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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第26章
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第4部26章『時空回廊』5

 気がつくと、彼は元の祭壇内部に戻っていた。中央の床に、マキシマの姿で立っている。

 そして、傍らには番人がいた。番人は咎めもせず、ジッと彼のことを見ている。そこにはまだ倦怠感が表れていた。何もかも、全てお見通しなのだと、そう番人の目は物語っている。

 何が起きたのか解らず、戸惑いながら、彼は姿を元に戻した。

『…………そういうことだ』

「そういうことだ……とは……何だ? 今、何が起きたんだ?」

番人は床の神聖文字にまた触れる。すると扉の向こうから射していた光が失せた。作動停止の操作らしい。それから、番人は大きく溜め息をついた。

『過去は……変えられん』

「そんな……干渉したら大変なことになるって……! それは、過去を変えられるからじゃないのか?!」

番人の目は、何か遠いものを見ていた。失われたこの都のことを思っているのだろうか。

『ここから見た過去は……変えられんようにできているのだ。そのようにできているから』

彼は呆然とした。それでは、自分が手に入れた噂の幾つかはデマだったと言うのか?

『もっとはっきり言おう。変えられたとしても、まずろくなことにはならない。なかったことにしたいある出来事を変えると、結局別の問題が起きる。そのようにこの世界はできているのだ。私が……身を持ってそれを経験している』

おそろしい静寂が2人を包んだ。目の前の番人に生命感が乏しいから、だだっ広い荒野にたった1人でいるような錯覚を覚える。

『私は大切なものを失い、それを取り戻そうと更に過去に手を伸ばした。どんどん物事がおかしくなり崩壊し……この都は滅びた。この都だけで済んだのが、逆に奇跡だったと言える。そして悟った。どんなに些細なことであれ……過去に手を出してはならんのだと。だから……私は残る力でこの時空回廊の機能を変えた。本物の過去の時空に行き、その場に立つことはできるが、同じ次元にいるわけではない。あくまで虚構を見ているのだ。触れているように感じても、それは書物の手触りを感じているようなものであって、そこに書かれている内容を変えることはできないのだ』

それで、彼にも合点がいった。ゲオムンドを刺したと思った時、彼は己が見ていた虚構を破壊しただけなのだ。映像の映し出されている水晶玉を砕くように。

 彼は脱力し、ドッと疲れを感じた。ヨタヨタとそこにしゃがみ込み、膝をつく。いかに影響がなかったとは言え、彼は今、おそろしい罪を犯してきたところなのだ。それだけでも苦痛であるのに、実行した罪悪感だけが残って、結局何も変わっていないなんて。

 番人の言葉を疑う気はなかった。彼は、方法のないことを痛感し、顔を歪め、涙を零した。

『何故……お主がここに辿り着けたと思う?』

彼は無言で首を左右に振った。未だに倦怠感に取り巻かれていながらも、番人が彼を見る目に心なしか哀れみのようなものが表れていた。

『お主を……諦めさせる為なのだ』

「諦め……させる……?」

彼には意味が解らなかった。言葉で聞くとあまりに凡庸で、この施設に相応しくないように思えた。まるで誰かが誰かを諭すような、妙に感情的なことではないか。

『……ここは、時の操作に関する危険性について見解を同じくする者達との共同作業によって、魔法で守られている。おそらくお主も、既に承知の上と思うが、普通であれば覚えていることも記録することも困難だ。しかし……ある条件を満たした者だけは、その術が効かないようにしてある。それは……いずれ時の操作に興味を示し、強い渇望でそれを実行に移す可能性があり、その能力があり、しかも……己の生命の危険すら厭わないというものだ』

彼は驚きで顔を上げた。番人は真っ直ぐに彼を見つめている。若き弟子の研究者を見る博士のような、指導の意志がそこに感じられた。

『お主はその条件に合致していたのであろう。自身でここまで辿り着けた力があり、己の肉体をそこまで改造する能力もあり……そしてどうやら、父を殺すことによって己が消滅しても構わないと考えるほどの信念を持って、変えたい過去があったらしい』

その通りだった。彼は願ったのだ。全ての元凶である父が死ねば、母が悲しみ苦しむこともなく、ソニアも普通に生まれてくることができた。そして、自分が生まれ、母に捨てられることもなく、この人生がなかったことになり、終止符が打てる、と。あの残虐な父に、惨たらしい方法で殺される幾多の人も助かるだろう。

