第4部28章『炎の戦姫』5
同じ夜、同じ月の下、別の場所でも、夜風を浴びながら2人の男女が語らっていた。いつもの水辺で隣り合って座る、ソニアとルークスだ。
彼女に引き止められてルークスは引き続きこの国に滞在し、調査があまり意味を成さなくなったものの、それ以上の情報を彼女から得られるから、それほどの後ろめたさなしに逗留していた。
ここに来るまでは周辺の視察を適当に行い、ヴォルトにも連絡して、例の人物が天使ではなかったことを報告した。血の繋がる確かな親が存在していると説明すれば、彼も納得した。
そして、ハーフの娘は説得できたのかと質問され、それについては彼女の意志が堅固で無理そうであると答えておいた。例の人物と彼女が同一人物だったことは伝えていない。
ともかくこれで、ヴォルトの関心はこの国と軍隊長から逸れたのだが、危険は何も去っていない。魔導大隊の襲撃は暫くないようである、とヴォルトから聞いただけで、何時どうなるかは判らない不安を残しながら彼はソニアと水辺で再会していた。
彼の方が先に来て、湖を眺め未来の暗さに思いを巡らせながら待っていると、ソニアも早い時間に到着し、2人はまず抱擁した。ソニアはそうすることによって、黙って1人去らないで欲しい心を表し、伝え、彼もまたその想いを確かめるのに彼女の温もりを求めた。こうしていないと、これまでに起きたことが信じられなくなり、不安に駆られて逃げ出したくなりそうなのだ。
あれ以来、2人は言い争うこともなくなり、実に穏やかに互いのことを語り合った。まだ話していなかったことが双方共に多いのだ。特にソニアの方で伏せていたことが多かったので、2人の話はなかなか尽きなかった。細かく語っていたら、とても一晩では終わらないだろう。
ソニアの方は、この国に来てからどのように暮らしてきたのか、今までに何があったのかを彼に教えた。身内との問題だけはどうにも教えられなかったので飛ばしてしまったが、それ以外はできるだけ詳細に語り、特に今までに出会った異種族のことを話した。そして彼等の理解と相違、不和なども事細かに。
人間に対する理解を深めて欲しいとは思うが、敢えてそれをアピールするようなエピソードばかり並べることはせずに、そして彼の意見を求めることもせずに、ただ事実と自分の考えだけを述べた。
2人共が互いの心に障らぬよう気を払っていたので、彼も静かに話を聞き、途中で遮ったり話の腰を折ったり反論したりするようなことはしなかった。互いのこれまでの歩みと、それによって培った考え方を尊重したのである。
彼は、彼女が軍隊長にまで昇りつめた課程にも興味を示していたが、最近の旅のことを何より知りたがっている様子だった。ゼフィーのことや奇跡の護りに関心があるからだろう。ソニアは一応、皇帝軍に属している彼が知らない方がいいこと以外は、概ね包み隠さずに説明した。彼が質問する手間を省く為にも、特に疑問を抱きそうな箇所は細かく表現したのだが、それでも全てを語り終えた時、彼はいろいろ尋ねてきた。
「すると……君は、ヴィア・セラーゴで皇帝軍の幹部を見ているんだね。脱出劇のことはオレも聞いている。その中に……竜を人の形にしたような人物はいなかったか?」
ソニアは、姫達を脱出させた後で振り切ることに苦労した鱗人のことを思い出した。彼に足蹴にされたのはよく覚えている。
「……多分、それだと思う人は見ているわ」
「それが……オレの主だよ」
これには、ソニアもドキリとした。本当にそうなら、彼がいかに皇帝軍の上層部にいるのかということになる。大隊長直属の兵ということになれば、本当に立場換えなどできないだろうから。
ルークスは説明した。そのような者は竜人と言い、主はその中でも特別であるのだと。
「君は……アイアスから《天使》のことは聞いているかい?」
ソニアは古い記憶を刺激された。関わったり語ったりする機会がないから忘れかけていたが、確かにそんなことがあったのを覚えている。当時、彼が自分自身のことをそれなのではないかと思い、悩み、調べていたのだが、結果がどうだったのかは知らない、と彼女は言った。
「アイアスは天使で、実は……オレの主もそうなんだ」
これまた驚きの話で、ソニアはルークスの説明に聞き入った。天使とは如何なる者なのかを。そしてソニアは思い出した。ゲオルグが、《アイアスの以上の天使が皇帝軍にいるんだ》と言っていたことを。それが、この人物だったのである。
ルークスの説明によれば、彼の主たる竜人天使の使命は、暗黒竜ディベラゴン反乱軍を止めることにあったと言う。その活躍について簡単に聞かせてくれたが、イメージはし辛かった。
「その人はどうして……皇帝軍になんか入ったの? それほど凄い人が、どうしてあの皇帝の部下なんかに……」
「部下ではないよ。役職上は皇帝が頂点ということになっているけれど、他とは扱いが違うんだ。頼まれてやって来た客のようなものでね。一切の自由が許されている」
彼の言いぶりからすると、そこにかなりの拘りがあるらしい。彼としても、敬愛する主が誰かの下になるというのは嫌なのだろう。
「主もオレも、皇帝が目指しているものに同調したんだ。だから力を貸している」
「同調……? 人間を滅ぼして、この世界を征服すること?」
「……いや。オレは人間の滅びにも賛成しているが、一番大事なことはそこじゃない。オレ達は天に挑戦しているんだ」
ソニアに意味が解るはずがない。だから彼は、この不条理な世界を今のあり方のまま存続させておく為に天が関与するという、これまでの常識を覆したいのだということを説明した。何故彼の主が天使でありながらそのようなことを思うに至ったのかについては、個人的なことで、自分の口から言う訳にはいかないと言って伏せられてしまった。
だが、こんなことを真の目的にしていると知っている者は殆どいないと言う。何故ソニアに明かしたのかというと、ただ単に人間を滅ぼして世界を乗っ取ろうというような野蛮で安っぽい目的の為に皇帝軍が動いているのではないことを知って欲しかったからだ。自分もまた、高尚な目的の為に所属しているのだと思われたい。
ソニアに共感できる訳がなかったが、彼等が強い確固たる意志を持って事を起こしているのだということはよく解り、改めて気が遠くなる思いがした。皇帝と直に接した時に、言っていることの意味がよく理解できず、この人が決して戦を止める気がないということだけは思い知らされたが、まるであの時のようだ。
彼等は、自分には理解しがたい信条の為に事を起こしている。もし本当に阻止しようとするのならば、力による防御だけでなく、彼等の考え方もよく理解しなければならないのかもしれない。それで道が開けるのかと言うと、皆目見当もつかなかったが
はっきりしているのは、こんなに熱く語り、主を信奉している彼が立場を変えることは有り得ず、ソニアもまたトライアを守りながら人間側につくことを固持するので、2人は相変わらず戦の敵方同士であり、その間の溝はとても大きいということだった。
2人はもはやそこを変えようとは思わないようにし、語らいだけを続けた。
「天使が出現したことを確認し次第、皇帝軍は全力でそいつを滅ぼすつもりだ。だから……君がそうでないと判って良かったよ。当初は可能性を疑われていたんだ」
ソニアは、ヴィア・セラーゴで鱗人に足蹴にされた時、『天使か?』と言われたのを思い出した。何のことを言っているのかとよく解らなかったが、こうしていろいろ事情を知ると、後になって意味が解ってくることがあるものだ。