、辺り一帯を地響きが轟いていった。
同時にセルツァが作り出した障壁とソニアが送り出した風によって、皆は守られた。魔法の第一波は相殺された。
しかし安心する間もなく、爆煙の向こうから更なる光球の攻撃が続き、襲いかかる。
セルツァは障壁を保ったまま、杖持たぬ方の手でも魔方陣を描き、もう一枚氷炎の盾を作ってその攻撃を凌いだ。
相次ぐ爆発の光と音。煙は、何が起きているのか解らぬ城下街の人々を恐怖で震え上がらせた。元はただの堤防決壊だったのに、どうしてこんな爆発が街を襲っているのか全く理解できない。そうなると、遂に皇帝軍の手が伸びてきたのではないかと誰しもが思い、ますます混乱を生じさせた。
森から黒煙がもうもうと上がり、煙に巻かれたソニア達はまるで周りが見えず、緩衝用として起こしている風で徐々に煙を払い除けていった。
セルツァは一時も呪文詠唱を止めておらず、煙が晴れて姿が明らかになったヴァリーの方も詠唱を続けており、彼女の周囲には今尚10数個の光球が浮かび、燃え上がっていた。
この状況をセルツァに説明してもらいたいのだが、彼は戦いに夢中で、そんな余裕が全く見受けられない。そこで、ソニアは身を乗り出して叫んだ。
「――――どうして、あなたは私と戦いたいの⁈」
ヴァリーはソニアに一瞥しただけで、その問いには答えず、彼女の方も詠唱に専念した。
紅の光球は太陽のように大きくなり、ヴァリーの腕の振りで怒涛のように一気に降り注いできた。多方向からの光球炸裂によって、ドーム型に張ったセルツァの障壁でも完全には防げず、僅かに漏れ入った炎が彼を襲った。彼は苦い顔でその傷みに耐えた。
攻撃があまりに激しいものだから、誰もこのドームから出て行動を起こすような隙ができない。アーサーもディスカスも今はひたすら防戦をセルツァに任せ、自分達はソニアを囲んだ。
納得できないソニアは、意味の見出せないこの戦いをハラハラと見守り、セルツァが酷い怪我を負わぬよう祈った。
「――――おどき! セルツァ! 私が戦いたいのは、お前ではなくその娘だ!」
ヴァリーが叫んで攻撃を一時的に止め、声が通るようになったので、セルツァは背後の3人に向かって振り返らずに言った。杖先の宝玉は光を保って臨戦体勢を取り続けている。
「逃げてくれ、ソニア。彼女はここで私が抑える。ディスカス、ソニアを連れてこの場から離れてくれ。ほとぼりが冷めるまでは何処かに隠れていろ」
ソニアは真っ向から拒否した。
「どうして⁈ ここは街に近いのよ⁈ 理由も知らずに逃げるなんて、できないわ!」
「彼女の狙いは君だけなんだ。君がいなくなれば、彼女もここから離れる!」
「でも、戻ったらまたやって来るんでしょう⁈」
「……ここで彼女を説得できなければな」
セルツァは手法を変えるべく、杖を横向きに突き出して両手で掴んだ。宝玉が一層輝きを増して不思議な和音を放つ。
「君がいなければ、オレは守りから攻めに転じられる! どうか早く離れてくれ!」
ディスカスがむんずとソニアの片腕を掴んだ。彼の体はまだ半身が崖の地層に沈んでいる状態だ。見えない左半身がどのようなことになっているのか、まるで見当もつかない。
「行きましょう。ここは彼に任せて。私がお守りします」
「行くんだ! ソニア」
アーサーと2人がかりでそう言われ、ソニアは戸惑った。
こうしている間にも、セルツァは再び始まった炎球の攻撃から彼女達を守っていた。術者本人だけでなく、一度に多数を守れる防御陣を即席で張り続けることの困難さはソニアにもよく解っている。石の壁や木の壁と同じで、衝撃を受ければその都度ヒビが入るようにして障壁が弱くなっていくから、強くあり続けるためには術者が力を注ぎ続けるのだ。それが証拠に、セルツァには一度も皆を振り返る余裕がない。
ソニアは已む無く頷いた。すかさずディスカスが両腕を掴んで崖から全身を出す。
「よし、いつでもいいぞ」
ディスカスはセルツァに向かってそう言い、セルツァが障壁を解くタイミングを待った。ディスカスは壁抜けができるが、通り抜けられるのは自分だけで他人を運ぶことはできないので、脱出には流星術か飛天術が使われるのだが、それらはこのような障壁の中から飛び立つことができないのである。解除されたらすぐに発進だ。
やっと準備ができたのに攻撃はなかなか途切れず、濃い煙幕が彼らを取り巻いて視界を遮っていた。これだけ炎の光球を連射して、よく魔法力が尽きないものだと思い、それがまたおそろしかった。
セルツァは平板な盾状の障壁を今も残しており、隙を見計らってそれをメインに切り替えるつもりだった。そうすれば後ろの彼等が魔法で脱出できる。
そこで、ようやく攻撃が止んだ。
セルツァはドーム状の障壁を解き、盾の方を大きくさせて振り返った。
「――――行け!」
迷わずディスカスはソニア共々星となり、宙に舞い上がった。2人は強い光を放って煙幕を突き抜け上昇していく。
それに気づいたヴァリーは咄嗟に別の高等魔法を発動させた。炎の光球とは別種の光の球が既に高い所に幾つか浮いており、その球が光を増すと、全ての球を結ぶようになだらかな