 だから、父殺しという忌まわしい罪を己が犯すことは覚悟の上で、むしろ全ての間違いを自分の手で精算し、罪の咎は受けるつもりで、この所業に及んだのだ。

 幾らあんな父とは言え、それはとても決断の要ることだった。考えるだけで魂が傷ついていくようだった。

 それでも、何にも増して過ちを正したかったのだ。殺さずに阻止する方法では、後年また同じことを起こすことも大いに考えられる為、父のことはきちんと始末するしかなかった。

 だがそれも……叶わぬというのか。

 結局、違う目的の為にここへ来たが、念願だった母の姿はこの目で見ることができて、狂おしいほどに感激していた。まだ自分の母となっておらぬ姿ではあったが、やはり愛しくて切なくてならない。

 これまでずっと思い描いていた通りの……いや、それ以上だった。素晴らしかった。思い出すだけで、また彼の目から涙が零れてくる。

 何としても、あの母を救いたかった。

 あの後に起こった出来事まであの場で見ていたら、おそらく自分は耐えられず、自らを縊り殺していたことだろう。

 母上……あなたと苦しめたばかりで……お助けすることもできず……本当に済みません。

 それが何より悔しくて、彼は再びそこに突っ伏した。

『……その条件に合致する者が1から研究をして成功させた場合、万が一にもこの都と同じようなことが起きてはならない。いや……技術が整った暁には、必ずこのような結果を招く。だから、そのような道を歩む可能性と力のある者をここに招き寄せ、実際に体験させているのだ。結局は疑似体験ということになるが……一度やらせてみると、それで気が済むというのか……納得して諦めてくれるからな。その後にその者が研究に費やすだったであろう時間と労力、そして世界に及ぼす危険を考えれば、ここでそれを見せた方がずっといいのだ。お主の場合も……そのような理由でここまで導かれたのであろう』

その理屈も、とてもよく解った。過去を変えたい衝動がここまで高まるに至ったのはつい最近のことであるが、放っておけばそれは高まる一方であったろう。もし、この先何もかも失ったら、きっと選択を迫られていたはずだ。自分も滅びるか、でなければ余生と余力を懸けて時の神秘を探り解明し、過去を変えるか、のどちらかを。果たしてどちらを選んだか。膨大な時とエネルギーを要する選択をしたのか。

『不思議なものだが……ここに来る者は圧倒的に男が多い。雌雄の区別が怪しい種族はともかく、お主のような男ばかりがここにやって来る。様々な種族を見守ってきたが、どちらかに研究開発の能力が偏っていることはないようだから、動機の差でそうなるらしい。女の方が、起きた出来事を変えるのではなく、それと向き合って生きていく考え方を受け入れ易いのか……それとも、男の方が犯す罪が大きく深くなり易いのか……どちらなのかは判らんがな。

 しかも……大抵は自分自身か父親を殺しにやってくるのだ。自分がかつて犯した大罪を消去する為に、それを行う前の自分を殺す。または……父親の許しがたい罪を罰する為か消去する為に、それを行う前の父親を殺す。何とも……皆同じような苦悩で縛られているらしいな。世の中というものは』

番人が常に倦怠感に包まれていた訳が、これでよく解った。彼は、非常によくあるパターンの一例でしかなかったのである。過去の何処に行きたいかという質問に対して人物の指定がなされただけで、ある程度要望は読め、そしてそれが父であると解った時点では《またか》としか思わなかったであろう。

 自分と同じようなことがそうそう起きるとは思えないが、その他の父殺しにやって来る男達のことを思うと、彼はつい口を歪めて苦笑いをした。

「……目的はほぼ解っていたから……ご親切に……オレが一番変えたい過去の現場に連れて行ったのか?」

『ああ、そうだ。お主がいれば、お主がどの過去に対して最も操作意志があるか解るようになっている。手間を省いて直行したのだ』

ただ、ただ、溜め息が零れた。自分は、この竜人の掌で踊らされていたのだと思うと、尚更滑稽だった。

『さぁ……どうだね? 一度虚構の父親を殺して、気は晴れたか? ……そう簡単にもいくまいが。もう二度と過去を変えようなどとは思わぬか?』

彼は俯いたままでゆっくりと頷いた。綺麗に、要らぬ所だけさっぱりと取り除けるのなら何度でも試したいが、その結果、一番大事な母やソニアに支障が出るようでは元も子もない。そうできないのなら……無用なことだ。

