第2部第7章『テクト城決戦』その4
概ね静かな午前が過ぎ、太陽の熱を浴びた大地が陽炎を立ち昇らせて揺らめき、遠い地平線を躍らせて暑い午後を迎えた。城壁にはぐるりと見張りの兵が配置され、どの角度からの敵の出現にも備え、いつでも弓引けるようにしている。
ソニアは町や城内や城壁をずっと巡回しながら、兵の様子や配置の不備がないかを確かめていた。近衛であるアーサーも城の防備のプロフェッショナルであるので、彼の視点からの助言も色々と与え、デイルとよく相談して体制を整えた。
ソニアの姿を見ると、アーサーは必ず彼女を捕まえて情報交換をした。そうする一番の理由は、出来るだけ彼女の側にいたいが為だったが、彼はあくまでも仕事の顔を崩さなかった。
たった今入った知らせでは、トライアの方は何事も無いらしいことを城壁の上で話していると、ふいにソニアが彼方を見やり、そのまま動かなくなったので、アーサーは声を掛けた。
「……どうした?」
「…………」
森には風が吹き、葉擦れの音が大河のように流れ渡って耳に涼しく、天気も上々で、幾つか細長い雲が遠くの空に横たわっているだけの、穏やかな午後である。だが、気がつけば鳥の声がピタリと止んだようだった。
「……何か嫌な感じがする」
彼女が時々不思議な勘を働かせるのを、アーサーは長年の付き合いでよく知っているので、こういう時に彼女が発する言葉の重みを理解していた。
この段階で指示を出して差し支えのない自軍トライア兵に、アーサーは手振りで警戒体勢に入るように命じた。その動きはテクト兵にも伝わり、まだ何も掴めていない彼らは何だろうと緊張した。
テラスからソニアの姿を追ってよく眺め、時には手を振りもしたロリア姫もそれに気づき、何かが始まるかもしれないことを察してホール内に戻り、父王にそれを告げた。王もテラスに出て来て様子を窺った。
「……何か来るのか?」
アーサーが耳元で言う。ソニアは黙ってある一方向を見つめるばかりだった。
やがて、彼女が彼方を指差した。
「――――見て! あの山の麓の所!」
アーサーが彼女の示す先に目を凝らしてよく見ると、森を覆う樹冠の僅か上を、土煙が立ち昇っていた。
「何だ……? あれは」
まず、地鳴りが音低く響いてきて、その後を追うように地震かと思える震動が届き、彼らを揺さぶった。
……ドド…………ドドド…………
テクト兵も音と震動に気づいて騒ぎ始めた。
「何だこの音は?!」
煙も、音も、震動も明らかにこちらに近づいて来る。都のトライア国軍を総動員して騎馬で駆けたとしても、立てられないほどの土煙と地鳴りだ。木々が揺すぶられ、薙ぎ倒されていく様まで見える。
ソニアは引き絞った弦を弾くようにカッと目を見開き、剣を抜き叫んだ。
「――――――敵襲だ!! 武器を取れ――――――っ!!」
ソワソワ戸惑っていた兵士達もその声に目を覚まし、戦気を奮い起こして剣を抜き、槍を構え、矢を番えた。
危険を承知で森に食料や薪の収集に行っていた民と兵士が大慌てで城塞の中に戻り、最後の1人が入り切ったところで素早く城門が閉ざされ、堅く杭や錠が施された。
ソニアは城壁から森を一望に見下ろしながら、駆け出しもせず、それ以上の指示を与えもせずに、城閣を背にして立ったまま風を起こした。旋風が森を撫で揺さぶり、大河の流れに似た葉擦れの音は、 大瀑布と思えるくらいにまで激しさを増して木々も枝を撓らせ、メキメキと悲鳴を上げた。
テクト兵はそれをただの旋風としか思わず、彼女の特技を知るはずのトライア兵でさえ、規模の大きさに自然のものとしか思わなかった。
不思議なことに、彼女は歌うどころか何の言葉も発さなかったが、それでも身の内から輝く星屑のようなものが発生して風に乗り、森に届き、広まっていった。
