第4部27章『獅子の紅』1
亡国サルトーリの姫フィンデリアは、ホルプ・センダー本部で仲間達と久々に合流し、これまでに仕入れた情報を伝えた。
ビヨルクに調査人員を派遣させたし、ディライラにも赴いて、例の戦士が無事生きていたことを知らせ、ニルヴァ王子やエミリオン王子を安心させた。特にエミリオン王子の方は、その知らせで心救われるところが大きいようで、とてもホッとした様子であった。
ホルプ・センダーの主力メンバーでありながら長い期間不在だったものだから、皆も心配していたのだが、何やら波乱があったらしいことが判ると納得したのだった。
しかし、逆にフィンデリアの方が心配させられることとなった。同じ主力メンバーの1人であるアルファブラ王国の戦士クレイオンが国にかかりきりとなる為、ホルプ・センダーで当分は活動できそうになくなってしまったのである。
それもこれも、先日のグレナド襲撃による痛手が原因で、国王と王女の婿が両人とも失われてしまった為、軍務で指導力を発揮できる人材が何としても必要だったのである。軍隊の将は勿論以前からいるのだが、クレイオンには敵わなかった。戦士としての実力にも秀でていたし、将としての指揮統率能力にも優れていたから、皆に強く望まれたのである。
王室男子を揃って失った国民の喪失感は相当なもので、頼り甲斐のあるヒーローを皆が望み、それに縋ろうとしたのだ。
決して、王女フェリシテに人望がないわけではないのだが、軍を率いる必要が生じるとはまさか思っていなかったので、本気で兵法を学んでいなかったこともあり、また本人の性格としても父王のように猛々しく兵の采配を振るうことなどできないと思っていたので、未来の夫に全て任せるつもりでいたのだ。当時は英雄のアイアスに、そして、彼と結婚できないと解ってからはセイルに。
現在そのフェリシテは、実際の政務を殆ど執政に任せており、戴冠式だけは済ませたものの、せめて喪が明けるまでは自分は弔いに専念し、政務は行わないと明言していた。国民達もそれには同情的で、むしろ心優しい王女だからこそだ、と好感を高めていた。
傷心の王女に代わり執政が国を取り仕切り、若きエリートが軍を率いる。これが国民の望む美しい形であった。
あまりに消息が知れないので、もはやアイアスが登場するシナリオは考えないようにされていた。これほどの期間、生存についての情報が語られず、ディライラでそれらしき者が出没したという噂はあるものの、肝心の故国襲撃に姿を見せていないので、おそらくその噂は間違いなのだろうとアルファブラの国民は思っていた。
彼はやはり何処かで死んでしまったのではないかと語られるようになり、その話題は悲しく暗くなるから膨らまず、考えることも避けられるようになっていく。
ともかく、そのような事情がアルファブラにはあるので、フィンデリアは仲間としても気になり、現地に赴いて戦友を激励しつつ、グレナドの状態をこの目で確かめてみることにした。
ホルプ・センダーの使者として流星術で城を訪れたフィンデリアは歓迎された。一使者であればここまでの待遇はされないが、何しろ元王族である。そして身内を失い、生き残った王室女子としての共通点から、元王太后、元王妃、女王の歓迎ぶりが厚かった。早速もてなされそうになるので、フィンデリアの方から、まずクレイオンに会い、この国の状況を調べさせてもらいたいと申し出たくらいである。
この精悍さ、気丈さが刺激になったようで。フィンデリアがクレイオンの所へ行った後、フェリシテは「私もあのように逞しくあらねばなりませんね」と母親達に言ったのだった。
クレイオンは崩壊した城の現場で立ち働いており、わざわざ訪れてくれたフィンデリアに気づくと、とても喜んで彼女を迎えた。短く刈り込んだ茶髪と焼けた肌がいかにも若々しい彼は、突然の大役に対する戸惑いと意気込みの両方をその表情に見せていた。
「大国の波乱ね。あなたの手腕にかかってるわ。頑張ってね」
「ああ。やれる限りのことはやるつもりだ。本当にいろいろ任せてくれるから、やり易いよ。その反面、責任は物凄く重いけどね」
このエミリオンという若者は、強がりを言わないが弱音も吐かない。寡黙とまではいかないが、決してお喋りな男ではなかった。そこが信頼のおける印象を人に与えるのだ。
ここが国王や王妃の婿を奪った崩落現場であると言うから、フィンデリアはその場で鎮魂の祈りを囁いた。瓦礫はかなり撤去されているのだが、どれほど凄まじいものであったかが見て取れ、彼女はゾッとした。彼女の父や兄達はもっと違う死に方をしているので、このような最期も残酷で哀れであると思い、皇帝軍に対する怒りがいや増したのだった。
しかし不思議なことに、その反面、この崩落現場の空気は何故か清々しかった。どうしてそのように感じるのか最初は解らず、気のせいかと思い、沢山の死人が出た場所でそのようなことを言うのも不謹慎であるので彼女は黙っていたのだが、そこにいればいるほど、その感覚は強まっていった。
「……ねぇ、ここで何か儀式でもしたの?」
「えっ?」