ソニアとディスカスの星はその天井に激しく衝突し、電気のスパークする光と音をバチバチと弾かせて、そこで2つに分かれ、星から元の姿に戻ってしまった。
何が起こったのか解らぬ2人は、そのままかなりの高さを落下したのだが、ソニアが風を起こして圧縮したクッションを地面に作ったので、地に叩きつけられる衝撃は幾分和らいだのだった。
その風で煙幕が取り払われ、脱出したはずの2人がまだすぐそこにいること、そして天に幾つかの星と天井が浮いているのを認めて、セルツァは舌打ちした。アーサーも驚く。
「――――クソッ! 遅かったか……!」
「失敗か⁈」
これは天球障壁セレストという魔法で、このように流星術や飛天術による脱出を阻止する魔法であり、予め発生させてある天球子というエネルギー体を軸に、やろうと思えば一国の城をも覆う大きさの天井を張れるもなのだ。
ヴァリーがこれを使う可能性を考えていたセルツァは、一刻も早く脱出して欲しかったのだが、ソニアの心理上もそうすることはできず、天球子がまだ作られていないか見計らっていたものの、最後の猛攻撃の煙幕に隠れて、いつの間にかヴァリーが作り出してしまっていたらしい。これでは、あの天球子が浮いているエリアからは流星術や飛天術で逃げ出すことができない。
地に落ちて転がっていたソニアは起き上がり、自分達の脱出を阻んだ空の天井を見上げた。輝く光の球が浮いているのだが、それが何なのか解らない。
その正体を見極める間もなく、そこへヴァリーが彼女目掛けて急降下してきた。
「――――逃がしゃしないよ!」
ソニアもそれに気づき、素早く剣を抜いて構える。
と、そこへ、ヴァリーがソニアに向かって魔法を放つよりも早く、鋭い真空刃が飛んできて2人の間に落ち、地を裂き、深く爪跡を残して土塊を撒き散らし、ヴァリーの行く手を遮った。
その真空刃の飛んできた方向がセルツァや人間のいる所ではなく、またソニアも技を繰り出していなかったので、ヴァリーはキッと崖の上を見上げた。
そこに、何者かがいる。
「――――何奴⁈」
ソニアもヴァリーの視線の先を見上げると、そこにはルークスがいて、槍を横に払っていた。
一瞬だけ、ソニアとルークスは視線を合わせた。彼は先日のような感情の昂ぶりや破壊衝動に走った時の目をしておらず、実に冷静で涼やかな顔をしていた。そして、ソニアが無事であるらしいと判ると、後は敵だけに集中した。
ヴァリーは宙に浮いたまま、彼と睨み合った。射すような眼光で彼の全身を検め、次々と現れる邪魔者に苛立つ心が彼女の周辺温度を変え、陽炎が彼女を包み、その像が揺らいだ。
「……何故ヌスフェラートまでがここにいる? まさか……お前もこの娘の下僕か?」
彼の藍色の瞳には、おそれは何一つなかった。
「去れ。彼女を傷つけようとする者は、殺す」
今や単身攻め入ってきたヴァリーを囲むようにして、セルツァとアーサーが互いの武器を構え、ディスカスは再びソニアに寄って脱出の機会を窺い、上方からはルークスに狙われていた。3方から挟み込まれたこの状態は、とても不利そうに見える。
この一時停戦中に、セルツァが説得を試みた。
「ヴァリー、頼むから諦めろ。いずれ君にも解る。ブルアーヴァーに帰るんだ。私は君を傷つけたくない。それを解っているだろう?」
聞えているのかいないのか、ヴァリーは他の者には目もくれず、正面切って向かい合っているルークスだけをひたすら睨み続けていた。外見から感ずるものがあるのか、他の者と比べて随分と凝視が長い。
「……お前……ヴァイゲンツォルトの皇帝騎士団か?」
その言葉に彼の目が一瞬煌いた。
「……いや。だが、父がそうだった」
その返答を聞くと同時に、ヴァリーは肩を揺すらせた。クックと低く笑い、体を屈め、宙で身を捩らせる。皆、彼女の出方を待ち、ひたすらその様を見守っていた。
ヴァリーはひとしきり笑うと、勢いよく身を起こして髪を振り上げた。
「ハハハハハ! これはとんだお笑いだよ! お前がどれほど未熟なのかは知らないが、エルフ族の5本の指に入るセルツァだけでなく、ヌスフェラートの強戦士までも従えて守らせているとはね! 大したご身分だこと! ――――あんた達、今から守護天使気取りかい?」
ヴァリーは腰に手を当て、嘲笑うようにしてぐるりと彼らを見回した。
「私は……」
セルツァがそう言いかけると、ヴァリーはセルツァに目を向け、ジッと見つめた。彼女に対してどんな気遣いがあるのか知れないが、彼は最初のうち少し躊躇っており、やがて決断した様子で目を潔く見開いた。
「私は、彼女のガーディアンだ!」
その一言で、どうしてか今までで最も険悪で重い空気が圧し掛かってきた。
ヴァリーはセルツァを見たままピクリとも動かず、黄金色の瞳だけを震わせた。まるで彼女が低気圧の中心にでもなったかのように、辺りを黒雲が覆い始め、遠雷が響いてくる。それらはどんどんこの場に迫って来て、彼女の頭上を中心に渦を巻き始めた。
いつ稲光が閃いてもおかしくないような、天の唸りがゴロゴロと頭上でしていた。今、彼女に触れたら、それだけでこの嵐が爆発しそうだった。