敵軍の後方をゆっくりと進む、キング・パンサーの背上の人がそれに気づいた。この軍を率いる将たるヌスフェラートだ。魔物達によって再三に渡る攻撃を仕掛け、テクトを十分に疲弊させたので、今日こそ主城を陥落せしめんと、将自ら出向いて来たのである。
ヌスフェラートらしく、蒼褪めた肌に長い耳、そして死神じみた目の隈を持っている。静かに結んだ口元には牙が覗いており、長く縮れた髪も目も茶褐色に濡れていた。
目の前の魔物達が忌々しい香のする風を浴びた途端に勢いを殺がれ、中には戸惑い立ち止まって、キョロキョロし始める者もいるのに気づく。男は苦々しく目を薄くしてテクト城を睨んだ。
城壁の兵士達は、魔物の姿が見えてきたのに、その進軍の勢いが何やら弱まったことに気づいて目を丸くした。城壁に辿り着いたのに、ソワソワ、ウロウロしている者も見えた。まるで目的を見失った迷子のようだ。
ソニアの隣に立つアーサーがその光景に目を輝かせて言った。
「やった……! 効いてるんだ……! スゲェ……!」
一方ソニアの方は、魔物達が退散してくれることを願いつつも、厳しい顔で風を送り続けていた。この大軍団ではきっと主導者がいるに違いない。このままで済むはずがないことは解っていた。
将の下に暗鬼が飛び込んできた。黒いローブをはためかせる姿は、漂う影そのものだ。
軍勢の内、暗黒生命体や影が特に弱ってきていることが告げられると、将は立ち上がり、飛天呪文で舞い上がった。紫水晶を魔気で精製した魔石が輝く杖を振り翳し、ほんの一時の集中だけで男は大呪文を唱えた。
「――――――バル・ダムール!!」
杖先から放たれた凝縮魔方陣が解放されるや、爆発的に広がり、そこに暗黒魔法が発動されてビリビリと音を立てながら、テクト城を城塞まるごと呑み込んでいった。
その衝撃が通過する瞬間、人々は後方に圧されて尻餅をつき転がり、ソニアもアーサーも顔を背けて後退った。衝撃の通った後に城全体が嫌な空気に包まれ、悪寒とも吐き気ともつかぬものを味わい、2人は顔を顰めた。
「何だ……? これは」
見れば、戸惑いさ迷っていた魔物達が急に活気付いて城壁を駆け登ろうとしている。第1陣は早くも城壁を乗り越えて入り込み、戦闘が始まりだした。
「何かの魔法なんだ……! なんて恐ろしい……!」
ソニアは駆け出した。
「――――――戦え!! 入れさせるな――――――っ!!」
弓兵と魔術師が城壁の持ち場を守り、登ってくる魔物達を矢と魔法の炎で落として奮闘した。
今までにない規模の地鳴りと恐ろしい空気に、家の中で震えている住民達は更に縮こまり、必死で救いの祈りを捧げた。
城壁を守っていたソニアは、入り込んで来たキラー・パンサーに梃子摺っている兵士を見兼ねてヒラリと飛び降り、下から突き上げるようにアイアスの刃を食らわせた。キラー・パンサーは宙高く吹っ飛んで舞い上がり、ただの塊の様に地に落ちた。
「――――――生きていたらとどめを!」
ソニアはもう1頭を見つけてそこに走って行った。昨夜の襲撃などかわいいもので、あまりに数が多い今は、次から次へと猫科獣や鳥獣が城塞内に雪崩の様に侵入して来る。ソニアは躊躇する余裕もなく、出来る限り1発で、時には1度に3匹をその剣で仕留めて退治していった。
そこら中で獣の叫びが上がり、兵士の怒号と悲鳴が発せられ、剣と牙の噛み合う音が響いた。
術者の魔法が炸裂し、また何処かで火の手が上がりだす。
あまりの数の多さに圧され、城塞外周部から順に第1層、第2層と突破されていき、徐々に魔物達は王城に達しつつあり、それを何とか入れさせまいとしてテクト兵が必死の防戦をしている。
