第4部28章『炎の戦姫』6
「お兄様を殺して、それを機に進攻を始めた。それを人間に触れ回らなかったのは何故? そんなに天使に拘るのと何か関係が?」
「……ああ。先の大戦の英雄を失ったと知れば、人間の意気を挫くことはできるが、そうしなかった。何時、アイアスの死を天が察知して新手の天使を送り込んでくるか、様子を見ていたんだ」
「それで、ここに調査を……」
ソニアにとって、天使という存在は何とも不可思議だ。アイアスのことは兄として英雄として慕っていただけだし、彼女が神聖な存在として崇めているのは女神トライアスだ。それ以外の、天がどうの、とか、天の意志が、というようなものには思考の慣れがなかった。
本当にアイアスが天使なのだとしたら、他の人間との明確な違いは特にないように思う。普通の人間よりずば抜けて優秀だったが、それ以外は普通の若者であった。優しくて、温かで、悩みがあって。精神力まで超人的になれるわけでもなく、ある日この世に出現して戦闘力にだけ長じ、戦いの道に引きずり込まれていくのだとしたら、それはかなり過酷な人生なのではないだろうか。
皇帝軍がおそれるのも天使の類稀なる戦闘力だ。これから本当に天使が生じてくるのだとしたら、出現した途端に狙われる訳だから、何と危険に満ちているのだろうと思った。
「君は母上がはっきりしているから身元が確かだ」
「ええ。少し前までは知らないことだったけれど。それに……私のことをお兄様に見間違われたのは、戦い方が似ているからだと思うわ。ずっと心の中にあって、それをお手本にしているから」
これは、ルークスにとっても大いに納得がいく説明のようだった。彼女が天使でないことが確かであればあるほど、標的にされる可能性はなくなって少しは安心できるし。
「君が特別に見えたり感じられたりしたのは、エルフの血が入っていて、その才能を顕していたからなんだろうね。ただの人間だと思っていたら、驚くようなことが色々できるから」
「……そうだと思うわ」
「……これからも天使探しはあるだろうが……ひとまず君は違っていたと報告してるよ。そこの点は安心してくれ」
ありがとうと言うのも変だが、そんな重要な情報を教えてくれたことには素直に感謝した。
「アルファブラでの戦いで、オレの主がアイアスらしき人物と接触しているんだ。それが復活の噂なんだが、何でも以前よりずっと幼い姿をしていたらしいんだ。本当にそれがアイアスだとしたら、一度死んで若く生まれ変わって来たのかもしれない。まだ確認が取れてないから、断言はできないんだが、主は相手のエネルギーで個体を識別するところがあるから、まず間違えることはないんだ。どんな神秘が起きているのかは知らないが、アイアスは今、生きているんだろうと思う」
ソニアにとって、それは喜んでいいことなのかよく判らなかった。長年会っていない彼が死んだと知らされ、それは確かにショックだったが、本当に目の前でそれを見たわけでもないし、葬儀に出るなどして死を確かめることもできなかったので、あくまで人から聞いた不確かな話でしかないのだ。鮮明なビジョンを見はしたが、それだって想像の産物かもしれない。
それなのに、その人がよく解らない方法で若返って復活したと言われても、納得のしようがなかった。夢の中で母が言っていた言葉が思い出されるものの、それでも心に浸透してこない。
ただ、本当にそうなのだとしたら、こう思う。そんな風になってしまったアイアスは、自分のことを見て誰だか解ってくれるのだろうか、と。
そして、あの襲撃の最中に彼がいたのだとしたら、目で見ようと思えば見られる所にいたということだ。それなのに会えなかったのだとしたら、とても悔しい。もしかしたら幼い姿をしているので、自分には判らなかったのだろうか?