「ここだけ……他と雰囲気が違うような気がするんだけど」
「ああ、そのことか。皆も言ってるんだよ」
クレイオンは説明した。当初は国王の死を悼んだ精霊がここを清めたのではないかと噂されたそうなのだが、魔術師が調べてみると、重力魔法の痕跡とは別に、ヌスフェラートが好んで用いる悪しき魔法とは別の、聖なる魔方陣が形成された跡があったのである。ここにいたとされるヌスフェラートが、まさかそんな魔法を発生させたとは考え難いので、誰か敵方ではない者が行ったとしか考えられないのだが、自分がやったという者は誰一人いなかった。現場で死んだ魔術師もいるので、その者だったのではないかとも推測されたのだが、その人物の生前の力量ではこれほどの魔法を発生させることはできなかったとの証言もあり、死の直前の奇跡的な業だったのではないかという憶測にまで発展した。
だから施術者については定かではないものの、何者かの手によって重力魔法が打ち消され、ここは聖なる魔法によって清められたのである。
「見た目と性質から、バル・クリアーというものではないかと言われているんだ」
「バル……クリアー……」
魔術師としての英才教育を受けているフィンデリアは、その名称だけで性質と発生の困難さを理解した。彼女の従者カルバックスはかなりの使い手だが、それでも到底成し得ない超高等魔法である。滅びる以前のサルトーリ国内に、その使い手はいなかった。他の国でも滅多にいるまい。
謎の魔術師が現れて崩落を止め、ヌスフェラートと戦ったとでも? しかも名を告げずに姿を消して? そんな可能性を考えるのと、死んだ魔術師が奇跡的に行ったと考えるのとでは、どちらも同じくらい信じ難いことのように思われる。
「……これって……もしかして……アイアスなんじゃないの?」
フィンデリアにそう言われ、クレイオンはビクリとした。彼は英雄の熱心な信奉者だ。アイアスが現れないことを誰より嘆いていたのである。今となっては他にもう1人負けず劣らずアイアスを慕っている者がいることを彼女は知っているのだが。
「実は……そうではないかという説も少なからず持ち上がっているんだ。彼なら使えておかしくないから。だが……それだと、どうして姿を消したのかの説明がつかない。国王を救おうとして来たけれど、死なせてしまったからとても顔が出せない……そういう状況も考えられるけど。でも、どちらにしても憶測の段階で人には言えないから、このことはあまり語らないようにしている。彼にとって良くないイメージがついて回るからね」
さすがに信奉者らしい気の遣いようだ。フィンデリアとしては、ここまで姿を見せなかったのだから、本当にアイアスなのだとしたら、何か拠所ない事情があるのではないかと思うのだが、確かなことが判明するまでは伏せておいて正解だろうと賛同した。
ソニアがこの国に来ていたことは聞いているが、パングロス家の周辺で主に風の操作をしていたという話だから、この聖域魔法に関わりはないだろう。
そこで、フィンデリアはディライラ襲撃時にアイアスが現れたとの噂はデマであるとクレイオンに教えておいた。当の本人を自分が知っているので間違いない、と。彼を落胆させたくはないのだが、デマと解りきっているものに望みを持たせておくのも不憫だ。
やはり彼は残念そうにしたが、彼の方でも既にそんな予感がしていたらしい。
「あの人は……どうしてしまったんだろう」
「私は、あなたほど英雄に思い入れがないから、こんな風に思ってる。彼がいれば、皆が彼に頼ってしまう。世界規模の、かつてない戦で彼1人では手が回らないような状況なのに、皆が彼に頼って彼を求める。彼が間に合わず滅びることもあるでしょう。助けた所と、そうでない所が出てしまって、一方では感謝されるけど、一方では恨み言を言われる。だから、最初からいちゃいけないんじゃないかしら。いなければ、皆が自分達だけでなんとかしようと、もっと懸命になるから」
「君は、相変わらず厳しいなぁ。でも……ある意味、一番あの人に対して同情的で思いやりがあるのかもしれないな」
大役の責任に合わせて、どことなく仕草までが大人びてしまっていた彼だったが、この時は以前のように若者らしい様子で頭を掻いた。フィンデリアもそれを見て、何となくおかしそうに笑む。
「本当に生きて何処かにいるのだとしても、姿を見せないのには、きっと大切な事情があるのよ。居場所が判ると、そこを集中攻撃されて迷惑がかかるから、とか、皇帝軍に死んだと思わせておいて、その隙に成し遂げたいことがある、とか。故国の危機であろうと、名乗り上げられないほどの重要な目的の為に」
「オレも……そう思いたいよ」
その後、この国の現在の情勢についてクレイオンから情報を得ると、フィンデリアは王女達の接待を受ける前に城下の街を視察し、それからパンザグロスの屋敷に赴いた。直接の縁はないが、軍務に忙しいソニアに代わって、彼女が無事であることを知らせようというのだ。特に彼女に約束をしたわけではないので、あくまで独断でのことである。それに、噂の英雄の生家が見られるのだから、いい口実だと思っていた。