ソニアはその現場に向かいながら道々の敵を薙ぎ払って進み、防戦に加わって、兵士を梃子摺らせていた巨大コガネムシの首関節を一太刀で断って、飛び出た黄色い体液を身に浴びた。
「――――――決して中に入れさせるな!!」
まだ見慣れぬ隣国の国軍隊長の戦闘力にテクト兵は圧倒され、そうは言われても、あまりの敵の多さに体が萎縮し、どうしても顔は蒼白になってしまった。
その時、上空を何かが過ぎって、王や幹部のいる謁見室に向かってまっしぐらに飛んで行くのを彼女は目撃した。
同じく城閣の防戦に駆け付けてきたアーサーと背を向け合いながら、飛び掛かってくる魔物達を次々と切り倒してソニアは言った。
「――――――アーサー!」
「――――――何だ?!」
「――――――持ち堪えられるか?!」
アーサーは牙剥くサーベル・タイガーと睨み合っている。
「――――――ちょっとキツいがな!」
飛び掛かってきたサーベル・タイガーを、アーサーはすれ違い様に剣で一撃し、腹に傷を負わせた。血が吹き出し、乾いた土を紅く染めるが、タフなタイガーはそれでもまだ立ち上がり、身を反転させて、尚もアーサーとソニアに向かい身構えた。その向こうには、羽ばたく2羽の大鴉と、人より大きい毒蜂が控えている。
「あの蜂だけは片付けて行く! 後は何とか持ち堪えて!」
「――――――ああ!」
ソニアはブゥーンという不気味な羽音を立てて滞空している毒蜂に突進し、彼女に向かって素早く突き出してきた腹の針を剣の正面円回転でスッパリと斬り落とすと、電光石火の速さで剣を縦に番えて一気に振り下ろし、真っ二つに斬り裂いて、蜂が叫ぶ間もなく倒したのだった。
彼女が大鴉でなく蜂を相手に選んだのは、かつての森の仲間に同じ種類の友がいて、戦うのは苦痛だからだった。
ソニアは防戦する兵士達を背にしてヒラリと飛び上がり、城閣の壁や屋根伝いに謁見室への最短ルートを辿って、豹より軽やかに駆けて行った。
それを見届けたアーサーは、自分も早く彼女の後を追う為に残りの魔物達に猛然と襲いかかって行った。
「王様――――――――――っ!!」
ソニアは物凄い速さでテラスに辿り着き、謁見室に飛び込んで行った。
そこにはもう何者かが来ていた。
テクト王は首根っこを掴まれ、苦しそうにもがきながら上に突き上げられており、姫はその傍らに倒れている。デイル隊長が彼女を庇うように間に立ち、槍を侵入者に向けて構えていた。近衛兵が同じく槍と剣を手に侵入者を囲んでいる。幹部達は恐れて、全員壁際に後退ってピタリと背中をつけていた。
ソニアは一瞬の状況判断で腰の短剣を抜き投げつけた。背を向けていながらも、それに気づいた侵入者はパッとその手を離し、剣は手が元あった所を掠め飛んで、壁に勢いよく突き刺さった。王はドサリと落ち、床に倒れた。
ようやく気道が解放されて王が呼吸し、しわがれた咳がホールに響く。
もう散々問答は済ませた後なのか、衛兵達も幹部の面々も無言で、ただ侵入者に構え、恐れていた。
衛兵が駆け寄って王を確保し、遠ざけたことにも気を払わず、侵入者は余裕の素振りで乱入者の方に顔を向け、ジッと目を合わせた。
ヌスフェラートだった。
本物を目にした時に、いかに人間がそれを恐れるのかを彼女は初めて知った。ただの魔物相手の時とは違って、今にもそこに縮こまり、球状になってしまいそうな怯えぶりの者が多い。
片やヌスフェラートの方は、乱入してきた戦士に然程恐怖の色が見られないのを不思議に思っていた。
「――――デイル隊長! 王と姫君を連れて避難して下さい! ここは私が!」
デイルは彼女の言葉に無言で頷き、王を肩に担いで姫の方へと寄って行った。
すると、そちらを向きもせずにヌスフェラートが杖を振り、無詠唱で真空魔法を放った。デイルと王は壁に叩きつけられた。咄嗟ながらデイルが王を庇い、自らクッションになっていた。