「アイアスが甦ったにせよ、そうでないのにせよ、他の天使が出現したとはまだ聞いていない。引き続き彼は追われるだろうね」
「……そして……また殺すの?」
ルークスはソニアの目を見た。当然ながら、そこには愛しい者の身を案ずる悲しげな震えがあった。
「……わからない。確認が取れてから、主が決めるだろう。殺す度に若く甦るのだとしたら、キリがないからな。別の手を考えなくちゃならない」
「お兄様……」
ソニアは俯いた。この話を隠す気はなかったが、彼女が心痛めるのは憐れだと思い、ルークスは彼女の肩を抱いた。
「……天使に生まれつくというのは、何とも過酷な運命だろうと思うよ」
そろそろ話題を変えたいと思い、ソニアは彼の番だと、彼の身の上話を要求した。先日までは、この主と出会ったところまでしか聞いていない。ルークスもそれに応じ、彼女の肩を抱いたままで語り始めた。
主と出会った先の話は、舞台が殆ど地下世界になる。偶然からソニアもその一部に行ったが、まだまだ未知の領域だから胸ときめくものがあった。
先日聞いた、この地上世界での生い立ちは苦しく辛いことばかりであったが、今回の話は一転して、それまでの不幸を癒していくような話ばかりであるから、ソニアも安心して聞いていられた。
今や敵となり、アイアスの命を狙う厄介な存在ではあるものの、このルークスを引き取り、そんなに親身になって世話をしてくれた鱗人のことを、他人ながらソニアは有り難く思った。きっと、亡き両親達も感謝していることだろう。
持てる才能を十分に活かされ、訓練され、彼が強くなっていく過程を話に聞くだけでも、彼が特別に優秀な戦士だということが解ってくる。そして、彼が身に着けていった地下世界の知識にも興味をそそられた。
話を止めるつもりはなしに、ソニアが思わず「凄い」、「行ってみたい」、「見てみたい」と感嘆の言葉を度々上げたので、ルークスは嬉しくも切なそうな顔をした。
「オレ達の立場が今、何の問題もなかったら……本当に君を連れて行ってやりたいと思うよ。どんなに楽しいだろう」
しかし、今は叶わぬ願いだ。しかも、この先も叶うことはない。あるとすれば、人間は尽く滅びたが彼女は生き残っていて、もはや守るものはないと割り切ってくれた時くらいだろう。でも、その時に彼女は笑顔や喜びを失っているはずだ。楽しい旅にはならないだろう。
せめて友人として、双方がいろんなことを相手にしてやりたいと思うのだが、互いの立場の故に、その多くを断念せざるを得ない状況にある。何とも悲しいことだった。
彼は話を続け、18になってからは主と別れ、単独で行動するようになったことを語った。その前にあった、忌まわしい土地での事については話を伏せた。彼女がこの事を聞いたら、今のようには付き合ってくれないかもしれないし、彼女に聞かせて背負わせたくはなかったのだ。
闇は、自分1人で抱えていればいい。彼女に、これ以上自分のことで精神的苦痛を与えたくない。
「……オレはやはり、この地上の方が好きなんだ。どんなに嫌な記憶があっても、太陽と月と星を見て暮らしたい。そう思って、ずっとこっちで旅をしている。これからも、調査や任務で地下世界に行くことは何度もあるだろうが、生活はこちらでするつもりだ」
彼の希望を嬉しく思い、ソニアは笑んだ。
「……人間を好きになって、とは言えないけれど……せめて人前で普通に会って過ごすことができればいいのにね。……まだ、うちの国ではそんな風にはなれないでしょうけど。でも、いつか、異種族の人が来ても歓迎できるような……それが普通である国にしたいと思ってるわ」
ルークスは、無駄だと言うように頭を振りながら笑った。
「人間に、その度量はないよ。まぁ……あの竜のことは、とりあえず受け入れているようだが。オレのようなヌスフェラートを迎え入れるなんてのは……千年経っても無理だろう」
「その千年の間、一度も人間を攻めたりしなければ、あると思うわよ」
それ以前に人間は滅びるし、ヌスフェラートの侵攻熱も冷めることはないから、ルークスは無理だと思ったが、それは言わずにおいた。