「……その気は失せた」

思えば、この番人のことがますます労しく感じられてきた。自分と同じ過ちを後世の者が犯さぬよう、こんなにも気の遠くなるような長い間ここに留まり、迷える者を導いているのだろうか。そこまで、彼が引きずる罪悪感というものが大きいのだろうか。

『ここまで来た褒美として、他に見たい過去があれば見せてやるぞ。何かあるか?』

そう言われて、一瞬彼の頭にある出来事が過った。が、それはすぐに掴んで引き摺り下ろされた。そんなものを見たって、哀しくなるだけだ。先程の母も笑ってはいなかったが、あの方がマシだろう。あの姿だけを心に描いて帰りたい。

 そうなると、後は何もなかった。愛する者と過ごした日々は、全て心の中に鮮明に刻み込まれているから、他に見たいものはない。

「……未来は……見れないか?」

『……見れると言うのか、見れないと言うのか……』

「できるのか?」

番人は尾を揺らして、あらぬ方を向いた。本物の科学者、研究者というものは、政治家や商人と違って全く嘘がない。人を騙したり、誤魔化したりという能力が欠落しているのかもしれない。この番人もまた、質問に対してはどこまでも真実を答えるようだった。

『今、この時点で起こり得る未来というものは、実に沢山あるのだ。今、一番可能性が高いものがどれであるかを見ることはできる。だが、その通りになるとは限らない。お主が未来の可能性を見たことで何か行動を起こせば……当然ながらそれが影響し、簡単に未来が変わるだろう。私に言わせれば……何も見ない方が身の為だな』

「成る程……」

知りたい未来も別になかった。彼女を、間違いなく自分が手にかけて楽にあの世に送ることができるのか、参考までに見てもいいかと思っていたが、すぐに気が変わった。どうなるかなど、見たくない。過去も未来も、さして他に興味が湧かないというのは、彼が欲深い者ではないことの表れだった。

『過去も、なかなか興味深いものだぞ。かつてこの世界で何が起こったのか、どうして現在のような世界になったのか、それを知りたいとは思わんかね?』

「今は……興味がない。どうでもいいんだ。そんな事」

『ほぅ……。かなり面白いと思うのだがな』

「……それを見たくなったら、またここに来るさ」

番人は目を細めた。実は、世界の起源という重要な情報に触れた者は、ここを出た途端に関連の記憶を全て失う。過去を操作する欲望がうせたことはそのままで、後は皆忘れるのだ。そうならずしてここを出て行くということは、この者はそうするよう運命付けられているのかもしれない。

『よかろう』

空気が変わった。気がついて彼が顔を上げると、そこはもう外の世界だった。奇岩が立ち並び、酸の川が流れ、風穴を渡る風の音色がヒュウヒュウとこだまする。祭殿内部の方が明るかったから、ますますどんよりと、滅びの重みがこの旧都市に圧し掛かっているように見えた。

 あの番人は、この先どこまで、あそこで祭壇の番をしているのだろう。自分が死んだ後も、ずっとずっとあそこにいるのだろうか。

 ブルリと震え、彼は己が肩を抱いた。

 母上……ソニア……済まない。オレは……皆を助けられなかった。本当に、心の底から……2人を助けたいと思っていたよ。でも、できなかった。どうか……許してくれ。

 彼は立ち上がった。憔悴したその顔は、この都市を覆う空気のように重く暗い。

 母上……。あなたはオレを愛さなかった。もしかしたら、憎んでいたのかも。でも……どうか……オレがあなたを愛することは許して欲しい。

 彼は生きていた母の姿を胸に、それが己の身の内に巣食う罪悪感を高め蝕むのだと知りながら、住まわせて、荒野を飛び立った。

 いつか、同じように遺跡の情報を求める者が彼に出会うことがあれば、彼はやはり《番人の許しを得ずにやってしまえ》と言うのだろう。そして、自分がそこに言ったことがあるとは言わないのだろう。そんな機会があるのかは、定かではないが。

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