連射を防ぐ為、ソニアは敵に突進した。剣と杖とがぶつかり合い、お互い圧し合って退いた。
ソニアは皆を背にする位置に立ち、剣をスラリと突きつけ、挑戦的に言い放った。
「――――――私はトライア国軍隊長、ソニア! テクトを守るべく参上した! お前も名を名乗れ! ヌスフェラート!」
彼は見た目の恐ろしさに反した高い声でクククと笑った。
「アグラーバ……」
茶褐色の髪と目が、どちらも濡れた様にギラギラとしている。彼等の言葉を久しぶりに聞いて、ソニアは束の間吐き気を覚えた。
「援軍か……。君はなかなか骨がありそうだな」
この人間世界に来る者が皆そうなのか、彼等は自分達の言葉と人間の言葉とを流暢に話せるようである。噂通りの長寿ならば、異国語を学ぶ時間など山ほどあるに違いない。
彼は、中央大陸ガラマンジャ中央北部の貴族が身に着けるような物々しい狩猟服的スーツを着ており、マントを翻らせると左胸の紋章を明らかにした。心臓と杯を左右の手に持ち、交差させている髑髏の不気味な紋である。
「我が名は、魔導大隊副長リヴェイラ! このテクト城を頂く為に参上つかまつった」
「魔導……大隊……?」
「いかにも。人間にはまだまだ、我が皇帝軍の知識がないようだね」
リヴェイラは杖を優雅に踊らせて、ソニアに向けてピタリと止めた。金属製の杖の先に、渦巻く怪しい光を湛えた紫色の三角錐型の宝玉が輝いている。既に負傷して倒れている兵士達の焼けて黒ずんだ様子は、明らかに剣の傷ではない。
「……噂によれば、虫類ばかりの軍団や闇の者ばかりの軍団がいると聞く。魔導大隊とは、魔法専門の軍団なのか?」
その問いに、リヴェイラはほくそえんだ。
「まず、私に傷一つでもつけることが出来たら、教えて進ぜよう」
多くの者が恐怖か憤怒を顔に見せていたが、その中では無表情とも言えるクールさでソニアはリヴェイラを真っ向見つめ、そして風を発生させた。風は、ソニアと彼の立つホール中央から外側に向かって渦巻くように放たれ、外側ほど強く流れた。
リヴェイラは、この風が自然風でないことを、しかも呪文とは何ら関係のないものであることを見抜いて目を見張った。
「ヒール」
ソニアは小さく呟いた。すると、白く淡い霧が彼女の体から放出されて流れる風に乗り、輝きながら溶け合った。渦巻く風の中でホールを何周もするうちに、霧の輝きは強さを増していく。リヴェイラは感嘆の眼差しで光を眺めた。
風を浴び、霧に包まれた兵士達は自分の傷が治ったことに気づいて、人事不省だった者も覚醒してムクムクと起き上がり出した。
「ヴェリータス……! 何という不思議な力だ! こんな現象は初めて見る……!」
魔導大隊と称するものの副長だからか、魔法絡みの珍技がお気に召したらしく、リヴェイラは目を輝かせて両腕を広げた。
「今、君が唱えたのは確かに『ヒール』だった……! それが上級の『ムー・ジャヒール』に匹敵する威力を発揮するとは……!」
全ての兵が回復したのを見届けたところで、ソニアは風を消して改めて構えた。
回復した兵士達も剣や槍を手にして身構え、リヴェイラに向かって突きつけた。目覚めた王とロリア姫も、デイル隊長に庇われながら見守った。
「……無駄な血は流したくない。今すぐに魔獣達を連れて帰り、2度と来るな!」
リヴェイラは首を傾げ、呆れたように目を細めた。
「愚かしい……そんな訳はなかろう。我々が一体何を目的にこうして戦を起こしたと思っているのかね? 出直すことはあっても、決して見逃したりはしないよ。我々は――――人間を全滅させることを最終目標にしているのだから」
幹部達は「ヒッ」と声を上げて縮こまった。耳にして、これほど恐ろしい台詞もあるまい。
「ましてや、君ほどの敵が現れたとなれば、ますます引き下がる訳にはいかんよ。今ここで君を消しておかなければ、後々面倒なことになるではないか!」
「……どうしても戦う気か」
リヴェイラは爬虫類のような、情の欠片も見られない平たい笑みでそれに答えた。
杖先の宝玉の輝きが瞬間的に増し――――――――――
「――――――ベル・フレイア!!」
彼は突如、素早い杖捌きで高等な火炎呪文を放ち、ホール一面を炎に包んだ。兵士や幹部等もそれに呑まれて、業火の中でもがきながら叫ぶ。
魔法を扱える幹部幾人かが、それを氷炎魔法で抑え込んでどうにか盾となった。王と姫はデイルと他2名の兵士が庇い、呪文の扱える王も姫も自ら魔法で壁を作った。
ソニアは炎よりも風よりも速く、矢の如くリヴェイラ目掛けて突進した。剣は流れる風のように滑らかに連舞し、杖とぶつかり合いながらも彼の服とマントの一部を切り裂いたのだった。
驚いたリヴェイラは身を退いて間合いを開け、ソニアも離れて2人共着地し、互いに見合ったまま暫く動かなかった。
切り裂かれた彼の右大腿部の布地には、血が少し滲み出ていた。人間の血ほど明るくはない、ヌスフェラート独特のどす黒い血だ。リヴェイラは顔を動かさずに目だけでその傷を認め、そして暗く不敵な笑みを浮かべた。
皆は起こる出来事に一々戸惑っているのだが、ただ1人ソニアだけは、ずっと変わらぬ冷静な表情を保っていた。
「……本当に、この私に傷をつけるとはな。どうやら君を見くびっていたようだ。人間にしては大した腕だな。だが……まぁいい。約束通り皇帝軍について教えてやろうではないか」
リヴェイラは邪悪なるオーラを総身から発し、謎の暗黒陣の中で一層の力を増して笑った。そのオーラに圧された兵士達は慄き後退りし、闇の波動はソニアの髪も翻らせた。ホール内のタペストリーや垂れ幕もバタバタとはためく。王がまだそこにいることと、自分の腰が抜けかかっている為に、誰もホールから出ていこうとはしなかった。
「――――我等が皇帝軍は、現在7つの大隊から構成されている。1つは我々ヌスフェラートの吸血鬼貴族率いる『暗黒大隊』――――残念ながら、これは先日敗れてしまったがね。更に、獣王率いる『獣王大隊』、虫王率いる『虫王大隊』、竜人であり、天使である将が率いる『竜王大隊』、鳥人率いる『天空大隊』、ヌスフェラート戦士団からなる『戦鬼大隊』、そして――――――私が副長として率いる、全軍団中最も高い魔術能力を誇る『魔導大隊』! どの隊も、他軍から協力を得て部下は多少混成メンバーになっているが、以上の7大隊が皇帝カーン様の下に結集し、地上侵攻を遂行中なのだ!」
「皇帝……カーン……?」
兵士の1人が呟いた。皆、未知なるその名に恐れを抱き息を飲んだが、1人だけ、違った意味で言葉を失った者がいた。ソニアだった。
彼女が無言である内に、代わって兵士や幹部等が口を開く。
「何故だ……? 何故、人間を滅ぼそうとする? 奴隷にもしないで。ただの侵略では気が済まんのか?」
リヴェイラは目を伏せ、フッと笑った。
「……このような恵まれた世界の占有権をいつまでも預けるには、あまりに愚かで呆れた弱者共だからだ。そんな者を奴隷にする気は起きんよ」
「――――愚かだと?!」
「ふざけやがって! 貴様等は一体何様のつもりなんだ!」
豪気な兵士の幾人かは、恐れ多くもそうして怒りを口にした。
言い合いを耳に入れ、同時にそれについて考えつつも、ソニアは頭の中の大半を別のことに費やして立ち竦んでいた。
ほんの3年前、彼女は皇帝カーンなる人物に間接的ながら会っている。
あの老人が、この大戦の総大将だと言うのか?
「我等が皇帝がこの大地をお治めになれば、素晴らしき近代都市が次々とこの世界に築かれるのだ! 今のような原始的な人間の生活とは大違いの! それを実現させた方が、世界は美しくなる!」
難しい言葉を使っている訳ではないのだが、彼の言っていることを誰も理解できなかった。
「さっぱり解らん」「邪鬼どもめ」と人々が吐き捨てる中、ようやくソニアが口を開いた。
「……世界は広い。土地は幾らでもある。そこに移り住んで、共存しようとは思わないのか……? せめて、接触を避けて住み分けることは……」
ソニアが喋ればリヴェイラは真っ直ぐに彼女を見、呆れた様子で肩を竦めた。
「私はご免だね。それに示しがつかん。歴史を覆そうとしているのだから、やる時には完璧に白黒をつけておかなければ、後世の為にならんからな」
緊迫した場にありながら、それでもソニアはつい考えた。この人達の視点は何処にあるのだろう、と。見下しているとしても、自分達にとっての家畜や畑の野菜のように、役立つと思えれば滅ぼしたりはしないだろう。では、害虫のように思っているのか? いや、人間は彼等に何の危害も加えてはいない。長い歴史の中で恐怖が育っているから自然に離れようとするし、逆に侵略する能力がないから、戦いをけしかけることもなかった。
どのような関係だったら、そのたった1人も残さず消してしまおうと思うのだろう。侵略した種族を奴隷化しても、後々報復されるかもしれないと恐れる臆病さが根底にあるのだろうか。或いは、奴隷など必要の無いくらいに彼等の生活は豊かなのか。それとも、恵まれた人間に嫉妬して意地悪をする者のように、気の遠くなるほど長年をかけて熟成させて来た、壮大な妬みの炎がそうさせるのだろうか。
結局、ソニアには到底理解出来なかった。
暫く2人は何も発さず、睨み合った。何も言わない分、それだけ、彼女の方が皆より歴史を解していると言えた。長い時をかけて構築された隔たりを、双方が沈黙の中で直に感じ取った。
粗方言い終えているリヴェイラはニヤリと笑み、唐突に杖を振り翳した。
「――――――滅びよ! 人間共!」
リヴェイラの操る杖は、術者が呪文を唱える前に発光を始める。術者のレベルが高いと、魔法に向けて術者が集中を始めるだけで補助具は発動するのだ。しかし、その意味と凄さを知れたのは魔術師だけだった。
先程の『ベル・フレイア』より更に高等な、火炎系最大の呪文『ノヴァ・フレイア』をリヴェイラは放った。数人の魔術師や、ただの盾持つ兵士ではどうにも防ぎ切れない爆炎がホールを覆い、真正面にいたソニアを襲った。
その瞬間を見ていたロリア姫が叫ぶが、その声すら通らないほどの轟音と衝撃波が人々を襲う。
伏せていた一部の者以外、全員が吹っ飛んで壁に叩き付けられた。司令室のホールが火炎地獄の竈に変わり、防御の策が無い者はあっという間に丸焼けに料理されそうな程だ。
炎の烈しさゆえ煙がなかなか切れず、黒く見通しの効かない中を、リヴェイラは余裕の笑みで静かに立っていた。彼女の焼け焦げた死体が現れるのを待って。これだけの炎を浴びれば、いかに軍隊長とて、たかが人間が無事で済むはずがない。
兵士達は恐れながら彼女の名を呟き、ロリア姫は泣きそうに顔を歪めた。
そこへ、ようやくアーサーとトライア兵数名が追いついてホールに入って来た。爆音と震動が続いたので決戦が起きていることを判っており、既に目つきは鋭い。
彼の姿を見つけたテクト兵やデイル等が叫んだ。
「アーサー殿!」
「ソニア殿が……!」
アーサーは黒煙の切れ目に見えた男が一目で敵であると判り、以前カドラスで見た者と同族と思しき色彩を持つ侵入者の姿に悪寒を走らせつつ、即座に剣を構えて斬りかかって行った。
「――――――くそおっ!!」
腕の立つ彼は黒煙の中を3立ち回りでリヴェイラに一太刀浴びせ、左の肩章を切り落として、その下にも僅かに傷を負わせた。
「――――――ルフレイア!」
リヴェイラは、特殊技能のない純戦士のアーサーには最大級の呪文は必要ないと見て、中級火炎魔法を放った。しかし、この至近距離で浴びればルフレイアもかなり殺人的な力を持っている。烈しい炎に吹き飛ばされ包まれ、アーサーは壁に叩き付けられてしまった。
気丈さを取り戻したロリア姫が、駆け付けて治療しようとする。そこへ、リヴェイラが杖を向けて更なる攻撃を加えようとした。
その時、煙の中から突如何者かが飛び出し、今しも呪文を放とうとしていたリヴェイラの背中を斬りつけて来た。
リヴェイラはよろめいて片膝をつき、そこに立つ、黒ずんだ剣士の姿を見た。
ソニアだ。確かに魔法の火炎を浴びた形跡はあるのだが、『ノヴァ・フレイア』を受けたとは思えない程度である。多少息は上がっているが、目の冷静さはまだまだ余裕のあることを示していた。
戦える体制に戻っていないリヴェイラに追撃はせず、ソニアはジッと見下ろしている。
今までになく低い声で笑いながら、リヴェイラはゆっくりと立ち上がった。
「フフフ……。そうか……成る程……あの風か。風で壁を作って、衝撃を横に流したな? つまり――――氷炎や霧や毒の空気――――気流に関わる魔法は全て、君の前では効果が半減してしまうという訳か」
彼の飲み込みと判断はかなり早い。次が来ると察知したソニアは両手で剣を構えた。
「――――――それならばこれでどうだ! スキラトロン!」
リヴェイラは杖を斜めに振り上げて高等呪文を放った。杖先から真空の刃が発生し、大鎌が無数の小さな刃に分裂して、1度にソニア目掛けて襲ってくる。
ソニアは素早く反応し、アイアス仕込みの技を発すべくほんの一瞬だけ沈み込むと、一気に剣を振り上げて剣圧の真空刃を放った。
真空の刃同士が衝突し、炸裂する。激しい爆音と爆風がホール中を駆け巡り、窓のガラスも鉄柵も扉も押し破った。
当たり損ねの真空刃の破片が狂い飛んでソニアの頭を直撃し、咄嗟に避けたものの、兜を吹き飛ばされた。金属音を高らかに立てて兜は転がり落ち、背後の壁にまで滑っていった。
激しい烈風に押しやられて次第に煙は薄くなっていき、リヴェイラもソニアもまだそこに立っているのが見えてくる。ソニアの髪は戦闘で多少乱れてはいたが、後ろで1つに結っているので、風が落ち着くとフワリと背に掛かった。
2人がそうして見合っている隙に、ロリア姫はアーサーに治療呪文を唱えた。火炎の直撃による傷は酷く、鎧にも服にも裂傷があって、亜熱帯地域の軍服ゆえに露出度の高い手足の皮膚は赤く焼け爛れていた。
姫の掌から白く輝く霧が流れ出てアーサーの胸元から体内に浸透していくと、混濁していた彼の意識もはっきりとしてきて、そのうち回復した。
戦士の中の戦士らしく、アーサーは覚醒次第すぐにガバリと立ち上がって剣を構えた。血相を変えて起き上がり、辺りを窺った1番の理由が何だったのかは、彼がそこに立つソニアの姿を認めた時に見せた安堵の笑みでよく解った。
リヴェイラの恐ろしい力に圧倒されながらも、兵士達は懸命に勇気を奮い起こして槍や剣を向けて取り囲んだ。
リヴェイラは恐れもせず、何か思案している様子の不思議な表情でソニアを見つめている。
ソニアもアーサーも相手の手の内を知り得ていないだけに、相手が構えていない状態で飛びかかるようなことはせず、様子見に徹していたが、それがあまりに長いので痺れを切らして言った。
「どうした? そっちが来なければこちらから行くぞ!」
リヴェイラは、まぁ、待て、と言うように手を翳して制止させ、尚もソニアを凝視した。
「……驚いたよ。君は……女の兵士なんじゃないか」
兜を着用して対峙していた為、どうやらずっと男だと思われていたらしい。それ自体は大したことではないのだが、それだけではないような疑惑の光がリヴェイラの目に覗いていたので、ソニアは何だか鳥肌が立った。
「それに……君は本当に人間なのかい?」
「何?」
唐突にこんなことを言われて、ソニアはおろかホール中の人間が眉を顰め、目を見交わした。思い当たらないこともないものを己の中に隠し持っているソニアは、誰よりもその言葉に衝撃を受け、ギクリと肩を強張らせた。
「……どういうことだ?」
「……いや、何、君の姿が人間ではない……我々に近いある種族にとても似ているのでね。その仄かに蒼白い肌……まるで日に透けるようだ。そういう肌は、人間の中にも時々見受けられるが、その他にその髪と瞳の色……それまでが全てよく似ている。……まぁ、ちょっと違うのは、その耳だな。そいつは明らかに人間のものだ」
皆はどよめいた。誰しも、もしやと思う点は無きにしもあらずだったので、ただうろたえることしか出来ない。
こういう時に優れた発言が成せる者は、何が重要かを理解し、ソニアを熱烈に擁護しようという強い意志のある者だけだった。そしてそれは、アーサーとロリア姫だった。
「――――ふざけるな! ソニアはオレ達の仲間だ! お前の仲間に近いだって?! それならこんな所で戦っているもんか!」
「――――そうです! この方はれっきとした人間の国の戦士です!」
2人共、怪しい点があるのは重々承知だったが、彼女が何処に属しているのかを明言しておくことこそが大切だと知っていた。
ソニアは黙したまま全員を見回した。その顔も、揺れる長い髪も、人間とは少し違った美しさを持っていたが、飽くまでもそれは美の範疇にあり、今、目の前にいる男と同系統の者だなどとは到底思えなかった。
アーサーは更に続けた。リヴェイラではなく、ソニアに向かって言った。
「大負けに負けて、仮にそうだったとしても関係無いさ! 何の問題がある? オレ達は今、お前と一緒にこいつ等と戦っている! 目的は一致しているんだ! それが人間だろうとなかろうと、どうだって言うんだ! 一緒にこいつをブッ倒す! それでいいじゃないか! お前はオレ達の仲間だ!」
トライア兵がそれに続いた。長年共に働いてきた者には、すぐにそう思える積み重ねがある。
「そうだ! そうだ!」
「ソニア様は、お前等のような残忍で無慈悲な輩とは大違いだ! 一緒にするな!」
ロリア姫もそれに続き、やがてテクト民達も頷いて、揃ってリヴェイラを睨んだ。
ソニアはほんの一瞬、瞳を震わせて軽く痺れていた。その不安がなければ、恐れるものは何もない。
リヴェイラはその光景を眺めて肩を竦め、鼻で笑った。
「フフフ、茶番だな。実に感動的なことだ。人間のそういう単純愚かなところが全く性に合わんよ。馬鹿馬鹿しい。君がもし人間でなかったならば、我等に忠誠を誓うことで皇帝軍の仲間入りをさせてやってもいいと思ったのだが――――どうやらそれは見当違いかな?」
ソニアは凛とした目でリヴェイラに真っ向宣言した。
「――――そうだ! 私はトライア国軍隊長としてお前達と戦う人間だ!」
「……よかろう。よぅく解った。話は終わりだ」
リヴェイラは薄情な笑みで口元を歪ませて杖を振るった。宝玉が超新星の如く輝く。
「――――皆まとめて砕けるがいい!! ダイニモカス!!」
アメジストの宝玉を中心に、術者を含む大きさで紫色の光る球膜が発生し、そこから恐るべき衝撃波が爆発的に生じて部屋中を圧し、皆を吹き飛ばした。
人の叫びなど、大轟音に掻き消され聞こえもしない。大魔法の連続でホール中は至る所にヒビが入り崩れかけ、天井画が幾つも落ち、壁の石も剥がれ落ちた。
爆風が過ぎ去った後にも震動の余韻が残り、それが次第に治まっていく。
外で戦っていた者は今までにない爆発に慄いて、皆、城を仰ぎ見ていた。